クロスアイズの魔砲使い
九尾ルカ
第1話 惑いの森と銀のエルフ
良くないことが起きる日は決まって森が騒がしい。
木々はざわつき、ウルフ達の遠吠えがいつまで経っても止まない。
幸いエルフの村へ侵入する魔物こそいないが、嫌な風が何かを運んでくるかのようだ。
「森が怯えているわ」
森番のアルシェは弓を手に木々の間を駆けていた。
月夜に浮かぶ銀の髪が美しく靡き、髪と同じ色の瞳が眼前を睨む。
エルフの特徴である長い耳の少女は、その美しい容姿に似合わずに服装はなんとも質素で落ち着いていた。
森番として木々の間を駆け回るアルシェは肌を草木で切らないよう、そして草木に紛れ込めるように緑と茶の長袖と長ズボンという服装に身を包んでいる。
勝手知ったる我が家のような森なのに、今日に限っては様子が違う。
具体的に言うのならば、火薬の臭いがする。終戦以降すっかり忘れ去る事ができていた大嫌いな臭いが、よりにもよってこの場所に漂っているのだ。
足元には何種類かの魔物が逃げ出した様な足跡が点在している。
中でもウルフは特に縄張り意識の強い魔物だ。彼らは名前の通り体躯の大きな狼の様な姿をしていて、10を超える個体で群れを形成する。
おおまかな生態は狼のそれと変わらないが、テリトリーに踏み込んだ者への攻撃性が段違いであり、またその体の大きさから危険性も比ではない。
それ故にウルフは狼とは区別され、魔物として認定されている。
そんな縄張り意識の強いウルフまでも、自分達のテリトリーを捨てて逃げ出す程の何かがこの先にいる。
「火薬を使うのは人間だけ……だから、この先に居るのも人間よ……狼狽えないでアルシェ……」
自分に言い聞かせるように呟きながら、矢筒から三本を手に取って弓へ番える。
鼻を突く火薬の臭いが近付いている。
伴って、木々の先に極めて小さくだが緑色の光が見え始めた。
何者かが魔法でも扱っているのだろうか。
アルシェの知りうる限り、エルフの森で緑の光を放つ物はその程度しか思い付かない。
いや、だが何かがおかしい。
魔法の光ならば発動後に消えるはず。その場合、点灯はせいぜい十秒にも満たないだろう。
だがあれはどうだ?
アルシェが視認してから既に一分以上。
距離は徐々に縮まっているはずなのにそれが大きくなる様子もなく、その間も明滅もせずに光続けている。
「止まりなさい!」
弓を引き絞り、先に見える緑の光に矢を向ける。
火薬の臭いが近い。
それを漂わせているのもあの緑の光だろう。
「ここはエルフの森よ。言葉の通じる人間ならば早々に立ち去りなさい!」
アルシェの言を受けても緑の光に動きはない。
構えた弓弦同様、空気も張り詰める。
それが切れるように弾けたのは、その刹那。
緑の光が赤く変わり、何かが爆ぜるような音が響いた。
アルシェは本能的に身を屈め、低い姿勢のまま地面を蹴る。
火薬の臭いと決して大きな訳ではない炸裂音。
薄々予想はしていたが、アレの得物は銃だろう。
火薬の炸裂によって鉛を撃ち出す人間の武器。先の大戦においても多くが配備され、数多の生物が犠牲になった。
剣や魔法の才能も持たないただの村人ですら一介の戦士を殺せてしまう。
それが銃という武器……いや、兵器だ。
同じく長射程の武器である弓を主に扱うエルフですら、装填数による優位と練度が低くても扱える武器という点に苦戦を強いられ、被害を出さない為に早々に停戦へと追い込まれた過去を持つ。
「よくもそんな物を!」
移動しながら僅かな時間差を付けながら三本の矢を赤い光に放った。
先程の炸裂音が今度は立て続けに三回。
「撃ち落とされた!?」
鏃に何かがぶつかり、火花を散らして弾かれたのが視認できた。
三本全てがそうなったのを見たわけではないが、赤い光に変化が無い以上は届かなかったと考えて違いないだろう。
