廃屋の伝言板
平中なごん
廃屋の伝言板
あれは、うだるような暑さの中、学生特有の倦怠感というか虚脱感というのか、そんな気だるさに包まれた、ある夏の夜のこと……。
特に何かするでもなく、暇を持て余して死にそうだった僕ら四人は、某所にある有名な心霊スポットを訪れていた。
誰が名づけたのか? 都市伝説での呼び名は〝惨劇荘〟。
もとはある資産家が建てた別荘だったが、50年程前に強盗が押し入り、家族全員を惨殺。その後は住む者もおらず廃屋となっている建物だ。
そして、いつの頃からか殺された家族の霊が出るという噂になり、今ではその筋では超有名な都市伝説になり果てている。
「こいつは想像以上の迫力だな……」
鬱蒼とした木々が空を覆い、月明かりも届かぬ真っ暗闇の中、なぜかそれだけが白くぼんやりと浮かび上がる廃屋を見上げ、オンボロ車で連れて来てくれたナオトが呟く。
「さすが、有名なだけあって雰囲気ありすぎ……」
「ねえ、マジで怖くない?」
その背後に隠れるようにして立つユウカとナミも、それぞれに率直な感想を口にする。
今夜の肝試しの参加者はこのナオト、ナミ、ユウカに、僕ことタカシを加えた男女四人。大学の同じゼミでいつもつるんでいるグループだ。
「こいつがあの惨劇荘か……」
ただただ恐怖を感じている友人三人に対し、一方の僕は都市伝説に聞く超有名な心霊スポットを目の前にして、背筋を冷たくする恐怖感とともに、絶景でも見たかのようなある種の感動を抱いていたりもする。
それは〝廃墟〟という言葉があまりにも似合いすぎるくらい、見事に朽ち果てた廃屋だった。
軽井沢とか外国人の別荘にありそうな木造コロニアルスタイルの外壁に塗られた白いペンキは無惨にも剥げ落ち、いくつかあるガラス窓もすべて割れている。
屋根には所々青く苔生した箇所もあり、建物全体も微妙に傾いているような気がする。
「さ、入るぞ……」
僕がそうしてまじまじとその荒廃ぶりを観察していると、前方にぽっかりと真っ黒な口を開ける、ドアが壊れて半分取れかかっている玄関…いや、そう呼ぶのも疑わしい入口を見つめながら、ナオトが意を決したように号令をかけた。
「ゴクン……」
僕も大きく喉を鳴らし、ナオトとその背中にへばりついたユウカの後を追って、魔界の中へ突入する。
さらにその背後からナミも身を寄せるようにして着いてくる。
ギィ…。
玄関前の短いコンクリの階段を登り、木造のテラスとなっている床板を踏むと、腐りかけた木の軋む音が聞こえた。
ギィ…。
足を下ろす度に、なんだか少し沈むような気もする。床が抜けないかどうかも心配だ。
だが、そんな心配も玄関から邸内へと入ったことで一気に吹っ飛んだ……床が抜けることなどすっかり忘れてしまうような、過度の恐怖と緊張感に……。
中は外の冷たい夜気とはまた違った、重苦しい、密度の濃い空気で満たされていた。
入った瞬間、異様な気体で満たされているこの空間が、何かとてつもなくヤバイものであることを体が総毛立って教えてくれる。
……ギィ…。
それでも、ここまで来てしまってはもう引き返すわけにもいかない。
全身にまとわりつくような、その薄気味悪く淀んだ空気の中を、僕らはさらに奥へと進んで行った。
歩を進め、周囲の空気を揺り動かす度に、仄かに黴臭い匂いが鼻をかすめる。
懐中電灯の明かりが足元を照らすと、床の上には埃だか土だかわからないようなものが堆積し、空缶だの紙屑だの落ち葉だのといったものが散乱している。
堆積物の上には無数の足跡がぐしゃぐしゃにつけられているが、皆、僕らと同じ肝試しに来た不届きな輩のものであろう。
僕とナオトの手に握られている二つの懐中電灯の光が、床や壁、天井を照らしながら奥へ奥へと進んでゆく……。
玄関を入ってすぐは細長い廊下になっているらしく、左右に壊れて用をなさなくなったドアが四つ、開け放した状態のまま並んでおり、その向こう側に部屋のあることがわかる。
また、廊下の突き当たり奥には階段があって、そこから二階へ上がれるらしい。
「スゲー荒れようだな……」
ナオトが、言った。
床はさっき言ったような有様だし、天井に張られた白いべニア材も獰猛な獣の爪で引き裂かれたかのように、所々だらりと薄気味悪く垂れ下がっている。
