海へ、行こう・後編

 同じ頃、蒔乃が何をしていたかというと、音乃たちとほぼ反対側の海の家で、味に気を遣わない代わりに量はそこそこ多いめの食事を済ませたところだった。

 そして、


 「あー、食った食ったー」

 「食べ過ぎで泳げないんじゃないのー?」

 「そーいうおめーこそどうなんだ、このぷっくりしたお腹は」

 「…ふふ、あなたとの愛の結晶よ…?」


 …などという、高校生としては少々際どい冗談を目の当たりにして、少し顔を赤らめていた。

 まあそういう関係があっても不思議ではないにせよ、今の蒔乃には少し考え込むところのある雰囲気の二人組もいないではない。


 「…あー、あたしさ、三時におねーちゃんと合流しないといけないから…」

 「大丈夫大丈夫、分かってるから」


 なにを?と思う間も無く、佐倉兄妹を除く四人は立ち上がると二人組に別れて、んじゃーまた後でー、などと言いながら、それぞれに立ち去っていった。


 「午後は別々に遊ぼう、って話になってたんだ。だから樫宮さんは俺たちと…」

 「あ、忘れ物忘れもの~」

 「え?」


 …見ると、ひと組が戻ってきて遊理を挟み、その両腕をとって椅子から引きずりおろしていた。


 「え?あの、わたしは兄いと一緒に…」

 「いやいや。リュウもそろそろシスコン卒業しないと。だからユーリはうちらと一緒にいこうか?」

 「そういうこと。リコ、そっちはいーか?」

 「オーケー。さ、いこっか?」

 「え?ええ?ちょっ、ちょっとリコパイ?兄いはわたしがいないと…ちょっとー?!あ、兄い助けて!可愛い妹の危機だよーっ?!」

 「はいはい、野暮はなしにしとこーぜ?んじゃな、二人ともごゆっくり~」

 「ちょっと────っ?!」


 連れ去られていく妹を見て隆之介は、苦笑しながら手を振っていた。

 蒔乃もやや呆然と、あるいは展開についていけずにあんぐりと口を開けてそんな光景を見守っていたが、遊理の喚く声が聞こえなくなると向き直った正面の隆之介に声をかけられて、我に返る。


 「…悪い、賑やかな連中で」

 「…あー、うん。賑やかなのは好きだからいいけど。でも妹さんいいの?」

 「いいよいいよ。あ、けど俺がシスコンとかいうのは根も葉もないウソだからな?」

 「分かってるって。でも、遊理ちゃんはかわいいでしょ。あんな子に懐かれたらシスコンになっても仕方ないんじゃない?」


 からかうような調子で軽く言ったのだが、隆之介は殊の外真面目な顔で少し考え込む様子を見せる。

 一団が去って、空いた皿を片付けにきた店員の手際を見つめながら、蒔乃はそれから何を話し始めるか、待った。


 「…うちさ、俺の上にもう一人兄貴がいて、どっちかっつーと遊理もそっちに懐いてたんだよな。今年の春に進学で家を出てさ、そしたらお鉢がこっちに回ってきた、って感じ。だからまあ、兄離れするにはちょうどいい時期だと思うんだよな」


 下げた皿の代わりに置いて行かれた冷水のグラスを一口あおってから、隆之介はそう嘆息するように言った。


 「…遊理ちゃん、中三だっけ?」

 「うん。けどあいつが心配なのはなあ…俺や兄貴絡みの交友関係ばっかで、自分だけの友だちってのがあんまいないんだ」

 「なるほどー…」


 ちょうど涼しい風が通り抜けたところで、蒔乃は借り物のバスタオルを羽織った肩を、少し震わせた。


 「…もしかして寒い?」

 「ううん、大丈夫。でも…遊理ちゃんがそうなったのって、やっぱりお兄さん二人が構い過ぎだったからなんじゃないかなー、って…あー、ごめん。あたしが口出しすることでもないよね」

 「いや、いいよ。言われてみれば確かにそうかもしれないし。兄貴にも連絡してちょっと接し方考えてみるよ」

 「うん。それがいいと思うよ」


 余計なことを言ったかもしれない、と後悔はあったが、隆之介は素直に蒔乃の提言を聞き入れ、少し考える様子はあったが、外の海に向けた視線をやおら蒔乃に替えて、こんなことを言った。


