短編集:雨月の下で紡ぐ物語
紬 蒼
第1夜 ネラ・レイラ:宝石と盗賊
薄暗いホールには淡い光が点在し、妖しい夜の雰囲気を演出していた。
煌びやかで豪華なドレスを身に纏った女性達。
その顔は装飾の美しい
人は仮面を着けるとなぜこうも己を曝け出し、美しい生き物へと変貌を遂げるのだろう。
この地の領主が主催する豪邸での仮面舞踏会。
これに参加するのは二度目だ。
仮面で顔を隠し、誰が誰だか分からないように配慮している、とは言うものの、香水や持ち物、体型でだいたい予想はつく。
そもそも招待制なので、招待客リストさえ見れば誰が誰だか把握することは容易い。
だから、仮面などただの演出にすぎない。
女性達はどの殿方とお近づきになるか、誰と踊るか、そして噂話に華を咲かせる。
その殿方どもはどの女性が『利用』できるかを見定めており、その視線はある女性に集まっていた。
黒いドレスに黒い仮面。
この舞踏会を主催する領主の自慢の娘、アメリアだ。
利用できる上に絶世の美女として国内中にその名を知られている。
当の彼女は誰とも踊るつもりがないのか、ホールの隅のカウチに座り、扇を手に踊る人々を眺めていた。
ホールの隅にいるというのに、彼女の持つ妖艶な雰囲気と堂々たる気品は、仮面と黒いシックなドレスでも到底隠せずにある。
幾人かが彼女をダンスへと誘いに行くが、その声どころか姿さえ見えていないかのように、彼女は全くその姿勢を崩そうとしない。
よくできた人形が置かれているのかと錯覚するほどだ。
一体何を見つめているのか。
その視線の先は――――『私』か。
仮面の下、彼女の翡翠のような
その視線に気づいた素振りを見せず、私は美しい女性達と会話を楽しむ。
彼女達は私がどこの貴族か探ろうと質問ばかりをぶつけて来るが、それに答える気は毛頭ない上、そもそも私はこの舞踏会に招待されていない。
勿論、貴族ですらない。
だから、仮面は私にとっては都合が良いのだ。
ただ良い身なりでそれらしく振る舞って、上流階級の人々を物色しているだけだ。
私がここにいる理由。
最初は単純に金品を盗むために潜り込んだ。
招待客リストにある人物の名が載っているのを知って、機会があれば殺そうと考えた。
だが、
彼女だけが私を異質な存在として見抜いている。
ゴミでも見るような視線を背に受け、無意識に仮面に手を触れた。
仮面がそこにあるかどうか確認して、意を決して振り返る。
視線が合った瞬間、彼女は扇を広げ、裏面と表面を交互に見せるようにゆっくりと仰ぐ。
そして、右手で顔の前に持って立ち上がった。
扇言葉というやつだ。
外で話しましょう、私について来て。
彼女はそう示している。
視線だけを動かして周囲の様子を確認し、少し距離を置いて彼女の後を追った。
彼女がいたカウチの側から二階へと続く螺旋階段を上がり、右手に折れて廊下の突き当りまで行くとバルコニーへと出る。
そこでも少人数なら踊れる程の広さがある。
月明りの下で見ると、彼女の持つ妖艶な雰囲気は影を伴って一層不思議な美しさを醸し出していた。
「足音を立てないのね」
彼女はそう言って仮面を取って床に投げ捨てた。
露わになる彼女の顔は女神像の彫刻のようで、先程までいたホールにいる女性達と同じ人間とは思えないほどに整っている。
「ここに来るのは二度目ね? 前回持ち去ったものを返してくださる?」
やはりそれか。
盗んだのが私だとバレている。
「半年も前ですよ? 生憎売り払ってしまいました」
だが、彼女は私を見つめたまま、にこりと笑みを浮かべ、
「今も持っている物があるでしょう? 返して欲しいのはそれだけよ。他は好きにしてもらって構わないわ」
全てを見透かすような瞳に心の奥底まで覗かれたようで居心地が悪くなる。
「何のことでしょう?」
冷静を装って問うが、彼女は扇を閉じてそれで私の胸を示した。
なぜそれがここにあると分かったのか?
バレてるなら仕方ない。
潔くジャケットの内ポケットから出して差し出した。
黒い小さな石ころ、と言ってしまえばそれまでだが、ダイヤモンドの中でも珍しいブラック・ダイヤモンドだ。
ブラック・ダイヤモンドというだけでも希少なのだが、そのほとんどがダイヤモンドになりきれない宝石として価値の低いものであるのに対し、私の手にあるのは人を惹きつける魔力を帯びているかのように美しい輝きを放っている。
唯一価値がある『本物』のブラック・ダイヤモンドなのだ。
十カラットと小さすぎず、かといって大きいとも言えないが、これほど珍しい宝石ならば大きいとも言えるかもしれない。
それを彼女は指で摘んで、夜空に翳した。
今宵は満月。
柔らかな月の光を浴びて、黒い石はその光を宿すように輝きを放つ。
「これは特別な宝石よ。持ち主を選ぶの」
彼女は扇を広げ、それを皿のようにしてその上に石を載せ、私に差し出した。
「私をここから連れ出してくださらない? 今度はこの石と一緒に」
何を言われているのか、一瞬彼女の申し出の意味が理解できなかった。
石と彼女とを交互に見る。
「連れ出してくださるなら、あなたの潜在能力を引き出してあげますわ」
「……潜在能力? どうやって……?」
「あなたは盗賊でしょう? そのために必要な力を引き出して差しあげます」
「ただの領主の娘の道楽に付き合うつもりはありません。私は人は盗まないのです」
私のその言葉に彼女は笑った。
「……何か可笑しいことを申しましたか?」
「ええ。私は領主の娘ではありません」
「違う? では、あなたは……?」
「私はその石に宿る……精霊とでもいいますか」
彼女の言葉を信じそうになる。
彼女の美しさは人のものとは思えないほどだからだ。
それに、黒いドレスに白い肌が透き通るように、そう、まるでこのダイヤのように輝いて見えたからだ。
大袈裟な比喩だと思うかもしれないが、月明かりの下、彼女は黒いドレスを纏っているのに輝いて見えた。
「さあ、手を」
そう言って彼女は私に近づき耳元で、
「私を連れ出して……」
そう囁いた。
とても妖艶で甘く美しい声音で。
それは魔法のように私の手を動かし、石を手にした。
そして、彼女を抱きかかえ、バルコニーから飛び降り、馬を盗んで走り出していた。
朝日が昇る頃、彼女の姿は石に吸い込まれるようにして消えた。
ブラック・ダイヤモンドには『不滅の愛』『頼りになる伴侶を得る』という意味がある。
彼女と共に舞踏会を抜け出した後、夜毎姿を見せる彼女の名は。
石に宿る精霊かどうか、それは未だに分からないが、彼女を得てからの私の人生は劇的に変化することとなる。
が、それはまた別のお話。
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