第18話

 長い沈黙が続いた。


 僕がやっと言葉を口にすることが出来たのは、老人の家も間近になった頃だった。

「申し訳ありませんでした」

 老人はフンと鼻息を吐く。

「何を謝っていやがる」

 そう。僕は何を謝っているのだろうか。頭では認識出来ていなかったそれが、なぜかすんなりと言葉として発せられた。

「興味本位で、聞くべきことではありませんでした」


 班長は言っていた。限界区域に住んでいる人たちは、それなりに主義主張を持っていると。彼らそれぞれに抱く想いがあるという事実を、僕はその時まで理解していなかったのだ。

 それはとても、とても失礼な行為だったに違いない。


「よせやい」

 どこか吹っ切れたような声。

「居合わせた相手に興味を持とうとしねぇようなヤツは、生きてる意味が無い。そういう話を今、したんじゃねぇか」

 そして、あの楽し気な笑顔を浮かべて見せる。

「悪かった。久々だったんでな。ついつい気軽に喋り過ぎちまった」

 沈黙のまま進む公用車の中で、ふと班長の言葉を思い出した。

人間の領域は狭まりつつあるのだと。

 そう、それは日々縮まっている。だが班長はそれを物理的・空間的な話では無く、精神的なそれとして語っていたのではないだろうか。

 人々はかつて自分たちのものであった世界を、次々に放棄している。



 やがて木立を抜けると、視界が開けた。

 陽光に照らされた草原に春の花々が見える。

「綺麗ですね」

 僕がそう呟くと、老人は意外な提案をした。

「オウ、入ってみるか?」

 僕は戸惑う。本物の花畑。踏み荒らしても良いのだろうか。

「いいんですか」

「勝手に咲いただけだぜ。車を停めろよ」

 僕は言われるままに、公用車に停止を命じた。

「そのまま入って、本物を感じてみな」


 軽い規則違反だったが、好奇心に勝てなかった。僕は車を降りて見事な風景の中に足を踏み入れる。思わず声が出た。それほどに素晴らしい眺めだった。だけど。


 ずるり。足元に妙な感覚がした。

 バランスを崩しかけた僕は、慌てて両手を振り回す。

 美しく見えた花畑の足元は、妙な匂いのする泥だらけだった。あちこちに絡まる蔦はまるでトラップ。歩きにくいことこの上ない。そして僕の体温を察知したのか、正体の分からない虫が寄ってくる。不愉快極まりない飛翔音。


 虫を払いながら必死に逃げ出してくる僕を見て、老人は笑い声をあげる。

「どうだったよ」

「ええ、その……想像とは、違っていました」

 老人は再び、楽し気に笑う。

「本物の花は、生き抜くために必死で戦っている。成長するために他の植物を文字通り踏みつけ、のし上がろうとしてるんだ。ここは、植物たちの戦場なんだぜ」

 僕はもう一度花畑を見詰めた。遠くから見れば、ただ綺麗なだけなのに。

「やつらだって生き物なんだ。人間が鑑賞するためにこの世界に生まれた訳じゃねぇ。VRみてぇなニセモノとは、違うんだよ」

 ああ、そうか。そんな当たり前のことに初めて気づく。

 どこかさっきとは違って見える風景の前で、僕はぼんやりと考えた。

 そう言えば、あの女性が望んでいるのはどんな花なのだろう――


―――――


「昨日はマスメディアについてもう少し調べてみたんですよ。それについて少し聞きたいと思いまして」

 二日後の昼休み、僕は班長に質問をぶつけてみた。

「妙な感化をされやがって」

 班長は渋い顔で応じる。

「いいじゃないですか。どうせなら、積極的に色々やってみようかと」


 この数日、僕は二十一世紀前期の歴史や風俗を自分なりに調べていた。少年、そして老人との会話から生まれた興味だったが、やってみると意外な発見があった。

「それに、思ったより面白いです。なんとなくAIの意図も分かるようになってきたような気がして」

 受付事務を失敗した理由の幾つかが、過去の社会に対する知識の不足であることがなんとなく理解でき始めていた。受付に来るのは高齢者が多い。だから、戦前と現代の感覚の差が意思疎通の障害となるケースもまた多い。

 AIはその点も織り込んで指示を出しているのだが、僕自身にその知識が無いと意図を読み切れないのだ。僕には意味不明だった幾つかの項目が、当時の習慣や礼儀といったものを考慮した内容であることが分かってくる。意図が分かれば行動が適切に行えるし、何かあったときのリカバリーも早い。


