第6話 甘い蜜

 赤や黄色、オレンジ色に色付いた果実から漂う、ふんわりとした甘い芳香。

 ザインとディックはその香りに誘われるようにして、色鮮やかなフルーツに囲まれた泉へと到着した。


「美味しそうな良い匂い〜! これ、ポポイアの実だよね?」

「ああ。色といい形といい、よく熟れたポポイアがあちこちにあるみたいだな」


 比較的背の低い木に実るフルーツ、ポポイア。

 ひょうたん型のその果実は、皮の色が黄色から赤に移り変わっていくにつれて実の硬さが変わる。

 黄色いポポイアは林檎のようなシャキシャキとした食感で、完熟した赤い実ならジューシーな桃のような、とろりとした舌触りと果汁が溢れ出す。

 そんなポポイアの木が群生している、森のダンジョン。いつしかこの迷宮は、ポポイアの森と呼ばれるようになっていった。


 ザインは小走りで近くの木まで行くと、手頃なサイズの赤いポポイアを一つもぎ取る。

 まだ子供の小さな手には余るサイズのそれは、小腹を満たすのに丁度良い。朝食を済ませてきた彼らではあるが、ちょっとしたデザート感覚で食べられる、割とメジャーな果物であった。

 続いてディックも好みのポポイアを収穫すると、爪を上手く使って真っ赤な皮を剥き始めた。

 熟したポポイアは、素手でも簡単に皮を剥ける。皮を摘んでピーッとめくっていけば、濃厚ながらも爽やかな香りを放つオレンジ色の果肉が現れた。

 食欲を刺激するその芳香に、二人はすぐさまポポイアに齧り付く。


「んん〜っ! 採れたてだからかなぁ、すっごく甘くて美味しい⁉︎」

「んー、ホントだなぁ……! やっぱ甘いモンって正義だわ」


 夢中でポポイアを口に頬張るザイン達。

 気が付けば丸ごとペロリと平らげており、彼らの手と口元は、ポポイアの果汁でベトベトになってしまっていた。


「丁度そこに泉がある事だし、手と口を洗ってから先を急ごうぜ」

「そうだね。いやー、それにしても美味しかったぁ!」


 澄んだ泉の前に屈み、気になる箇所を水で洗い流す。

 軽く食欲を満たしたところで、今度こそ寄り道せずにダンジョンの奥を目指そうと立ち上がるディック。


「よし、んじゃあそろそろ……」

「行きますか!」


 彼の後を追って歩き出したザイン。

 見事に魔物を討ち果たし、美味しい果物を食べて気分も最高潮の二人。


 ……だからこそ、彼らは気付いていなかった。

 味の良い果実と綺麗な水。

 その二つが揃ったポイントには、当然彼ら以外の来訪者もやって来る。


「なっ……⁉︎」

「う、ウソだろ……?」


 泉から離れようとしたその瞬間、前方から現れたゴブリンの群れ。

 慌てて距離を取ろうとするも、振り向けば後方からも別のゴブリン達が顔を出したのが見える。

 今回現れたのは、先程二人が討伐したような通常のゴブリンではなく、その上位種──体格の大きなハイゴブリンの群れだった。

 仮にもダンジョン探索者を目指す少年達であるからして、少しずつ自分達を取り囲もうとしている敵が何者なのかは理解している。

 母、ガラッシアから買い与えてもらった魔物図鑑。そのゴブリンの一覧を思い出す。

 先程までの和やかな空気とは一変し、ピリピリとした緊張感に包まれる二人。


「ハイゴブリン……それも、群れで襲って来るとはな……」

「前に三匹、後ろから四匹……。おまけに武器持ちまで居るなんて……!」


 ザインの指摘通り、七体のハイゴブリンの過半数が剣や槍を携えているではないか。

 そのどれもが手入れのされていない錆びたものや、木を削り出しただけの粗末な槍ではあるものの……これだけの数で襲い掛かられては、子供二人だけで捌くには荷が重い。

 あまりの劣勢に、ディックは腰の短剣を取る気力すら削がれている様子。

 けれどもザインの瞳には、絶望の色など微塵も無い。赤髪の少年はしっかりと前を見据え、豪奢な弓を構えて声を上げる。