 「…そういやお姉さん、キレイだったな」

 「………」


 おい。今おまえが目の前にしている女の子はどーでもいいんかい。


 そんな意がこもってしまったのか、我ながら物騒な目付きで見返してしまう。


 「そ、そんな怖い顔しなくてもいーだろ?!…ちょっと話題に困ったから言っただけじゃん…」


 そして気圧されてか、腰を浮かせかけた隆之介は、蒔乃のため息に流石に反省すべきところだと思ってか、ごめん、と呟きながらもとの姿勢に戻った。


 「…いーけど。でもやっぱり男の子って、あーいう感じの女のひとの方が好きなのかなー、って思った」

 「それは人それぞれだと思うけど。でも綺麗だと思ったのは事実だぞ?」

 「分かってるって。別にイヤらしい意味だなんて思ってないから…でも、もう一人の方には何の感想もないの?」


 蒔乃としては、姉がそういう眼でみられることになんとなくイラッとするものを覚えつつ、そういえばターナのことは全然話題に上らないな、と思い、軽く訊いてみたのだが。


 「…もう一人?いたっけ……って、あ、ああそういえばなんか…なんだっけ?」

 「…?」


 隆之介の記憶にターナのことが印象に残っていない、ということを訝しく思う。

 そういえば他の五人も、音乃のことをあれやこれや気にする風ではあったが、誰もその傍らにいた銀髪の美少女のことを口にしてなかったのだ。


 (どーいうことだろ?目立つ、ってことなら例え音乃ちゃんがどんなに美人であったとしても…ターナの方が日本人的には目を惹くと思うんだけど…)


 ましてや、妹からしてみれば別にどーってことのない、ぐーたらしたところならイヤと言う程知ってる姉である。それに比べて、あのターナが目立たない…?

 そんなバカな、と思わずにはいられない。


 (ま、だからと言って何がどーなるもんでもないけどねー…)


 そう、気にはなるが、だからどーした、という問題ではあったから、特に気にもせずに、海の家のメニューにチラと目を向ける。

 なんとなく、体が温まるものが欲しくなっていた。


 「お茶でも頼もうか?」

 「え?あー、うん、そうだね。ちょっと…」

 「待ってな」


 気の利く男の子だなー、と立って厨房脇のレジに向かう背中を見送った。

 乾いたバスタオルが肩から背中にかかる感触が心地よく、ついタオルを鼻まで引き上げて、乾いた洗濯物の香りを堪能してしまう。そういえば遊理に借りたタオルだったから、隆之介の家のものではあるのだ。


 「………いやいや。なに考えてんの、あたしってば」


 そんなことを思いだし、両手に湯飲みを持ってこちらに向かってくる少年の顔と、鼻先に留まったタオルの香りを比較してしまった自分が、なんだか恥ずかしくなる。


 「ほい、お待たせ。唇青くなってきてるし、何か上に着るもの貸そうか?」

 「あ、いやいや、大丈夫だから。っていうかうちのアホ姉に荷物持たせたのが失敗だった」


 早速熱くなってる湯飲みを両手で抱えるように持ち、熱い茶をすする。だいぶ濃いめの、ほうじ茶だった。


 「…そっか、樫宮さんも立場的には妹だもんな。うちの妹の気持ちが分かっても不思議じゃないのか」

 「え?…って、あー、さっきの話ね。でも妹って言ったって…姉と兄じゃ大分違うよ。遊理ちゃんがおにーさんを見る目と、あたしが音乃ちゃ…おねーちゃんのことを見る目だって違うしさ」

 「そうかなあ。頼り甲斐のある年長者、っつー意味なら同じようなものだと思うけどな」


 あの音乃ちゃんが、頼り甲斐のある姉、ねえ?


 うーん、と考え込んでしまった蒔乃を、隆之介も何を言い出すのか、と茶をすすりながら、待ち構えていた。


 「…頼り甲斐があるかどーかはともかく、変わったかなー、とは思うんだけどね、東京に行って」

 「大学生?今、何してるん?」

 「何してるのやら、ってそれはこっちが聞きたい。けどね、前はすんごい格好良かったんだから。スピードスケートの選手だったんだけどね…」


 何故そんな話をする気になったのか。

 ともかく蒔乃は、大けがをするまでは音乃がどれだけ周囲から期待される選手だったのか、そんなことを意にも解さず飄々としていた姿にどれほど憧れていたか、本人が聞いていたら真っ赤な顔をして「頼むからやめて…」と懇願しそうな勢いで、隆之介に語った。


 「…で、ケガした後は…なんだかあっちこっちとケンカして、スケートやめちゃって。それでただのボケボケな姉になって、いつの間にか大学行って。あたしは前の姿に戻って欲しくて、親との間とりもったりいろいろしてたのに…いつの間にかさ、立ち直って、いーひと見つけて、なんかあり得ないくらい可愛くなって。あたしは一体何やってたんだろー…ってさ。そりゃ音乃ちゃんの人生なんだから、音乃ちゃんが決めて、動いて、それでいいのは分かるんだけど…」


 手に持っていた湯飲みがすっかり冷めてしまってたことで、随分長い時間一人語りしていたことに、気付く。

 気がつけば涙がこぼれる寸前になっていて、自分どんなにあのぼけーっとした姉に感情移入してんだろ、と呆れる。

 ふと見ると、隆之介は少し心配そうな顔ではあった。ただし、顔を上げた蒔乃と目が合うと、慌ててそらしたところを見ると、何か自分の感情を察せられてしまったのかも、と諦めた気分になった。


 「あはは…ごめん、勝手に喋って。よく分かんないけど、八つ当たりしたかっただけかも。忘れてよ」


 であったから、とにかく誤魔化すように手をパタパタ振って、ほとんど空になっていた湯飲みを一息であおる。不思議と温いほうじ茶が、美味しく感じられた。


 そのまま二人は、何ごともなかったかのように海を眺める。

 蒔乃からすれば、年に一回見るか見ないかの光景であるから、見飽きることなどない。

 けれど地元の隆之介にしてみれば、こうしてただ海を見ているだけの自分に付き合っているのも、ひどく退屈なことだろう。

 そう思って、蒔乃は海に泳ぎに行こうか、と誘おうとした時だった。


 「…俺は、兄って立場であると同時に、弟っつー立場でもあってさ」


 前振りなしに、微動もせず語り出した言葉は、人いきれの中の雑音のようにも一瞬思えた。

 確かめるために隆之介の横顔を見る。真剣で、不器用そうな顔だ。少なくとも、世の中を大過なく渡り歩けるような少年には見えない。

 散々遠回りした上に周囲をひっかき回して、今どうにかこうにか自分の人生の正道を見つけてほっとしてる姉に、どことなく似た印象を覚える。


 「……」


 だから頬杖をついてその顔に見入ると、蒔乃の視線に気付いてか、居心地悪そうに身じろぎしていた。

 話の邪魔をしてしまったかな、と蒔乃が思ううちに、それでも少年は意を決したように眼に力を溜め、その勢いを借りて、言い難きを口にしようとする、ように蒔乃には思えた。


 「…上には先に行かれ、下には追いつかれ、ってどっちの気持ちも分かる…っていうか、そういう中途半端な気分でイライラすることが多いわけ。俺の兄貴はまあ、樫宮さんの姉さんほどじゃないにしても、親戚ん中じゃ優秀だってんで持て囃されてさ。遊理は…末っ子で女の子だから、兄貴とはあんま比較されなくて、…って」


 そこで言葉を切って、こちらを横目で見る視線と、蒔乃のそれが交わる。


 「聞かせてよ」

 「…言い出したの俺だし、仕方ないか」


 そこまで語るつもりはなかった…とでも言いたげに苦笑はしてみせたものの、それでも蒔乃の興味深そうな顔には逆らえなかったのか、言葉を選びながら、話を再開する。


 「まー、それでさ。俺も大概ガキだったもんだからさ。成績の良い兄貴にはかなわんと思ったんで、体使う方なら、って思って。水泳は、泳ぐの好きってのもあったけど、実は先に遊理の方が始めてたんだよな、っても小学生向けのスイミングスクールだったけど。今思うと妹が先にやってたのを取り上げるような真似して、ろくでもないガキだったよなあ…」

 「でも結構いいとこまでいってるんじゃないの?」

 「なんで分かる?」

 「ちょっとしか見てないけど、泳ぐの好きそうで、実際きれーな泳ぎ方するなあ、って思ったし。素人が何言ってんだ、って思うかもしれないけどさ、好きでやってて、それで上に昇ってくひとって、うちの姉見てたからなんとなく、分かる」

 「そっか。それなら素直に受け取っとくよ。で、一緒に水泳するようになって、遊理は競技にまでは踏み込まなかったから、俺一人だけ続けてさ。面白くてやってるから別に構わないんだけど、肝心の遊理の奴はまあ、趣味でやってるだけだしさあ…。そんで、この春に兄貴が家を出てった途端に、今度は俺にべったりになって、もうわけがわからん」


 まあね、と蒔乃は思う。

 遊理が兄の隆之介につきまとう様子というのは、なんだか蒔乃にも告げずに音乃が家を出ていった時からの、自分をどことなく思い起こさせるものだ。

 心配はしていたけれど、結局それは誰のための心配だったのか。

 いろいろなものが解決して、変わっていくことを実感出来ている今なら、なんとなく分かる。自分は心配していたのじゃなく、これまでずっとかなわないと思っていた姉が、挫折したところを見てなんとなく、胸のすく思いがしてたんだ、と。我ながら救いようのない下卑た感情ではあったけど。


 「…でもさ、妹にとって年長の兄弟、それも二人の兄のどっちも出来がいいとなると、それはコンプレックス抱いたりするもんだよ。あたしだってすっごい引け目覚えてたし。だからさ、遊理ちゃんが隆之介…くんのこととか、お兄さんのこととか…あー、隆之介…も、お兄さんにちょっと素直に接すること出来ないのって、こー、いわゆる一つの、ブラコン、ってやつなんじゃないのかな」

 「なんだよ、それじゃ俺がブラコンってことになんのかよ。気色悪いこと言うな」

 「そーしてムキになるとこなんか、まさにそうだと思うよ?」

 「へっ、だったら樫宮だってシスコンじゃねーか。美人でスポーツも出来る立派な姉が実は大好きなくせして、素直になれないようにしか見えなかったもんな、さっきのやりとりなんか」

 「くっ……あーそーですよ音乃ちゃんに勝てるトコなんか何一つ無い不肖の妹ですからねー、あたしはっ!だったらどーだってのよ!妹にしなだれかかられてにへら~ってしてたブラコン兼シスコンの多重債務者はっ!」

 「意味のわからん罵倒すんじゃねーよ!大体遊理にひっつかれて困ってるのはこっちなんだよっ!」

 「それ言う?妹の立場のあたしにそーいうこと言う?!」

 「おー、とうとうシスコン認めやがったなこの跳ねっ返りは!」

 「あたしが跳ねっ返りだったらあんたは何なのよこの…」


 「おきゃくさまー?見世物としては大変楽しいんですけれど、他のお休み中のお客さまもいらっしゃいますので、ご遠慮願えますでしょうかぁ?」


 「あ…」

 「げっ…」


 いつの間にか立ち上がってヒートアップしていた二人に、冷水を浴びせるような、海の家の店員の声がかけられる。

 ただしその実、間違い無く面白がっている様子ではあったから、それを抑えるがために必要以上に冷たい声色を保っていた、という具合か。

 ダシにされた他の客にしても、迷惑がるというよりは稚く罪の無い痴話ゲンカを微笑ましく見守っていたと、そんな感じなのだろう。


 「え…あの、その…ごめんなさい」

 「…すませんした」


 だからか細い声で謝罪する二人にはバツの悪い思いしかなく、店員が去るや否や互いを上目遣いで睨むと、「ふんっ!」と双方鼻息も荒く席につくのだった。


 もっとも角の突き合いはそこまでで、それからは特に気まずいこともなく、店への詫び代わりに二人分を買ったラムネの瓶を手の中で弄びながら、特に会話も無く海を眺めていた。

 ただし蒔乃は、三時頃に音乃とターナと合流するという約束があったから、なんとなくこのまま無為に過ごすことを勿体なく感じて、会話の切っ掛けをつかもうと、時折視線をそちこちに漂わせていたりしたのだが、隆之介の方は意にも解さぬ様子でいて、また蒔乃にむかっ腹を立たせるのかと思われた、時だった。


 「……明日、さ」

 「……え?」


 思わず、その横顔を見つめる。

 無骨が無愛想を着込んだような顔つきだったが、視線の先はうろうろと中空を漂っているように見える。

 そんな隆之介の姿にかえって蒔乃は落ち着きを取り戻し、何を言うか待ち構えていると、やっぱり蒔乃から顔を逸らしたまま、こんなことを言うのだった。


 「…明日、時間あったらさ。どっか遊びにいかねーか?二人で」



   ・・・・・



 翌日の午前中はまた海でひと泳ぎし、着替えて昼食をとったところで音乃とターナは、どこへ行こうかと相談することが目的のような会話をしている。

 海の家ではなく、浜から少し離れた、しかし海を一望出来る明るい洋食屋のような店は、存外穴場的存在なのか、地元の若者と思われる慣れた風な客が多めで、音乃たちのように県外からの海水浴客は少ないようだった。

 もちろんこの店の存在は、昨晩快く宿を提供してくれた岩村有夏の紹介によるもので、店主も知人とのことだったから、一品おまけなどもしてもらって心地よい疲れを楽しむ余裕をもって、テラスの一席を占領している。


 「何がおかしいって、夏穂ちゃんがターナのことを『おとうさん』って言い出したのが傑作だったよねー」

 「…うるさいな、バカ音乃。言われる身にもなってみろ。そんな勘違いされたままでいたら、別れる時に大変なことになるぞ?」


 そんなこともあった。

 蒔乃が実家から持ち込んできた大量の野菜と共に訪れた岩村家では、話だけは聞いていた夏穂と初対面をした音乃が、ターナと並んでいるところを何やら敵意を以て迎えられて困惑する、という場面があったのだ。

 その夏穂をたしなめながら…もちろん母親の前であったから控え目に、ではあったが…事情を聞いたターナの顔を青くさせたのが、夏穂の「たーな、おとーさん?」という、罪の無い一言だったのだ。


 音乃も蒔乃も、その場ですぐに口を手で押さえて玄関から脱出し、外で大爆笑するのを、憮然とした顔で耐えていたターナを見て夏穂がなんだか満足げでいたのは、初めて顔を合わせた遠慮を、それだけで取り払ってしまった出来事だったと言えた。


 その晩は有夏も仕事を休み、来客が珍しいということで音乃も蒔乃も歓迎され、翌日は二人ともそのまま辞去してこちらで遊び、今日中にそれぞれに帰る場所へ戻る、という予定になっている。

 …のだったが。


 「マキノは結局誰と何処へ行くか、言っていたのか?」

 「ううん。でも昨日一緒に遊んでた子たちとなんじゃないかな。なんか随分意気投合してたみたいで、昨晩も電話してたし」

 「ふーん。姉と違ってまた随分社交的なことだな」


 笑われたことをまだ根に持っているのか、少し演技じみた口調で皮肉るターナだった。


 「私はさ、まずターナがいることが最重要なので。あ、それより近くに水族館あるみたいだけど。行ってみない?」


 拗ねたような物言いを軽く流されて拍子抜けしたが、自分が最重要と言われて悪い気はしない。

 ターナも機嫌を直して、音乃の見せてきたスマホを覗き込む。


 「水族館…か」

 「行ったことないでしょ?っていうか私も二、三回くらいしか言ったことないけど。海無し県民なので」


 そんな自慢することでもないことを自慢げに言う音乃に少し呆れながらも、ターナはひどく感慨深く音乃の言葉を否定する。


 「行ったことは…無いことも無いけどな」

 「え?意外…ターナって東京の外に出たことないと思ってた」

 「いや、東京…どころか池袋にあるぞ?水族館」

 「池袋に…?って、ああ、あれか。サンシャイン水族館、だっけ?」


 思い出して納得する音乃。

 なるほど確かに、ターナの行動範囲内ではある。ただ…。


 「似合わない、と言いたいんだろう?」

 「…ん、まあね。私と出会う前のターナが水族館って言ったって…ごめんだけど、違和感あるなー」

 「無理も無い。別に客として入ったわけじゃないしな」

 「どゆこと?」


 それは音乃の知らないターナの姿のことだ。

 そんな話の予兆を嗅ぎ取って俄に身を乗り出す音乃に、ターナは懐かしむような顔と口調で、言う。


 「…そうだな。つまらない話にはなると思うが…音乃には聞かせておきたい話ではあるな」


 椅子の背もたれに大きく体を預け、木製のそれをギシリと鳴らしてから、ターナは語り始めた。


 「異界の門を越えてきてからのことを、話そう」

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