「まあ、仕事に熱心なのは良い事だがな。ちなみに言っておくと、AIに意図なんてものは存在しないぜ。そんなものを感じるのは、受け取り手の勝手な解釈だ」

 あまり気乗りしそうにない班長に対し、僕は構わずに質問をぶつけた。教育担当なのだ。新人がこれぐらいの事を聞くのは許されるだろう。

「それで、マスメディアについてなんですけど。レーティング無しに様々な評価を行うって、どういう仕組みなんですかね」

 その点がどうしても腑に落ちなかった。

「それぞれが自由に意見を言うのは分かりましたけど、それだと評価基準が恣意的になりますよね。どうやって有効な判定を下したんでしょうか」

「ああ、そいつが問題だったんだ。どう説明したもんかな」


 班長は視線を宙に向けながらぶつぶつと呟き、そして話を再開した。

「そもそもの歴史から話すぜ。マスメディアってものは、基本的に政治権力の掣肘をその使命とされていた。チェック機能を欠いた権力は必ず腐敗する。だから何であれ、そういった能力を持つ存在は必要不可欠だ。ここまでは分かるよな」

「ええ、分かります」

「そのため、基本的にマスメディアは保護すべきものとされた。言いたい放題に政治権力を批判すべき存在。中世なんかでは、道化師に王を笑いものにする権利を与えることで自戒の手段としていたっていう逸話があるが、それの近代版だ。発言の段階では、批判の正当性に関するチェックは行われない」

「それだと、デマだらけになってしまうのでは」

「批判に対する批判も自由に発信できるなら、やがて質の悪いものは淘汰されるはず。そういう考え方だった。デマゴギーは最後まで無くならなかったが、そいつは仕方ない。なぜなら、無数のデマゴギーを対立させることでバランスを取るというシステムだったからだ。最後には崩壊したが、歴史的な視点で見ればまあ、それなりに機能したと評価すべきだと俺は思うぜ」

「廃れた理由は、やっぱりレーティングの方が正確だったからですか?」

 班長は首を横に振った。

「確かにレーティングシステムの方が幾分信頼性は高いが、この分野じゃ決定的な差はない。それに、マスメディアの凋落はそれよりも前から起きていた現象だ」

「どういう理由でしょうか」

 班長の切り口は、老人のそれと異なっていた。その点が僕の興味を引く。

「簡単に言えばな、存在が肥大化し過ぎたんだ」


 どうにも飲み込めない僕に、班長は話を噛み砕く。

「チェックアンドバランスのシステムは、その名のとおりバランスが大事だ。権力者を批判し、行動を牽制するレベルであるうちは問題無かったが、やがて多くの国で、マスメディアが本気を出せば大抵の権力者が失脚するようになってしまった」

「バランスを取るためのシステムなら、望ましくない存在を排除する能力は必要だと思いますが」

「そこは程度問題なんだよ。彼らは社会を健全に保つための存在だと自負していたが、力に酔った一部は単なるパラノイアと化した。簡単に言えば、権力者を際限なく失脚させ続ければやがて理想社会が訪れるという妄想だ。妥当性なんて考えず、とにかく攻撃しまくった」


 僕は思わず苦笑する。戦前は本当にその手の話が多い。

 目的を見失った手段の暴走。

「結局、発生したのは抗生物質を多用したのと同じ現象だ。マスメディアが政治家を社会的に抹殺する能力が高まると、やがてその攻撃を受け付けない変種が生まれ始める。攻撃を無効化する、あるいは逆にマスメディアを死滅させる能力を持った奇形だ。そういう手合いは政治家としての本質的な能力が低いことが多いが、能力が高くてもマスメディアからの攻撃に耐性のない連中はバタバタ倒れて行く環境だ。結果としてまともな政治家が絶滅して、妙な奴らばかりが残ることになった」


 班長が軽く肩を竦める。

「だがそれは、結果としてみればマスメディアが社会を悪化させたのと変わらないだろ」

「社会を健全化させるシステムとしては、不完全だったということですか」

「ああ。レーティングシステムが運用されると、大規模な人間組織が行うよりも質の高い状況分析が簡単に入手できるようになり、ついでにマスメディア側の発信内容も分析されて、その多くが根拠薄弱な感情論でしかないと証明された。それが最後の止めだな。だが、社会的な自浄装置としての機能を失った時点で、その存在価値は失われていたと言える」