壁には赤や黒のスプレーで「〇〇参上!」だの「バカ」だのとくだらない落書きが所狭しと大きく書かれ、こうした心霊スポットへ行く番組で映る廃屋の映像そのままである。
噂の通りなら、ここの持ち主が殺され、誰も使わなくなってから50年も経っていることになる……ならば、この荒れ具合というのも当たり前か。
「ねえ、もう帰ろうよ……」
まだ入って数分と経たないが、早くもナミがそんなことを言い出した。
「何言ってんだよ。これからがいいとこじゃんか。さ、部屋を廻ってみようぜ」
しかし、ナオトはその言葉に耳は貸さず、すぐさま左手前にある一番近い部屋の方へと歩いて行ってしまう。
「あ、ちょっと待ってよ!」
それには仕方なくナミもその後を追い、さらにその背後から僕とユウカもついて行く。
まず最初に入った部屋は、ダイニングとリビングを兼ねたような部屋だった。
入って左手はダイニングの空間らしく、テーブルと椅子が置いてある。
ただし、4つある椅子は半壊していたり、そうでなくとも黴や泥で汚れた姿で無残に転がっている有様だ。
一方、右手はリビングらしく、穴が空き、中の詰め物が外へ飛び出してしまっている革のソファーがコの字型に並び、それに囲まれるように、やはり落ち葉や土埃が堆積した大きなテーブル、その前の台の上にはブラウン管の割られた古めかしい型のテレビが置いたままになっている。
また、ふと足元の絨毯に目を移して見れば、その上にはどす黒い大きな染みが一ヶ所、いやがおうにも目につく状態でついている。
……もしかして……これは、あの一家惨殺事件の……。
……いや、まさかな。事件があったのは50年も前の話だ。こんなにはっきりと血痕は残っていないだろう……。
それに、その事件そのものが本当にあったかっどうかも疑わしい。
すべては、あくまで都市伝説にすぎないのだ……。
と、その時。
突然、ガサ…と、何か紙でも擦れるような物音がした。
「キャッ!」
その音に、女子達が短い悲鳴を同時に上げる。
一方の僕とナオトの男子二人組も恥ずかしながらビクリと体を震わせ、そのままの格好で硬直してしまう。
物音は、食事用のテーブルと椅子のさらに向こう側――そこから部屋続きになっているキッチンの方で聞こえたような気がする。
他の三人も同様に思ったらしく、一同はキッチンの方を無言で凝視した……。
僕とナオトは反射的に懐中電灯をそちらへ向けたので、薄汚れ、もう何十年と使われていないキッチンの周辺は黄白色の光の中に浮かんで見える。
レトロ感漂うガスコンロがあり、そのとなりにはステンレスの流し、上方に設けられた棚には鍋やらなんやらがリビングの家具と同じように置き去りにされたままになっている……。
しかし、しばらく見つめていても何かが動くようなこともなければ、再び音がすることもない。
「……今の音、何?」
ユウカが、沈黙を破って尋ねた。
「そ、空耳じゃないか?」
ナオトが答える。
「で、でも、みんな聞こえたよ?」
ナミがそう反論したが、確かにその通りである。全員聞いているのだから空耳ということはあるまい。
「じゃ、じゃあ、きっとネズミか何かがいたんだよ」
空耳論を否定されたナオトは、次に小動物論を主張した。
「それなら、ありえるかもしれないけど……」
と、僕もその説に一応賛同したのだったが。
「あ! もしかしてこれじゃない?」
と、ユウカがいきなり明るい調子の声を上げた。
彼女の方に顔を向けると人差し指を真っ直ぐに伸ばし、キッチン近くの壁面を指差している。
その指の示す方向――そこには、薄汚れた壁に貼られた何枚かの紙があった。
ただし、全体がぴったり貼りついているわけではなく、下の方は剥げかけていて、湿気にぺろんと丸まっていたりする。
遠くてよく見えないが、紙の表面には何か文章が書かれている……生前の住人が貼ったものか、何かのメモ書きのようだ。
「あれが風かなんかで動いたんだよ。ほら、向こうにガラスの割れた窓もあるし」
続けて、ユウカが断定的にそう結論づける。
「なんだ、ただの紙かよ……」
「ハァ…そうだったんだぁ~。本気で幽霊かと思っちゃったよお……」
ナオトとナミの二人も、その安心できる答えに納得した様子である。
風? ……さっきから、こんな無風状態なのに?
