第13話
―――――
助けて貰った、ということになるのだろう。
受付ブースを離れて感謝の言葉を伝えようとした僕を見て、班長がニヤニヤと笑う。
「これで三連続だな」
望月さんが逃げ帰った回数を、わざとらしく指折り数えて見せる。
「ちなみにここでの最高記録は6回だ。お前なら更新を狙えるぞ。頑張れ」
ムカッ。反射的に僕は毒づいた。
「どうせなら、もう少し前にフォローして頂けると有り難いんですけど」
「自分の失敗を自覚した方が成長するだろ。早すぎるフォローはむしろ有害なんだ。優秀な指導担当に感謝して欲しいな」
なんとか言い返そうと無駄な努力をする僕の表情を愉快そうに眺めてから、班長は口調を改めた。
「なかなか面白い奴だったな。どう思った?」
言われて、僕は先ほどの驚きを思い出した。
「そうです。あの少年、どうやってあんな個人情報を入手したんでしょう。もちづ―――」
「おい」
叱責の響き。慌てて僕は言葉を呑み込んだ。
望月という言葉には、十五夜という意味がある。
それは入って半月もしないうちに辞めてしまう臨時職員を表す隠語であり、同時に課の職員間における一種の合言葉だ。
映像技術が発達した結果、通信環境におけるなりすましを見破るのがやたらと困難になってしまい、現場ではこんな原始的な手法を採用するようになっていた。
会話データとして記録されては意味が無いため、普段の業務中に隠語を口にするのは厳禁だ。迂闊にも僕はそれを声に出しそうになってしまった。
「まったく。最近の連中は口が軽いな。だからあの程度のソーシャルエンジニアリングに引っかかるんだ」
班長は僕の知らない単語を口にした。
「なんですか? それ」
「人間が秘密を管理していた時代の技術さ。さっきのはその応用だよ」
良く分かっていない僕の前で、班長はデータベースにアクセスを開始した。
「実演してやるよ。あの程度なら、俺にだって出来るぜ」
「班長が検索出来るのは当然じゃないですか」
班長は職務上、部下に対する情報検索の権限を付与されている。AIを使用できるなら、プライベートを暴くぐらい簡単だ。
「いや、そうじゃない。AI無しでだよ」
「まさか」
本当にそんなことが出来るのだろうか。疑わし気な僕に対し、班長は自信たっぷりに操作画面を広げて見せた。見たことの無いデータベースだ。
「なんですか? これ」
「ワールド・ワイド・ウェブのアーカイブさ」
「www?」
「初期のインターネットだ。戦争で電子的に破壊された。こいつは再構築作業に使用されたスナップショットでな。結局は脆弱性の問題が解決出来なくて放棄されたんだが、まあ、要するにネット上の遺跡みたいなもんだよ」
なんだか嬉しそうに、班長が講釈を垂れる。
「データ量は現在と比較すれば圧倒的に小さい。範囲を区切れば個人的にオフラインで所有できるサイズさ。検索だって旧式の論理マシンで十分だ」
AIのように複雑な動作の出来ない論理マシンはその分動作が軽く、同じリソースならば軽快に動作すると聞いたことがある。とは言え、現代社会においてわざわざ論理マシンを起動させること自体が無駄でしか無いが。
そこまでリソース量を気にするのは、あっても軍事の世界ぐらいだ。
「さて、だ。あいつはさっきの話の中で、最初にお前たちの名前を聞いたな」
「ええ。そうでした」
「あれはひどく不自然だったろ。担当者の名前なんて最初から確認可能なのに」
確かにそうだ。僕も望月さんも、意図を掴みかねていた。
「慣れない雰囲気を出してその後の会話が不自然じゃないようにしたんだよ。雑談めいた会話を続けて、情報を入手するためにな」
班長は少年とのやりとりを箇条書きで羅列する。最初に氏名。次に、望月さんの大まかな年齢に当たりをつけた。そして通っていた大学と生活のエリア。
言われてみれば、確かに会話の中にあった情報だ。
「これだけ情報があれば、結構対象は絞れるんだぜ」
