二. “胎動の予言”

[“胎動の予言”]


 時は流れ、アズニール暦1587年のこと。

 東方大陸ユードフェンリル、“守人の村”に住む魔導師のひとりが、“魔界サビュラヘム”の胎動を予言した。

 彼は時詠みのハーヴァン。西方大陸エヴェルク南方のラディキア群島に生まれ、フェル・アルム魔法学院においては“魔界サビュラヘム”について造詣を持つようになった。卒業したのちはどこの国にも仕えず、アルトツァーン王国の南、“黒き大地”にひとり向かい、“守人”達と共に暮らすようになった。

 二月のある雪の日、ハーヴァンと守人は侵入者——冥王ザビュール信仰者らしき一団を見つけた。この手の者たちを追い返すのが守人の役割。注意を促そうと近づいた時——突如、周囲の木々が黒く染まった。見上げると空一面に禍々しい黒雲が立ちこめ、風が唸りはじめた。

 不意に、空から爆発的な突風が吹き降りて周囲の木々を円状になぎ倒す。ハーヴァン達もまた、この突風に飛ばされた。彼は大木に体を打ち付け、しばし昏倒してしまう。

 ここでハーヴァンが夢うつつの中、見聞きした内容をまとめたものが“胎動の予言”であるとされる。単なる幻覚・幻聴ではない。内容たるや、神々をも驚愕とさせる凄惨なものであったのだ。


 ハーヴァンは予言を余すところなく“黒き大地”の守り手たる影の龍に伝え、龍はすぐさま本体——“宵闇の公子”レオズスに伝えた。

 レオズスは長たるイシールキアに説き、ディトゥアの長イシールキアは自らの神族を招集し、来たるべき時に備えるのだった。

 地上においてもまた、会談が秘密裏に執り行われた。集まったのはバイラルの諸国の首長・王のほか、フェル・アルム魔法学院長モウリエ、アイバーフィンとドゥロームの長、さらにはディトゥア神族としてエシアルル王ファルダイン、“宵闇の公子”レオズス。そしてイシールキアだった。


 “胎動の予言”の内容は以降、明らかにされることはなく、ハーヴァンの名は歴史の闇へと埋もれていった。

 しかしこの時より、アリューザ・ガルドの趨勢すうせいは大きく変わる。





[最後の勅命]


 アズニール暦1660年。その四月の夜のこと。

 東方大陸ユードフェンリルに住むもの全てが、おぞましい音を聞くこととなった。

 地の底から響いてくるそれは、まるで喇叭ラッパが調子の外れた旋律を奏でているかのよう。

 夜が明けるとともにユードフェンリルにある二つの大国——アルトツァーンとメケドルキュアはともに勅命を下し、全土に急使を派遣して人々に知らせるのであった。


◆◆◆◆


 我らの父祖、また護り手たるディトゥアの神々、さらに創り手たるアリュゼルの神々、そして天帝ヴァルドデューンに固く誓い、真実による勅命をここに号する。

 今より我らは、我らが国家を解体し、すべての民を西方大陸エヴェルクへと移住させる。一年の猶予のうちに、全国民が従うことを厳に命ずる。

 拒む者には遠からず死が訪れるであろう。それは人の手によってではない。

 “魔界サビュラヘム”が東方大陸ユードフェンリルに顕現するゆえに。

 冥王ザビュールが君臨するゆえに。

 かの、魔の者どもの野心を避けるすべはなく、抗うすべもまたない。

 だが愛する民よ。暗黒の時は続かない。すぐ、希望によって絶望が打ち払われるだろう。

 その時の到来のため、我らが愛する民よ。この最後の勅命を受けよ。我らすべての未来のために。


◆◆◆◆


 信じがたいことに、由緒正しき両国の歴史は唐突に幕を閉じたのだ。だがこれは、かの予言の一節に語られるとおりだという。

 全土が恐慌状態に陥る中、東方大陸ユードフェンリル各地に大型の飛空船が多数差し向けられた。人々は嘆き悲しみながらも土地を離れるほかなかった。夜ごとに響く忌まわしき喇叭ラッパの音。それは深淵からの進軍であることを、アリューザ・ガルドの全住民が本質的に理解したからである。


 一年を待たずして、東方大陸ユードフェンリルはほぼ無人となった。残るのは、“ダフナ・ファフド”——かつて“守人”と呼ばれた者の末裔たち。

 大陸の南部にはドゥロームの居住域があったが、彼らもまた土地を離れ、他の陸地や“炎の界デ・イグ”へと移り住むのであった。





[“魔界サビュラヘム”の顕現]


 西方大陸エヴェルクの住民にとって当然、東の住民が移り住むなど、前代未聞の重大な事態となる。西方の国々は受け入れの勅令を発するものの、混乱は憎悪を生み出し、西方大陸エヴェルク各地でいさかいや虐殺が相次いだ。

 だがそれも、より強大な恐怖のために鎮まることとなる。


 ハーヴァンの予言にはこう記されているという。


 ——凶星、黒き光を放ち空高く現れし時。

 星辰、その一切が低きに集いし時。

 “魔界サビュラヘム”は顕現する——


 アズニール暦1663年の七月。物忌みの日。

 予言の一節どおりの条件が揃ったその日その時、東方大陸ユードフェンリルは突如、闇の中に閉ざされた。

 時を同じくして、忌まわしき“魔界サビュラヘム”の尖兵達が地の底から這い上がり、進軍の喇叭ラッパを吹き鳴らす。と、世界に響き渡る轟音と黒雷の柱を伴って、中枢部——くらき城“イズディル・ザヴァル”が顕現したのだ!

 かつての“大暗黒紀”や“黒き災厄の時代”においてですら、“魔界サビュラヘム”が地上に現れることなど無かった。だがこの度はそうではない。冥王は次元を越えて物質界へと侵攻したのだ。


 かくしてアリューザ・ガルドに比類無き絶望の時代が訪れることとなった。誰しもがそう思ったことであろう。

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