転校生のルイス

ルイス。教室中を見回して、教壇の前に立つごく真面目そうな男はそう名乗った。ルイスは転校生だった。学期も中ごろの、ひどく中途半端な時期だった。それがきっかけのまず一つ目。


ルイスは黒い髪を持ち、細いフレームの眼鏡をかけた童顔の男だ。頭の出来は良いほうと見える。容姿はどこまでも平均的で何か劇的なものがあるわけではない。普通。そう、普通だ。それがルイスという男に対する印象のほとんどすべてだった。普通。しかしそれこそが妙だった。ルイスはものの一週間でこの学園に馴染んだ。そう、まるでもとからこの学園に通っていたのだというみたいに。普通、普通に馴染んでいる。教室のすみでなにをするでもなく見ていたルカは、その違和感に気が付いた。気付かざるを得なかった。三日もたっていないというのに、教室の真ん中で入学した時からの友であるかのように話す彼らを見て、人間関係とはかようなものだっただろうか、とルカは考える。見る者にそれと気づかせないほどの適応力。それがきっかけの二つ目。


決定打は何であっただろう。ルカは別段関わっていこうという気はなかった。妙なクラスメイトが増えたところで自分のやることは変わらない。ルイスは授業妨害をするような男ではなかったし、そうであるならルカには何の恨みも関わりもないからだ。ルカの目が参考書から上げられることはないはずだった。だってそうだろう、とルカは考える。友達を増やしに来ているわけじゃない。関わった人数を競うように立ち回ることもない。話しかける必要も必然性もない。そのはずだ。そのはずだった。澄んだ黒い目が向けられなければ。優しげな声が『やあ、君がルカだね?』と言わなければ。名指しで呼ばれたのであれば答えざるを得ない。だってそうだろう。それは仕方のないことだ。


噂には聞いているよ、熱心なんだね、と隣でおどけたように言う男をあしらうこともできず、ルカは内心苦いものを感じていた。親しげに笑って見せる男の笑顔は完璧なまでに完璧で、それはまるで敵意を抱かせないために練習したかのようだ。それがどうにも居心地の悪さを感じさせた。そうでなくとも人付き合いは得意なほうではなかった。かといって勉強の邪魔だと追い払うのも人の道に外れているように思えた。ルカは口をついて出そうになる悪態を飲み込んで、問われたことに対し淡々と機械的に答えていった。ルイスは茶目っ気のある表情で断片的な話を丁寧に拾っていく。


どうしたらいいかわからない。どうしていいかもわからない。ルカはただただ受動的に時間を過ごした。他の級友のように、つかず離れずの距離を保ってくれたらどんなに楽だろうと思った。引き込まれるような目がどうにも落ち着かない。すっきりとした笑顔が引っ掛かる。なんだか嘘くさい。そう、嘘くさいと思った。しかし出会ったばかりの級友へそうだと直接言うのも憚られた。当然だ。ルイスが『話に付き合ってくれてありがとう。僕はそろそろ行くよ』と言ったので、ルカは『そうか、それじゃあ』と返し、別れ際に手を振って、へら、と笑った。社交辞令もいいところの硬い愛想笑いだった。ルイスが気を悪くしたそぶりもなく手を振り返したので、ルカは内心ほっとした。


それからしばらくはルイスと話すこともなかった。せいぜい授業で関わる時くらいだ。彼は彼なりに忙しい男らしかった。そう、そういうところは幼馴染のユミに似ている。人付き合いが良くて、誰からも好かれる。ルカは転校生との関係が望むものに落ち着きそうなことに安堵した。


彼が転入してきてから、学園内はルイスの話題で賑わっているようだった。女生徒から控えめな視線を送られるのを見た。人気があるようだ。嫌味なところがなく、同性からの信頼も厚いと見える。人に囲まれているのを何度も目撃している。どこかミステリアスで理知的な炎を目に灯している。それはまっすぐ向き合ったルイスの中にルカが見たものだ。ルカはルイスのもつ人好きのする笑い方を思い出す。ルイスは好かれてしかるべき人間だ。しかしどうにも違和感がある。ルイスは魅力的な人間に違いない。それなのにこの引っ掛かりはなんだ。答えは出ないまま実習が始まった。関わる機会は必然的に増えていく。


広範囲に作用する魔法の使い方を教える場合、閉鎖空間で行うのが望ましくない場合が多々あり、そういった場合に合わせて授業は野外で行われる。バケツに汲んだ水を地面に置き、ルカは杖を握る。杖には自分の名前が書いてある。電波塔は動いている。認証、承認。『杖は持ち主でなければ扱えないので取り違えない』『ライセンスが切れていないか確かめる』『電波塔が動かない場合は発動しない』……魔法には様々な制約がある。そのうえで、制御しきる技量がないとうまくいかない。息を吐く。魔法を使うのはあまり得意でなかった。バケツの水を杖の先で掬い、丸めて投げる。水の球はどろんと弧を描いて飛び、ぼちゃ、と弾ける。出来は悪くないがそこまでだ。周りを見ると、丸めるのに難儀しているもの、水を団子にしてしまっているもの、バケツごと投げてしまっているもの、様々だった。練習しなくちゃならないな、とどこか冷めた頭でルカは考えた。


暗い衣装が目の端に留まった。青い影のようなそれに目を向けると、そこにいたのはルイスだった。魔法の発動を補佐する衣装を身に着けて水浸しの地面を走っている。手にした杖を地面に向け、腕を振るう。杖が振るわれるのに追従して水の球が現れる。弾ける水の粒がキラキラ光っていて非現実じみていた。ぼんやり眺めていたルカは、ルイスが濡れた地面から水だけを掬って投げているのだと理解するのに数秒かかった。彼は担当の講師と駆け回り、水のぶつけ合いをしているようだった。どうも実技の一環としてより高度な演習をしているらしかった。ばちゃばちゃと水の球は弾けていく。


楽しそうだ、とルカは思った。水飛沫のとんだ衣装が夜空のように輝くのがそう思わせたのかもしれなかったし、もしかしたらルイスが走り回りながら口の端を釣り上げて笑うのを目にしたからかもしれない。ルカはこの時初めてルイスを羨望の目で見た。羨望というには弱くその情動は微々たるものだったがともかくルカは目を向けた。腑に落ちたといってもよかったかもしれない。そこにずっと抱えてきていた違和感はなく、ルカは素直な気持ちでルイスを認識した。そこにあったのは好意だったのかもしれなかった。


(続く)

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