ショートストーリー朗読シリーズ

藤森空音

第1話 元日の早朝

元旦の早朝。

「本当は神社で見たかったのだけど」

なんて考えながら、電車の心地よい揺れに眠気を誘われていた。静かな車内と適度な揺れは、今にもくっつきそうな瞼をその重みに任せてしまうに、十分だった。だけれど、私はそれを必死にこらえ、眠ってしまわないように、立ち上がり扉にもたれかかった。冷たい隙間風が身にしみ、扉の振動は私をゆりおこすのに十分だった。そうして、私はなんとか意識を保ちつつ、車窓から薄明るくなり始めた町並みを眺めていた。まだ、日の出までは時間がありそうだった。

 やがて、少しずつ、夜の濃紺が灰色がかってきた。私はソワソワと、何度も時間を確認する。ネットで見た日の出の時間までまだ少し早い。だけれど、灰色がかった空が朝日に包まれるまでの時間がそう長くないことを私は、自身の経験から知っていた。

「私の好きな、あの朝焼けは観れるだろうか」

そんなことを考えながら、お気に入りのポイントで車内から動画を撮影する。通過する駅の表示を見るたびに、とびっきり大好きな場所まであと何駅、何分ぐらい。まるで、元旦までのカウントダウンをするかのように、指折り数えていった。

 私が、乗りたかった電車を逃しても早朝の電車に飛び乗ったのには理由があった。かつて同じ路線で、同じぐらいの時刻に見た「あの朝焼けがもう一度見れたら」そんな淡い期待があったからだ。それは数年経った今でも私の脳裏に焼き付いて離れないとびっきり美しい、朱色の空だった。

 その朱色に出会ったのは、ほんの些細なきっかけだった。毎朝同じように揺られる満員電車に辟易していた私は、「もういっそ、始発に乗っていけばいいんじゃないかしら」なんて、ある日突然思い立ったのだ。今にして思えば、馬鹿としか言いようがないし、何を考えてるんだと言いたいけれど、雑踏に揉まれる日々に嫌気がさしていた私にとっては、世紀の大発明のように感ぜられたのだ。いつもよりも、静かな町。濃紺が天を満たす朝。片手で足りそうなほどしか人のいない、駅のホーム。電車は、それなりに座席は埋まっていたけれど、それでも、寝入っている人が多く、どこか不思議な空気が流れていた。その月明かりの朝が魅せた、いつもの町並みは、どこか違う世界のようであったのだ。まるで自分が、ガリバーやアリスみたいな、おとぎ話の主人公になったような気にさせられる、独特の不気味さを放っていた。そんな朝の世界が好きになった私は、度々早朝の電車に乗るようになった。そんな日がいく日も過ぎた頃。その日も私は、県をまたぐ一時間ほどの電車でいつものように眠っていた。不意に目を開いた私に飛び込んできたのは、稜線から一面に広がる稲荷大社の鳥居よりも赤みがかった、見事な朝焼けだった。赤というには、黄みがかっていて、朱というには赤すぎる、そんな鮮やかな空だった。私は、それ以来その光景が見たくて同じ電車に乗る回数が増えた。だけれど、一年のうち少しの間しか見れないそれは、私の心を飽きさせることはなかった。

 この路線を普段使わなくなって、数年たつがあの日の朝焼けは私の脳裏から消えてはいない。今日、この瞬間も「もしかしたら見れないだろうか」と思いながら、録画モードを起動している。もちろん、朝の色に染めあがった空が赤く染まることはないとわかっている。わかってはいるのだが、納得したくない自分が確かにここにいるのだ。稜線だけを朱に染めた今日の朝日は静かで、厳かで、慎ましやかで、そして何より美しかった。反対側の車窓から見える濃紺は、朝の色に追いやられていっているようで、どこか悲しく、寂しく。

「ああ、年があけていってしまう」

なんて、旧年が過ぎ去ることを惜しむように、新年を迎えることを喜ぶように、曖昧に呟いた。

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