蒼の夢

 「君は気づいていないけれど本当にすごい人だと思う」とその人は言った。私はまだ二十歳そこらで、相手は六十歳そこらだった。

「どうして?」

「少なくともこれほど、これほど」その人はそこで言葉を飲み込んだ。

「君はね、とても魅力的なんだよ」その人は優しく言う。目じりを少し下げて。

「自分ではわからない」

「いろいろなことを知っているし、恐れない」彼は言う。

「君は色々なことを恐れない、それは誰にでもできることではない」

「何もできない、私は」二十歳の私は言う。

「何もできない」

 彼はいなくなり、あたりは真っ暗闇になる。

「君はすごい人なんだよ」彼の声だけがどこからか聞こえる。

「君が君を信じられれば本当は良い、でもまずは僕のいうことを信じてごらん。君は魅力的だ」

「わからない」私は叫ぶ。真っ暗闇の中で泣きそうになる。

「私は親友を失った、受験にも失敗した、何もかもできない、どうしようもない、くずだ。消えてなくなりたい。くずだ。消えてなくなりたい……」

「君は魅力的だから」どこからか彼の声がする。

「信じて」私は彼の顔を必死で思い出そうとする。でも思い出せない。どんな顔だっけ。少しだけでもいい、思い出したい、でも私の頭に流れてくる顔は全てのっぺらぼうだった。どうして、さっきまで覚えていたのに、どうして、

「信じて」

言葉が何処からか聞こえる。信じる。信じるから、ここから抜け出したい、この暗闇の中から……。


 私はそこで起きた。時計を確認する。まだ深夜の三時だ。テレビをつけてみるが、特に面白い番組はやっていない。試しにラジオをつけてみる。ラジオでは宇多田ヒカルが歌っていた。『真夏の通り雨』。私はそれを一曲まるまる聞き、携帯でニュースを見て、特に目を引く記事が無かったことを確認して、もう一度電気を消してベッドに潜った。

 暗闇の中で、私は少しだけ泣いた。

「……先生」

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