第11話
食事を早めに切り上げた僕は、心を落ち着かせるため音楽を聴くことにした。
休憩室で私物のVRゴーグルを取り出し、時間を十五分にセットする。
=====
僕の眼前に穏やかな光が広がる。そして、緩やかなテンポの音。
最初の数十秒は調整が必要だ。僕の精神状態を確かめるように、映像と音楽が目まぐるしく変わり、軽い違和感と不協和音が通過していく。しかし、調整の期間は長くない。僕の好みについては十分なデータがある。
現在状況をフィードバックしながら次々と映像と音楽が変化していく。
まるで夢の中のような、繋がりはあるが脈絡のない視覚的な刺激とそれを彩る音楽。次の瞬間には主客が逆転し、音の広がりの中に映像が遠く背景として霞む。視覚で音楽を聴き、聴覚で映像を感じるような混然一体とした浮遊感。
かつて人間の指揮者は、聴衆の反応を見て演奏を変化させたという。
それと同じようにAIは僕の状況をモニタリングし、心理状態に応じて内容をアレンジしていく。
僕が要求したのは、リラックスできる音楽だった。だがAIは単なるリラックスが最善だと判断はしなかったようだ。心を落ち着けつつ、どこか身体の奥から活力が湧き上がるような感覚。それはまさに僕が求めていたものだった。
やがて映像と音楽の流れが変わる。ゆっくりと水から引き上げられるように、僕は現実世界に戻されていった。丁度十五分。あっという間の出来事。
もうちょっと楽しみたかったな。名残惜しさを覚えつつ、曲は終わりを迎えた。
僕はゴーグルを外して現実世界に舞い戻る。
よし。元気が出た。僕は文明の利器に感謝しつつ昼休みを終えた。
―――――
午後は再び受付事務だ。この時間、本来は班長が担当のはずなのだが、技量不足を補うための研修という名目で僕に回された。
午前中の失態を考えると文句も言えない。
だけど研修を名目にするなら、もっと積極的に手助けしてくれたっていいんじゃないか、とは思うのだけど。
三十分ほど待機が続き、僕は少し考えを改め始めた。考えてみれば職員用窓口に来る人の数は決して多くない。連続して対応に困るような羽目に陥ることもないだろう。むしろ一種の休憩だと思えば良いと。
だが、それは極めて甘い読みだった。画面に来庁者のサインが表示される。僕は望月さんを呼び出して受付へと向かった。
=====
来庁者は十七歳の少年だった。その事実に僕は驚く。
限界区域内に未成年がいること自体はさして珍しくない。区域を新規に指定する際にたまたま子どもの居る世帯がいて、なんらかの理由で移住を拒んだ。ただそれだけの話だ。
しかし、この年齢層がAI窓口を選択しないことは珍しい。彼らは生まれたときからAIとの接触に慣れている。むしろ、職員窓口の方に違和感を抱くタイプの方が多いだろう。
僕は情報を検索した。対象が未成年なので閲覧にはかなりの制限が付く。レーティングも実質的な情報はゼロ。もっともその点はやむを得ない。この年齢では行動の選択に一貫性が備わっていないからだ。反応のブレ幅が大き過ぎるため、過去のデータはどのみち頼りにならない。
資料を読み進めるうちに、妙に気になる点があった。
独り住まい。
少年の両親は限界区域から転出済みとなっている。勿論、そういった選択は個人の自由だ。年齢的に成人まで間もないし、申請すれば当然に認められることではある。
そう言ってしまえばそれまでだが、あまり類例の無いケースなのだ。何か理由があるのかと僕は首を捻る。
しかし、その先を調べる時間はなかった。少年が受付に入って来る。
事前準備に使える時間はたった三分。AIであれば来庁者の一生分の経歴だって余裕で検索できるだろうが、生身の身体ではそうもいかない。僕は情報が不足したまま、受付を開始せざるを得なかった。
「こんにちは」
当然と言えば当然なのだが、現れたのはいかにも「少年」という表現が相応しい男の子だった。理知的な印象を与える顔立ち。落ち着いた色遣いの服装が、全体の空気に良く調和している。悪くないセンスだ。少し緊張している様子で、行儀くお辞儀をする。
「お名前を伺ってもいいですか?」
最初に飛び出したその発言を僕と望月さんは訝しむ。僕達の戸惑いを感じた少年は、困ったような口調で付け加えた。
「すみません、慣れていなくて。こういった場所では挨拶をするのが礼儀だと教わっていたんですが、どこか違いましたか?」
