第27話 (第1話解説付き)

これは、僕が北関東州で過ごした日々の個人的な記録である。

 機密情報の流出に当たらないよう事実の一部を省略しているし、そのために若干の改変を加えた部分もある。

 しかし、記述の内容はほぼ事実と考えてもらってよい。


 なお、記録時の風俗や考え方などについては、出来るだけ注釈を入れるよう心掛けた。可能性は低いが、遠い将来にこの記録を見る人が居るかも知れない。それらの人々に正しく内容を伝えるには、当時の時代背景に関する何らかの追記が必須であると感じたからだ。


 念のために付け加えておけば、そういった追記はこの社会の標準化された理解ではなく、記録を残す僕自身の、おそらくは少し偏った解釈を基にしている。その意味では、正確性や公平性に欠けるところがあるかも知れない。


 だが、僕はそれで構わないと思っている。むしろその方が、この文書の内容と意図を正しく伝えてくれると信じているから。


―――――


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【解説:場面切り替え】

 以後、この―――――ラインが引かれた場合、それが「現実世界」であることを示している。なお、=====で表現された場合、それは以下が「VRネット内」であることを示している。

 作中世界ではエネルギー消費を抑える目的から、人間が現実の移動をすることは推奨されていない。一般生活の多くは、高度なヴァーチャル・リアリティ映像によって「その場所に行ったような気になる」ことで代替されている。

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 人が住まなくなった家には、独特の匂いがある。

 それはあまり快いものとは言えない。かつて生きた人々の残滓が分解され、消えていく過程で発せられる何か。

 身体は、それを警告の一種として知覚するのかもしれない。


 かつての者達は滅びた。だからお前も用心をしろ、と。


 ひょっとしたら昔の人々は、そんな空気を魂とか幽霊という言葉で表現していたのではないだろうか。そんなことを考えながら、僕は古い家の中を点検していた。

 記録用のカメラを抱えて一部屋ずつ、慎重に。床の一部は腐っている。踏み抜いて怪我をするようなヘマはしたくなかった。

 こんな作業なら機械がやってくれればいいのにと思う。だが、古い家の構造は人間に最適化され過ぎている。飛行型ドローンはドアを開けられないし、狭すぎる階段と脆弱な床は走行型機器への致命的なトラップだ。効率の点からみて、これは職員が行うべき仕事だった。


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【解説:未来の建築基準】

 現在の建築は、基本的に人間が使用した際の利便性を考慮して各種の規格が定められている。しかし未来の建築物は、自動機械の動作を考慮して設計がされるに違いない。家具などについても、例えばロボット掃除機の動作を考慮した設計や、絨毯の素材などを選択するのが当たり前になっていくのだろう。その規格を決定する権利は巨大な利益を生むであろうから、物凄い争いの種になるような気がする。

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 慣れない作業をやっと終えて僕は家の外に出た。先に作業を終えた班長がからかうような口調で言う。

