同族会社

nobuotto

第1話

「ところであの件はどうなってますか」

 牟呂は小出室長に報告書を渡した。

「詳細はここにまとめてあります。結論から言いますと、これまで西高東低のシェアでしたがやっと東京の売り上げが追いついてきました」

 「ほう、それはすごい」と言いつつ小出は報告書をめくった。

 めくっているだけで読んでいないことは一目瞭然だ。

「ところであっちの件はどんな感じかな。直美がね、何も話してくれないんだよね」

 この場でそれを聞くかと思いつつ、波風の立たないように牟呂は答えた。

「はい、そちらも着々と進んでおります。近いうちに良い報告ができるかと思います」

「そうかい、そうかい。今晩うちシャブシャブなんだけど、牟呂君来ないかい」

「いえ、これから東京支社へ次期戦略の詰めに行きますので」

「ああ、そうだったね。じゃあ帰ってきたらまた」

「はい」と言って部屋を出た牟呂は「どこまで同族会社なんだ」とつぶやくのであった。

 牟呂は世界的大企業ホザー製薬から産業スパイとして藤製薬に潜り込んだ。

 江戸時代から続く中堅の藤製薬会社は、社員数が1000人も満たない規模にもかからず、ヒット商品を絶え間なく生み出していた。有名な研究者もいない。しかし、時代を先取りする新製品、サービスを絶え間なく世に送り出していた。

 製薬開発には莫大な研究投資と10年、20年という気も遠くなるような時間がかかる。当たれば大きいが外れれば損失も大きいというのが製薬業界である。その中でコンスタントに成果を出す藤製薬は世界中の大手製薬会社が静かに注目している会社だった。そして表向きは静かに注目しつつ、裏では藤製薬の”成功の秘訣”を探るため激しいスパイ合戦が繰り広げられていた。

 牟呂に白羽の矢があたったのは、アメリカの大学出身で国内では顔が割れていない ことと牟呂の能力を持ってすれば、この程度の会社で成果を出し中枢部に潜り込むことは簡単であるという本社経営陣の判断からであった。そして牟呂は会社の期待を裏切ることなく、二年も経たずに狙い通り戦略室副室長まで昇りつめた。


 しかし、戦略室副室長から先は「同族」の壁が立ちふさがって流石の牟呂も身動きが取れなくなっていた。

 会社幹部が出席する戦略会議に参加できないのだ。

 戦略会議の参加者十数名は、社長、息子の副社長、社長の娘婿の小出室長など、ものの見事に親族で固められていた。

 この壁を破る方法は同族集団に入るしかない。

 幸運なことに小出室長の娘の直美が牟呂に一目惚れした。牟呂より五才年上の三十七歳。直美が牟呂にぞっこんであることは誰もが分かっていた。映画であれば企業スパイの恋人と言えば絶世の美人となるが、現実世界はそんなに甘くはない。直美はゴリラと異名を取る小出の血を強く濃く引き継いでいた。直美と結婚すれば藤製薬の同族になり出世の切符を手に入れることができる。男性社員は誰もがそれはわかっているが、容姿だけでなくそれ以上に問題のある性格のため、誰も直美に手を出すことはなく、その結果直美は孤高の独身を貫いているのであった。

 直美の腹違いの妹明美はゴリラが鶴を産んだと言われるほどの美人であった。しかし、まだ年は12歳。どの男性社員も直美をみては、明美と生まれる順番が逆ならよかったのにと愚痴をこぼすのであった。

 藤製薬の男性社員は、自分の出世と直美を天秤に掛けているだけでいいが、牟呂には大きな使命がある。他の男性社員とは腹の座りが違っている。この際手段は選ばないと覚悟を決めて直美との結婚を匂わせ、とうとう新規企画の戦略会議に参加できることになった。


 会議参加者が全員揃っているのを確認すると「それでは始める」と社長が言った。上司の小出の営業報告が始まった。そのあと社内コンプラインス整備の進捗状況についての総務部長の報告があった。そして、いよいよ牟呂が待ちに待っていた新規開発製品の企画発表であった。牟呂はやっとここまで来たのだと胃が熱くなる思いであった。

「じゃあ、高木君を呼んでくれ給え」

 社長に言われた開発部長が「たーかーぎーくーん」と大声を出すと「はーい」という声とともにドアが開いた。

 そして、髪をボサボサにした男が入ってきた。

 会議室の明かりが消え、大きなスクリーンに「新製品企画 男高木の提案」というプレゼン資料が映し出された。

 牟呂はタブレットで急いで社員名簿を確認した。この戦略会議で発表する人物であれば、かなり社内でも実績があり信頼されているはずだが、全く知らない男であった。社員名簿には確かに高木という男がいた。本人写真の欄に七三分けの顎の異様にとんがった男が掲載されている。ボサボサの髪であるが、目の前にいるこの顎の男は確かに社員名簿の高木に違いない。

