Naviulah Reventelia
法月春明
Prologue
階段を一つ上る度に無数の罵声が突き刺さった。無実の罪を着せられた少年は俯き、震える足を階段に乗せる。
反論は許されない。許可なく口を開けば鞭で打たれるからだ。
歩みを止めることは許されない。背後から蹴り上げられ、鞭打たれ、強引に首輪を引く。
そうして唇を噛み締め、重い足を進めてようやく口を開くことを許されたのは階段の最上段――絞首台にたどり着いた時だった。
「罪人よ。自らの罪を告白しなさい」
淡々とした声に少年は唇を噛む。口を閉ざし俯く彼の背に男が鞭を振るい、足元からは大衆の笑い声や怒号が飛ぶ。
「罪人よ。お前が犯した罪を認め、告白しなさい」
「僕は……」
無罪なのです。そう言いたかった。だがそれは許されない。この絞首台に上るずっと前、「執行人殺し」というこの世で一番重い罪を背負わされたその日から今日この日にこの場所で死ぬことは決められていたのだ。
「認めなさい。あなたが犯した罪を」
「告白しなさい。お前が犯した罪を」
まるで強要されるかのように淡々と呟き、男たちは鞭を振るい続ける。それは身にまとっていた布切れのような衣服と呼べるかも怪しい布切れが裂け、背中に裂傷が刻まれても、立ち続けることが出来ずに膝をついてもなお止むことはない。
痛みに唇を噛み、いくら呻いても彼が罪の告白をするまで鞭を振るう手も告白を促す無機質な問いも止まないのだ。
「僕の罪は……」
認めてしまえばこの苦痛から解放される。これから先、もう痛みも苦しみも味わわなくて済むのだ。だがそれは無実の罪を認め処刑を受け入れること。思い返して幸せだと思えることもなく、時には人助けを、時には汚れ仕事を買って出て生活してきた人生だった。死にたくないと思える程に裕福な暮らしはしてこなかった。それどころか早く死んでしまいと何度も思った。それでも、こんな死があっていいものなのだろうかと自問する。
無実の罪で裁かれ死ぬ。それが恥晒しである自分にはお似合いの末路なのではないだろうか。
誰も味方がいないという状況で疲弊しきった精神状態では早く楽になりたいという考えだけが頭の中を支配する。そうして行き着いた答えは、ただ一つ。
「僕が、執行人カミルを――」
「まったく、悪趣味な虐殺ショーだな。見るに耐えん」
考えに考え抜いて、考えることにすら疲れて導き出した答えに口を開こうとしたその時だった。背後から聞こえた場違いな男の声に、その場にいた全ての者が声の主に注目する。
遅れて振り返った彼の目に映った青年はとても仕立ての良い衣服を身にまとっていた。手にした杖で肩を叩き、それすらも画になるような男だ。
そして何よりも彼の目を惹きつけたのが青年の顔半分を覆い隠す黒い眼帯と橙の瞳。どこか懐かしさを覚えて思わず見惚れていると、青年と目が合った。
「いつからここは罪人の虐殺ショーを行うようになった? カミルが生きていた頃は絞首台なんて使われなかっただろうに。そもそも執行人殺しなんて大罪を犯した者への刑の決定とその執行はすべて、執行人が執り行うものだ。それともなんだ、君たちは私怨だけで彼を殺そうとしているのかい? そうだとしたら、執行人として見過ごすわけにはいかないな」
執行人と彼が口にした直後、場の空気が変わった。
執行人とは時に法では裁ききれない重犯罪者へ処罰を下し、時に冤罪を課せられた者たちを護るこの国の秩序と安寧を護る者たちだ。特に彼らは、国に突如として現れた
一切の私情を挟まずに罪状を公平に見て罪人に正しき罰を与える。たとえ罪人の命を奪うことになろうともそれが許されるのが執行人なのだ。それ故に執行人になれる者は少なく、彼らの口から語られる言葉は絶対の権限を持つ。
「今ならまだ見逃してやれるぞ。その少年をこちらに渡し速やかに執行人ごっこをやめなさい」
「し、しかしこの者がカミル様を……」
「しつこいな。それを決めるのは我々の仕事だ」
言いよどむ男たちを一蹴し、青年は男たちを押し退け少年の前に立つ。そうして杖でグイ、と前髪をかき分け目を細めた。
「その目……やはりお前か、シェルキア」
「どうして、僕の名を……」
偽名を使い必死に隠していた真名を口にされ、少年――シェルキアの顔に焦りの色が見える。
ある日を境に家族を失い、見世物として、奴隷として地を這いながら生きてきた少年は一族にとって恥晒しもいいところだ。
隠していたとはいえ、緋と橙のオッドアイは目立つ。何かと理由をつけて誤魔化してきたものの、真名を知るこの青年の前ではもう隠し事も何も出来ないだろう。おそらく彼は少年のすべてを知っている。だからこそ落ちぶれた自分を見られるのが嫌で、また見世物として虐げられるのではないかという危機感に手足が震えた。