練度が低くても扱える武器が銃だ。
もっと言えば、あんな物を使う人間など剣にも魔法にも恵まれなかった半端者だと侮っていた。
違う。
アレは違う。
飛来する飛び道具を叩き落とす事がそもそも至難の業。
ましてやこの闇夜、飛び道具に飛び道具をぶつけ弾くなど、半端ができるものか。
「武器を下ろしてくれ」
くぐもったような低い声が聞こえた。
薄い膜を震わせながら発せられるような、人の物とは思えない声だ。
「こっちの警告を無視した上で投降を呼び掛けるなんて、随分と礼儀知らずな人間ね」
「警告へ即答できなかった事は謝るよ。魔物を刺激して要らん被害を出さない配慮だったんだ」
「何を見え透いた――」
「俺が初撃を放った方向を見てみろ」
その言葉を聞き、アルシェは視線を元居た方へ向ける。
自身が蹴った地面の跡が一つ、二つ、三つ……順に視界へと入り、段々とその目が見開かれて行く。
「嘘……」
人の物ではない毛の生えた脚。
力なく垂れた両の腕。
そして、額に風穴を穿たれた顔は白目を剥き、牙の覗く口からは舌が出ている。
「ウェア……ウルフ……」
人と狼を掛け合わせた様な特徴を持った中型の魔物だ。
有象無象の魔物と比較して知能が高く、統率の取れた群で行動する事も多い。
しかし、ウェアウルフもウルフ同様に縄張りを持ち、そこから大きく離れる事は珍しい魔物のはずだ。
近辺で目撃した覚えもなく、完全に意識から除外されていた。
「ギルドからの依頼でな。この近辺で目撃されている、生息域を外れた魔物種を調査していたんだ」
弓を下げたアルシェに、赤い光が近付く。
黒地に金の模様が刺繍された外套に身を包んだ人物が夜闇から現れる。
ここへ来て、ようやくその赤い光の正体が分かった。
眼だ。
十字の模様が刻まれた左の瞳が、赤く発光していた。
外套のフードからはその目だけが覗き、口元を布の様なもので巻いている為に顔の特徴は他に何も分からない。
背丈は高く、アルシェと比べれば頭一つ程度差があるか。
銃を持った左手は黒い籠手を纏っており、爪のように尖った先端部分がなんともおどろおどろしい。
ふと、赤かった瞳が緑色に変わる。
「なら、今すぐ帰ってギルドとやらに伝えて。ここの調査をしたいのならば銃を使う者だけは送るなって」
「……………………」
目の前の人物――声や歩き方の癖を見る限り男だろう――が顎に手を当てて何やら思案している。
「訊ねるが、ここはエルフの森で間違いないのか?」
「最初にそう告げたはずよ」
「……そうか。いや、少し気になった事があってな」
口元を覆う布のせいか、相変わらず声から人間らしさが感じられない。
不思議な……いや、不気味な男だ。
無礼ではないが、関わっていたくない。
銃を扱う者とエルフという関係もあるだろう。
しかし、どういう訳かアルシェが彼に苦手意識を抱くのには他にも理由があるように思える。
尤も、それが何なのか今の彼女では明確には分からない。
「名前を教えてくれないか。報告の際に必要なんだ」
「アルシェよ。森番のアルシェ。アンタは?」
「俺は……」
そこで少しだけ言い淀む。
不意に、アルシェはとあることに気付く。
森の中で彼を見付けた時、矢を射掛けた時、いまこうして話している間。
彼はただの一度も瞬きをしていない。
そんな事を考えていると彼の十字の目と視線が合った。
直後、立ち眩みのように視界が歪む。
「俺の目はあまり見ない方がいい。特に今のお前は」
「何ソレ……いいから、アンタの名前を教えなさい」
「……周りからはクロイツと呼ばれている」
「クロイツね。二度とその名前を聞かない事を願うわ」
良くない事が起きる日は決まって森が騒がしい。
火薬の臭いを漂わせるこの男と出会ったのは、あるいは必然だったのか。
