第二話「梔女」
【梔女】
家の杖のような形の、よく磨かれた縁側の真ん中には祖父の祖父から譲り受けた代々我が家に継承される本榧柾目将棋盤が鎮座していた。盤上の駒はもうすでによく動いており、終局を迎えようとしていた。
女が銀を動かす。そのしなやかな手を梔色の袖から覗かしぱちんと駒を盤にうちつけ、音を鳴らした。そしてにやと微笑む。
「……ん?あぁ。詰み、か。」
ぼくは自駒の逃げ場がないのを確認して、両手をあげた。
「また敗けだ。おまえには勝てる気がせんな。」
向かいに座る女が目だけで笑う。
「矢倉しか指せん馬鹿だと思っているのか?」
とんでもございません、と口を動かし、女は棋譜を持って席をたった。なにがとんでもない、だ。あれはぜったいぼくを小馬鹿にしている目だぞ。
女と毎日欠かさず将棋を指すようになってから二ヶ月が経った。地元じゃ将棋の強さでぶいぶいいわせていたぼくの前に、女は突然現れた。女は強かった。ぼくのちっぽけなプライドをずたずたにして、女は笑むのだ。とても、美しく。
飛車角落ちからはじめた対戦も、今はようやっと平手戦でなんとか食いつなげるようになってきた。
すっ、と障子が開く。女が静かな足取りで羊羮と茶を持ってきてくれたのだ。
「ありがとう。おまえも食べるかい。」
女はふるふると首を横に振り、また盤をはさんで向かいに座った。これもまた、対戦のあとの日常。将棋で敗ける。ぼくが悔しがる。女が笑う。棋譜を整理して席をたつ。ぼくが女と最初に対戦したのはいつだったかと思いを馳せる。障子が開く。女が甘味を持ってくる。
そういえば、女がぼく好みの渋めの茶をいれるようになったのはいつからだったか。言ったおぼえはない。と、思う。のだが。
「おまえもあたまをうごかして疲れたろ。腹も減ってるだろ。ひときれやるから、食べなさい。」
女がまた首を横に振る。女はぼくのまえで食事をとったことがあっただろうか……?
「羊羮はいやかい。なら、どれ。」
ポッケットから小瓶をとりだし、ぽん、とこるくを抜く。
「手を出してごらん。」
おそるおそる差し出される白い手の上に、星が転がった。
「食べなさい。」
それから女は星をひとつつまみ、口へいれる。桜色のぽってりとした、しかしつつしまやかなくちびるがあいらしく、ころころと星を口内で転がす様は鞠とたわむれる子の手元のようだった。
女が目を見張る。そして目で訴える。甘い、と。
「そうだろう。市で見かけてね。おまえへの土産にどうかと思ったのだが、気に入ってくれたかい。」
女は喉を小さくならし嚥下して、下を向いた。
「ねぇ、もうすぐ蝉のおちる季節になる。それまで、おまえと。あとどれだけの時を一緒に過ごせる?」
その大きな梔色の瞳は不思議なことに涙で濡れていた。ぽたりぽたりと王将の上に雫が落ちる。
しかし、けして声はあげなかった。
「あと数局でも、ぼくはおまえと一緒に、」
困ります。女の口が動く。そして涙でぐちゃぐちゃの顔をしながら、さらに続ける。
わたくしには、過ぎています。わたくしには、そんな資格などない。と。
ぼくは呆れてしまって、ふっ、と短く笑い、ただ一言。
「おまえ、も、馬鹿だね。『くちなし』女よ。」
男の本懐として、最後くらいは格好つけて言わせてくれや。
愛してる。とね。
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