班長はアーカイブからデータを抽出する。
「21世紀前半の社会には奇妙な風習があった。当時の人間は、なぜか自分のプライバシーを競って他人の目に晒したんだ」
大量のデータがリストで表示される。班長はその一部を僕に見せた。
一種の日記めいたテキストデータ、大量の画像。なぜか顔のアップと料理。それにネコが異常に多い。
「こういったデータには、保存された日付と位置情報が記録されていることが多い。まずはそれで絞り込む。次にテキストは名前、画像は顔認証でもう一段階絞り込むんだ。この程度の件数なら、そう時間はかからない」
数分ほどで、一致率の高いデータが見つかった。若いころの望月さんと思われる写真。同一IDの人物が残したデータを確認すると、一致率の高い画像が連続してヒット。時系列の範囲を拡大して再検索。
「時系列に沿ってテキストと画像を見れば、当時の生活が大体見えてくるだろ」
膨大なテキストと画像を前に、僕は当然の疑問を口にせざるを得なかった。
「なんでこんなものが、セキュリティも無しに大量に掲示されているんです?」
極めて個人的な内容に踏み込んだデータの山。それも、場所と時間の記録までついて。公安警察の捜査でもなければ、ここまでの情報は入手出来ないだろう。
「風習、としか言いようはないな。なにせこいつら皆、セキュリティをかけるどころか積極的に自分のデータをばら撒こうとしてたんだぜ」
「一種の露出狂でしょうか?」
「まあ、そんなに間違っていないな。面白いことに、自分の個人情報が大勢に広まれば広まるほど社会的なヒエラルキーが上だという考えが流行っていたらしい」
それにしても、と僕は思う。
「危険は無かったんですかね。こんなことをして」
「当時ですら危険はあった。まして今じゃ検索能力が段違いだからな。ご覧のとおりさ」
驚くばかりの僕に班長は続けた。
「まだ先があってな。奇妙な風習の二つ目だ。当時、ほとんどの人がGPSを常時着用するようになっていたが、その情報は私的組織が管理していた」
「私的組織? 行政が管理するのじゃなくて??」
「不思議なことに、行政組織の収集は制限されていたが私的組織の収集は自由だった。しかも、研究目的などの名目でそのデータはあちこちに流出していたんだ」
「GPS着用は義務じゃなかったんですよね。なぜ拒否しなかったんでしょう?」
「良く分からんが、人々はこれについてもむしろ積極的に情報を提供していた節がある」
「正気の話に思えないんですけど」
見知らぬ他人に自分の位置情報を常時把握されるのは、あまり気分の良いものではない。それどころか実際に危険だ。ましてそれがどのように利用されるのかコントロールも出来ないとなっては。恐ろしいという以外の感想が出てこない。
「ビッグデータの黎明期はそんな感じだったのさ。さすがに研究用データの中には直接の個人情報は入っていない。管理IDと位置情報だけだ。とは言っても、本人の方が時間と位置を特定する情報を晒しているんだぜ。照合すればどれが該当するIDかなんて直ぐに分かる」
先ほど抽出したテキストと画像データが保有する時間と位置の情報。無数のIDのうちに、それと一致するものを探し出す。
検索は一瞬だった。
「後はこれを追っていけばいい。過去の地図情報と合わせれば、どこに勤めていたのか、日常の生活はどんな風だったのかは大体見当がつく。位置情報が長時間一致するIDを見つけたら、そいつが一緒に住んでいたパートナーだ。そのIDから逆算すれば、パートナー側が公開した情報も見ることが出来るだろ。そうすれば別視点の情報も手に入る」
はあ。凄い話だ。しかし僕はある点に気付く。
「これだと、戦前の情報しか手に入らないですよね」
「そうさ。初めて見れば驚くかも知れないが、種が分かっていれば限度も見える。さっきも比較的古い話しかしていなかっただろ」
成程。