クロイツは相変わらず何かを訝しむような様子であったが、突如何かを納得したように小さく頷くと踵を返した。
アルシェはその背が闇夜に消えるまで見送った後、同じように踵を返す。
立ち眩みを起こしたときに、一瞬だけ見えた景色を思い出す。
クロイツの背後に広がる無数の墓の平原。
まるで森の木々のように地面から生える墓標が、視界に焼き付いて離れない。
「やっぱり良くない物だったわね……」
頭を振ってその光景を無理矢理払う。
静かになった暗い森をアルシェは歩く。
明日の森は穏やかであるようにと願いながら。
◆
左手を握り開く動作を繰り返しながら、クロイツは朝を待つ。
枯れた木に背を預け、サイティングマークが浮かぶ瞳で【森】を見る。
これが森であるものか。
彼の眼前に広がるのは墓標の群れと、その中を生気を感じられない足取りで歩く銀の髪を持つエルフ、アルシェの後ろ姿。
「森があるのか……あいつの中には」
この墓場は大戦で犠牲になったエルフ達の物だと聞く。
常識を超える力を持つ異世界からの来訪者は、まるで英雄でも気取るように大戦で武勇を飾った。
ある者は力を、ある者は知識を。
後者によってもたらされたのが銃という武器だ。
大量配備され、多くの命を奪った武器。
先の戦争が大戦などと呼ばれる所以はこいつによるものが大きい。
兵士でも戦士でもないただの町人、村人がソレの扱い方を知った瞬間から人を殺せる存在になる。
「あいつが俺を嫌うのも道理か」
左手を軽く開くと、その内が青白く光る。
数刻待たずにそれは収まり、クロイツの手にはリボルバー式の拳銃が握られていた。
クロイツもまた来訪者の一人だ。
尤も、元居た世界の記憶は失っている。
あちらの世界の知識と、来訪者に与えられる特殊なスキルがクロイツの正体を自身に教えてくれた。
来訪者は魔法の適性が無い代わりに、それぞれ固有にスキルと呼ばれる不思議な力が与えられる。
このスキルという名前も、恐らく来訪者の誰かが付けたのだろう。
クロイツの物は銃にまつわるスキル。
銃を作り出し、弾を作り出し、その瞳のサイティングマークで決して敵を見失わない。
「俺以外の奴に任せるべきだろうか」
サイティングマークの瞳は周囲からクロスアイズ……十字の目と呼ばれている。
これには敵の補足に付随して、見る力を強化する能力も備わっている。
具体的には幻覚に対する耐性、本来は死角である場所の視認、そして目を合わせた者に真実を見せる力。
先程、アルシェはこの目を見た。
恐らく彼女は一瞬だが墓標群を目の当たりにしたはずだ。
「……………………」
クロイツは思案する。
大戦によって全てを奪われ、今なお在りし日の夢に囚われる彼女に、果たして銃しか持たぬ自分が手を差しのべるべきなのか。
そもそも、彼女を夢から醒ますべきなのか。
前に進めぬ事が果たして悪いことなのか。
「……………………」
先程仕留めたウェアウルフに視線を遣る。
思えば、あの魔物の発生も普通ではなかった。
突如として、まるで煙が実体を持つようにアルシェの背後に現れた森の魔物。
生息域を外れた魔物の調査とアルシェには告げたが、正確に言うのならばこの墓場から発生する魔物の調査がクロイツの今回の任務だ。
この荒れ野に森の魔物からの被害など本来発生しようもない。
が、数年に渡ってこの近辺を通る冒険者や商人の犠牲が報告されている。
こんな不気味な話で、しかも信憑性に欠ける依頼故に長らく放置されていたのだが、最近になって発生する魔物が段々と強力な個体になってきているとの報告が入った。
これを重く見たギルドはようやく重い腰を上げたらしく、偶然クロイツの下に舞い込んできたという次第だ。
「……任務を優先するなら、彼女の森へ踏み込むのは避けられないか」
――エゴの何が悪いのかしら?