成程、そういうことか。僕達は苦笑した。どこかで対人会話のマニュアルでも読んできたのだろう。
「いや、別に間違ってはいないよ」
そういって最初に望月さんが、次いで僕が少年に名前を告げた。
少年は望月さんに目を向ける。
「ひょっとして、なんですが」
「なんだね」
「三年前。ぼくの住んでいる地区が指定を受けた時も、お会いしていませんでしたか?」
望月さんは首を横に振った。
「いや、そんなことはないね。私はその時にはいなかった」
「そうですか? もうちょっと前かな」
「私が前回勤務したのは一年ほど前だ。北関東州での勤務はそれが初めてだから、どちらにしても君には会っていないよ。記録を確認すれば直ぐに分かるだろう?」
「そうですね。すみません」
こういった場所には慣れていなくて。少年はそう繰り返す。
なかなか本題に入ろうとしない彼の雑談を、僕達は辛抱強く聞き続けた。子供なのだから、急かさずに話し出すのを待つべきだという指示を、望月さんもしっかり守ってくれた。
一歩引いて感触を探るような、まどろっこしい会話が続く。やがて五分程の時間が経過した頃。少年は躊躇いがちに来庁の意図を告げた。
「既にご存知だと思うんですが。ぼくは一人暮らしです」
数秒の沈黙の後、少年は話をつづけた。
「実は家族との関係が理由で。お互いに上手くいっていなくて。だからここに残ることを選択したのですが」
少しずつ、小さくなる声。
「やっぱり悩んでいるんです。このままで良いのか」
悩んでいるという言葉には、転居を前提として考えているという心理が見られる。サポートするAIはそう判断した。要するに出来るだけ良い条件で探して、直ぐにでも生活区域への転居を勧めろということだ。
では、と準備を始めた瞬間。少年が口を開いた。
「成人までは今の家に住みたいと思っているんです。ですが将来的にどうすべきか、その考え方だけでも聞いておきたいと思いまして」
話を聞いたAIはあっさりと方針を転換。無理に急ぐ必要は無いので丁寧に話を聞いて、次回に繋げれば良いとのこと。ああ、そうですか。
おそらく、と僕は思う。単純に条件を並べて転居先を探すというだけなら、それこそAI窓口で検索させた方が早い。わざわざ職員窓口に来たということは、知識の吸収よりも不安の解消が主な目的なのだろう。
だとしたら、いかにも人生経験の長そうな望月さんの方が適任だと僕は判断した。人間の感じる安心感は、そういった原始的な感性に大きく左右されるものだ。AIも方針を了承する。珍しく望月さんにある程度のフリーハンドが与えられた。
「私も、君ぐらいの年齢では色々と不安だったよ」
望月さんは落ち着いた笑みをかける。
「しかし、やればなんとかなるものだ。私の時代と違って今では生活の支援が手厚い。思い切ってやってみれば、どうということもないだろう」
少年は頷いてから質問を投げかけた。
「もし引っ越しをするとしたら、どんな場所が良いんでしょうか?」
うーん。なんと答えるべきか。迷う僕達に少年の側がヒントをくれた。
「どこか、個人的にご存じの場所がありますか? お気に入りの町とか」
触発された望月さんが自分の昔を語りだす。
「そうだね。私は昔、新潟に居たことがある。あの雰囲気は好きだったな。もし雪が嫌いでないなら、候補に入れてよいと思う」
望月さんの言葉に少年は好奇心を刺激されたようだった。
「住んでいたのは、ぼくと同じぐらいの年齢だった頃でしょうか」
「似たようなものかな。もうちょっと上か。大学生だったからね」
「ひょっとして国立大学でしょうか。父が、新潟の大学に通っていたという話を聞いたことがあります」
ほう、と望月さんが驚きの表情を見せる。
「そうだよ。偶然だね」
あれ? 僕は漠然とした不安を覚えた。いや、気のせいだろう。多分。
「海が近いんですよね。凄く良い眺めだったとか」
「ああ。建物の上の階からなら、直接見ることも出来たね」
「でも、今では随分と変わってしまったところもあるんでしょうけど」
「それはそうだろう。なにせもう四十年も昔の話だ」
そう言って望月さんは軽く笑った。少年が身を乗り出して訊ねる。
「もしかすると、父と一緒に大学に居たのかも知れませんね。お幾つなんですか」
「私かい? 五十九歳になるな」
「やっぱり! ひょっとしたら、そこで会っていた可能性もありますね」
