女王のローゼ
人間の持てる全ての力。才能、運命、名誉。女王。人として生を受けた者の持ち得る全てが手中にある。女王とはそういうものだ。優秀な女だった。名をローゼといった。女は鮮やかなバラの毛の色を持つ当代女王だった。
髪を二つに高く結う。幅広のリボンを目立つように結わえる。赤いショートドレスを纏う。そうすることで女王は完成する。魔法は身に滾っている。いつだって。
ぱっちりと開き、その目はきらめく。聡明な女は、己のたどる道筋が見えていた。女は望んで女王になったわけではなかった。そうであったはずだ。自分に傅く王宮付きの甘い髪色の女が、自分だけのものではないと気づいていた。とかく聡明な女だった。運命づけられたとおりに女王は孤独だった。
戦果を上げる。鍛錬に励む。内政は彼女の仕事ではない。戦果を上げる。戦場を駆け回る。より多くを倒し、より多くを無力化する。女王の管轄はそれだけだ。敵も味方ももはやなく、頼りにするのは己の腕のみ。孤独でないはずがない。隣にたつのはジェスだけで、それさえ、ローゼ本人ではなく、ローゼの座る椅子の添え物だ。孤独でないはずがない。しかし、ローゼはあの甘い髪色をもつ女が自身が潰えることでーー次の女王が来るとしてもーー幾ばくかの傷を負うことを知っていたので、気づいたことには口をつぐんだ。
懇意にしていた人間がいなくなるということは人の心に大きな爪痕を残すものだ。それがたとえディスペンサーの中身のように入れ替わるものだとしても。ジェスは女王が無傷で帰ってくることを歓迎する。逆に怪我などしようものならむっつりと黙り込んでその長いまつげを伏せさせる。それがどんな意味を持つかを知らぬ女王ではない。それが何を示しているかを知らぬ女王ではない。女王は、自分がジェスを置いて先に行くことを知っている。だから女王は何も言わなかった。わざとつらい気持ちをあおり立てるようなことをするのは、女王としても本意ではなかったからだ。
いつからか、新しい女王候補の話題が入るようになり、王宮は色めき立った。ローゼは玉座に着いたまま、これなら、首と胴が繋がったまま死ねそうだな、と考えた。新しい人間が配備される予定だと言うことは、戦争はまだまだ終わらないに違いない。だからきっと、自分の最後は斬首刑ではないはずだ。空を駆け回る剣のまま死ねるのは、そうあれかしと望まれたこの身にとっては歓迎すべき最後で、きっとずっと名誉なことだった。
新しい女王だという男が現れたのは具体的にいつ頃だっただろうか。どこかオリエンタルな印象を受ける青年の髪は自分と似た赤色で、人を寄せ付けない雰囲気はその立ち姿の輪郭をはっきりと際立たせているように感じられた。女王は男を見て、まず、しなやかだ、と思った。この男なら大丈夫だろう、という奇妙な確信。なるべくしてなったのだろうな、という納得。次に考えたのは、王宮に新しい人が入るのは珍しいということと、あとはジェス、リマ・コークの名と甘い髪色をもつ女王付きのジェスターのことだった。
新しい女王が来たことで自分はお払い箱になるのだろうか。その場合、ジェスはやはり新しい女王のものになるのだろうか。ローゼは表情を変えないまま考える。ジェスが男にひざまずくところを想像し、夜伽に思い至り、そして最後には静かな失望を感じるのだった。わかっていたことだ。定められていたことだ。しかし、自分が生きているうちに新しい女王が来るとは考えもしなかった。どうやら特例であるらしく、塔の女魔術師は何事かを隠しているようでもある。誰もが口をつぐむ。女王は元々無口であった。
時折ジェスは心にもないことを言った。本人も自覚していた。女王がそれを暗黙のうちに了解していたこともあるいは知っていたのかもしれない。ポジション・トークというものは女王にも理解ができたし、虚実の入り乱れたやりとりの中でどれが実際それだったのか、女王にはわかりかねた。わからなくても良かった。口に出された言葉こそが本当であると信じて疑わないことが、二人の間の絆だった。失言は順次訂正され、訂正は甘んじて受け入れられた。ジェスはジェスターであり、仕える相手如何で態度を変えるのだって仕事のうちだ。だから盲目的に信じた。表わされた気持ちを疑わない。誤解があれば訂正する。それが常だった。あの男はリマ・コークをどのように扱うのだろうか。男の元で、彼女の栓抜きは如何様に取り計らわれるのであろうか。そもそも彼女はおんなとして扱われるのではないか? 女王は気づき、激しい怒りに突き回された。ジェスが姦しく悶えるのが想像するだに許せなかった。苛烈な日々の隙間で静かに息を潜めるようにしてここまで二人やってきた。それが心地よいのだとジェスは口にした。だというのに。
女王の懸念は杞憂であった。男はローゼからジェスを取り上げることをしなかったからだ。それはどうも彼自身の出自と、ここに来た経緯に関係があるようだった。ローゼは女王のポストとジェスの両方を抱えたまま、新しい女王を迎えることになった。そのことは異例の生前処分をなされるのではと危惧していたローゼを酷く驚かせた。
ローゼはジェスが泣くのを見た。静かな夜だった。女王は不審に思ったが、ベッドサイドでさめざめと泣く女はしかし、そのまま部屋を出て行くことも、声を荒げることもなく、自身の処遇を悲しんでいるようにも見えなかったのでローゼは眠ったようなふりをして放っておいた。改めるのが怖かったというのももちろんある。本当はあの男について行きたかった、といわれてしまえば、女王はそれをどんなに拒んだとしても信じてしまう。それが、二人の間にある絆だったからだ。
目を覚ました女王は、新しい話が書き上がったので近いうちにでもまた話そうと言ったジェスに、今、ここで、と返した。女王の話だ、聞いてくれるだろうか。『女王』と言ったジェスの目が、まっすぐこちらを向いていたので、聞かせてくれ、おまえの口からがいい、とローゼは答えた。
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