かつて聞いた女の声が頭に響く。
――気になるのでしょう? 銃によって……貴方によって全てを奪われたエルフが。
選ぶ言葉の割に責めるような語気は感じられない。
クロイツはフードの上から顔の右側を押さえる。
喋るなと言わんばかりに、無言でその手には力が加わる。
分かっている。
分かっているとも。
痩せた良心に薬を与えたいばかりの身勝手な贖罪だ。
「思案した。悩みもした。……結論も出た」
クロイツは静かに立ち上がる。
今度は右目だけが見えるようにフードの位置をずらした。
青い宝玉のような瞳が暗い荒野を映す。
こちらには模様は無く、不思議なスキルの力も備わっていない。
「これがエルフの森か」
そしてその青い瞳には確かに森が映っていた。
アルシェの見ている……いや、アルシェの妄執が現実にすら侵食しつつあるエルフの森が。
クロイツは一歩を踏む。
ゆっくり、ゆっくりとその暗い森へと消えていった。
◆
クロスアイズの力を使わずに見る森は、背丈の高い木々と月明かりを遮る葉のせいで極めて視界が悪い。
それらの木には触れた感覚もしっかりとあり、地面から飛び出ている根に幾度も躓きそうになる。
外套が枝に引っ掛からないように気を付けながら、クロイツはその森を歩く。
幻惑の魔法ならば珍しいものでもないだろうが、エルフ一人の妄想で現実を上書きするほどの物は流石に初めて体験する。
それ程までにアルシェの抱える悔恨は深いのだろうか。
しかし、一つ疑問が残る。
このエルフの森の中核は間違いなくアルシェなのだろうが、はたしてこの魔法を使ったのは何者なのか。
アルシェ本人は最初の遭遇時に魔法ではなく弓による攻撃を行ってきた。
これほどまでに大掛かりな魔法が扱えるのならば、無理をして弓など使う道理はない。
仮に魔法に頼らぬ武器を持つのならば懐に潜られた場合を想定して取り回しやすい短剣辺りが候補となる。
背後に現れたウェアウルフの存在に気付かなかったこと、この森が実在の物と疑わないこと、そして侵入者であるクロイツの動きを把握していなかった事を考えれば、彼女はこの魔法を発動した本人ではないと考えられる。
では来訪者の何者かという線はどうか。
来訪者はこの世界の人々から見て規格外の能力を有しているが、魔法に対して適性が無い。
これは、そもそも魔法を扱えない世界で発生した魂を有している事に起因しているらしい。
ゆえに来訪者もこの森の発生原因ではないはずだ。
「この規模の魔法が扱える何者かが潜んでいると見て間違いない。が、クロスアイズで見渡した時にそれらしき物は見えなかった」
「止まりなさいクロイツ」
前方、木々の隙間からアルシェの声が聞こえた。
なるほど、良い目をしている。
クロスアイズに頼らなければクロイツには視認すらできない距離、暗さの中で黒い外套に身を包んだ者を正体までしっかりと認識している。
森番と呼ばれていたのは伊達ではないらしい。
「本来なら忠告も無しに矢を放っている所だけど、さっきの借りがあるからね。でも、それ以上進むなら私はアンタを射つわ」
「目の光も隠して来たのによく俺を見付けたな」
「エルフの森番を甘く見ないで。それよりどういうつもり? 調査の対象だって言ってた魔物はさっきアンタが撃ち殺したじゃない」
警戒心と敵意の入り交じった声音。
森の葉を風が撫でる音に惑わされて、正確な方向が掴めない。
周囲に張り詰める緊張はまるで蜘蛛の巣のように、意識の逃げ道すら封じられた錯覚まで覚えるかの如く息苦しい。
「この森をそのままにしておいては、根本的な解決にならないと判断したまでの事だ」
「エルフの森をまた踏み荒らすつもりか! 人間風情が!」
弦が跳ねる音と風切り音が耳に届く。
木々の隙間から漏れる月光に照らされ、一瞬だけ矢が銀の光を反射した。
ただそれだけの情報を頼りにクロイツは半歩横に身をずらす。
先程まで彼がいた場所を、凄まじい速さで矢が過ぎて行く。
「お前も薄々気付いていたんだろう? 俺の目を見て確信したはずだ」
「ええ、これが私の夢なんて事はとっくに気付いていたわよ。それの何が悪いの? アンタたち人間が奪ったんじゃない! 私の、エルフの暮らしを!」
暗闇の中から立て続けに矢が飛び出てくる。
一つを避け、次の一つはまた身をかわし、続く一つは外套を少し破いただけで当たりはせず。
怒濤の勢いで放たれる矢をクロイツは避け凌ぐしかない。
クロスアイズを塞いでいては、撃ち落とすのも容易ではない。
「申し開きのしようもないがな。ここには森しかないんだろ!? エルフは、お前しか居ないんだろ!?」
「私は森番! 森さえ守れば後ろに彼らはいるの!」
慟哭するように叫ぶ声の主は、いったいどんな表情をしているのだろうか。
やはり、踏み込むべきではなかったのではないか。
思案しなおす時間など与えてはくれない。
森番として外敵を排除するのではなく、ただ自分の夢を壊されたくなくて、今まで誰も受け止めてくれなかった葛藤をぶつけるように、滅茶苦茶にその弓を射続ける。
――その目は使ってはダメよ?