「特徴を聞いた時、どうにもそんな気がすると思ったらまさか本当に、本人だとはな。おかげで探す手間が省けたよ」
杖で優しく頬を小突かれ、驚き、顔を上げると青年は笑っていた。優しげな眼差しにやはりどこか懐かしさを覚え呆然としていると、青年は続けて膝をついた。
「ほら立て。お前の処罰は私が決めよう。異論は認めないぞ。分かったらお前たちもさっさと家に帰れ。直に日が暮れる。このままここで待っていても妖魔に食われるだけだ。それともなんだ? 食われてカミルの所にでも行きたいのか?」
妖魔と聞いて民衆の目の色が変わる。
妖魔とは、世界各地に現れた巨大な迷宮から出現した異形の怪物たちだ。
こんなにも大勢の人が集まる場所に、人を好んで食らう魔物である妖魔が目をつけないわけがない。青年の言葉を裏付けるかのように、どこか遠くで妖魔の鳴き声が聞こえた。それを聞いた見物人たちは悲鳴を上げ、広場を去っていく。残されたのは青年とシェルキア。そして、シェルキアに罪の告白を促した男たちだけだった。
「立てるか?」
最早青年の目に男たちの姿はない。差し出された手をおずおずと取ると彼はまた優しく微笑んだ。
「言いたい事は山とあるだろう。だがそれはここで話すべきではない。まずは、安全な場所へ行こう」
青年の言葉にただただ頷くばかりで、共に立ち上がると青年は手を引き、絞首台から飛び降りた。
「え? え?」
高さにして三階建ての住宅ほどではあるが、何の準備もなしに飛び降りるのは心臓に悪い。身を強張らせ、青年の腕に縋り付くようにしていると地上に降り立つ寸前でシェルキアの体を引き寄せ、軽々と地上に降り立った。
「ちょっと、あ、あなた、飛び降りるなら、そう言ってくださいよ!」
「いちいち階段使って降りてられるか。奴らはどうしても君を殺したくて仕方がないらしいからな」
「は? 何言って……」
その疑問に応えるかのように頭上に影が差し、耳をつんざく獣の咆哮が聞こえた。
見上げると巨大な翼を広げた獣のような妖魔が絞首台の周りを旋回している。
「ひっ……」
「情けない悲鳴をあげるな。あれくらいの妖魔なら見た事くらいあるだろう」
「あ、ありますけど……っ」
先の恐怖も相まって立っていられなくなり膝をついてしまう。情けなく青年にしがみつき、縋るような目を向けると青年は、呆れたように笑っていた。
「大丈夫。あれはあそこからは降りてこないよ。絞首台にいる奴らの方を餌と認識したようだからね」
鼻で笑う青年の言葉に続くように、頭上からは無数の悲鳴が聞こえた。シェルキアもそういったものを聞くのは初めてではない。それでも耳を覆いたくような悲鳴と、妖魔の「食事」の音にもしこの青年が現れなければ、ああなっていたのは自分だと思うと、吐き気が込み上げてくる。
「すみま、せ……」
「暗殺業してたわりにそういうの弱いんだねえ」
「あなた……どこまで知ってるんですか」
さも当然のように、ひた隠しにしてきた秘密を口に出されてはこの青年に救われた感謝よりも、薄気味悪さを覚えて身構える。対して青年は変わらぬ微笑みをたたえ真紅たまま――むしろ楽しげにニコニコと笑いシェルキアを見据えていた。
「お前の事ならばなんでも知っているよ。レイドルーナの外れにある小さな街シュテイルヘルツの領主レヴィウス・シャルラハロートの息子。幼い頃に家を襲った暴漢により母を亡くし、男に拉致され長らく行方不明となっていた純血の吸血鬼。燃えるような真紅の髪と忌まわしき
「やめろ、それ以上は聞きたくない! なんだ……あんたも結局、それが目当てなのか。見世物にする為に、助けたのか」
「いいや、違うよ。まあ、あれは幼い頃だった。分からないのも無理はないが……あれだけお兄ちゃんとまとわりついていたクセに忘れられているというのは些か堪えるな」
困ったように肩を竦める青年の仕草が、幼い頃の記憶と重なる。
「改めてしっかり名乗ろうか。私はキルティア・シャルラハロート。前当主、レヴィウス様の命により君を迎えに来た者だ。とは言っても家を継げと迎えに来た訳ではないよ。君には執行人カミル殺害の容疑がかけられているからね。その事について色々訊きたい事があるのだけれども。御同行願えるかな?」
そう言って差し出された手をすぐにとることが出来なかった。もちろん、幼い頃に世話になっていた異父兄を疑ったわけではない。確かに記憶の中に彼は存在していて、彼の語った自分の経歴も本物。やっと地獄のような生活から脱することが出来ると、本当にそれだけなら迷わず手を取っただろう。それが出来なかったのは、絞首台に引き摺り出された原因である執行人カミル殺害の犯人だと疑われていたからだ。
「……全てを話せば、疑いは晴れますか?」
「もちろん。皆が知りたいのはお前の口から語られる真犯人の名だからね」
