レンギョウのせい


 ~ 二月十二日(火) 3.3 対 2.5 ~


   レンギョウの花言葉 遠い記憶



 ――それは、白い魔法なの。



 地面が真白なスポンジで覆われると。

 遠くの景色が遠くなって。

 近くの景色がとっても近くなる。



 遠くの景色は手品みたい。

 目を凝らしても、タネが分からない。


 レンギョウの小枝が。

 ワン・ツー・スリーで雪を落としたのに。


 ぱっと消えて。

 代わりに、光の粒が空を舞う。



 近くの景色は顕微鏡。


 光の粒がひとつ近付いて。

 あたしのコートにしがみつくと。


 その子がよいしょと掴まるおててまで。

 くっきりはっきり良く見える。



 そして。


 地面が白いスポンジで覆われると。

 遠くの音が遠くなって。

 近くの音がとっても近くなる。



 だから、唇のすぐそばでつぶやいたごめんなさいが。

 この人には届かなくて。

 何度話しても届かなくて。


 あたしの耳には。

 こんなに胸が痛くなるほど。

 大きく聞こえているのに。




 目の前に浮かぶピンクの便せんは。

 積極的で一途な右手と。

 気持ちを察してくれた左手のせめぎあい。


 直接伝えてもだめなら。

 声が届かないのなら。


 気持ちが伝わる不思議な絵を紙に描いて。

 それを見せようとしてくれて。


 便せんの、ほんの奥。

 節のくっきりとした右の中指。


 その関節がいつもより少しだけ白いことが。

 絵筆を握っていた長い時間を。

 想いをぎゅうって握りしめたことを教えてくれる。


 丁寧に磨かれた爪。

 一度張り付けたのに、もいちど剥がした手紙の封。


 嬉しくない、なんてはずはない。

 でも嬉しいとだけは、言ってはいけない。



 宝石の粒は、また風に乗って。

 子猫大橋をキラキラ色に塗りつけるけど。


 どうしたらいいか分からないあたしの目は。

 近くに半分だけ浮かんだ。

 透明の宝石しか見つめられないの。


 ……そのため息を。

 耳にするのは三回目。


 何度聞いても。

 分かったよと。

 あたしにはそうとしか聞こえないのに。


 女の子のように長いまつげが。

 きっと寂しそうに俯いている。


 そんな気持ちに何度もさせてしまうことが。

 ちゃんと伝わらないことが。



 あたしには。

 一番つらい。



「…………ようやく、約束した場所へ来てくれたと思ったから、嬉しかったんだ」


 違うの。

 あの日のことは、偶然なの。


「君の気持ちは分かる。でも、僕の気持ちも分かって欲しい」


 分かるの。

 だからこんなに辛いの。


「このまま学校を卒業して、そして忘れていくのだろうと思っていた。でも、あそこで会ってしまったことで、俺の背中は運命の女神に押されたんだ」


 彼は、あたしの耳と心が痛くないように気遣いながら。

 白い息さえ頬の周りだけに纏わせて。

 静かに言葉を紡いでくれる。



 優しい。

 でも、違うの。

 だから、こんなに辛いの。



 いっそ、あなたが優しくない方が。

 あたしにとっては優しい人なの。



「これからも、君のためにいつも力になってあげたい。……それを教えてくれたのは、君だから」


 そう言いながらポケットから出したもの。

 見紛うはずもない。

 それは、あたしからのプレゼント。


 ああ、それが始まりなのね。

 ちょっとだけ救われた。

 それなら、嫌われようがある。


 ……いいえ。

 酷いな、あたしは。


 これで彼は。

 救われることが無くなったというのに。


「僕は、これを貰ったから嬉しかったんじゃないんだ。僕のわがままを聞いてくれた、君の優しさに心を揺さぶられたんだ」


 違うの。


「君があんなに喜んでいたバンのミニカー。それを僕にくれたなんて」


 違うの。


「僕のために。十数年越しになったけど……、ありがとう」

「ごめんなさい。違うの」

「え?」



 何度も、何度も口にして。

 ようやく届いてくれたあたしの言葉。


 彼が止まってくれた今のうちに。

 ほんとのことを言わないと。


 ……それが、彼をどれほど傷つけてしまうか。

 分かっているけれど。


 でも、言わないと。

 もっと傷つけてしまうことになる。


「そのミニカーを近藤君にあげたのは……」


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