「ああ……分かっている……」
頭に響く声に小さく呟く。
クロスアイズは使えない。
きっと森の中に黒幕が居る。
この森は現実を侵食するエルフの夢。
墓場に術者らしき姿は見えず、ウェアウルフは森から現実へと姿を現した。
おそらくこれはただの幻覚ではなく、夢を現実の裏側に世界として貼り付けているような形なのだろう。
だから、クロスアイズでは探せない。
「幻覚に対して耐性があるのならばアルシェは驚異にならないが術者を探せない……幻覚の森へ踏み込めば術者は探せるがアルシェがこの上ない驚異として立ちはだかる……」
よく考えられている。
では墓場でアルシェを下してしまえばどうなっていたか。
考えなかった訳ではない。
しかし、そんな事をして万が一にでも森へ踏み入る事ができなくなってしまえばお手上げだ。
アルシェが再起不能になるだけでなく、森が現実を食い尽くすまで止められなくなる可能性まである。
あまりにもリスクが大きすぎる。
「形成・リボルバー!」
左手に青白い光が集り、中折れ式リボルバーの拳銃が形成される。
即座にその銃を右手に持ち変えると弾倉を開き、装填されていた弾を全て棄てた。
「――ッ!?」
右肩に矢が刺さる。
鋭い痛みに思わず声が漏れた。
流石に人力の連射であるが故に完全に回避不能という密度ではないが、時折混ぜられる他より速い矢が驚異だ。
おそらく、風の魔法でエンチャントを施しているのだろう。
肩に喰らった矢はまさにそれだ。
「形成・特殊弾」
肩の矢を引抜き、握力に任せて握り折る。
左手の平に銃を作った時と同じように光が集まる。
それらは小さく収束し、一発の弾丸がクロイツの手元に作り出された。
最後に矢が飛来した方向から身を隠すように木の裏へ回り、今作った弾を装填する。
「逃がさない!」
装填を終えたクロイツはすぐさまその場から動く。
直後、先程まで背中を預けていた木に数本の矢が刺さる。
「アンタさえ居なくなれば――」
「平行線の戯れ言じゃあ時間の無駄だな!」
フードから覗く青い瞳は木々の隙間の闇を捉え、右手に握った銃は虚空へ向けられている。
撃鉄を起こす金属の音が鳴る。トリガーに指を掛けた冷たい感覚が伝い、それをゆっくりと引く。
撃鉄が降り下ろされ撃針、雷管へと衝撃が連鎖した。
右手を強烈な反動が襲い、肩からは血が滲む。
「何!?」
闇の中へと消えた弾丸は、直後に強烈な閃光を放った。
極めて短い時間だが周囲は昼間のように照らし出される。
「形成・スナイパーライフル」
クロイツの左手に握られるように、銃身の長いライフルが現れる。
彼のスキルで形成される武器は既に装填済み。
閃光に照らし出されたアルシェへとその銃口を向ける。
「決着だな」
「――――ッ!?」
光の中、鈍い炸裂音と共に弾丸が放たれた。
◆
地面に膝をついて項垂れるアルシェにクロイツが近寄る。
その手には先の一撃で砕けた弓が握られているが、彼女自身に怪我は無かった。
銀色の髪のエルフは力なく黙り、今ではもうまるで戦意を感じられない。
「なんで……戻ってきたのよ……私の事なんて放っておいてよ……」
泣くような声で呟く彼女を、クロイツは一瞥する。
頬を伝い、大粒の涙がそのズボンを濡らしていた。
「また森を守れなかった……夢の中ですら……人間に、銃に負けちゃった……」
「そう、エルフは人と銃に負けた」
叱られた子供のように涙を拭い続けるアルシェに、彼は淡々と告げる。
エルフは負けた。
クロイツと同じ来訪者がもたらした技術によって蹂躙された。
小さな火種だった戦争は取り回しの良い兵器によって拡大し、それによって生まれる利益を狙う者共の思惑に感化されて際限なく広がった。