その一言に、どこか救われた気がした。彼は、異父兄弟は、シェルキアが最初から執行人カミルを殺したのだと思ってはいないのだ。彼の前で無実だと叫べばようやく本当の意味で解放されると安堵して、震える手を伸ばす。
「っと、危ないぞ」
差し出された手を強引に引かれ、キルティアの腕に倒れ込む。その直後に、頭上からぐしゃりと音を立てて妖魔が降ってきた。
「なっ……」
何が起きたのだと問う前にもう一つ。何か頭上から降ってきた。
耳をつんざくような悲鳴をあげて妖魔がのたうち回る。が、まるで地面に縫い留められたかのようにバタバタと手足をばたつかせ、ぱたりと事切れてしまった。
「な、な……」
立て続けに起こる事態に頭が追いつかない。普段であれば冷静に状況を見られるのだが、拷問まがいの誘導尋問に疲弊した思考は即座に処理出来る程回復してはいない。
口をパクパクとさせるしか出来ないシェルキアをよそ目に、後から降ってきた者が妖魔に突き立てた刃を引き抜き立ち上がる。
「……旦那様、お怪我はありませんか」
「ああ、問題ない。が、危うく下敷きになるところだったよ」
「申し訳ございません。空中戦は、不慣れなものですから」
軽く血払いをして刃を鞘に収めたそれはシェルキアとそう歳も変わらぬ少年であった。
ネコ科の動物を模した奇妙な半面をつけた彼は、落下の衝撃か戦闘の衝撃か。ずれた面を直しシェルキアを一瞥、旦那様と呼んだキルティアの前に膝をつく。
「構わんよ。それより状況は?」
「はい。旋回していた妖魔は全て仕留めました。が、男共はええ、食われてしまったようですね」
あっけらかんと言い放つ男の表情は見えない。声色は淡々としており、まるで機械のようだ。
ただ、たどたどしいイントネーションと見たこともない得物に彼が異国の者であることだけは整理のつかない頭でも理解することが出来た。
「御苦労。では、帰るとしようか」
「かしこまりました。妖魔の遺骸はどうされますか?」
「そうだね、放っておきなさい。我々はあの場に居合わせた者達を喰らい尽くした妖魔を殲滅した。ただそれだけだからね。直に騒ぎを聞きつけて軍警も来る事だろう。口うるさい奴ら見つかる前にさっさと退散しようじゃないか」
タイミングを見計らったかのように現れたのはシェルキアが見たこともない、いかにも高級そうな車だ。手を引かれるがままに立ち上がって乗せられて、ドアが閉められた音にビクリと肩が震えた。
いちいち怯えるのも馬鹿らしいとは思うが、どこに連れて行かれるかも分からずただただ怯えることしか出来ない。乗せられてすぐにハヤテと呼ばれた少年からジャケットを渡され、羽織ったものの汚してしまわないか気が気でない。
「あの……」
静かに走り始めた車内は沈黙に包まれている。いたたまれなくなって声をあげたものの、続く言葉が見当たらずに視線が泳ぐ。
左隣を見れば書類に目を通しているキルティアの横顔は眼帯に隠れ表情が読めない。
右隣を見れば仮面の少年はうとうととしているのか時折頭がカクンと揺れる。
「お前も少し休んでおけ。体力だけじゃなくマナもだいぶ消耗しているんじゃないか? それじゃ傷も癒えないだろう。ハヤテ、エーテル持ってるだろ」
「……はい」
ワンテンポ遅れて反応したハヤテに差し出された薄緑の液体の入った小瓶を受け取る。ほのかに甘い香りのするそれは、彼ら魔術を使用する者たちの魔力の源となるマナを必要とする種においては欠かせない回復薬。それを一気に飲み干すと、体の内側からじんわりと満たされていくような感覚が広がる。
「マナ不足は思考を鈍らせるからな。それも奴らの狙いだったんだろう。そうして無実の罪を認めさせてお前を殺すつもりだった」
「……どうして、僕を殺したかったんでしょう」
「お前に罪を着せてカミルを殺した罪から逃れる為だろうね。あるいは……」
不安そうに眉を寄せるキルティアの唇が何かを紡ぎ出す。だがその言葉はシェルキアの耳に届くことはなかった。極限まで削られたマナの急激な増幅により、体がマナを魔力へと変換し全身に運ぶ為に余計な機能を停止させた為だ。
意識が飛ぶ直前に見えたキルティアの隻眼はとても優しいもので、瞼を閉ざすように添えられた大きな掌の温もりは安らかな眠りへと誘うのには十分な心地良さだった。
――イシスアタニア帝国とその同盟国に点在する法の番人たち。その一人である執行人カミルはその日、無惨な姿で発見された。
それがこれから巻き起こる大事件の始まりに過ぎないと、誰が予想出来ただろうか。それはまだ、首謀者の男以外の誰も知る由のない話。
これは一人の青年の、
Naviulah Reventelia 法月春明 @h_reiran
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