第2話
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限界区域対策課の仕事は幅広い。
新規指定区域の選定と居住者への説得。移転先の斡旋に補償の認定。既に限界区域に指定された地区の管理。残留者の状況確認と地区の不法滞在防止などなど。
北関東州の限界区域は日々広がっているのに、課の正規職員は15人だけだ。
だけ、と聞くと違和感を抱く人も多いだろう。むしろ、なぜそんな多数が配属されているのかと疑問を持つに違いない。実のところ、僕も最初はそう思っていた。
だがこの職場は一般の業務よりも遥かに多く職員の作業を要求するのだ。その主な理由は、業務の主たる対象が高齢者。しかも、あえて辺鄙な地域に住み続けようとする変人―――公務員として適切な表現を使えば、独特の主張を持つ住民が多いことに起因する。
世代間のギャップという要素も重なり、居住者の意図や希望を理解すること自体が難しいという例も少なくなかった。特に経験が不足していた新人の時期、僕はそれで非常に苦労することになる。
「あなた達は、わたしの話を聞いているの?」
ボルテージを上げ始めた女性に対し、僕は精一杯誠実そうな顔をして見せた。はい、ご希望は伺っています。
そして提示された条件ではこれが最善の場所となります、と。
「最善、とはどういう意味かしら」
僕の言葉尻を捕らえた彼女が冷たく睨む。
「どうやって、あなたはそれを判断したのかしら?」
そんなことを言われても。
僕が応対をしていたのは、それなりに年配の女性だった。高齢者と評するには少し早い。七十五歳にはまだ数年ある。
彼女は限界区域の継続居住者だ。長年の交渉の末やっと住居の移転について同意を得ることが出来たため、州としては早々に生活区域に転居して貰いたい。しかし、この女性は転居先に一つの条件を付けていた。
綺麗な花が見ることの出来る場所を探して欲しい。
可能な限り緑の多い雰囲気の中で。
移転に際し、居住者が要望を出すのはごく普通のことだ。付け加えておくが、僕達だって出来るだけ希望に沿った物件を用意しようと努力する。不満のせいで後々に面倒を抱えるよりも、トラブル無く円満解決した方がずっと良い。どうせ保有する空き家は山程あるのだ。どれでも良いから持って行って欲しいというのが本音。
言葉だけ聞けばそう難しい内容ではない。早々に移転先が決まるだろうという目論見はしかし見事に外れ、北関東州は彼女の希望を満たすことが出来ないままに半年近い日々を空費している。
繰り返しになるが、ちゃんと要望には応えようとしているのだ。僕自身、今回提示した内容に問題があるとは思えなかった。有名な桜並木の近くや大きな公園に近い家など、提示された条件を満たした物件ばかりだ。
だがこの女性は今回も首を横に振った。
「あなた達がきちんと探したとは思えないわ。私の希望を聞く気は全くないようね」
勘弁して欲しい。これまで彼女に提示した物件は、詳細な説明を行ったものだけで五十件を超えている。だが、そのことごとくが気に入らないとの理由で拒絶されてしまった。
課内では、この女性には最初から移転する気など無く、嫌がらせのために交渉に応じる振りをしただけだとの声もあるほどだ。
最初は僕も「そういった決めつけは良くない」などという甘い感想を抱いたものであるが、こうも進展の無い話し合いを延々と続けていると、いい加減その意見に賛同したくなってくる。
「では、もう一度希望をお聞かせください!」
僕と一緒に窓口を担当していた望月さんが、とても丁寧とは表現できない口調で言った。その態度が彼女を更に苛立たせる。
「一体何度言ったと思っているの。わたしは、あなた方にちゃんと探せと言っているのよ」
「指定された条件はきちんと満たしています! これで問題があると言うなら、その原因はそちらにあるんじゃないですか?」
感情の昂ぶりを押さえられなくなったのか、望月さんの口調は更にきつくなり、そして言うべきでない一言まで付け加えてしまう。
「大体、話が矛盾している。自然に包まれていたいなら、市街地よりも限界区域の中の方が適しているに決まってる。そんなに文明がお嫌いなら、ずっと山の中で引きこもっていればいいんじゃないですか?」
進まない話し合いと全くこちらの意見を聞いてくれない女性。腹の立つ気持ちは分かる。
しかしそれは、僕達の立場からすれば絶対に言ってはいけない台詞だった。
警告。
「今のはアウトだ。代われ」
鋭い叱責の声は、静止し損ねた僕に対しても向けられていた。望月さんを強引に退席させて、班長が場に割り込む。
「大変失礼いたしました。謝罪します」
しかしながら、当然それは手遅れだった。決して取り返せない十数秒。
女性は、それはそれは冷たい声を僕達に浴びかけた。
「今の発言は、どういう意味かしら」
言葉に詰まる僕を尻目に、班長は淀みなく謝罪を続けた。
「私の教育不足です。ご無礼については、大変申し訳ございませんでした」
「あなたの責任、ということね」
「はい。指導については私が担当しております。申し訳ございません」
流石ベテラン。言葉の中身には全く意味が無く、しかも巧みに責任回避までしているのだが、それでも謝罪めいた雰囲気を醸し出している。こういった場面で黙り込まずに会話を続けるというのは結構な熟練を必要とするんだな、などと僕は頭の片隅で考える。
多分、現実逃避をしていたのだろう。
「わたしは行政に協力して、立ち退きに応じる意向を示したのだけど」
「ありがとうございます。大変に感謝しております」
女性は班長の台詞を完全に無視した。
「北関東州は私を限界区域に居住させ続けたい、そういうことかしら」
「いえ、そういった意図は全くございません。申し訳ありません」
卑屈にならないレベルで、しかしひたすら謝罪を続ける班長。うーん、やっぱりこれは簡単には真似出来そうにない。
「あなたが教育担当ということなら、もう少しマシな接遇をお願いしたいのだけど」
「おっしゃる通りです」
話は長くなりそうだ。僕は神妙な顔をしながら俯き、対応を全て班長に丸投げすることにした。教育担当であるのは本当なのだから、実地でこういった場面の謝罪方法を勉強させてもらおう。うん、そうしよう。
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