空駆ける天使の羽根
白妙 スイ@書籍&電子書籍発刊!
act.1
正義(マサヨシ)なんて、弁護士を目指す俺にしっくりくる名前じゃないか。
がたん、ごとん。
真っ暗な車窓のガラスに映る自分を見てぼんやりそう思う。くたびれた様子に見える俺は、自分で見ても情けない見た目。
いや、しっくりなんてこないか。そのくたびれた様は、俺にそんな自嘲の笑みをこぼさせた。服も髪も、身なりは整えているけれど、いかんせん表情と姿勢が情けないのだ。
ガラスに映る俺は、見るからにがっくり落ち込んだ様子。なにが正義だ。正義を振るうという夢を叶えるための学校にも入れてないくせに。おまけに模擬テストすら情けない結果しか出せないくせに。
その日、深夜近く。俺は模試がうまくいかなかったむしゃくしゃからそんな皮肉を考えていた。普段は夢を叶えてくれるパワーのある名前だと前向きに考えられるのだけど、今はそんなこともできない。昔風も過ぎる、ダサい名前。
それは両親への理不尽な苛立ちだった。責任転嫁も過ぎる。そんな自分にまた嫌気がさした。
揺られていた最終電車。アナウンスが俺の降りる駅を告げる。
乗り過ごしでもしたら、タクシーを使うしかなくなる。わずかなバイト代で生きている、貧しい浪人生には痛手だ。
俺は、はぁ、とため息をついて降りるべく支度を整えた。とはいえ、見るでもなく手にしていたスマホを落とさないようにポケットにつっこむ、そのくらいだったけれど。
終電の行ってしまった駅は、がらんとしていた。小さな駅ではないのに、むしろターミナル駅で大きめなのに、平日の深夜だからかひとけがない。
年の瀬も迫っている。忘年会の酔っ払いだってもう帰ってしまった時間だろう。
数年前に大規模改築をされたこの駅は近代的、むしろ未来的な設計だった。なんと表に張り出している面はガラス張りなのだ。台風でも来たら割れそうで怖いのだけど、どうせ強化ガラスかなにかなのだろう。俺にとっては専門外なのでちっともわからないけれど。
そして何故か電車が到着するのは随分高いところなのだ。建物にして、五階建てに相当するらしい。まぁエスカレーターとエレベーターがついているから、昇り降りに困るなんてことはないけど。
さ、帰るか。
帰る先は、幼い頃から暮らしている家だ。ハタチを前にしているというのに、両親のいる実家で暮らしている俺。本当なら大学に合格して一人暮らしをしているはずだったのに、実家暮らしに甘んじているのにも嫌気がさす。学費を出してもらうのだからそんな我儘は言えないけれど。
駅のはしにあるエスカレーターに乗ろうとした、まさにそのときだった。
ガラス張りのその外。
ひゅっと。
なにかが落ちていった。
えっ。
俺の心臓がひやっと冷える。
こんな時間、こんな場所に落下物。
まさか、自殺かなにかじゃ。
想像してしまったことに、もう一度心臓が、ぎゅうっと冷えた。そんなところに遭遇したくなどない。けれど確認しないほうが恐ろしかった。
俺はとっさに壁の上……開いていた窓から外を見た。確かになにかが落ちていく……と、見えたのは一瞬。
ぶわっと、大きな白いものが広がるのが見えた。やわらかそうで、大きなそれは、鳥の羽のようだった。
だがこんな大きな鳥がいるはずもない。広がったそれが、ばさばさっと大きくはためく。落ちたのが嘘のように、ぐんっと上昇した、その羽の中心にいたものを見て俺はあんぐりと口を開けた。
だってそれはヒトだったのだから。
背中に大きな翼をつけたヒトだったのだから。
いや、こんな翼なんかつけた人間がいてたまるか、だけど。
呆然とした俺に、向こうも気付いたらしい。
「あちゃあ。見つかっちまったか」
宙に浮いたまま頭に手をやった。そして次の瞬間、俺はそいつにガシッと捕らえられていた。
「見つかったからにゃ、付き合ってもらうぞ」
「え、う、うわぁぁぁぁ!」
脇を掴まれて、足が浮く。俺も宙に浮いていた。
深夜の駅の窓から、俺はなんと翼の生えた怪しいヤツに誘拐されたのだった。
だがコイツは思ったより人道的だった。降ろされたのは近くのビルの屋上。
なんだ、天界だのそういうところにでも連れていかれちまうのかと思った。俺は心底、安堵した。
いや、安心している場合ではないのだが。なにしろ俺を誘拐したコイツは翼なんて生えている。俺の知識では『天使』にしか見えないのだから。
「やっぱ高い場所はさみーな」
人間ではないだろうにヒトのようなことを言って、屋上の自販機で買った缶コーヒーなんかをぷしゅっと開けた。俺にも一本放ってくる。
「さ、さんきゅ……じゃねぇよ!なんなんだよお前!」
律儀に礼を言ってしまって、はっとした。呑気にティータイムなどしている場合ではない。
「なんだって。さっきアンタが見た通りだろう。俺は天使」
「……」
俺は返す言葉がなかった。そうとしか見えないけれど、そんな存在がいてたまるか。今は翼が見えないけれど。
収納式なのだろうか、なんてアホなことを考えてしまう。
消えたわけではあるまい。さっきあれだけ大きく広げていたのだし、ここに俺を運んできたのだって事実だ。
「……そんなら、なんで飛び降りなんかしたんだよ」
