林檎は廻る。

八下

第1話 chica/A[11月22日6時_11月16日9時_11月16日8時]

「あんたは勝手に殺しておけよ。私は勝手に生きるから。」

鉄風劈く屋上で彼女はたしかに強かに僕にそう言い放った。五感の九割が風の音が占めるほど、その日は風が強く、尚且つ屋上だったおかげで耳が痛かった。彼女もきっと痛かっただろう、生きるだの死ぬだの言いながら目の前の、耳の前の風の強さは変わらないしそれは平等に僕らに影響を及ぼすのだから彼女もきっと痛かったはずだ。そう、痛かったはずだ。彼女はその言葉を言い放った後に僕の方を見ながら屋上の手すりから勢いよく落ちた。落とされたのではなく落ちたのだ。靴ごと足場に打ち付け重心を上から下へ移動させながらバク宙のように彼女は上体を一気に後ろに下ろし、落ちたのだ。落ちたというには美しすぎるその一連の動作には一種のルーティンのようなものを感じるほどスムーズに、なだらかに、そして抗いながら落ちていった。屋上の風をかき分け、手すりから身を乗り出し、下を覗くとたしかに彼女の体があった。花が咲いたように周りに鮮血を撒き散らしながら、ついさっきまでそこで息をしていた彼女の死体があった。僕はため息をつき、とりあえずは屋上から去ろうと思い階段を下ろうとした。ふと、僕はなぜ先ほど目の前で起きた殺人と眼下に見えた死になにも感じてないのだろうかと考えた。考える間も無く脳裏に、脳裏どころか脳の表面に浮かんだ。その理由は単純だ。僕は彼女が嫌いなのだ。大嫌いで大嫌いでしょうがないのだ。



彼女は11月の半ばという中途半端な時期に引っ越してきたらしく転校生として僕の学校に転入した。先生が彼女の肩を少し寄せながら教室に入ってきたときに僕は悟った。サラサラとした黒髪に長い睫毛、細い手足に白い肌、世間一般では可愛い女の子というのだろう。その彼女が教室に入ってきた時、僕の脳にて1つの感情が導き出された、QED。天啓のようなものであった。16年の人生経験から来る使命のようなものであった。人生の解とも思えられた。


彼女が嫌いだ。

彼女を殺したいくらい嫌いだ。

殺さなければならない。


頭の先からつま先の先の先の先まで一瞬で七億アンペアくらいの電流が駆け巡り僕はそのまま右手に持っていたシャープペンを教室に入ってきた彼女の長い睫毛、もとい眼球をめがけ思いっきり投げた。僕は投げるプロでもなんでもないから当たるはずもなくそれは彼女の頰のあたりを掠めた。これでも僕にしては上出来なのだ。クラスがどよめき彼女が僕を確認するという暇も与えず、僕は椅子から立ち上がり左手に持っていた丸付け用の赤ボールペンを右手に持ち替えながら机と机の間を縫って彼女の目の前に立った。

正確にいうと立っていたのはほんの一瞬であり、その後、ほんの少しだけ浅く息を吸い、僕はその赤ボールペンを彼女の首にぶっ刺した。痛みを紛らわせるために出るという声は刺された間際には出ず、喉のあたりを貫いたため、声にならない声のようなものが、ヒューヒューと彼女の首から漏れていた。確認する暇は与えなかったはずなのに彼女は首を刺された瞬間僕の目を見た。


僕は彼女と目が合った。


僕は突然胸のあたりが気持ち悪いことに気づいた。それは嘔吐ではなく心臓病のような重苦しいものでもなく、異様なまでに自分の鼓動が早まっていくのだ。最初のうちは[初めて人を殺したのだから]と思っていたがそれすら考えられなくなるほど鼓動が早まる。僕は彼女の目を見つめたまま固まった。彼女はなぜか事切れる最後に少し笑った。はにかんだ。口角を上げた。味気なく表せられるこの1つの動作を、表情を見たときに僕の心臓に大きな槍が刺さったように痛みが襲った。刺したはずなのに刺されたような感覚が襲う。しかし、刺されて止まるでもなく心臓は更に早くなる。加速する。僕は察した。それは16年程度の経験ではなくDNAレベルでの回答、真理であった。前提として僕は彼女を殺す。そこは変わらない、しかし先ほどまで天啓のようなものだと感じていたその思考に理由がもたらされた、理由が付いた天啓は、望みだと思う。砂漠で行き倒れた人間に優しく水筒を差し出ように、教育を受けられない中東の子にペンと紙をあげるように、その答えは自分の正体を僕に優しく教えてくれた、慈愛に満ちた言動だ。マリアのような慈悲深さ。そこから導き出された答えは、どんなものであれ、慈愛に満ちてると言えるでしょう?


