唸る夏

森林

第1話 今日という日は

 とある夏の日。


 今年の夏で最も暑いと言われている今日この日に、外回りの営業という六道輪廻を廻るよりも途方のない旅に出ていた。


 ワイシャツに滲む汗はひどく重く体に貼りつき中に着ているドクロの付いたTシャツを浮かび上がらせた。


 このドクロTシャツは俺の好きなバンドの公式Tシャツだ。しかもファンクラブ限定カラーで俺のお気に入りだ。


 しかし・・・しかし・・・


「油断した」


 着る場面は考えるべきだった。


 俺は夏の暑さを舐めていたのだ。

   

 今日に限って肌着がなく、やもえずTシャツを着てきたのだ。


 普段から洗濯をこまめにしていればこんんなことにはならなかったのだが・・・。


 幸いにもこの暑さのせいか外出している人は少ない。


「・・・・・・ふぅ・・・・・・」


 体の熱を吐き出すようにひとつ息を吐く。そして下がりきった頭を上げ、周りを見渡す。


 目に映るのは同じように下を向いて歩くスーツ姿の男性。日傘を刺し子供の手を引く女性。その子供の片手には溶けかけのアイスが握られている。


 喉が渇いた。キンキンに冷えたアイスコーヒーが飲みたい。


 ふと、小さな喫茶店が目の前に現れた。


 店全体を蔦に覆われ、窓から覗く店内はアンティーク調にまとめられている。


 現代風のオフィスが立ち並ぶこの街の中では異彩を放っている。しかし何処となく見ていて落ち着く店構えだ。


 ・・・ゴクリ・・・。


 燻られたコーヒー豆の香りだろうか。コーヒーに疎い俺には詳しいことは分からないが、苦く豊潤な香りが鼻腔の奥をくすぐる。


 今すぐにでも店内に入ってしまいたいが、頭の中で所持金を確認する。


 張り付いたポケットの中から少し湿ってしまった折り畳み財布を出す。


 持った感じ明らかに軽かったのですでに結果はわかっている。それでもなお中身を確認するのは現実逃避から来るものなのか、それとも現実を受け止めろという自分自身に鞭を打つ行為なのかは俺にはわからない。


 現在所持金二○○◯円と三十八円。


 これが俺の全財産であり、給料日まであと三日だ。


 そして目の前には自動販売機。


 お金を使わないならこの喉の渇きは自動販売機で事足りる。しかしいま俺の心と喉を両方潤せるのはこの喫茶店だけだ・




 ネットニュースでは『外出を控えてください』等の記事がトップを飾っていた。 


 僕は貧乏な生活を送っている。


 どのくらい貧乏かというとコンビニで買い物が出来ないくらいである。


 買うのはタバコだけ。


 ならタバコを止めればいい。あんなものは百害あって一利なしだ。そんなことは理解している。

 一日に吸う本数は約30本。つまり一箱。つまり500円だ。

そのタバコを毎日買うとしよう。そうすると月々のタバコ代は月1万5000円にも及ぶ。


 そして体にも悪いという悪性。


 何よりも悪いのはその煙が他人にまで害を及ぼすという点である。


タバコヤバい。マジヤバい。


 冷静に分析すればするほどなぜ吸い続けているか分からなくなる。いや、理由は明確なのだが・・・つまりその中毒性である。

 

 吸いたいという体の叫びは理屈や、善を押し潰すのだ。


「・・・・・・喉渇いたなぁ・・・」


潤いのない荒野のような口から発せられた言葉は溶けたアイスのように消えていった。




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唸る夏 森林 @morinodonnguri

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