幸せの影

nobuotto

第1話

「田中君、照明の角度を変えて。私の影がドレスに写ってるわよ」

 お色直し担当スタッフが照明係に言った。照明係はそんな筈はないのですがと言いつつ照明の角度を変えていく。

 純白のウェディングドレスに影がかかっているのは照明係のせいではない。

 智子は分かっていた。これは圭の影であった。


「今日は出てこないで、圭、お願い」

 智子は朝から言い続けて来た言葉をつぶやいた。

 高校から大学まで付き合っていた圭が智子の目の前で車にはねられたのは5年前のことであった。救急車のベットに横たわり応急処置を受けている間、圭は智子の手を握りしめ智子の名前を何度も呼んでいた。「ここにいるわよ」と智子は圭の手を強く握り返し続けた。しかし圭は還らぬ人となった。


 そして圭が亡くなってから智子は不思議な影につきまとわれるようになった。


 自分の影に寄り添うように影ができる。最初は勘違い、見間違いかと思ったが、自分しかいないのに自分以外の影、それも男性の影が現れる。

 この影は圭だ。

 いつも影が出てくるわけではなかった。圭の影が出てきても誰かに気づかれることもなかった。他人の影を気にする人などいない。

 それでも影がでるようになってから、智子は陽のあたる場所を避けるようになった。写真を取るときでも他の人の影に入る。もし圭が出てきても圭の影が他の影に重なって記録には残らない。智子は毎日、影に怯えていた。


 こんな生活を5年も続け張り詰めていつ精神が壊れるかもしれないと疲れ切っていた智子の前に良雄が現れた。良雄がどれほど智子を愛しているのか、痛いほど智子も分かっていた。少しづつ少しづつ智子も良雄を受け入れていった。一番智子が恐れていた圭の影に良雄が気づく事はなかった。良雄にプロポースされた時、思い切って全てを話そうとも考えたが、それで良雄が離れていくかもしれないと思うと何も言えなかった。もう秘密を背負って一人で生きていく事は限界だった。先がどうなるかは分からない。けれど良雄という自分を心から愛している人と次のステップを踏み出そうと智子は決意したのだった。


 そして今日結婚式を迎えた。


 あちらこちらから来る強い照明で、智子の影が床にテーブルに天井に映る。けれどその中に自分ではない影、圭の影が何度も現れている。

 誰かがこの秘密に気づいてしまうのではないかと式の終わりまで智子はずっと不安でしょうがなかった。しかし、それに気づく人は誰もいなかった。

 

 結婚式が終わり式会場ロビーで智子と良雄は参加者一人一人からお祝いの言葉をもらい、そしてそのお礼にささやかなプレゼントを二人で渡していた。

 祝福の列の最後は智子の学生時代の友人であった。彼女も圭を知っていた。しかし、彼女は本当に素敵な結婚式だったと言って去っていった。

 誰も、誰にも気づかれなかった。無事に結婚式が終わった。結婚式という晴れ舞台の中で智子だけが感じていた特別な緊張がやっとほぐれていく気がするのだった。

 

 しかし、全員に挨拶し終わったはずなのに良雄がまだ誰かと話している。良雄の前には誰もいない。ただ、あの影が床にいた。良雄は気づいていない。

 どうもありがとうございましたと頭を下げると、良雄は大きなため息をついた。

「はあ、やっと結婚式も終わったね」

「良雄さん、最後に話していた方は誰だったの」 

「さあ、結婚式では気がつかなったけど、君の従兄弟だと言ってたよ。というか君も

一緒に挨拶したじゃないか」

「そうね。きっと遠い親戚だから、私が忘れてただけだわ。そうか、じゃあもっとお話しすればよかった」

「けど、いい人だよな。智子のことはお任せしますって。こんなセリフは親戚だってなかなか言えないよな」 

「そう。そうよね」

 

 結婚式から圭の影が出る事はなかった。

 これまで智子は圭に取り憑いていたのではないかと恐れていた。死んだ圭は自分の影となり、そして自分を忘れるなといつも言っているのだと思っていた。

 しかし、結婚式でこれまで自分の考えていた事は間違いだったということが分かった。

 圭の影が何か悪さをするわけではない。それどころか就職難の中で、第一志望の会社に入ることができた。そこで良雄とも出会い結婚することもできた。

 圭は取り憑いていたのではなく、智子も見守ってくれていたのであった。この5年間圭は「ここに」いてくれたのであった。

 だから、結婚式で「智子のことはお任せします」と圭は良雄に言って、そして圭の影も出ることがなくなったのに違いない。

 影に怯えなくていい生活は嬉しかった。影に守って貰わなくても今は、夫良雄が自分を守ってくれている。そう考えるだけで自分が誰かにいつも愛され続けている事の幸せを感じる智子だった。


 良雄との新婚生活は楽しかった。子供にもすぐに恵まれた。それを機に退職して家で育児と家事に専念する生活が始まった。

 子供が生まれた頃から、良雄は仕事で忙しくなったと帰りが遅くなった。休みにも家にいないことが増えた。小さい子供との二人きりの生活が続く中で、智子は結婚するまで自分にあった幸運が日々薄れていくような気がしてたまらなかった。圭の影がまたでてきたら、今度は影と楽しく話しができるのではないかと智子はふと思うこともあった。

「圭ちゃん、なんだか寂しい」智子はつぶやいた。

 その時どこからか声が聞こえた。

「大丈夫だよ。良雄さんに任せたんだから」


 たまにしか家にいない良雄であるが、このところ良雄が家にいても気づかない事がよくある。良雄の存在感が智子の中で薄れていく、まるで良雄が影になっていくようであった。

 圭の影もよく出てくるようになった。

 智子は嬉しかった。

 良雄もいよいよ存在感がなくなって来た。良雄の声で振り向くと影しか見えない時もある。

 良雄もこれから影になって自分を守ってくれるのかもしれない。

 私の愛した人がどんどん影となって私を守ってくれる。そうして私は幸せに包まれる。そう思うと智子は嬉しくなってくるのであった。

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