トラツグミの男
「いらっしゃいませ」公園の中には小さな動物園があった。
「大人一枚」私はチケットを迷わず買う。
動物園は非常に興味深いものだった。平日であまり人がいないことも、楽しめた理由の一つだろう。特に鳥の種類が豊富で、半日いても飽きなかった。私は歩き疲れたこともあり、十分くらいトラツグミを見ていた。
私がぼうっとベンチに座っていると、前で野鳥を観察していた男の人が何かを落とした。カメラのレンズだ。私はあわててそれを拾い、走る。
「落としましたよ」
男が振り返る。痩せていて、背は高く、首には高そうなカメラをぶら下げている。年齢は……年下だろうか、二十代か三十代前半だ。
「ああ、気が付かなかった」と男は柔らかい声で言った。
「ありがとうございます」男はこちらが申し訳なくなるくらい深いお辞儀をした。
「いえいえ」私は首を振る。
「さっきから、あの、トラツグミを見ていらっしゃいましたよね?」男はこちらを伺うように言う。なんだか人見知りのネコみたいだ。
「はい」
「鳥がお好きなんですか?」
「いえ、動物全般が好きなだけです、特に思い入れがあるわけではなくって、疲れたからたまにこうやってぼおっとしているだけで。私は実は獣医なんです」
「そうだったんですね」男は驚いたようだった。
「私なんかは動物の写真を撮るのが趣味でして」それは男の格好を見れば一目瞭然だった。歩きやすそうなパーカとジーンズに登山靴、ポケットの多いリュック。いかにも機能面を重視した格好だ。
「動物を撮るのはなかなか難しいんでしょうね」
「そうなんですよ」男の顔はぱあっと明るくなった。
「時には一日かけてもいい画が取れないこともありますし、とにかくじっと待っていなくちゃならないんです。忍耐が必要ですし、目の良さ、瞬発力、あとは知識も必要ですね」男は急に顔が明るくなり、声も大きく早くしゃべった。よほど写真を撮るのが楽しいのだろう。
「それは楽しそうですね」と私は言う。
「今日はずっとここに?」
「いえ、ここでは良い画が取れたら、また別の何かを撮りに行きます」
「そうですか。ここにはよく来るんですか?」
「いえ、私は東京の人じゃないんです、だから今日と明日でいい写真を撮り終えたら田舎に帰ります」
「私も東京には住んでいません」私は冷静に言った。
「実はがんになってしまって、療養のために旅行しに来たんです」私は帽子を脱ぎ、毛の短くなった頭を見せる。
「それは」と相手は本当に悲しそうな顔をした。とても感受性の強い人なのだろう。
「お気の毒に」
「いえ、こちらとしても休養が必要だったので、自分を見つめるいい機会になりました」私は努めて冷静に言う。
「悪いことばかりじゃありません」
「強いんですね」
「ええ」だって強くないと生きていけないから、と言おうとしたが、飲み込んだ。
「あっ、動いた」すかさず、その人はカメラを孔雀に向けた。私はそっとその場を離れ、ほかの動物たちを見て回った。
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