第2話

 まあ確かに、音乃を連れ出した連中は「ハタチ過ぎてますよダイジョーブ、ダイジョーブ」とか無責任なことを言っていて、しかし今どきそんな言い分を確認もしないで未成年に酒を出す店だった、というだけでも十分怪しい話なのだが。


 大学入学してすぐ、いかにもな軽い調子の歓迎コンパとやらに流されるまま参加した。

 高校時代は体育会系のノリの無いシステマティックな環境でスポーツ漬けで、そういった空気には全く不慣れであったから、嫌がりながらも半ばヤケっぱちな気分で初めての酒を呑み、気がついたらよく知らない男と夜の街で二人きり、という状況だった。

 朦朧とした頭でもこれから自分が何をされるのかは、分かる。

 力の入らない体で抵抗はしたが、そんな光景の珍しくない状況だ。酔った音乃が助けを求めようとしたところで無駄な話で、品の無い装飾の建物に連れ込まれそうになっていた時だった。


 「おい」


 耳にしたのは、凜とした涼やかな声。

 こんな場所でなければ思わず聞き惚れてしまうような美しい響きだったけれど、音乃にはそんな余裕もなく、ただその声の主の少女に視線を向けることしか出来なかった。


 「……えっ?」


 だが男の方はそんな声も聞こえた様子はなく、動きを止めた音乃に苛立ちを見せて、力任せにその体を絡め取ろうとする。


 「…聞こえてないのか?アーナタハー、カーミヲー、シーンジマスカァ?」

 「あん?…って、なんだテメ…」


 重ねてかけられた、露骨に嘲りの混じった声色に今度は男も気がついて、音乃と視線の向きを同じくする。

 そこに立っていた少女は、ダメージジーンズに革ジャンという出で立ちで、こんな場所では掃き溜めに鶴、というよりは逆に場に似合いすぎて思わず気後れのする音乃だった。

 男は、これから存分に楽しめるというところを邪魔された憤りからか、音乃の腕を放して食ってかかろうとしたのだが、一旦その少女の美貌を見ると好色な笑みに切り替わる。


 「…なんだよ、ガキみてえだけどえらくカワイーじゃん。え、もしかして仲間に入りたいワケ?いーよいーよ、オレ今晩は絶好調…」

 「聞こえたようだな。聞こえたならさっさとくたばれ。それが嫌なら家に帰ってクソして寝ろ」

 「…は、はぁ?……がっ?!」


 苦悶の声を上げる間も無く、男の体が吹っ飛んだ。


 「そうか、くたばる方を選んだか。なら構うまい。この街でケンカ沙汰なんぞ誰も止めに入りなどしないだろうからな。刃物だけは使わないでいてやるから、とっととかかってこい、このチンピラモドキ」


 ヤクザキックを食らわした構えのまま、銀髪の少女はそう嘯く。

 刃物、と確かに聞こえた。

 まさかこの場で殺し合い、なんてことが起こるのかと思うと、酔った頭にも危機感が沸く。

 自分を掴んでいた腕から解放されたのを幸いにと、ふらつく足を叱咤して立ち上がる。


 「…テメェ、ここまでのことしておいて、何があるか…ぎゃぶっ?!」


 最初に蹴り飛ばされた先にあったと思われるゴミ袋の山から立ち上がったところに再度、蹴りが入る。今度は腰の回転でキレが増した見事なローリングソバットだった。


 「バカか貴様は。とっくに始まっているのだから、口を開いているヒマがあったら手を出したらどうだ」


 一方自分はそう口にしているのだから、余裕というか舐めたことをしているというか。

 男はもう一度立ち上がりはするが、さすがにもう抵抗する気も失せたのか、同じゴミの山から這い出てきて必死に懇願する。


 「…ちょっ、分かった俺が悪かっ…あいでぇっ?!」

 「女をモノにするならもう少し上品なやり方をすることだな。見苦しいことこの上無い」

 「なっ、て、テメエにゃ関係ね…あだだだだ!分かった、分かったから勘弁してくれ!」


 地に着いた男の手を足でグリグリしながら、銀髪の少女はほんの少し傷ついたように口を尖らす。


 「…そんなに怖がらなくてもいいじゃないか。大体、ケガなどしないようにゴミの山に吹き飛ばしたのだし、本気で蹴ってもいない。大げさに飛んではいるがそんなに痛みは無いはずだぞ」


 降参した相手を嬲るような真似をしながら言うには随分な台詞なのだが、却って男は怯えを見せて、もう泣き出しそうな顔で少女を見上げているのだった。

 そんな表情が本気から来るものだとでも悟ったか、少女は男の手を踏んづけていた足をどけ、革ジャンのポケットに手を入れて軽く肩をすくめて言う。


 「……分かればいい。恥をかかせるようなことをして済まなかったな。ひどいケガはしてないと思うが、家に帰ったら擦り傷の手当はきちんとしておくといい」

 「お、おう…」


 チンピラ呼ばわりされたり、音乃に手込め紛いの真似をしていた割には男は拍子抜けする程に大人しくなり、落ち着いた所作で服の汚れを手で払うと、一連の騒ぎの様子を見守っていたギャラリーの視線に気付いて急に恥ずかしくなったのか、音乃の方を見向きもせずにそそくさと立ち去っていってしまった。


 「ふん、まあ根っからの悪人というわけでもなさそうだ。…それで、そこの」


 呼び止められて、ビクッと立ち止まる音乃。


 「…口を挟んだのはわたしがあの男のやりようにムカついたからだから、別に礼を言えとは言わない。…が、それでも一言アイサツくらいしていっても構わないんじゃないのか」


 …それはまあ、その通りだ。助けてもらった恰好ではあるのだし、と、渋々回れ右をして、銀髪の少女に向き直る。

 その少女が殊更に耳目を集める容貌のこともあるから、ケンカのようなものが終わった後も自分達に遠慮の無い視線は注がれている。

 音乃としてはもう、目も耳も塞いでさっさとこの場を立ち去ってしまいたいところで、けれど忘恩の徒呼ばわりも胸の痛むところであるから、仕方なく…いや実のところ胸も熱くして、この美しくも強い少女に礼を言上することにするのだったが…。


 胸が熱い?

 この感覚の正体が掴めずに、軽く混乱したまま少女の前に立つ。

 間近で見ると余計にキレイさが際立つ。もっとも、その口調や身のこなし方からしての予想よりも、背丈のことを勘定に入れても音乃には大分幼く見えた。

 実家の妹が高二の十六歳で、その妹より年上には思えない。


 「……おい、どうした」


 黒い革ジャンの上に鎮座まします白皙の美貌を軽く傾がせて、少女は問うてくる。

 ああ、この顔とこの瞳にジッと見られていると、頭がくらくらしてくる。


 「おい、しっかりし……」


 もうなんだか立っていられなくなる。心配そうに下からのぞき込んできた少女に思わず寄りかかり、あろうことかその背中に両腕をまわしてしなだれかかってしまった。


 「な、なんだ…?おい、重い、のだ、が………って、おいいいいいっっっ?!」


 えろえろえろえろー。


 擬音としてはそんなところだろうか。

 決して安物とは言えそうにない少女の革ジャンの背中に、音乃は盛大に、つい先ほどまで散々呑まされていた液体をぶちまけながら、自分の胸の熱さの正体に納得していた。

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