確かに望月さんについても、比較的若い時代の話題しか出していなかった。
「そういえば、ピュア・コネクションっていうのは何でしょう」
望月さんは随分と動揺していた様子だったけれど。
「多分、なんだが」
班長はその言葉を検索項目に入れ、GPSデータとの一致を確認する。
「ああ、やっぱりそうだな」
店舗の名称だった。ある時期、月に数回の頻度で位置情報が重なっている。
「風俗店に立ち寄った記録を調べたんだろう。こういう店の位置情報もデータ形式で入手できるからな。照合すれば簡単に見つけられる」
「風俗店?」
「性産業。娯楽用セックスの提供場さ」
「娯楽用セックスに生産性は無いでしょう。産業じゃありませんよ」
「昔は金銭のやり取りが発生する行為は全て産業と呼んでいたんだよ。時代による認識の違いだ」
良く分からなかったが、話の本筋には関係なので僕は後で調べることにした。
「とにかく、戦前世代の個人情報にセキュリティは無いも同然だってことが良く分かるだろ。やる気になれば、素人だって簡単にここまで出来る」
はあ。その手口に感心しつつ、僕は望月さんに少し同情する。自分の情報を軽率に晒した結果とは言え、ここまで好き勝手に自分の過去を探られてはたまらないだろう。
「まあ、成人になればこの手の行為は記録に残されるから、こっちもそれなりの対策を取れるようになる。子供の間にだけ許される悪戯さ」
そう言って班長は検索結果を全て消去した。
「仕掛けは分かりましたけど、それでも凄くありませんか。あの短時間で会話をしながらなんて。一見して関連していない情報を繋ぎ合わせていくところも、まるでAIの連想検索みたいですし」
班長は呆れた顔で僕を見る。
「あのなあ。連想を使った検索ってのは元々は人間が実践していた手法なんだよ」
「そうなんですか?」
「ああ。そのノウハウを人間がAIに教えたんだ。もっとも人間は仮定から出発して結論を導き、最後に証拠を探すのに対し、AIは力任せに類似性のあるものを並べてから仮定を導く。やり方が違うんだが、まあそれはこの際どうでもいい」
ともあれ、と班長は頭を掻いた。
「手際が良いのはグループでやっているからだよ」
「なぜ分かるんです?」
まさか少年の通信記録をリアルタイム確認した訳でもあるまい。単なる来庁者に対し、そこまでのことは出来ない。
「実を言えば、この手のイタズラは昔からあるんだよ。どっかのグループが昔の記録からやり方を見つけ出して、臨時職員の古傷を抉る。何度もそんな場に立ちあっていれば、嫌でも分かるようになるさ」
なんだ、と僕は拍子抜けをする。
「あいつが話をする担当。そして別の何人かがバックアップで検索を担当していたんだろうな。それならかなり効率的に作業が出来る」
「人間で行う分業体制ですか」
僕は思わず笑ってしまった。
「ソーシャルエンジニアリング、人間による連想検索、そして分業。なかなかレトロなテクニックだが、意外に大したもんだろ」
そうですねと僕は頷く。現代社会では無用な技術かも知れないが、見事であることは確かだ。木の板と棒を使って素早く火を付けるシーンを見せられたような気分。少なくとも僕には真似出来そうにない。
「戦前の再現、と言ったところですか」
そう言えば、と僕は気付いた。
「班長は戦前……二十一世紀前期の状況をご存じですよね」
「俺だってその頃はまだガキってことになるがな。雰囲気ぐらいは覚えてるぜ」
「どんな時代だったんですか?」
微妙な要素を含む僕の質問を、班長は軽くかわした。
「ん。ああ。一般的な評価の通りさ。文献によくあるフレーズは妥当だと思うよ」
僕が思い出したその言葉を、班長が口にする。
「人類史上最大の宗教時代だ。信仰する神のために、世界を滅ぼそうとした時代」
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