ホルマリンの中に眠る
遅晴
Prologue~手記~
それは、緩やかな死だ。
万物は、絶えず劣化し、やがて朽ちる。その普遍的な法則は、形無きものに対しても例外なく作用する。写真が色褪せるように感情は薄れ、紙が擦りきれるように、言葉はその厚みを失う。
しかし、どういうわけか、人は魂だけは例外だと、劣化することのない永遠なものだと思い込みたがる。いくら時が経とうと決して損なわれず、一片足りとも欠けたりはしないものだ、と。
では、生まれたばかりの赤子の魂と、死ぬ間際の老人の魂は、果たして等価だろうか。
こう問いかけた時、恐らくは大半が、例え明確な理由を示せなくとも、そうではない、と答えるだろう。少なくとも私は、赤子と老人の魂を等価だとは考えない。人は誰しも感覚的に、魂はすり減るということに気づいているはずだ。
それでも尚、人々が魂の不変性を信じようとするのは、人には自身の魂の劣化を感じ取ることが出来ないからだ。
感情が褪せることも、言葉がその意味を損なうことも、人は容易に感じ取る。感情や言葉、魂、どちらも形のないものであるにも拘らず、この差異は極めて大きい。
感情や言葉と、魂の差異、或いは魂の特殊性は、何処から生ずるのか。答えは至極単純で、魂は個々人にとって唯一のものであるという、ただその一点の要因に尽きる。特別なものは無意識のうちに例外扱いし、普遍的な法則の作用を無視するというのは、それほど不自然な思考ではないし、私自身もまた、無意識のうちに『特別で、例外なもの』をいくつも溜め込んできたのだろう。
――現実には、そんな『特別で例外なもの』など存在しない。
勿論、全く例外がない、とは言わない。時間の経過の影響を受けないもの、あるいは恐ろしく経年劣化に強いものというのは、有形、無形を問わず、わずかに存在する。しかしそれらは殆ど神の領域に近い概念であり、言い換えれば、この世界そのものにとっての『特別なもの』である。それらは人間の力の及ばない、手の届かないところにあり、ましてや一個人の魂などが、そこに含まれているはずなど無いのだ。……残酷なことに。
この世界の本質は劣化だ。劣化は非可逆的に起こり、あらゆるものの喪失は不可避である。その耐え難い真実を、直視できる人間はそれほど多くはない。――少なくとも、一般的には。
この町は異常だ。異常、と一口に言ってもこの町の正常な部分を探すほうが難しいのだが、おそらく、この町の本質的な異常性は、劣化と喪失にある。
この町ではありとあらゆるものが急速に劣化する。そして住人の多くは、ありとあらゆる喪失を受け入れている。自身の記憶、生命はおろか、この町の存在そのものすら、明日には砂と化して消える可能性を、当たり前のように認識し、許容している。
人の営みは、死を拒絶し、喪失を免れるために紡がれる――この町に来る以前は、私はそう考えていた。否、それが当たり前の感覚であり、人が人である限り変わることのない普遍的な価値観だと信じてきた。
では、この町の人々は一体何のために生きているのか。何のために、営みを止めないのか。或いは、死と喪失を受け入れてなお、刻々と朽ちていくこの町で漫然と暮らし続けることが、『普通』だと考えているのか。
おそらく、それは緩やかな死だ。
終末を認識し、拒絶でも諦観でもなく、ただあるがままの現状を享受することは、死神に導かれるまま、ただただ死へと歩みを進める行為に他ならない。それは引き返すことの叶わない、死地への旅路だ。
人が死から逃れられないように、ミイラ取りはやがてミイラになる。深淵を覗き続けるのならば、自分が深遠に足を踏み入れることを拒むことは出来ない。私が生まれて以来積み上げてきた価値観はもはや風化し、私もいつしか、この町の人間として、行く先のない日常と、緩やかに死を目指す生き方を自然と受け入れていた。
故に私は、もはや
この手記について、今更私から、多くを説明する必要は無いだろう。大方は、君が何処かで耳にしたそのものだと考えてもらって構わない。私は、私がこの手記を所持し、見聞きしたあらゆる事象を書き記す役割を、もう終えたと判断した。故に手記を手放し、次の観測者の役割を君に託す。
君にこの手記を託すのは、君が観測者に適任だと考えたからではない。むしろ君は、私が知る中では特に、客観的に事象を捉えることが不得手な部類の人間であろう。
私が手記を君に託すのは、君が私と同じく町の外を知る人間であり、即ち――語弊のある言い方を忌避せずに用いるならば――『普通の』価値観に触れてきた人間だからだ。劣化と喪失を恐れ、それでもなお自分の魂だけは例外だと目を背け続ける浅ましい価値観を理解している人間だと、そう思っているからだ。
この手記は、客観的な視点からの事象の記録を求めていない。もし興味が――それ以上に時間が――あるのなら、そこにある全ての手記を読み返してみるといい。私たちが書き綴ってきたものはあくまで手記であり、この町の
最後に、君がまだこの町に染まりきっておらず、『普通の』価値観を理解したままであることを願って、私の観測者としての役割と、この記述に終止符を打とう。
十月九日 私はもう自分の名前を思い出せない
†
それが、手記の最後の記述だった。その後ろには、銀灰色の罫線が整然と引かれた白紙が、まだ数ページ続いている。
僕は手記を閉じた。手記、と呼ばれているからには手記なのだろうが、この冊子の表紙には金糸で装飾の施された濃紺の布が張られており、その得も言われぬ荘厳な装丁は、それこそ歴史ある年代記の一冊を思わせる。
僕は部屋の壁際に積み上げられた箱の山を見やった。今朝方、今僕が手に持っている手記と共に、宛名もなく届いたものだ。箱の一つを開いて確認すると、最後の手記と同じ濃紺の布張りの冊子が、無数に詰め込まれていた。歴代の観測者達が書き連ねてきた手記が、目の前にある。その事実が、僕に高揚と重責を押し付けてくる。
正確な数など数える気にもならないが、最後の手記の表紙には、「1997」と、金糸で刺繍されている。流石に二千冊近い冊子がこの箱の中に収められているとは考えづらく、ある時点より以前の手記はここにないか、あるいは表紙の数字はただのナンバリングとは異なる法則で決められているのだろう。
僕は、手記についてあまり多くを知っているわけではない。確かに、手記の存在については度々耳にして来たが、実際にこうして目にするまで、この町に伝わる伝説の類だと高をくくって、話半分に聞き流してきた。
手記は――あるいは前任者は、僕に何を求めているのか、それが判然としなかった。確かに僕は町の外から来た人間ではあるが、自身の持つ価値観やこの町の性質について、前任者のように深く考えたことはない。見立ててくれた前任者には悪いが、僕はもう、この町に来る以前のことは、擦り切れた8ミリビデオの映像程度にしか思い出せない。前任者の言葉を借りるなら、僕もまた、行く先のない日常と、緩やかに死を目指す生き方を受け入れてしまった人間の一人だ。果たしてそんな僕に、観測者の資格はあるのだろうか。
机の上の水時計を、軽く指で揺する。青に染められた水滴が、ポツリ、ポツリと一定のリズムを刻み、透明の容器の中を落ちていく。この様子だと、次に客が来店するのは明日の昼頃になりそうだ。
口から欠伸が漏れる。午後はどうにも気怠い。どうせ来客もないのだから、無為に起きている必要もない。ココアを淹れて、おとなしく意識を睡魔に委ねよう。
手記のことは……まぁ、起きたらまた考えればいいか。託された以上、形はどうあれ観測者としての役割は果たさねばならないし。
僕が、その資格を喪失するまでは。
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