そんな疑問が僕の脳裏を過ったが、三人の様子を見ているとなんだか言い出しづらく、僕は黙って、みんなと同じようにユウカの説に納得することとした。
……いや、それはみんなのためだけでなく、僕自身自分を騙して、そう思いたかったのかもしれない。
「ま、幽霊の正体なんて蓋を開ければこんなもんさ。怖い怖いと思っているから、そうやってなんでも霊の仕業に見えるのさ」
納得し、安心したナオトはなぜだか偉そうな態度で皆を諭すようにそう嘯く……ついさっきまで自分もビビっていたくせに。
「しっかし、この部屋も落書きだらけだなぁ……みんな、お行儀が悪すぎだぜ」
そして、今の騒ぎは何でもなかったかのように、周囲を懐中電灯の明かりで照らしながら、呆れと関心がない交ぜになったような顔で呟いた。
ナオトの声につられ、僕ら残りの三人も忙しなく動く小さな丸い円を追って辺りを見渡す。
確かに彼の言う通り、この部屋の壁も赤や黒のスプレーで描かれた、くだらない落書きで満たされている。
また、それまでは気づかなかったのであるが、その落書きでいっぱいになった壁にもキッチンに貼ってあったのと同じようなメモ用紙が所々に貼られている。
殺された資産家家族は、そうしてメモ用紙をあちこちに貼る癖でもあったのだろうか?
「いったいどんなこと落書きしてんだ?」
ナオトがそう言いながら、左手にある壁を自分の目線の高さで照らす。
僕もなんとなくその動作に追従し、二つの懐中電灯の光が重なり合うと、より広範囲に渡ってその壁の表面を闇の中に映し出した。
そこにあったのは、やはり「バカ」だの、「死ね」だの、「○○参上」系だの、それから横文字でちょっとポップなアート感覚で描かれたものだの、よく高架橋下などでも見かける、ありふれたスプレーの落書きである。
「……ねえ、この落書き、ちょっと変じゃない?」
だが、同じように壁の落書きを眺めていたナミが、不意に妙なことを言い出した。
「変? ……どれが?」
僕は尋ねる。
「あれだよ。ほら、あの大きな字のじゃなくて、小さい字で書いてあるやつ……」
ナミは闇に照らし出される壁面を指差しながら答える。
「ん? 小さい字?」
そう言われてよくよく見ると、彼女の言うように落書きの中にはスプレーで大きく書かれたものばかりでなく、それよりも少し小さな文字で、しかも落書きにしては妙に几帳面に、文章を二行か三行くらいに分けて整然と書かれているものがあるのだ。
それも、どうやらスプレーではなく、マジックか何かで書かれているらしい。
言われて気づいたが、そうしたものは一つだけでなく、スプレーの落書きの間に混じっていくつか存在する。
「ああ、確かにちょっと几帳面な書き方だけど、だからって別に…」
「だな。まあ、そういう生真面目な性格のやつもいるってことだ」
僕の代わりに、ユウカとナオトが僕と同じような感想を異口同音に答えてくれる。
……しかし。
「ううん。それもそうだけど、そうじゃなくて内容が変なんだよ。ちょっと読んでみて」
どうやらナミの言っている〝変〟というのは、そうした書式や見た目のことばかりではないらしい。
僕は目を細め、その中でも一番見やすい、比較的大きなものを読んでみる。
同じものかはわからないが、ナオトとユウカもそれぞれにそんな落書きを読む……。
すると、僕が読んだそれには――
〝カズオ君。みんな心配しています。どこへ行っちゃったんですか? もしこれを見たら早く連絡をください。 ユキ他友達一同〟
――という、落書きには似つかわしくない内容の文面が書いてあったのである!
