ジェスターのジェス

背の高いその女はジェスと呼ばれていた。宮廷道化師(ジェスター)だったからだ。


ジェス。ミルクティー色の巻き髪と陽光を撥ね付ける白い肌。図書館司書のような雰囲気を持つ女。口数は多い方ではないが美しい声をした女。女王の無聊の生を慰めるためだけに存在する女。『ジェス』は女王に付随する概念であった。


女の名はリマ・コーク。穴の内面を滑らかにする工具と栓抜きの名称を合わせ持つそれは女の生まれもった名ではなかったが、もはやそれはどうだっていいことだった。ジェスと呼ばれて以来、女は誰でもなく、リマ・コークでしかない。


「ジェス」


赤衣の女王は椅子の上からジェスを呼びつける。ジェスは重い毛皮のコートを纏ったまま女王に頭を垂れる。女王にのみ許された特権。ジェスは女王の命しか聞かぬ。それは使命のために持てる全てを与えられ、理想のために名誉と未来、命、安らぎ、果ては存在全てを奪われる女王への手向けであった。無口で不機嫌な女王はジェスを呼びつける。ジェスは黙って頭を垂れる。


ジェスの役割は慰問、娯楽の提供である。人間の到達できる上限、全知全能にも等しい”全て”を与えられてしまった女王にもはや身の自由はない。ジェスは目次を開き、『おはなし』を始める。女王はむっつりと黙ったまま、ときに俯き、頷き、ジェスの声を聞く。楽しいともつまらないとも言わないが、女王はジェスを呼び続け、遠ざけることはなかった。


ジェスは王宮の中でもイレギュラーな存在だ。女王と同じく、『ジェス』にも多くが与えられた。ただの宮廷道化師であるならば明らかに不要なほどの力が彼女の手にあった。それは”溢れるほど”を背負わされる女王の『潤沢』に合わせて王宮が女に許したものだった。『女王を正しく機能させる』。それがジェス、宮廷道化師の女に与えられた役割だった。ジェスは女王に寄り添う必要がある。リマ・コークの名は誰がつけたのだったか。ジェスの夜伽は『おはなし』だけにとどまらない。


滑らかになる内側というのは内臓だろう。女王は子を持つことが許されぬ。膨れた腹を抱えて戦場を退くことを許されぬ。特定の誰かを守らねばならぬ弱さを抱え込むことが許されぬ。ただ研ぎ澄まされた美しく強大な剣であり続け、国家の平穏のために身を捧げねばならぬ。女王には一人の人間として誰かと親密な関係を築く事が立場上許され得なかった。女王は男を知らぬ。女王は女を知らぬ。女王は恋を知ることができぬ。愛は、偉大なる理想のために捧げるものであった。それでも生身の肉体は温かな肌を求めた。


コークスクリュー。栓抜きの示すところは細まった管との摩擦だ。女は通常の女にはあり得ない、コルク栓のように堅く、ぎっちりと膨らんだものを持っていた。これこそがリマ・コークがリマ・コークである所以だった。ジェスが白い毛皮を脱ぎ、張った胸を薄暗闇にさらすたび、傷だらけの赤い女王は目を眇める。


ジェスと女王は破滅のカウンターパートだ。戦いに明け暮れる女王は若く美しいうちに散る。それに抗う力を持たされてなお、長くを生きることはかなわない。生に執着する女王はバラのようだと女は思う。枯れてなお花弁の残る花房はしかし、もぎ取られるように命を落とす。悲しみも破滅も運命づけられたものだ。それを女はすぐそばで見届けねばならぬ。何度繰り返しただろう。


女王が朽ちればお役御免。そしてまた新しい女王がやってきて、使い古しの道化はまた女王へ忠誠を誓う。終わることのない運命の輪は回り続ける。女王は朽ちる。道化の女は変わらない。変わることが許されない。『ジェス』は女王に付随する概念であったから。


「ジェス」


女王が呼び、ジェスは頭を垂れる。背の低い女王が険のある目を向け、ジェスはそれを受ける。いつも通りだ。願わくばこの仮初めの『いつも通り』がなるだけ長く続けば良いと、ジェスは頭の片隅で願っていた。


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