 成程。なんとなく分かってきた。

 当初は優秀で合理的であったシステムが、時代の流れと共に機能しなくなっていく。老人の言葉を借りれば、自分たちの手法を永遠の真理と信じたことによって、彼らは滅びの道を進むことになったのだろう。


「でも、根拠不要で発言することが奨励される環境というのも、どこか面白そうですね。ある意味では自由な訳ですし」

 班長は再び渋い顔に戻る。

「前も言っただろ。自分の想像と実際にあった過去は違っているって。当時は妙な風習が色々あってな。人々がそんなに自由に発言できてたわけじゃない」

「と、言いますと」

 班長はやれやれという表情を見せながら、それでも話を続けてくれた。

「当時、マスメディアは一種の特権階級として見られていた。他人を社会的に抹殺する実力を持ちながら、自身は保護された立場。その上、社会的な正義の側に立っているという建前まで持っていた。……歴史上これと良く似た役職があったんだが、分かるか?」

「いえ、全然」

 僕は首を捻った。

「異端審問官、さ」

 異端審問官?

「それって、中世のアレですか」

「ああ。自分がやる側に立つなら、結構なご身分だからな。情報発信の技術が向上するにつれて、一般の人々もマスメディアの行動を真似し始めたんだ」


 当時、公的な言論統制が敷かれていなかった国であっても、個人的な言論チェック体制、一種の魔女狩りがあちこちで行われていたという。

「俺も見たことがある。調子よく自分の意見を吹聴していると、ある日突然見も知らない人間が「お前のしていることは間違っている。悔い改めろ」と言い出してくるんだ。そいつの論拠は大抵が手前勝手な道徳論で、言われた方としては異教の聖典を諳んじられてるみたいなもんだ。当然に反論するが、そいつは「私の聖典に背くからお前は有罪だ」と譲らない。べらべらと喋る話の中には矛盾が幾つもあるんだが、それを指摘しても「神聖なるものを侮辱するお前は悪魔に違いない」みたいな話をしだす」

「間違いなく狂人ですね。無視するか、警察を呼ばないと」

「残念だが、その点の法整備は遅れてた。その上、当時はそんな奴らが山ほどいたからな。騒ぎが始まると、それを聞きつけてそこら中から似たようなのが大挙して押し寄せてくるんだ。そいつらは口々にそれぞれ別の道徳を喚きだし、「お前は有罪だ」と声を揃える」

 うわ。なんか怖い。

「実質的な洗脳行為じゃないですか。明らかな犯罪です」

 常識的な法整備がなされていなかったのは不幸なことだと僕は思う。

「まったくだ。ああ、そういえば先日のあれ。連想検索で相手の個人情報を入手するっていうのも、元々はこの異端審問官達が開発したテクニックらしいぜ」

「なんのために、ですか?」

「現実の住所を知られて、物理的な危害や、生活を破壊されることの恐怖を与えるのが目的だったとかいう話だ」


 一種の拷問手段だったとは。僕の脳裏に、哀れな被害者を取り囲む覆面姿の集団がイメージされる。うん。史上最大の宗教時代という呼び名は、やはり伊達でないということか。


「異端審問官の立場でいた人間が、次の日には被告として裁かれる立場に変わることも珍しくはなかった。あまりにも他人の行動にケチをつけまくるから、この当時を「万人の万人に対する批判時代」なんて評した人物までいる。無秩序な私刑の結果、無数の人間が火炙りにされていったよ」

 沈黙してしまった僕に対し、班長が戸惑った声をかける。

「ん? なんだよ。深刻な顔して」

「そういった記録は見つけられませんでしたけど、大丈夫だったんですか? その方達。怪我ですとか後遺症とか。亡くなった方も多かったんでしょうか」

 なぜか班長は笑い出した。

「ああ、すまん。流石に本物の火は使ってないからな。偉大なる文明の進歩さ」

 そう言ってから、急に真顔になって考え込む。

「いや、そうだな。後遺症はあったか。それに死者も出てる。そうか、幻の炎でも十分人は殺せるもんだ」

 班長はなにやら自分の世界に入ってブツブツと呟き始めた。

 最後のくだりは良く分からなかったが、なんとなく雰囲気は掴めたように思う。やはり実地の経験に基づく意見は公的記録と一味違って勉強になる。

僕は時計を確認した。音楽を聴く時間も少し欲しい。

「ありがとうございます。参考になったので、もう少し詳しく調べてみます」

「まあいいけどな。程々にしておけよ」

 お礼を言った僕に、班長はやれやれといった口調で言った。

「物事ってのはどんなものであれ、やり過ぎは逆効果なんだぜ」

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