……いや、これは似つかわしくないというより、明らかに「落書き」と呼べる範疇のものではない。
僕は、この落書き群の中にあって、そのあまりにも異質な感じを与える文章に思わず目を見開いた。
「なんじゃこりゃ!?」
「なんなの…!?」
同じく他の二人も驚きと疑問の声を上げる。
「ね? 落書きにしてはおかしいでしょ?」
その反応を肯定するかのように、ナミがみんなに同意を求めた。
だが、僕はそれに答えず、続けて他の〝小さな文字で書かれた〟落書きも読みにかかる。
それは、ナオトやユウカも同様である。
〝ヨシキ、何があったのか知らないけど、早く帰ってきてくれよ。あれからずっと、みんなでお前のことを探してるんだぜ? とにかく誰にでもいいから連絡をくれ。 お前を必要とするバンド仲間達より〟
〝ユリへ。こんなことになってしまってごめんなさい。全部、こんな軽はずみな計画を立てた私達の責任です。謝ります。何でもします。だからお願い。早く帰ってきてください。 ●●大女子バスケ部三年一同〟
〝親愛なるユウトへ。これを見てくれるかどうかわからないけど、わずかな希望を込めてここに記ます。いつかきっと戻ってきてくれるものと信じ、みんなずっと、あなたの帰りを待っています。 あなたを愛する者達より〟
読み進めるにつれ、僕の背中には冷たい戦慄が走った。
となりに意識を向けてみると、ナオトとユウカの二人も息を止めて唖然としているのが空気でわかる。
なんなんだ? これは? ……みんな、明らかに落書きとは異質なものだ……。
「なんだか、伝言板みたいだよね……」
壁面を見つめたまま、僕らが呆然と立ち尽くしているとナミが言った。
伝言板……その名称が、まさに当てはまるような文章の内容である。
でも、いったいなんのために? これではまるで、行方不明の人間に対して書かれているような……。
「ちょ、ちょっと! この紙の方もだよ……」
そこへ追い打ちをかけるように、ユウカがまたも驚きの声を上げる。
見ると、ユウカの目は壁に貼ってある紙切れの一つに注がれているようだ。
僕とナオトとナミの三人も、ユウカの見つめる方向へと視線を向け、その文面を無言で読み上げる。
〝ハセガワコウジ君へ。これを見たらすぐに連絡をください。急いでそこへ迎えに行きます。君が帰ってきてくれることを心から祈っています。 一緒にここへきた友人一同より〟
……これも、やはり同じような内容だ。
「こっちも、こっちも、こっちも……みんな同じ。なんなのいったい!?」
理解不能なものへの戸惑いと恐怖を含んだ声で、ユウカが譫言のように呟く。
先の落書きと同じように、僕は他の貼ってある紙の文章も順次読んでゆく……。
だが…いや、予想通りというべきか、紙に書かれているものもすべて似たか寄ったかの内容である。
先程はこの家の住人が貼ったメモ用紙か何かだと判断したが、明らかにこれはそんなものではない。
ましてや落書きなどといったものでもない……壁に直接マジックで書いたものも含め、これらはすべて、誰か行方不明になった友人に対してその帰還を呼びかけている…そんな内容の伝言なのである!
「ひょっとして、これもかよ……」
そう独り言を口にして、不意にナオトがキッチンの方へと歩き出す。
そして、先程の音の原因であると判断を下した、そこの壁に貼ってある紙片へと電灯の光を当てた。
「やっぱりだ……」
わずかの後、紙片のメモ書きを読んだナオトが、トーンの落ちた声でそう呟いた。
わざわざ彼の追って、それを見に行かなくてもわかる……それも、同じくメモ書きなどではなかったのだろう。
こういった心霊スポットに落書きはつきものであるが、このような伝言の書かれているなんて話聞いたことがない……この場所に、こんなものがある必然性が感じられないのだ。
〝これ〟は、ここにあってはおかしなものなのである。
僕はここが心霊スポットであるのとはまた別の、どこか気持ちの悪い、〝違和感〟に対する恐怖というものを感じていた。
なぜ、こんな所にこんな伝言が貼ってあるのだろうか?
なぜ、こんな所に行方不明者に宛てた伝言が?