「諦めるのはまだ早いよ、ディック! こんな所で立ち向かう勇気を捨てたとしたら、母さんみたいな凄腕のダンジョン探索者になんてなれやしないよ‼︎」

「ざ、ザイン……」


 指先に意識を集めると、まるでザイン自身の心の有り様を写し出すような、真っ直ぐな光の矢が精製されていく。

 そんなザインに向かって突進して来る、ボロボロの剣を振り上げたハイゴブリン。


「俺は……母さんよりも凄い、世界一の探索者になってやるんだぁぁぁっ‼︎」


 ザインの魂の咆哮と共に、白から緑へと移り変わる光の矢が撃ち放たれた。

 狙いを定めたハイゴブリンは手にした剣で咄嗟に防ごうとしたものの、風の速さで向かって来る矢を受け止める前に矢が直撃し、勢いに呑まれて後方へと吹き飛ばされてしまう。

 近くに居た二匹のハイゴブリンも巻き込まれ、無様に地面に倒れ臥す。


「その意気だぜ、ボウズ!」


 すると、背後でドサリと何かが倒れる音。

 同時に少年達の耳に届いたガラガラ声は、明らかに男性のものであった。

 振り返れば、二人の背後から忍び寄っていたハイゴブリン達を次々と斬り伏せる、体格の良い中年の斧使いが居るではないか。


「後はこの俺に任せな! そっちの茶髪の小僧を頼んだぜ、ボウズ‼︎」

「う、うん……!」


 頭に青いバンダナを巻き、金属製の胸当てを装備した戦士風の男性。

 彼はあっという間に残る全てのハイゴブリンを狩り尽くすと、周囲の安全を確認してから、ザイン達の元へと歩み寄って来る。

 男は豪快な笑みを浮かべて、こう言った。


「さぁて、これで邪魔者は全部片付けてやったぜ。それにしても、ガキンチョが二人でこんな所に何の用があって来たんだ? ここらに生えたポポイアが目当てだってんなら、大人しく近くの市場で買って来るのを勧めるが……」


 酒焼けでもしているのだろうか。人当たりが良いながらも、独特の声色が男の厳しい顔付きを更に強調させている。

 そんな相手にすっかり萎縮してしまったディックを背に、ザインは何の恐れも抱かず口を開く。


「俺達はダンジョン探索者を目指してるんだ。その為に、ここで将来に向けて特訓してたんだよ」

「ほーう? それで、お前たちだけでこの森に来たわけか」

「うん。母さんが帰って来る前に、俺とディックの二人でポポイアの森で秘密の特訓をしてた……けど……」

「その途中、さっきのハイゴブリンどもに襲われちまったって事だな?」

「うん……」


 男はザインの話を受けて、少し考え込むように顎に手を当てる。


「……だがなぁ、ここはいくら初心者向けのダンジョンだって言っても、あのハイゴブリンどものような群れに遭ったらどうするつもりだ? 俺が助太刀に来ていなかったら、そっちの小僧は腰を抜かしたままゴブリンの餌食に──」

「──こ、腰なんて抜かしてねえしっ⁉︎」

「本当かぁ〜? 俺にはすっかりビビってるように見えるがなぁ?」

「んな事ねえ! ねえったらねえんだよ‼︎」

「分かった分かった、悪かったよ」


 そう言いながら、動揺しながらも怒鳴り声を上げたディックを宥める斧使い。

 男は背中に斧を背負い直すと、二人を見下ろしてこう告げる。


「こうして出会ったのも何かの縁だ。俺も探索者の端くれだからなぁ……。お前達がこのダンジョンの最深部に到達するまで、この俺が護衛をしてやろうじゃねえか!」

「ご、護衛? おじさん、本当に良いの?」

「当たり前だろ! こんな子供二人を置いて先へ行こうなんざ、ダンジョン探索者の名が廃るってモンよ。さぁさぁ小僧ども、この斧使いベイガルについて来い! ……ってな! ガッハッハッハ‼︎」

「ありがとう、ベイガルおじさん!」

「い、一応感謝するぜ。オッサン」


 こうしてザインとディックは思いがけぬ出会いを果たした探索者ベイガルと共に、改めてポポイアの森最深部を目指しつつ、魔物討伐を再開するのであった。

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