第17話

僕はその場に膝から崩れ落ちるようにしてへたり込んだ。

何も考えることが出来ず、

放心状態のまま目の前の赤色を見つめた。

彼女を求めて伸ばされた手は、

終着地をなくし途方にくれた。

行き場を失い、

次第にゆっくりと手が降ろされていく。

血溜まりの中、迷子になってしまった手は、

指先に触れる液体を意味もなく触り続けた。

ピチャピチャと音を立てて赤色は波打っている。

すぐ側に転がる頭蓋骨を見つめた。


どれだけの時間が経ったのだろうか。

僕はその場から離れることが出来なかった。


右腕の傷跡を見た。

肉が裂かれ、血が染み出し、相変わらず激しい痛みが襲いかかってくる。

だがそんなことはどうだっていい。

あの蛇のような光も、

こうなってしまっては最早どうでもいい。

真っ黒な血溜まりの中に浮かぶ、

真っ白な彼女の骨。

彼女の頭蓋骨を手に取ろうと、両手を地面につき、身体を引きずるようにして、這いつくばりながらゆっくりと血溜まりの中を進んでいく。

慎重に手に取り、見つめた。

どんな表情をしているのかもわからない、無機質な真っ白い骨。

僕は彼女を抱きしめた。

"なんで‼︎ どうしてここまでする必要があった⁉︎ 僕たちがお前に何かしたのか‼︎"

姿の見えなくなった鬼に向かって、叫ぶように問いただした。

だが、ヤツはやはり姿を見せることはなかった。

"何とか言ってみせろよ…‼︎ クソ野郎…‼︎"

僕はそのまま倒れこむようにして、彼女を抱きしめ、泣いた。


このままここで死んでしまおうか…?

彼女は僕の全てだった。

喜びであり、希望であり、暖かな光で照らす太陽そのものだった。

彼女のいない残りの人生なんて、一体なんの意味があるというのか。

打ち捨てられた太刀へと視線を向けた。

折れている上に欠けているものの、幸い、自分の首を切るくらいなら出来そうだ。

右腕は痺れていてよくよく力が入らないが、刃を押し込み首の血管を切るくらいならば出来るだろう。

再び頭蓋骨に視線を移し、瞳があった場所を見つめた。

笑っているのか、何かを訴えかけているのか。

骨はただ僕の手のひらの上で艶かしく鈍い光を放つだけだった。

彼女が僕を見つめて微笑みかける姿が重ねて見えた。

明日からは幸せな、新しい二人の夢が始まる筈だった…。

それなのに、なぜ…。

ヤツに殺される直前の彼女の笑顔を思い出した。

君はあんな時ですら、僕に微笑みかけてくれるのか…。

なぜ…。僕を心配して…?

僕を見つけた安堵感…? あんな時だからこそ…。

僕は君に何をしてあげられたんだろうか…。

何も出来なかった…。

ただ君が殺されていく様子を見ていることだけしか、それだけしか出来なかったんだ…。

…そうだ。

このまま死んでいい筈がない。

何も出来なかったからこそ、せめて…。

せめて彼女の復讐だけは果たさなくては。

このままヤツを生かしておいてなるものか。

アイツだけは、絶対に息の根を止めなければならない。

ぶっ殺してやる。

絶対に‼︎ アイツを‼︎ この手で‼︎

ブッ殺す‼︎


頭の中がヤツに対する憎悪と憤懣で埋め尽くされていく。

僕は立ち上がり折れた太刀を再び手に取ろうとした。

今度は自殺のためなんかじゃない、

ヤツへの復讐を果たすために。

だが、その意思に反して僕はただ血溜まりの中を転がるだけだった。

身体が思うように動かない。力が上手く入らず、バランスを崩し、倒れ込むようにして崩れ落ちた。

バシャン。地面に身体を打ち付ける。血が飛び散り、頭蓋骨は手元から離れ、ビチャリと音を立てて地面に落ちた。

"ぐっ…‼︎"

痛みが全身を雷のように走る。

一瞬身体が硬直した。

片膝を立て、そこに両手を置き、今度はゆっくりと力を込めていく。

ズル…

満身創痍で腕にも足にも力が上手く伝わらない。

加えて血で滑ってしまい、再び転げ落ちた。

"はぁ…はぁ…。"

僕はそのままの姿勢で空を仰ぎ見ていた。

肺が上下する度に身体が軋む。

今すぐにでもヤツの眼前に立ち塞がり、

殺してやりたい。

痛みはあるが、動けないわけじゃない。

たとえ足がもがれ、腕が千切れようとも、ヤツの喉元を掻き切ってみせる。

あぁ。絶対にそうしてやらなければならない。

だが…

身体が動かなかった。

右手から熱を帯びたマグマのように沸き立つ血液が流れ出ていくと、次第に全身の痛みを自覚し始め、同時に自分が冷静さを取り戻していくのがわかった。

激情の海の中で理性という沈められた難破船が静かに顔を出した。だが、激痛にさいなまれる中で論理的思考を伴うのは難しかった。痛みと怒りが邪魔をしてくる。それでも、やらなければならない。ヤツを殺すために。いまの僕の命の価値は、それを果たすためだけにあるのだから。

次第に少しずつ思考回路の歯車は回りだした。

いくら呼びかけてもヤツは姿を現さない。今はもう関与する気がないという事なのだろう。

それに、この傷のままでは、ヤツと対峙してもまず勝ち目はないだろう。それは先程の様子でも明らかだ。身体が万全の状態でもこの有り様なんだ、何か特別な策を講じなければ同じ轍を踏むことになるだろう。ヤツを確実に殺すための、特別な準備を。

彼女をこのままにしておくわけにもいかない。

この傷のままではいずれ僕も死んでいくだろう。それではヤツへの復讐が果たせない。


…。


僕は自身の導き出した答えに納得がいかないでいた。

だが、それ以外の選択肢は残されていなかった。


僕はその場を後にすることにした。


クソッ‼︎

悔しいが、今はそうするしかない。


僕はどうにか立ち上がると、革袋の場所へと歩み、余計な中身を捨て、彼女が出来る限り入るだけのスペースを作り、再び血溜まりの中へと歩み寄った。

革袋を手に彼女の骨を一つひとつ拾い集めてしまい込み、入りきらない分は上着に包み込んで手に持った。

折れた太刀を鞘に納め、腰へと付け直した。

ヤツが姿を消した方向、血溜まり、小川、赤や黄色に色づいた葉。順に目で追って周囲を見回す。

こんなところに来なければよかったんだろうか…。僕のせいだ…。


僕は村へと戻るために足を踏み出した。


周囲にホタルの姿はなかった。

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