「そういえば、ここにまつわる都市伝説でこんなのもあったよな……」
僕の疑問に答えるかのように、ナオトがぼそりと口を開いた。
「グループで惨劇荘に肝試しに行くと、その中の誰か一人が必ず行方不明になるっていうの……」
一瞬、皆の間に沈黙が訪れる。
「……ちょ、ちょっとやめてよ…」
わずかの後、ナミが沈黙を破り、怯えた声で訴える。
「あたしもその話、聞いたことあるような……」
一方、ユウカは妙に平静な口調で、抑揚なくナオトの話を補強する。
……その話は、僕も以前、どこかで聞いた憶えがある。
だが、この伝言を読んでも、なぜか今までそのことを思い出さなかった……いや。というより、もしかしたら無意識に、それとこれとを結びつけて考えないようにしていたのかもしれない……。
それが示す結論は、あまり考えたくはないものであったのだ。
都市伝説ではこの「伝言」についてまるで触れられていない……だが、それもここを実際に訪れた当事者達が、それを口にするのを幅かっているのだとしたら……。
「ってことは……これって、その行方不明になった人に宛てた……」
その、あまり考えたくはない恐ろしい結論を、ユウカが不注意にも口に出してしまう。
一度口に出してしまったら、もう考えないわけにはいかなくなってしまうというのに……。
「ねえ、だから、やめてってば……」
ナミは泣きそうな声で再び訴える。
「もしそうだとしたら、四人でここに来たあたし達の誰かも……」
しかし、ユウカはそれでもやめず、さらにその先に待つ恐ろしい未来まで言葉にしようとする。
「い、いやあああああああーっ!」
ついに恐怖が限界に達し、耳をつん裂く絶叫とともに半狂乱のナミが部屋を飛び出した。
「う、うわあああぁぁっ…!」
「あっ! ま、ま、ま、待ってよおおっ…!」
それを合図にナオト、そしてユウカも大声を上げて、転がるようにその場から逃げ出す。
「お、おい! ちょ、ちょっと待てよっ!」
さらに一拍置き、僕も皆の後を追って慌てて駆け出した。
この暗闇の中をどう走ったものなのか? 最初に逃げ出したナミは懐中電灯も持っていないのに、もう僕の視界の中から完全に消え去っている。
いや、そればかりか次に出て行ったナオトやユウカの姿までもがもうすでに見えない。僕だけ一人置き去りにして、なんと薄情な連中なんだ!
それでも、三人の向かった先はわかっている。この状況下で出口以外を目指すバカはいないだろう。
僕は懐中電灯のか細い光を頼りに、無我夢中で暗闇の中を駆け抜けた。
実際には十数秒にも満たない短い時間だったと思うが、正直、僕はこの間のことをよくは憶えていない……。
気がつくと、僕は玄関を出てすぐの場所で、他の皆と一緒にぜえ、ぜえと荒い息使いに激しく肩を揺らしていた。
「み、みんないる? …ハァ…ハァ…」
互いの顔も見えぬ漆黒の闇の中、僕は息を切らしながら尋ねる。
「うん……」
「ええ……」
すると、ナミとユウカの声が近くから返ってくる。
……よかった。半狂乱で飛び出して行ったナミもちゃんといる。
真っ暗な中での突然のトラブルではあったが、どうやら離れ離れにはならずにすんだようだ。
……しかし。
僕はふと、あることに気づく……二つあるはずの懐中電灯の明かりが、ぽつんと一つ、僕の持っているものの光しかないのだ。
そして、その光に映し出された僕らの影は、一つ、二つ、三つ……三人分しかない。
そういえば、こういう時に一番先に何か言うはずのナオトが、今回に限ってはなんのコメントもしてはいない。
というより、今、皆の無事を確認した時にも彼は返事をしなかったような……。
「おい! ナオト、いるのか?」
僕は慌てて、手に持つ懐中電灯で周囲を照らしながらナオトの名を呼ぶ。
………………。
だが、返ってくるのは夜の闇が創り出す静寂と、ようやく整いつつある僕らの呼吸音だけだ。
視覚的にも、周囲に彼の姿を捉えることはできない。
「ナオト君いないの?」
事態を察知し、ユウカも僕に問いかける。
「ああ。そうらしい……どこ行ったんだ? もしかして先に車へ戻ったのか?」
ユウカに答えつつ、僕がそんな推論を口にすると、ナミが暗くて表情のよくわからぬ顔を横に振って、その意見を否定した。
「ううん……あたし、一番先にここまで走って来たと思うけど、誰も追い越して行かなかったよ」
ここは玄関の真ん前。もし外に出たのだとしたら、一番初めにここへ到着したナミと必ず出くわすはずである……。
ということは、ナオトはまだ中にいるのか?