やっと言った。話が少しそれてしまった気もするが、「俺は天使」に、ああそうなんですか、と答えるよりずっと単純な質問であった。
でもソイツはしれっと答える。
「一年に一度、羽根が生え変わる。新しい羽根にな。そのときに高い場所から飛び降りて、生えるのを促さないとなんだ」
しかしそれも残念ながら人間離れしていた。
「……はぁ」
やはり俺は間の抜けた声を出すしかない。嘘だインチキだと言いたいけれど、インチキで羽根が生えて飛行できてたまるか、とまた俺は思うしかなかった。
結局、俺はコイツの「俺は天使」を受け入れるしかなくなってしまったわけで。真夜中のビルの屋上で、天使とティータイムを余儀なくされたのだった。
「ふーん、マサヨシっていうのか。で?正義くんはこんな真夜中までどこ行ってたの。遊びに行ってたのか?」
「……予備校だよ」
今はそこをあまり聞かれたくなかった俺だったが、嘘をつく気にはなれなかった。元々、嘘は好きじゃない。だから弁護士なんて目指してるんだし。
「ほう。学生か。しかし高校生……にゃあまり見えないな」
はっきり言われて、むっとした。確かに高校生だったら制服を着てるだろうし、こんな深夜にまで予備校に行ったりしないだろう。
いや、俺もむしゃくしゃして予備校を「もう閉めるから」と追い出されたあと、二時間近く夜の街をふらついていたのだけど。
「悪かったな。一浪してんだ」
ぐびっとコーヒーを飲んだ。あつあつで美味い。そこだけは心地よかった。
「そりゃこちらこそ悪かった。遅くまでえらいな」
「別にえらくねーよ。そうだ、お前、名前は?」
そうだ、コイツの名前を聞いていなかった。俺の名前は、さっさと聞き出してきたくせに。そこで質問する。
「俺はカガミカ」
すんなり名乗ってくれた。
「……変な名前だな」
人間じゃないにしろ、変わった名前だ。俺が変だと言ったのに、カガミカとやらはしれっと言った。
「『高野聖』が好きでね」
「ああ……泉鏡花をもじったってわけね」
俺の即答には、嬉しそうににやっと笑われた。
「お、知ってたか。流石受験生」
バカにされたように言われたので、俺はむっとする。
「そのくらい受験生じゃなくても知ってるだろ。しかし天使が怪談なんか読むの」
「現代の天使は読むんだよ。悪いか」
「悪かないが」
そのあとは雑談になってしまった。とはいえ、カガミカは自分の話はあまりできないだのとぬかしたので、必然的に俺の話になった。
「へぇ、弁護士志望。立派な仕事だな」
カガミカは聞き上手だった。あまり話したくない、俺の事情まで聞き出してしまうくらいには。
「天使になにがわかるんだ」
しかし大人しく話に付き合うほど俺は従順ではないし、自覚はあるがだいぶひねくれている。
言ってしまったが、カガミカは気にした様子もない。ぐびっと缶コーヒーを飲み干して、カラになった缶をもてあそびだした。
「わかるさ。こう見えても人間社会でそれなりに生きてる」
「人間の中で生きてるのか」
「勿論」
変なやつだ。
まぁ、翼をしまえば人間にしか見えないしな。確かに人間に混じって生きられるだろう。要領良さそうだしな。
俺の胸がじくりと痛む。
……俺とは違って。
なんて思ってしまって。
「もう年の瀬だもんな……受験はもうすぐだろ。頑張れよ」
いや、深夜に帰宅中の受験生を誘拐しといてなにをぬかすか。
そう言おうと思ったけれど、違うことが気になった。俺はまだ中身が少し残っている缶を手で包んで、言ってしまった。
「どうせ駄目に決まってる。模試すら圏外なのに」
今日返ってきた、模擬テストの結果。散々なやつ。こんなやつに弱音を吐きたくなんてなかったけれど、ぽろっと出てきてしまったのだ。
そう、弱音だ。弱気だ。それこそが今日の俺を蝕んでいたもの。
「なんだ、弱気なやつ」
そのとおりのことを言われた。俺は「悪かったな」と言うしかない。
説教でもされるかと思ったが、カガミカはそんなことを言わなかった。
「ま、受験を目の前にしたヤツをこんな時間まで付き合わせて悪かった。そろそろ帰れよ」
「お前が連れてきたんだろ!?」
勝手に連行……むしろ誘拐なんかしておいて、ぬけぬけと。
「そりゃ、見つかったんだから……で?他言しないか?」
ずいっと顔を近付けられた。今だけはマジな眼をしていた。口止めが目的だったに決まっているので。
雑談はオマケだろう。随分長いオマケだった気がするが。
俺はかすれた声で言った。
「……するかよ。夢でも見たか、頭がおかしいかと思われるに決まってる」
「うんうん、物分かりが良いようでなにより」
カガミカは満足したといわんばかりに、にかっと笑った。そしてそのあと、ビルから俺をやっぱり抱えて下ろして、解放してくれたのだった。
「誘拐なんてしたうえに付き合わせたんだから、家まで送ってやろうか」
ふざけたことを言われたけれど、両親がそんなところを見たら卒倒するに決まっている。俺は丁重にお断りした。そしててくてくと歩いて自宅まで帰った。
そこでやっと、奇妙過ぎる体験をしたことに足が震えて、玄関に座り込んでしまったのだったが。
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