好きだから殺すのだ。だから、僕は彼女が嫌いなのだ。


僕が彼女にボールペンを刺し彼女が絶命した瞬間、彼女の体が光を帯びた。いとうつくしゅうていたり、竹取物語はこんな感じだったのだろうと感じさせるほど美しく彼女の体は光を帯び、そのままふっと消えた。消えた瞬間、僕以外の周りの時間が止まった。録画した番組を止めるように脈絡なく止まった。彼女の脈拍がなくなった瞬間だった。何が何だか分からなくなっていたけども、とりあえず僕は自分の身に何か変化が起きていないかを確認するために自分の体を見た。周りの止まった時間とは対比し僕の右手から血と赤ボールペンのインクが滴っていた。ボールペンの中に入った芯を折るほど強く彼女の首に刺したのだ。火事場の馬鹿力ってやつなのかもしれないし、本当の火事場はこの程度ではないのかもしれない。もしかしたらそれ以上に、彼女の、人の筋肉と骨の強さに驚くべきかもしれない。世界は広く、人生は長いのだ。でも、彼女の命は浅く、短いものであった。


絶命。


命が絶える。文字通りの意味であり文字以上に凄みのある体験だった。人は死ぬ間際に彼女のように笑えるのだろうか、それを見た人間は殺しておいて尚好意を抱けるものなのか。否、その答えは鏡を見れば分かるのだ。斎藤倫示。そうだろう?僕。


次に目が覚めたときには僕は通学路の上、空の下、内戦中の某国とは同じ面に立っていた。地球が丸いだなんて嘘だ、地球は平面であるのだ。第一、地球が丸いというやつのほとんどは地球の全てを1つの場所から見たことがないだろう、見たことがないのなら、今見える全てを使って考えるしかない。そう考えればこの地球は平面だろう、地面は傾いていようと、坂はあろうと、少しデコボコした面と考えられる。そう見えるのだ。それを体験したのだ。到底、球形であるようには思えない、つまり面なのだ。このように自分の目で見たことを信じ、受け入れることが大切だ。

僕がさっき彼女の首に赤ボールペンを突き刺したのはこの日のHRであった。時間は巻き戻せないものではなく、時間とは巻き戻るものなのだ。僕はついに時間軸を遡ることに成功した。騙されているのではないかと思い、僕は学校に早足で向かった。校門をくぐり、廊下を抜け、階段を登る。そこまでの工程に、なんら不自然な情景や表情などは見られなかった。見れなかっただけかもしれない、しかし、そういうふうに考えていてはキリがない。僕は手っ取り早く教室を目指した。教室のドアを勢いよく開け、先ほど彼女が絶命した教壇の横に目をやるが、そこには血は一滴もなかった。ポケットからケータイを取り出し、時刻を見るが、ケータイの時刻は今日のHR前を示している。検証によって立証。ここは僕が彼女を殺す前の時間なのだ。[先ほど殺した]ではなく[これから殺す]なのだ。現象。うつつの出来事とは思えないが体感し体現されているのだからしょうがない。目に見えるもの、感じたもので考えるべきなのだ。単純に考えるのなら、僕が彼女を殺したことにより僕が時間を遡ったと考えられる。それはどちらかというと、いやどちらというまでもなく、僕のための、僕の殺人を隠すための現象ではなく、彼女の絶命を防ぐための現象だと思える。このような思考、堂々巡りのような自問自答の思考で答えが出ることは少ないと、これまでの人生経験で理解はしている。大人に近づくにつれ、寝る前の考え事が良い方面に転がることはないように。

チャイムが鳴る、学校がうねりをあげるようにチャイムが鳴る。前回はあまり気に留めていなかったチャイムがやけに大きく聞こえた。先生が言う、「今日は転校生がいるぞー」間延びした声で言われたが、それとは逆に僕の精神は少しずつ研ぎ澄まされる。刀のように。先生が肩を寄せた先に今回も彼女はいた。サラサラとした黒髪と細い手足とその他諸々、欠損なく生きていたのだ。幽霊ではない、僕は彼女と目があったのだから。

良かった。

そんなことを考えながら僕はシャープペンを彼女の眼球にめがけ投げつけた。やはり僕は彼女を殺さなければならない。これは僕の望みなのだ。望みは叶えるべきものなのだ、他の人の人生をとやかく言おうと結局は僕の人生であるのだ。そこは揺るがない。揺らいではいけない。部屋の真ん中で、天井に吊るされゆるりと光る電灯を見ながら、ぼやーっとした自分の存在について定義することは無意味ではなく意味はあるのだが、僕の場合、そこに効率と望みはないのだ。今はそこに望みがあるのだ。そんなことを考えながらどうせシャープペンが外れることを想定し、立ち上がり、赤ボールペンを右手に持ち替えた。机と机の間を縫い、彼女の首にめがけてぶっ刺した。デジャヴであるはずの一連の作業を終えたと思い僕が手元を見たとき、それは、赤ボールペンは、110円で買った0.7mの少し太めの赤ボールペンは刺さっていなかった。彼女は僕の一撃を横に体をずらし、避けたのだ。避けるのは難しいことではない、僕も油断をしていたし、命を奪うという行為に軽率になっていたかもしれない、しかし彼女は運動が得意な方ではないのだろう。彼女は少し汗ばみ、顔色が悪かった。そこが前回と違った。そして決定的な点として、僕と彼女は教室に入った瞬間、目があったのだ。


そう、見えるものから考えれば簡単だ。つまり彼女は僕が前回彼女を殺した記憶を、自分が殺された記憶を持っているのだ。僕と彼女は目があった。今回は時間は止まっていなかった。

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