エルフは今の世に大戦などと呼ばれるようになる悪夢に巻き込まれた被害者でもある。
「エルフだけじゃないさ。今となっては何処から始まったのかも分からない戦争に巻き込まれ、何種もの種族の、何人もの人々が命を失った。……そして、犠牲者を偲ぶ涙を流しながら、生き残った者がその爪痕を癒している。ようやく世界は復興へと踏み出した」
クロイツはアルシェの隣に腰を下ろす。互いが声を張らずとも話せるように。
アルシェも膝を抱えるような姿勢を取っていた。
「……この森、その復興の邪魔になるの……?」
「多分な」
「なら……仕方ないね……」
納得などしていないだろうに、嘲笑うような語調を含めて彼女は言う。
木々を揺らす風もなく、消え入りそうなアルシェの言葉もしっかりと耳に届いていた。
沈黙が空間を支配し、張り詰めていた先程とは違う重苦しさがある。
月光が二人を照らし、雲だけは夢の外と変わらず流れて行く。
この森は生きている。
夢の中にしか存在しないのに、どうしようもなく生命を感じる。
「この森は、どうだった?」
「正直言うとね……寂しかったわ。この森……じゃなくて、戦争の前の森は後ろにはエルフの村があって、毎日じゃないけど私の家にも皆遊びに来てくれてたの」
「お前が森の違和感に気付いたのはそれが原因か」
「ええ……。だって、誰も顔を見せてくれないんだもん。エルフの村へ行こうとしたこともあったけど、どうやっても辿り着けなかった。それで、気付いたわ」
この森には自分一人しか居ないんだって。
クロイツはその青い目を伏せる。
掛ける言葉が見付からない。
この土地に現れる魔物の調査は彼に与えられた任務だ。それを遂行する必要性も、理由もしっかりと理解しているつもりだった。
加えて言ってしまえば、小娘一人の心が壊れようともそれが戦後復興の大きな一歩になるのならば正しいことなのだということも分かっている。
分かっているのだが、どうにも割り切れない。
「だから、アンタが人だって分かった時は少し嬉しかった。誰かと言葉を交わすのなんて久々だったから」
「……そんな相手が銃をもった人間ですまなかったな」
「ふふ、そこは猛省してほしいわね」
相変わらずの涙声。
話す内容こそ前向きにも聞こえるが、虚勢である事は見破るまでもない。
「なんか、もう意地張る元気もなくなっちゃったみたい……カッコ悪いわ……」
「落ち込んでる所悪いが、お前の夢を媒介にこの森を作り出した奴に心当たりはないか?」
「慰める言葉の一つも掛けられないの? アンタ」
「生憎と、同情の言葉すら棘になるような状況で下手な事言うほどバカじゃないんだ」
「あ、そう。まあいいわ……森の発生に心当たりよね。あるわよ」
「それは果たして教えて貰えるのか?」
「……二つ条件があるわ」
そう言いながらアルシェは立ち上がる。
目元は赤くなっているが、もう涙は流れていない。
紅色の瞳は凛と光り、気高さをすら感じられる。
立ち直った訳ではあるまいに。
これまでとこれからの長い孤独に負けないほど、この銀のエルフは強いのか。
クロイツもその隣に並ぶように立ち上がる。
頭一つ分ほどの身長差があるはずなのに、不思議とアルシェが小さく見えない。
「アンタの銃を私に貸して」
クロイツは無言で首肯く。
エルフの生き残りが銃を持つ。
その意味は、きっと推測するのすら無粋なのだろう。
クロイツの左手に光が集い、中折れリボルバーの拳銃が形成される。
「俺の手から離れたら長く持たずに消えちまうんだが、すぐに使うのか?」
「ええ……アンタを撃とうってんじゃないから安心なさい」
