第4話 あの橋を渡って
──翌朝。天気は快晴。
「それでは行って来る。皆、良い子で待っているのだぞ」
「はーい! いってらっしゃい、母さん!」
ガラッシアはソノ村からの依頼をこなすべく、足りない薬草を調達する為ダンジョンへ向かおうとしていた。
全身灰色の毛並みの鋼狼──ギルに跨がったエルフの母ガラッシアは、愛しい子供達の見送りを受けている。元気に声を上げたザインに続いて、エイルとディックも笑顔で手を振って送り出す。
そんな最中、ディックはひっそりとザインに耳打ちをする。
「……なあザイン、後でちょっと話があるんだ」
「うん。別に良いけど」
もう見えなくなった母の背。
口うるさい姉には聞かれぬよう、声を潜めて話し掛けてきた兄。
小さく口元を歪め、悪戯っぽく微笑むディックの様子を見て、ザインは内緒話を持ち掛けられたのだと理解した。
エイルは一足先に家に戻り、読みかけだった本を手に過ごし始めた頃。
ザインはディックに連れられて、家の状況を把握出来る木陰へと身を隠していた。
「どうしたんだよ、ディック。エイルに聞かれちゃまずい話でもあるの?」
「ああ、その通りさ」
チラリと玄関の方へ視線を向け警戒しつつ、兄はひっそりと語り始める。
何故なら、これから彼がザインに打ち明ける計画は、母の言い付けを絶対とするエイルには聞かれてはいけない内容であるからだ。
「……お前のスキル、『オート周回』がどんな能力なのか、知りたくないか?」
「え? そ、そりゃあ、知れるものなら知りたいけど……母さんはスキルを使っちゃダメだって言ってたし……」
「一回ぐらい大した事無いだろ。それにほら、いざとなったら──」
言いながら、ディックは懐からある物を取り出す。
それは、半透明なオレンジ色の液体が入った小瓶だった。
ディックはその中身をちゃぷん、と揺らしながらザインに笑いかける。
「母さんがいざって時の為に部屋に置いてた、エルフの万能薬……! これさえあれば、お前のスキルが自傷系の能力でも安心だろ?」
「ええぇ〜……? これ、勝手に持ち出しちゃって良いの? もしも母さんにバレたら……」
「大目玉を喰らうだろうなぁ、絶対に」
ガラッシアが保存しておいた、エルフ秘伝の万能薬。
今日のように子供達だけで過ごす時、誰かが大怪我をした際などに使うよう言い付けられていたものだ。保管場所は、家族ならば全員が知っている。
母の寝室の棚にある、薬箱の中。
普段ならば誰も中身を確認しないので、ディックがこっそり持ち出している事実を知る者は、ザイン以外に誰も居ない。
「でもさ、今日なら母さんも夕方まで帰って来ないだろ? 今の内に二人で行っちまおうぜ……ダンジョンに!」
「ダンジョンに……⁉︎」
その提案にザインの目が輝いたのを、兄は見逃さなかった。
ディックはここぞとばかりに甘言を畳み掛ける。
「オレ達だって、歴戦の探索者の母さんから指導を受けて剣術を磨いてきたんだぜ? 初心者向けのダンジョンなら楽勝だって!」
「そ、そう……かなぁ……?」
「そうに決まってるさ……! それに、オレのスキルは『見切り』だぜ? その辺のザコ相手なら、無傷で倒せるに違いねえ……‼︎」
「ディックがそこまで言うなら……行ってみたい、かも……!」
(よっし、作戦成功っ……!)
内心ガッツポーズを取りつつ、ニヤリと口角を上げるディック。
すっかりその気になってしまったザインは、これ以上無い程に胸をドキドキさせていた。
「それじゃあオレは武器庫から丁度良さそうなのを持って来るから、エイルには上手い事言ってごまかしておいてくれ。集合場所は橋の手前な!」
「うん、分かった!」
「じゃ、また後でな!」
そう言って、家の横に建てられた簡素な武器庫へと駆け出していくディック。
武器庫の鍵は特に取り付けられておらず、中には訓練用の木剣や木槍などが保管されている。
その間にザインは目立たぬように家の中に戻り、エイル達には「これからディックと川の方で稽古をしてくる」と告げておいた。エイルも特に怪しむ様子も無く、ひらひらと手を振ってザインを送り出す。
兄との約束通り、川に架かる橋の前まで向かえば、そこにはしたり顔のディックが待ち構えているではないか。
「無事に抜け出して来られたみたいだな!」
「うん、まあね。それで、持って来た武器って……もしかして、母さんの?」
「ああ。後で元の場所に戻しとけば大丈夫だろ?」
ディックの右手には、ガラッシアの短剣が。
もう一方の手にあるのは、彼女が狩りに出る際に使用する弓だった。
母の武器を持ち出して来るとは思いもしなかったザインは、流石に罪悪感が募り始める。
「ほら、お前なら弓も使えるだろ? オレが前衛で、ザインが後衛。魔力の判定も済ませた事だし、多分お前なら魔力の矢も使えると思うんだよなぁ」
けれども無許可で武器を持ち出した張本人は、まるで気にも留めていない。
いつも通りの様子でサッと弓を手渡されたザインは、反論する暇も無く受け取らざるを得なかった。
細かな意匠が施された短剣と弓は、ガラッシアが長年愛用している思い出の品でもある。
それを何度も母の口から聞かされてきたザインの胸に、言葉に出来ない複雑な思いが渦巻いていた。
ザインとディックは、橋を渡って川を越えた。
──子供だけで、川より向こう側には行かない事。
──森のダンジョンには絶対に近寄らない事。
耳にタコが出来る程、繰り返し言い聞かされてきた母との約束。
川を越えた先には、ガラッシアが張った結界は届かない。
二人が目指す森のダンジョンは、初心者向けではあるものの、魔物達は立ち入る者に容赦無く牙を剥く。
「さぁて、ここが森のダンジョン……ポポイアの森の入り口だな」
ザイン達がやって来たのは、川を北上した先に続く小道の奥。
隙間無くびっしりと立ち並ぶ樹木は壁の役割を果たしており、一箇所だけ人が通れる隙間がある。
その手前には木製の立て看板が設置されており、ディックが口にしていた通り『ポポイアの森 入り口』と書き記してあった。
「そうみたいだね。……ねえ、本当に俺達だけで行くの?」
不安を滲ませながら訊ねるザインに、ディックが鼻で笑う。
「なんだよザイン、今更怖気付いてんのか?」
「べ、別に怖がってなんかないよ!」
「必死で言い訳してんのが怪しいなぁ〜」
「〜〜っ! い、行けば良いんだろ、行けば‼︎」
売り言葉に買い言葉。
まんまとディックの策略にハマったザインは、二人だけでポポイアの森へと足を踏み入れてしまう。
ザインの手には、ガラッシアがエルフの王家から譲り受けた風神の弓が。
ディックの腰には、彼女が勇者と共に素材を集めて駆け回り、やっとの思いで完成させた治癒の短剣がある。
それらの武器の価値を全く知らぬ、幼い少年達。彼らは背後から向けられる邪な眼光に、これっぽっちも気付いてはいなかった。
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