 プロフィールを見ると国際学会での受賞歴もある優秀な研究者のようである。プロフィールの最後には「熟成期間終了」と書かれていた。

「さて、私の練りに練った新製品企画です」

 画面には大きく「す~パワフル」と書かれた文字が映し出された。

まだ日本に住んでいた小学生の頃の懐かしいCMを牟呂は思い出した。「二十四時間戦えますか」とかいうメロディのCMだ。高木の企画は明らかにその当時の製品のパクリであるが、今の時代にうまくアレンジされている。それに健康ドリンクとしての科学的な根拠も明確である。

 この高木という男は既存製品を詳細に調べ上げ自分の中でイメージを膨らませ企画を仕上げたに違いない。研究者としての能力だけでなく、企画者としての想像力が、藤製薬の「成功の秘訣」だと牟呂は確信した。問題は、頭のほとんどが専門知識で固められている研究者の想像力を高める環境である。しかし、そんな特別な研修の話は聞いたことがない。

 牟呂が色々な仮説をたてて藤製薬を調べ尽くしている間も、幹部会議に出席するたびに高木のような「熟成期間終了」と記述された社員が戦略会議に現れては企画をプレゼンするのだった。どの社員のプレゼンも似たようなストーリーだった。最初はどこかで聞いたような、昔ヒットした製品の香り一杯の企画であるが、それが今の時代にうまくアレンジされていく。過去の成功事例の調査を研修のカリキュラムで重点テーマにしているのかもしれいないが、調査結果を踏まえた発想というレベルを超えた迫力がどの企画にもあった。研修カリキュラムは以前として不明であるが、いずれにしろ、こうした優秀な人材こそが藤製薬のヒット商品を生むカラクリであることは間違いはない。

 しかし、一体彼らはなんなのだ。「熟成期間終了」とはなんなのだ。

 打つ手がなくなった牟呂は最後の手段である直美に聞いた。最初口ごもっていた直美も、どうせ親族になるし、絶対に結婚をするのだからねと、しつこく言った後で牟呂にある部屋の鍵を渡してくれた。


 牟呂は直美に渡された鍵の部屋に行った。

 その部屋は、研究棟の地下にあった。エレベーターで降りることができるのは地下2階まで。そこから階段を降りて行く。地下は2階までと思っていた牟呂も初めて知った「秘密の地下」であった。

 部屋に入るとそこには沢山のカプセルが並んでいた。そしてカプセルの中には人が寝ていた。仮眠施設にしては作りが豪勢である。

「これは、冬眠設備?藤製薬は人間の冬眠技術に成功していた?」

 

 部屋が急に明るくなった。振り返るとそこには小出が立っていた。

「牟呂君、直美に頼んだのだね」

 牟呂は黙っていた。頭の中はフル回転でこの窮地をどう切り抜けるか考えている。

「君がスパイであることはわかっていたんだ」

 牟呂は覚悟を決めた。このあとどうなるかは分からないが、スパイとして、いや今では自分自身の最大の疑問を晴らさないと気が済まない。

「これが、藤製薬の秘密ですね」

「そうだ。時代は回る。そこで、優秀な社員をこうして十年間人工冬眠させているのだ。目覚めた社員は古くて成功した、しかしそれが今の時代に生まれ変わる新しい企画を出してくれることになる」

「素晴らしい冬眠技術です。この技術を製品化すれば宜しいのに」

「そんな目先の利益だけ見ててはダメだ。金の卵を産む鶏を売るより、鶏が産んだ金を売る方がいいだろう」

「なるほど、おっしゃる通りです。それで私をどうするおつもりですか。私は藤製薬の成功の秘訣を知ってしまった。警察につき出しても記憶を消すことはできませんよ」

「そこなんだ。君を訴えれば我が社の秘密が表にでるし、なにより優秀な君を離したくない。親族一同よくよく話しあったよ」

 小出が牟呂の手を握った。チクリと何かに刺されたと思うと同時に牟呂はその場に倒れた。

 意識が薄れるなかで小出の声がする。

「十年後には妹の明美も立派な女性になっている。直美に悪いが明美は美人だ。きっと牟呂君も気にいるはず、そして、私の息子になり、今度はスパイでなく親族としてこの藤製薬で君の能力を生かしてもらう。いや、今すぐ答えなくてもいい。どうせ目が覚めるのは10年後だ。それまでゆっくり考えていてくれたまえ」

 明美との幸せな結婚生活と、将来の藤製薬社長の自分の姿が牟呂は目に浮かんできた。

 思わず「それもいいな」という言葉が牟呂の口から漏れた。

 そして牟呂は深い眠りに落ちて行くのであった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

同族会社 nobuotto @nobuotto

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る