「撃ちたけりゃ撃ってもいいさ。避けるけどな」
「冗談に聞こえないわね」
そう言いながらアルシェは銃を受け取る。
その重さと引き金の感覚を確かめるように触っている間ずっと眉が潜められていた様子を見るに、やはり本能的に嫌悪感を覚えるらしい。
しばらく様子を確かめた後、おもむろにそれを空へ向ける。
「ごめんね。私、もう覚めないといけないみたいなの」
空へ向けて言葉を投げる。
その頭上には煌々と闇を照らす月が浮かんでいた。
闇を照らす月。
彼女の言葉に反応するように、それが光を弱める。
まるで、もういいのかと問い掛けるように。
もう大丈夫なのかと心配するように。
「この森のエルフ……いいえ、この森を終わらせるのは銃じゃないといけない。それを受け入れないと、またあなた達を夢に見ちゃうから」
月が陰り、木々が少しずつ枯れてゆくのが見えた。
白く細い指で撃鉄を起こし、震えながらそれを両手で握る。
右手の人差し指をトリガーに掛け、ゆっくりと力を込めてゆく。
「ありがとう皆。森番だったアルシェはもう大丈夫だから」
空を眺めるクロイツの瞳に、光を失いつつある月が映る。
そうだ、あの荒野に月は無かった。
これは、力ある何者かが一人で発動した魔法ではなかった。
墓に眠るエルフ達が、たった一人生き残ったアルシェの心を守るために発動させた大魔法。
何処までも優しく、しかし死者の魂が発動させたが故によからぬ力まで抱えてしまった惑いの森だった。
「アーソゥ・ユアン・アール」
聞いたことのない言葉を最後に、彼女の指は引き金を引き切った。
消音もなにも考えられていない炸裂音がけたたましく枯れた森へ鳴り響き、暗い月の真ん中に風穴が穿たれた。
まるでガラスのようにヒビが走り、空が割れ始める。
木々も黒い塵となって消えてゆく。
長い夢が終わった。
アルシェの腕は力なく下ろされ、銃を握ったまま首だけを空へ向けている。
泣いてはいない。
ただ、体を失ってまで自分を守っていてくれた同胞を、できるだけ長く見送っているらしい。
「アルシェ」
クロイツが声を掛けると、その顔がこちらへ向けられた。
フードをずらし、彼はクロスアイズで彼女と目を合わせる。
虚飾を破り、見る力を増幅させ、目を合わせた者に真実を見せる十字の魔眼。
わずかに視線を交差させた後、クロイツは空を見上げ、アルシェも同様に空を見た。
「みんな……」
クロイツの目にもそれは見えた。
もう月も浮かばない空の果て、半透明な体で手を振る耳長の者達が。
アルシェも小さく微笑んで手を振り返している。
これで本当にお別れだ。
暗い空の下、優しい風だけが吹き抜けるのだった。
◆
森もエルフも姿が消え、並ぶ墓標の中に二人の影だけが揺らいでいる。
長い耳を持つ銀髪の少女と、黒と金の外套に身を包んだフードの人物。
アルシェとクロイツだ。
「最後の言葉、アーソゥ・ユアン・アールっていうのはね。エルフの古い言葉でさようならの意味よ」
「綺麗な響きだな」
「耳は腐ってないようね」
さて、アルシェが提示すると言った条件は二つだった。
一つは銃の貸与。
偽りの月に向けて放つのに使った銃は光となって消えたが、これは達成した。
「二つ目の条件なんだけど」
こういう物は行動を起こす前に提示するべきなのだが。
まあ、流石に国一つを寄越せなどと無理難題は言われないだろう。
言われたらその時は牧場でも開いてエルフ王国とでも名付けて経営させてやる。
「アンタの素顔を見せなさい」
「……………………は?」
思わず素っ頓狂な声が漏れた。
「だから、そのフード取れって言ってんの。一応……恩人なんだから、顔くらい覚えておきたいじゃない……」
