悪魔と呼ばれた科学者
nobuotto
第1話
秋空にいくつもの鰯雲が浮かんでいる。この季節らしい澄んだ空だと陳は思った。
その瞬間、痛いほど強く目隠しをされて何も見えなくなった。
人が走り去っていく気配を感じる。
「構えて」
「打て」
体のあちらこちらに痛みを感じたが、それも束の間のことだった。
椅子に括りつけられていたはずの陳は深い闇の中に静かに佇んでいた。
夜が明けたかのようにだんだんと目の前が明るくなってきた。
陳は大きな広場の中に立っていた。広場は人でごった返していた。
広場にいる人々は千年も昔の服装をしていた。
「封建時代をテーマにした映画の撮影現場なのだろうか」
それにしても騒がしい。
誰もが広場の中央に向かって「悪魔」と叫んでいる。広場の中央の高台に、首に縄をかけられた男が立っていた。
「絞首刑だ」
広場のどこにもカメラはない。ここは撮影現場でなく、射殺された後になぜか過去の時代に来てしまったようだ。
留置所の裏庭で寂しく行われた陳の死刑に比べて、なんと盛大な死の式典なのだろう。
「きっと余程の罪を犯したに違いない。あの男は誰なんだ」
そう思うと、横の男から答えが聞こえてきた。陳の思いが男の心に伝わり、男の頭の中が陳への答えとなって返って来たのだった。
「あいつ、陳は、天気を操る恐ろしい悪魔だ。大帝の御世になった今、あんな忌まわし奴は殺されて当然だ」
あの男は自分の先祖だと陳はわかった。
「これが輪廻というものなのか」
陳は国家の一大プロジェクト「可動天候」の最高責任者であった。陳が生み出した可動天候理論を実現するシステムを五年かけて開発し、十年間休むこと無く実験を繰り返し実用レベルにまで育てあげ、今ではかなりの広い地域に雨を降らせたり、逆に雨季になっても長期の晴天を作り出すことに成功していた。
これだけの長期間莫大な予算をかけることができたのも政府の軍事戦略の核として位置づけられてきたからであった。軍事プロジェクトのため、秘密裏に研究は行われたが、この成果がいずれ公になれば科学の歴史に自分の名が残されると陳は確信していた。
しかし、陳は時間を掛けすぎた。もう少しで完成という時に、政府は転覆した。独裁的で好戦的な政府が打倒されたのであった。ちょうどその時、隣国が干害に陥る事態が発生した。陳にしてみれば実験上での小さなミスでしかなかった。隣国が単なる自然現象ではないと騒ぎ始め、そして世界中からの懐疑の目がこの国に向けられることなった。
民主的な新政府は隣国の異常気象の原因の発覚を恐れ、陳に全ての責任を押し付けることにした。
「あそこに立っている私の先祖も立派な科学者だったに違いない。しかし、この時代の民衆に科学が分かるはずはない。先祖はひどい時代に生まれたものだ」
周りにいた人々が天を仰いで一斉に叫び始めた。
雹が一斉に降り始めたのだった。
陳の体を通り抜けているので気がつかなかった。
「そうか確か大帝が即位した年は大気が不安定でこうした異常気象がたびたび発生したのだったな」
大帝が即位した日の天候の記録、千年も前からの記録が時代を超えて残されてきた。こうした綿々と続いた記録が陳の研究の重要なデータとなったのであった。
「詳細な気象データは大帝以降から残されている。ひょっとしたらあの男がその道を作ったのか。しかし、絞首刑になるのであれば、彼がそんな大規模な研究体制をつくれるはずはない。それとも彼の死後、その後を継いだ科学者がいたのか」
広場の中の誰かが叫んだ。
「悪魔」
「悪魔、悪魔」の声が広場に響いた。
しかし、その合唱が一旦収まったとき、誰かが大きく叫んだ。
「いや、陳は神だ。悪魔でなく神だ。神を殺そうとしたから雹が降ってきた。神は陳を守っている。陳を殺したら、天罰が下るぞ!」
すると今度は「神だ、神だ」という声に広場は覆い尽くされた。
「そうか、先祖はこれで生き延びることができたのか。そして、長く貴重な膨大な記録が残されることなったのか」
広場が目の前から消えていった。
「構えて」
陳の耳にまたあの言葉が聞こえた。少し時間が戻ったようだ。
「先祖のように救われれば、私も世のため人のためになる研究を残せるのに。千年前は科学者が悪魔と呼ばれた暗黒時代だった。しかし、実は今よりもいい時代だったのかもしれないな」
次の言葉が聞こえて来た。
「打て」
悪魔と呼ばれた科学者 nobuotto @nobuotto
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