たけしの挑戦状④
1986年12月9日、ある出来事が芸能ニュースを震撼させた。
ここでは詳しくは語らないが、それはテレビや新聞などで“襲撃事件”の四文字を見出しに連日報道された。奇しくも『たけしの挑戦状』発売前日のことである。
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「事件があと数日早ければ、
「CMの打ち切りだけで済んで、よかったですね」
「……よかった、でいいのかな」
商店街を経由して町内を散策しながら、取材は続けられていた。
30年以上の時の流れが町の飾りを変化させたが、当時の名残も残されている呉井治町。ここが物語の始まりの地であるクレイジーシティのロケ地だったこと、ここで老若男女を問わずに拳を振るったこと、あの森田健作と会話を交わしたこと……。
「たけしの挑戦状は……タイトーはどうして、あそこまで彼のアイデアを素直に採用したんでしょうね?」
鮎式はたじろぎそうになりながらも訪ねる。
彩良里の言葉だけでも十分伝わる制作現場とゲームの臨場感。話を詳しく聞かせてもらうほど、如何に『たけしの挑戦状』が正気の沙汰ではなかったか、なぜ、あそこまでアイデアに拘泥していたのか。質問は尽きない。
「そうですね……タイトーのゲーム会社としての意地だったのか、それともビートたけしが持つ
巧まずして作られたゲームだったということだろうか。
本作には『ビートたけしは、喫茶店で一時間話しただけのゲーム』『彼は積極的に企画会議に参加していた』『酔っ払った勢いで提言した内容がそのままゲーム化された』など、様々な説がある。
「……私は一流芸能人と仕事がしたい、一流企業と関わりたいという自慢(けいれき)が欲しかった。だから何も言わずにただ信じていたのかもしれません」
真相わからぬ答えで締め括ると同時に彩良里は足を止める。鮎式は自分がいつの間にか閑静な住宅街に足を運んでいたことに気付く。
「ここは……?」
「自宅ですよ。あいつの」
二人の目の前には時代錯誤な木造の平屋。L字型に突出したアルミ製らしき風呂釜の煙突が昭和を思わせるが、一番に玄関横の杉板の外壁に赤いスプレー塗料で走り塗られた乱暴な言葉が目に入る。
■
1986年12月10日。ついに『たけしの挑戦状』は発売された。
あの“襲撃事件”が追い風になったかは不明だが、タイトーという商品ブランドと、ビートたけしのネームバリューは見事に二乗効果を生み出し、本作は売れに売れた。その売上本数は、80万本とも言われている。
名作RPGと謳われた『ファイナルファンタジー』の売上が52万本という結果を踏まえれば、スクウェアに圧倒的大差をつけたこの挑戦は大成功と言えるだろう。しかし、その数字の裏側では多くの悲鳴が轟いていた。
芸能人としては前代未聞の例の事件で批判の渦中にあったビートたけしだが、同情の風潮もあり味方も多かったのだが……。
「私の味方は誰もいませんでしたよ」
彩良里は笑い話のように言うが、ゲームの購入者たちから向けられた
──『すぐにやられるんだけど』
──『何をすればいいのか分からない』
──『ゲームの意味が理解できない』
──『ぎゃー ひとごろしーー』
インターネットどころか、パソコン通信すら浸透していなかった当時。ゲームの情報や評価は、実際に
『金かえせ!』
『たけしの挑戦状』を遊んだ感想、評価、苦情のすべてを集約したこの暴言は、電話や手紙のみに留まらず、ゲームの舞台となったロケ地、家までをも突き止めて、落書きを残した狂的な者までも現れた。
評価はどうあれ、この程度のクレームでタイトーがこれまで積み上げた実績と信頼が揺るぐことはなかった。それどころか『だけしの挑戦状』のヒットを受けて、芸能人とファミコンのタイアップは、ビジネスモデルとして確立されることとなり、他のメーカーでもこぞって企画が立ち上がる結果となった。
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