「あまり人に顔を見せたくはないんだが」
「そう言うと思ったから断れなくしてから言ったのよ。ほら、観念して顔! 見せる!」
クロイツは大きく嘆息。
先程まで深窓の令嬢さながら淑やかだったというのにこの変わり様だ。
ここまで来て断るわけにもいくまい。
まして、金の掛からない要求で良かったと思うべきなのだろう。
「まったく仕方ない」
口許を覆っていた布を下ろし、外套の前紐を解いて前を開く。
アルシェが目を点にしていた。
フードを取り外套を脱げば、中に仕舞われていた艶やかな金の長髪が姿を現す。
ヘソの出る丈の袖無し上着を押し上げる胸は大きく、下は長い革ズボンを履いていた。顕になった唇は荒れもなく瑞々しい。
「え……え……!?」
首を左右に振ると金の髪が靡く。女性の左目は十字の模様が刻まれ、右目は宝玉の様な青色をしている。
左肩から指先までは黒い籠手で覆われており、指先の尖り方がなんともおどろおどろしい。
「お、おおおお、女の人だったの!?」
良い反応に思わず笑みが溢れる。
クロイツの唇が動き、先程までと変わって女性の声で告げる。
「ああ、体は間違いなく女性の物だ。作り物か確かめてみるか?」
「え、えええ遠慮します」
「なんで急に敬語なんだ」
「だって、まさか女の人だと思わないじゃない! こんな夜に一人で森に入るなんて!」
「お前がそれ言うのかよ……」
苦笑いを浮かべながら外套を肩に担ぐ。
目の前で起こっている事が信じられないらしく、アルシェはいまだに目を白黒させている。
「俺はどうにも大変見目麗しいらしくてな。それに、ある場所では顔も有名だ。だから普段はこれで正体を隠してるんだよ」
肩に担いだ外套を揺らして強調させる。
一方のアルシェはクロイツの周りを何周もしたり、時おりクロスアイズを見つめてから姿を見直したりと大忙しだ。
二度効果を受けたからと人のスキルをもう理解している事は驚きだが、何度やっても目の前の女性がクロイツであることは揺らぎようもない現実である。
下手をするとさっきの銃が消えてなければ撃たれていたかもしれない。
「そろそろ着直してもいいか?」
「え? あ、うん、受け入れられるように頑張るわ」
拳を握って顔の前に掲げる。
所謂ガッツポーズ。
外套を羽織直し、口許を布で覆ってフードを被る。
身長が高いこともあり、確かにこれならば女性には見えないだろう。
「さてアルシェ」
「な、何かしらぁ!?」
「早く慣れてくれ。……俺はお前をギルドに連れていこうと思うんだが、異論はないか?」
「ええ、大丈夫。住む場所もないんじゃ、人間に頼るしかないもの。……業腹だけど」
「まあその辺りは後で考えればいい。……と、じゃあ質問だが」
「何かしら?」
「野宿するか徹夜で歩くかどっちがいい?」
沈黙。
「…………」
長い沈黙。
荒野に生える背丈の低い草を風が揺らす。
アルシェは笑顔のまま固まり、クロイツも左手の指二本を立てたまま動かない。
「クロイツ」
「何だ?」
「なぁんで朝まで待ってから来てくれなかったのよ!? あの森なら家あったのよ!?」
アルシェが癇癪を起こした。
「いや、森のからくりさえ分かれば解決は翌日にするつもりだったよ!? 俺だって! お前が断れないようにって勝手に解決しちまったんだろ!?」
「ぐぅの音も出ない事言わないでよ!?」
「開き直り方が新しすぎて申し訳なくなるな!!」
もう誰もいないエルフの墓に二人の声が響き渡る。
この賑やかな夜ならば、彼らも安心して眠れるだろう。
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