第21話
携帯電話のバイブレーターが作動した。
私は小倉さんが出て行った『風花』にまだ居残っていた。電話は河西さんからだった。
「まだ小倉さんと一緒ですか」
「いえ。もう小倉さんは帰られました」
「どうなりました」
「決裂です。原稿がなかったのはわざとかもしれないと思いました」
「なぜですの」
私は小倉さんとのやり取りをできるだけ簡潔に説明した。
「そうですか。そんな条件を」
「おかしいでしょ」
「確かに引っかかりはしますが、それだけではなんとも」少し間を空けてから「他に何か変わったことはありませんでしたか」
「他に、と言われますと」
「山瀬さんが亡くなられました。自宅アパート三階の踊り場から落下されて。警察は事故事件の両方の可能性で調べています。ただ、前日に山瀬さんと小倉さんが激しく口論されていたのが目撃されていて。だから、そのことが山瀬さんの死に関係しているのではないかと思われているようです」
「口論、ですか」
「ええそれも昨日の一度だけではなく、過去にも何度かあったようですわ」
「山瀬さんと小倉さんがねぇ」
山瀬さんとは合評会で何度か会ったけれど、物静かな紳士という印象がある。その作品も洗練されていてスマートなものであった。私が知る限り、小倉さんとは、同人誌を離れての接点があるとは思えなかった。
「さすがにその口論と山瀬さんが亡くなられたことは無関係でしょう。いくらなんでも小倉さんが」
私の言葉を最後まで待たずに河西さんが、
「そんなことは当然じゃありませんか。でも同じ同人誌の仲間が事件にかかわっているのではないかと疑われているわけでしょ。何かお力になれることはないかなと」
「あまり大げさに騒がないほうがいいんじゃないでしょうか。捜査の妨げになるだけならまだしも、それが発端で小倉さんが冤罪をかけられるようなことになったら大事です」
「わかりました。内々でこっそり調べることにしますわ。和瀬さんもそういう事情があるので注意してくださいね」
「私が注意ですか」
「事件の翌日にその重要参考人と目されている小倉さんと口論なさったんでしょ。注意するには十分じゃないですか」
「ああ、まぁ、そういうことになりますか」
「色々大変でしょうけど、集まっている投稿作品の選考の方もお願いしますね」
その言葉を最後に通話は切れた。
悩み事を増やして自宅に帰り着いた。それでもいつものように食事をすると、これもいつものように書斎に向かった。座椅子に座ると、精神を統一していく。
今夜は書き物の神様か何かが降りてきたようだ。物語は軋みながらも進みだした。翌日は代休で休みであることも手伝って、活動をセーブしなければならない事情もない。没頭して、明け方まで執筆作業を続けた。
朝食の用意のために起き出してきた妻の桜子に、三時間後に起こしてくれ、と頼むと、入眠剤を齧みつぶして飲み、布団に潜り込んだ。
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