でも、だったらいったいどこへ?
「確か、あたしの前にいたと思ったんだけど……」
さらに僕の頭を混乱させるようなことをユウカも口にする。
ならば、ナオトはいつ、どこへ行ってしまったというんだ?
それに間違って出口と違う方向へ逃げたのだとしても、ここでこうして騒いでいれば、すぐに気づいて出てきてもよさそうなものである。
この建物はそれほど広いわけでもないし、こんなにも静かなのだ。声が届いていないはずがない……。
なのに、なぜ?
……これではまるで……まるで、あのウワサの通りではないか?
あの〝グループで惨劇荘に肝試しに行くと、その中の誰か一人が必ず行方不明になる〟という……。
僕は再び、さあっと体から血の気が引いていくのを感じた。
「ねえ、探しにいこう? どこかで転んで動けなくなってるのかもしれないよ?」
呆然と立ち尽くす僕に、ユウカが声をかける。
「うん。だったら早く探してあげなきゃ!」
先程は一番に逃げ出したナミも、友達を心配するあまり恐怖心が失せたのか? そんな力強い声で僕を促す。
そうだ。ナオトを探さなくては……。
よくよく考えれば、ウワサのような怪奇現象などではなく、ユウカの言うように何かにつまづき、倒れて怪我でもしているのかもしれない。
それにナオトのことだ。もしかしてヤツの悪ふざけという可能性だってありうる。
そうやってわざと隠れていて、僕らを驚かそうとしているのかも……。
そう考えると、心配よりもなんだか腹立たしく思えてきた。
いずれにしても、とにかく彼を探さなくては……怪我ならば早く治療しなくてはならないし、悪戯だったら思いっきりみんなでドヤし上げてやる!
「よし! 僕はもう一度戻ってナオトを探すよ。二人は先に車の所へ行って待ってて」
僕は彼女達二人にそう告げて、再び屋内へ戻ろうとする。
「ううん。あたしも一緒に行く! ナオト君のこと、心配だもん……」
「あたしも! ……一人でいるのなんか怖いし、みんなと一緒の方が……」
だが、ユウカもナミもそう言って、ついて来ることを主張した。
もう一度中へ入るのは怖くて嫌だろうと思い、僕は二人に車で待つことを勧めたのであるが、彼女達がそうしたいと言うのならば、あえて止めることもないだろう。
それに実を言うと、僕も一人で探しに行くよりはその方が心強かったりもする……やはり、一人というのは少々…いや、かなり怖い。
「わかった。じゃあ、みんなで一緒に行こう。でも、これ以上はぐれないように、絶対、僕からは離れないでね」
僕は二人にそう注意し、三人団子のように身を寄せ合いながらナオトを探しに再び惨劇荘の中へと入って行った。
「ナオトーっ!」
「ナオトく~ん!」
「ナオトく~ん! いたら返事をして~っ!」
僕らは部屋を順々に廻りながら、ナオトの名前を大声で叫んでゆく……。
しかし、やはり返ってくるのは暗闇を満たす静寂だけだ。
「いったい、どこ行っちまったんだよ……」
結局、すべての部屋を一廻りしてもナオトの姿はどこにも見当たらなかった。
こうなると、どうやら悪戯などではないらしく、本気で心配になってくる……。
「ねえ、もう一度探してみよう?」
「今度はもっと念入りに」
若干、狼狽気味の僕にユウカとナミが落ち着いた声でそう提案する。
「あ、ああ。そうだね……うん。そうしよう……」
僕はいつになくしっかりしている二人にそう言って頷くと、再び、それまでと同じルートでナオトを探しに惨劇荘の中を廻り始めた――。
一方、ちょうどその頃、惨劇荘の玄関前では……。
「――ねえ、いくらなんでも遅すぎるよ……」
そこに立つ三人の内の一人――ナミが心配する様子で他の二人に訴える。
「うん。確かにちょっとこれはおかしいかもね……」
もう一人の女性――ユウカも彼女の言葉に、よりいっそう深刻な表情をその顔に浮かべる。
そして、最後の一人――懐中電灯を手した男性は、惨劇荘の方を見やりながら苛立たしげな声でこう言った……
「ああ。もう一時間以上になるぜ? 〝タカシ〟が出てこないの……」
(廃屋の伝言板 了)
廃屋の伝言板 平中なごん @HiranakaNagon
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます