第54話
新潟県新潟市。
本州の日本海側では唯一の政令指定都市ではあるが、近年人口の減少も激しく、ターナの目から見ても見慣れた新宿はもとより下北沢に比べても人の動きは緩やかで、駅前も歩くのに困難は覚えない。
それだけに立ち止まってその様子を伺っていても邪魔になるようなことはなく、特に下調べをしてはこなかったターナにとっては助かる話ではあった。
(…外国人が珍しい、というわけでもないのか)
駅前のバスストップにあるベンチに腰掛け、通りすがる人々の認識をそっと探る。
いかにも日本人、という外見のマリャシェの身姿を求めてもなかなか捗るものはないが、もう一人の探し人となると、外見は明らかに日本人と異なるだろうから、ざっと調べただけでも目撃したという認識は二つ三つ、探ることは出来ていた。
ただ、それ以上のものは得られず、見境無く耳目を集める、という程のものは無いようである。
(あいつ、日本にいるにしても…わたしのように自分から門を越えたのか、それとも…)
親しくはないが見知った顔ではある彼女の容姿を思い起こす。最後に会ったのはもう二年近く前のことで、ちょうど自分と同年代、成長期の少女のことだから、外見が変わっていてもおかしくはない。
それでも、その印象的な気の強そうな容貌は変わっていないだろうと思うと、意見の合わない諍いをした思い出しかないが、再会が楽しみでなくも無い。
ヴィリヤリュド・シュリーズェリュス・リュリェシクァ。
竜の娘の長女家、リュリェシクァの次女にあたる。ターナと同じ世代の、当代の竜の娘だ。
戦闘能力においては最強のリュリェシクァである。次女といってもその素質においてはターナと比べるべくもない。加えて戦技の研鑽は怠らなかったと聞くから、手合わせしたことはないものの、仮に敵として対峙した場合…ターナは逃げるしかないだろう。
(そんな場面は無いことを祈るが。さて、マリャシェとシュリーズェリュス、どちらを探すにしても…時間が経ちすぎているからな。腰を据えてやるしか、ないか)
覚悟という程固いものではない。ただそれでも、暑さに参った体を蹴飛ばす効果くらいはありそうな、決意に似たようなものを自身の内に再確認すると、ターナは身の回りのものを一つにまとめたバッグを肩に、日の傾き始めた街の中に入っていった。
それを察知したのは、マリャシェが異世界統合の意思に囚われた日の翌々日のことだった。
マリャシェを追うために新宿の事務所で身辺の整理を進めていたターナは、ちょうど敏感な人が微弱な地震を感じた時のような違和感を覚える。それは自分が日本にやってきた時に感じたものと少なからず似たもので、ただマリャシェの時にはそれを感じなかったことで「まさか?」と思うところはあったが、念のために異界の門を感じる場所に近付いて、誰かがひとの「認識を換えた」痕跡を探ってみたのだった。
結果は、間違い無く、あった。
それも、東京スカイツリーから飛び降りたところを、それと認知されないようにした、というとんでもなく馬鹿げた行為だった。
そんな真似が出来るのは、恐らくはリュリェシクァの者か。そうでなくとも、例えば次女家であればその長女あたりの者でなければ、出来るものではない。
ターナの知る竜の娘の中で、そんなことが出来てかつ異界の門を越えて来そうな娘は一人しかいない。まさか当代の竜の娘の中でも最上位であるグリュームネァが異界の門を越えてくる、などとは常識の枠を十重二十重越えたとしても、あり得まい。
そして認識を換えた痕跡と、シュリーズェリュスへの人々の認識を辿っていったら、東京から新潟行きの新幹線に乗っていたことまでは分かった。
だから、手がかりとしてはそれだけである。シュリーズェリュスに同行していた当地の者、という存在が気にならなくはないが、今のところは当人を追った方が確実だろう…。
(とは思っていたんだがな…簡単にいくものじゃないな)
認識を換えるという力に限れば四家の中でも最強に近いターナから見れば雑なやり方ではったが、一応は他者からの認識を誤魔化しつつ移動してはいたらしい。ほぼ当てずっぽうで動きつつ、彼女への認識を探ってはみたが手がかりもなく、既に宵の闇が辺りを支配する時間となっている。
歩き回るうちに見つけた狭い公園で一休みしているうちに、泊まる場所など確保していないことに気がつき、今日のところはここで野宿か、と決める。幸いにして住宅街の真ん中であるにも関わらず、人通りも多くはない。固いベンチで寝ていたところで誰に迷惑をかけるようなこともないだろう。
(…一応、連絡しておくか)
音乃の声を聞きたくなり、スマホを取りだして電話をかける。そういえばこちらに着いたときにLINEで妙なやりとりをやったきりだった。あれの真意も聞いた方がいいかもしれない、と思ったところで「はい、ターナ?」と音乃の声がした。ワンコールだった。
「ああ。そっちはどうだ?」
『どうっていってもね、特に何もないけど。あ、マキはお風呂に入ってるからゆっくり話できるよ?』
「そうか」
疲れが吹き飛ぶ、という慣用句が思い浮かぶ。音乃との会話は確かに、歩き疲れたターナの体に説明のつかない元気をもたらし、これが恋というものか、などという今までのターナにはなかった発想をもたらす。
『ターナの方こそどう?マリャシェさん見つかりそう?』
「そんな簡単に見つかるわけないだろう。あっちだってわたしが追いかけてることくらい想定してるだろうしな。だから今のところは、マリャシェと違う奴を優先して探してる」
『え、誰?私の知ってる人?』
「いや。わたしとマリャシェ以外に、竜の娘が日本にいるらしい」
『…どゆこと?』
音乃の驚いた声。ターナはシュリーズェリュスのことを簡単に説明してやったが、「ふんふん」と耳を傾ける音乃の相鎚を耳で楽しみながらも、今までだったらこんなことは面倒に思って音乃を不機嫌にさせていただろうな、と思った。
恋をするとこんな些細な変化に驚き、また楽しめるものなのらしい。
異世界統合の意思の口振りの向こうにあった、マリャシェの真意のような物言いを思い出す。
あなたの言ってくれたように、わたしは音乃を大事に思えている。
ふっと、口元に笑みが浮かんだ。
けれど、そんな感慨も次の会話で霧散する。
『で、ターナは今晩どこに泊まるの?』
「あー、それを考えてなかったから今日は野宿だ」
『ちょっ、ちょっと!それ危なくない?ターナみたいに目立つ女の子がそんなことしてたら…』
「大丈夫だ、慣れてる。実際去年の今頃はずっとこんな感じだったからな」
『それ初耳。なんでそんな危ないことしてたのよ』
「…あのな、過ぎたことを今さら言っても仕方無いだろう?」
こういうところが面倒くさいヤツだ、という気分は如実に音乃にも伝わったのだろう、明らかにカチンときた様子で、何やってるのよ、だの、いいから今からでもホテルか何か探しなさい、だのといったお説教が始まる。
「…ああもう、うるさい。路銀だって万全じゃないんだからそんなに無駄遣い出来るか、バカ」
『バカってなによ、バカって。ターナが心配だから私は…』
「それはもういい。わたしだって考え無しにやってるわけじゃない」
『またそんなこと言って…ターナってばいつもそうじゃない』
「…あー、夜の公園でそんなに騒いでたら近所迷惑だ。そろそろ切るぞ」
『あ、こら待ちなさいター…』
耳元から離したスマホの向こうで音乃はまだ喚いていたが、お構いなくターナは通話を切った。
まったく、お前はわたしの母親か。
いつものフレーズを口の中で呟く。ただ、悪い気分ではなかった。音乃もきっとそんな感じなのだろう。その証拠に、すぐにLINEにメッセージが入る。
【ごめん、ちょっとカッとなって言い過ぎた。気をつけてね。おやすみ】
(…そうだな。ケンカしてもこうやってすぐ謝れるのは、恋人同士ならでは、ってことなのだな)
それは人それぞれなのだが、少なくとも自分と音乃にはそんな関係が似合っているのだろうと思いながら、ターナも【わたしも悪かった。おやすみ】と何の抵抗も無く返信して、終えたのだった。
(ま、明日は明日の風が吹く、ってやつだな)
普段であれば、それはただの問題の先送りだろう、とその意味するところに同意することはないが、今日に限れば悪くない気分のまま眠りにつくための方便だ、と思い直し、ターナは荷物の中から革ジャンを取り出すとそれを体にかけ、バッグを枕にしてベンチに横になった。
久しぶりの感触にふと懐かしさを覚えたが、すぐに眠気が取って代わる。
(今日は結構歩いたしな…あと、お腹空いたな……)
遅い昼食をとった後は、食事らしい食事はしていない。僅か数日の間しか経ってないのに音乃の食事が恋しくなっている自分を可笑しいものだと思いつつ、ターナはすぐに眠気に身を委ねる。
音乃の声を聞いたためか、心地よい寝付きだった。
・・・・・
夏場のことで、気温の上がるのは早い。
汗ばむ体に肌着がまとわりつく不快感で目が覚めた。
ポケットからスマホを取りだして時間を確認する。
「七時か…」
目が覚めると、暑さよりも空腹の方に苛まれる気分だった。
体より先に起きた腹の虫、などと微妙に五七調を備えた独り言を口にしながら体を起こす。
「………」
「………誰だ?おまえ」
気がついたら誰かいた、としか言い様が無かった。
とにかく、存在感のない、子供だった。
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