「遅いぞ、新人」

「すみませんね。色々と経験不足なもので」

 班長は僕の倍以上の早さで作業をこなしていた。現場の作業は場数がモノをいうと聞いてはいたが、本当にその通りだと痛感する。


 停車したバスの周りにはこの区域の居住者が集まっていた。四世帯五名。年配の方ばかりだ。地区の家屋は全部で七軒あるが、うち三軒は既に空き家だった。

流れてくる会話の断片。

「結局、来なかったな」

「ああ。最後の挨拶ぐらいはしたかったが」

「無理だろう。仕方ない」

 近づく僕達に気付いた彼らは、話を止めた。あまり好意的とは言えない視線を向けてきた後で、一人が意を決したかのように口を開いた。

「もう、終わりかね?」

 班長は軽く頷いて、電子パッドを差し出した。

「最後にサインを。それで終了です」


 班長の前に作られる人の列。順番に機器の上をなぞる指。

 なんとまあ大時代的なやり方かと僕は呆れる。

「ご協力ありがとうございました。では、車へ」

 所有物の輸送は既に済んでいた。

 彼らは身一つで新しい住処へと向かうことになる。

 年老いた男性が自分の家を振り返った。

「これから、この家はどうなるのかね」

 淡々とした声で発せられる質問。男性は多分、最初から答えを知っていた。

「本日十八時を持ちまして、この一帯は限界区域の指定を受けます」

 班長の事務的な口調。誤解の余地を許さぬ断言。

「その後、一週間以内で解体される予定です」

 男性は静かに目を閉じた。

「そうか」

 彼は頷いて視線をもう一度家へと向ける。


 僕は手にしたカメラを掲げて見せた。

 男性を力づけようと、出来るだけ明るい声で。

「大丈夫です。VR用データは保管してありますから。いつでもダウンロード可能ですよ」

 意外な事に、彼はぎょっとした顔をした。

 困惑と猜疑。そして最後に怒りと敵意の籠った視線が僕に向けられる。


 班長が慌てた様子で僕と男性の間に割って入った。

「あー、済みません」

 天を仰ぎ、オーバーアクション気味に額に手を当てる。

「新人です。申し訳ない。不勉強で」

 男性はもう一度視線をこちらに向けた。何が起きたのか理解できず、まごついて立ち尽くす僕の姿を眺め、やがて大きな声で笑いだす。

「そうか、時代だな」

 どこか哀しげな。しかし、同時に心の底から愉快そうな口調。

「歳を取ったということか。だとしたら、受け入れるしかあるまいよ」

 男性はもう一度自分の家を見詰めた。

 そして、決然とした表情を浮かべて踵を返す。

 二度と振り返らない意思をその背に込めて。


 全員の乗車を確認し、車両が動き出す。僕達は一礼してそれを見送った。

 バスが見えなくなってから、僕は小声で班長に尋ねた。

「えっと。何か、まずかったんでしょうか」

 班長は苦笑を浮かべて僕に応じた。

「まあ、あんまり気にすんな」

 意味ありげな視線を僕に向けたままで。

「あの人とお前とでは、感覚が違うってことさ」

 説明はそれだけだった。

 なんだか釈然としないまま、僕は周囲に視線を移す。


 北関東州の山沿いに位置する小さな町。しかし、町と言えるほどの規模だったのはもう十年以上も前の話だ。点在していた家はそのほとんどが既に取り壊され、残っている建物も無秩序に広がる春の緑に包囲されかけていた。

 本日十八時をもって、この一帯は法律上、原野と同じ扱いを受けることになる。

「よし、行くぞ」

 班長の指示に従い、僕は公用車に乗り込んだ。次の現場へ向かう。


 進み続ける人口減少により、都市部ですら大量の無人家屋が発生する時代。

放棄された建築物を管理する行政の負担は増大の一途を辿っていた。

 不足する社会資源を生産性に結びつかない分野に振り分ける余裕は無い。従来の方針を抜本的に転換すべきとの声は、日々高まっていった。

 そんな中、解決策の一つとして制定されたのが「限界区域の設置及びその居住に関する法律」。俗に言う限界区域法だ。

 その骨子は過疎地域に住む人々を半強制的に都市部に移住させることにある。

 移住先の住居には行政が保管する無人家屋を充てる。住民側は古い自宅と引き換えに、それなりに状態の良い家を補助付きで入手出来る。一方、行政側は所有していれば負担にしかならない空き家を手放せると共に、過疎地域に対するインフラ整備という重荷からも解放される。

 行政と市民、双方が利益を得ることの出来る制度。


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【解説:無人家屋対策】

 増え続ける無人家屋に対する法的な対策は、おそらくこの十年以内に本格化するものと思われる。相続人がいないままに放置される家の数々。そんなものの管理に膨大な税金を投入し続けることはできないのだから。

 家屋というものはただ保管するだけでは負債にしかならないし、無人のままでは治安の悪化も怖い。やり方はどうあれ、誰かに使用して貰うための仕組みを作るしかない。国なり自治体なりが所有する形式になるのは間違いのないところだと思われる。また、作中のように人が生活するエリアを限定していく、という政策も十分にあり得る。

 現在の法律では、家屋を建てた場合、原則として自治体がライフラインを設置するということになっているが、その制度がどこまで維持できるのか。筆者はそう長い期間ではないと予想をしている。

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 勿論、制度というものが能書き通りに運用された例などない。不正や不公平、政治的な介入など、抱える批判と問題点は山とある。しかし、憲法違反を含む数々の訴訟の山を切り抜けながら、それでも二十年近い期間この制度が継続しているのは、その根底にある現実を人々が認識していることの証明だった。

 この社会は崩れかけている。破滅を防ぐためには、何かが必要なのだと。


 僕の名前は、井沢 至。

 北関東州都市計画管理部限界区域対策課第三班所属の公務員。

 やや詳細を端折った説明ではあるが、おおむね、そういう事になる。

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