少年の明るい声と裏腹に、僕の不安が再び高まっていく。
もう一度資料を確認する。
おかしい。少年の父は、新潟の大学になど行っていない。年齢は四十七歳。大学の話は何かの勘違いだとしても、年齢をそこまで間違うのは不自然だ。
だが、少年がそんな嘘をつくことに何の意味がある? AIはそれを単なる事実誤認として扱っていた。人間がその程度の勘違いをすることは珍しくないのだと。
しかし。
僕が抱く違和感をよそに、望月さんは機嫌良く会話を続けていった。
「そうだね。君のような若い人は人間関係に悩むことが多いだろう。最近はそういった経験を積む場所が無いから尚更だ。その点は、私などの若い頃とは随分と違っていると思うね。どうしても少しのことで挫折しやすくなる」
自慢めいた響きが混ざり始めた話を、少年はにこにこと笑いながら聞いている。
「友人も、家族も。お互いに理解し合うための努力が必要なんだ。それによって人と人との繋がりが生まれる。絆というのかな。今では古くさいと思われるかも知れないが、君たちの世代もそれを大切にするべきなんだと思う」
ありがちな昔話。「絆」。この世代の人間が大好きなフレーズ。僕達世代からすると、白々しく響く言葉でもある。
自分たちの過去を過大評価する傾向は変わらぬ人間の通弊なのかな、などと僕は皮肉な感想を抱く。
それはともかく、望月さんの語りは徐々に望ましいラインから外れているようだった。しかしながら、少年はむしろそれを歓迎するように、大げさに相槌を打ちながらその話を聞いている。
どうしたものかと僕は悩む。精神的なケアというものは、本人が納得するのであれば中身は何でも良い。
この独演会で少年の気が晴れるなら、それはそれで問題は無い。
先ほどの不安と、状況に大きな問題は無いとするAIの評価値。その狭間で、またしても僕は決断を下せないまま事態を放置してしまった。
「だから君も思い切ってやってみればいい。大丈夫。やってみれば、案外と上手くいく」
中身が有るのか無いのか良く分からない話を、ともあれ気分よく語り終えた望月さんに対し、少年ははにかんで応じる。
「わかりました。頑張ってみます」
うんうんと頷き返す望月さんに対し、少年は尊敬の念を含んだ視線を返した。
「羨ましいです。そんな風に家族の関係を築いていけるのは。ぼくには、そういったものが欠けていますから」
そして、全く悪意を感じさせない口調で言った。
「ご家族はどんな方たちなんでしょうか。お子さんはいらっしゃいますか? 丁度、ぼくと同じぐらいの年齢だと思いますけど」
望月さんが言葉に詰まる。少年はにこやかな表情を変えない。
「絆を大事にされていたということなので、配偶者の方とも素晴らしい関係を持たれていたと思います。……ですけど」
少年は望月さんの顔を見上げる。
「それは一回目の方ですか? それとも二回目? どちらの方も会わなくなって長いようですけど、まだ心は繋がっているのでしょうね。ああでも、二回目の方とは長いこと裁判で争ったようですので。最初の方についての話なのかな」
凍り付いたように動きを止める望月さんに、少年は軽く手を横に振る。
「いえいえ。結婚の回数なんてどうでもいいことなんです。でも、一回目の方に対してもかなり辛辣な意見をお持ちですよね。他のパートナーを選択されてしまうというのは屈辱的なことでもありますから、仕方ないとぼくも思います。子供もそちらに行ってしまったようですし。ええ。傷つくのも無理はありません」
流石に僕も驚く。望月さんに離婚歴があることは僕も知っていた。しかしそんな詳細に関する知識は無い。
そもそも、入手自体が困難だ。一般のイメージとは違い、公務員の検索権限はそれなりに制約がかけられている。
「もっとも、あなただってその頃は足繁くピュア・コネクションという店に通っていたようですけど。余程楽しかったんですかね。僕にはあまり良く分からないのですが。ええ。交差点からから店を見上げるあなたの顔が目に浮かぶようですよ」
望月さんの顔面は蒼白だった。
「ああ、なんだ。二番目の方はここで知り合ったんですか。そうなると」
次の瞬間。一言も発しないまま、望月さんは受付から退出した。
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