鏡の向こう

nobuotto

第1話

 武井は殺気を感じて振り返った。

 やはり明子がいた。武井の背中越しにパソコン画面を睨んでいる。

「武井課長、これから戦略会議ですよね。課長が会議で最終報告をするって聞いたのですが、その報告だけでも聞かせてもらえないでしょうか」

「だから、無理だってば。授業参観じゃあるまいし、最終報告だけ後ろで聞くなんてできるわけないだろ。勘弁してくれよ」

 武井はプロジェクトリーダーの赤川を呼んで、明子から逃げるように戦略会議に向かった。

 10階の幹部会議室へのエレベータに乗った途端に赤川は大きなため息をついた。

「これでやっと明子さん達のプレッシャーから開放されますね」

 赤川が心底ほっとしたように言う。武井も全く同じ心境であった。

「この業界はブラックとか言われているけど、この歳になってつくづく思うんだよな。結局会社が辛くなるのは仕事の量や中身でなく人間関係だなってなあ」

「全くおっしゃる通りです。この数ヶ月は針の筵の上に座っていたと言うか。女子の針のような視線に刺され続けて来たと言うか。この会社って、男性はもの静かなオタクばかりなのに、女子は過激って言うか。確かに明子さんは俺なんかより学歴もいいし、帰国子女だし、頭もいいですよ。けど、好きなアーティストが椎名林檎ですよ。椎名林檎を崇拝してるんですよ」

「分かった、分かった。みなまで言わんでいい赤川。お前の気持ちを俺は全て受け止めている。大切な会議だ、心を静めろ」


 三ヶ月前の戦略会議で創業者北条社長の神託が降りた。

 ネットワークへの不正アクセス、社内メールの分析などのセキュリティ管理サービスを主軸にしたベンチャー会社を北条は10年前に立ち上げた。インターネットの普及に合わせて広がった迷惑メール対策から、毎年のようにどこかの企業がやらかしてくれる顧客情報流出、そして不埒な社員による内部情報の流出など北条が予想していた以上の時代の変化に助けられて会社は売り上げをどんどん伸ばしていった。そして、たった10年で既にセキュリティ分野では老舗の上場企業と呼ばれるまでのしあがった。北条の先見性と時代の波が押し上げてくれた結果であった。

 しかし、今ではどこの大手ベンダーも同じサービスを展開し会社の経営も年々苦しくなるばかりであった。そこで、これまでのビジネスモデルに加え社内コンプライアンス管理システムへの進出強化を進めると北条社長が高らかに宣言したのだった。

 既に社内電話を記録して機密情報が漏れていないか管理するシステムはサービスを開始していた。そこで、その先の機密情報漏洩防止システムのサービス構想を打ち出した。会社という物理世界とITとの融合、社内の至るところにセンサーを取り付け全ての会話を記録するという画期的な構想であった。

 小型センサーの外部受託もまとまり、莫大な数の小型センサーからの入る音声情報を精緻に短時間で分析するシステムまで開発は終了した。あとは運用試験で成果を確かめ、大体的に売り出すだけという段階まできた。

 社内でももっとも優れ者が集まっていると言われている武井の部署も新サービスの根幹に関わる技術を完璧に完成させていた。他の部署の関連技術、システムの開発も予定通り進んだ。いよいよ運用試験に入る。武井は自分たちが世に出そうとしているサービスに心も痺れるような期待で一杯だった。


 しかし、楽しい夢はそこで一旦止まってしまった。

 社内運用試験の場所が女子トイレと決まったからだった。


 女子トイレであれば鏡の裏にモニターを設置することで、音声だけでなく映像情報も入手できる。目障りな監視カメラに見張られているという気持ちも湧かない。鏡の前にたてば誰だって顔をつかづけてくるのである。これまで会社で培ってきた画像解析技術と新技術の相乗効果が簡単に試せるのであった。

 会社幹部の提案にセクハラ、社員への人権侵害になるという意見が噴出した。

 会社幹部は中堅管理職の一斉の抗議にあたふたしたしていた。

 しかし、それも一瞬だった。

 武井は今でもあの会議のシーンが目に焼きついていた。

 そう、中間管理職、技術主任たちをゆっくり見渡してヘラヘラと話した内藤専務の自身たっぷりのあの顔を。

「なあ、君達。理屈より利益でしょ。所詮社内運用だろ。まあ、ここだけの話しだけどさ、女子なんてあそこで機密情報や不倫の話ししまっくってんじゃないの。どこの会社のお偉さんだってみんなそう思ってるよ。まあ、あくまで社内試験で表には出さないけどさ、この試験で思った通りの結果が出て、これは行けると分かったら営業は張り切るよ。だってとにかく売り込めば絶対に会社のお偉さんは喜ぶことになるんだから。そうしたら君達だってもっと自由に研究でも開発でもできるんだよ。さあ、まだ何か理屈を言いたい人はいるかね」

 内藤専務が会社成功の立役者の一人であることは誰もが認めていた。三十代で起業し10年足らずで一部上場を成し遂げたワンマン社長北条であったが、根がエンジニアであった北条は会社を立ち上げてはみたものの営業の「え」の字も分からなかった。そこで前職でお世話になった営業部でもやり手と言われていた内藤に何度も頭を下げて入社してもらったのだった。技術は創業時から飛び抜けていたが、やはりそれをビジネスとして成功させたのは内藤の功績である。それはワンマンと言われている北条も認めていた。だから内藤の言うことには北条も正面切って反論することはなかった。

 内藤の一言で全ては決まり、それから武井の部署担当で極秘裏に運用試験プロジェクトを進めた。

 会社の不穏な動きを察知した女性社員、特に技術系社員が、あの日以来極秘プロジェクトの情報公開を求め続けてきた。

 その先頭に立ち続けているのが武井の片腕である明子であった。


「これで終わりだ。この部屋から出れば俺もお前も心安らかに仕事ができるようになる」

 武井の言葉に赤川は深く頷いて、武井の後に続いて幹部会議室に入って行った。


 そのころ明子をリーダとした自称「女子革命軍」は、会社のある一室に集まっていた。

「明子さん、そろそろ始まりますね」

「朱里、準備はいいね。じゃあ、スイッチオン!」


 朱里が会議室のモニターのスイッチを押すと、そこに「社内運用試験結果報告 先端技術開発部課長 武井草太」という資料が大きく映し出された。

 そして、「それではこれから報告を行います」という武井の声が流れた。


 明子達は幹部会議室のテレビ回線をハッキングし、会議室に隠しマイクを仕掛けていた。各部署で基本技術を開発してきた女子が集まれば、造作もないことであった。

「この女子の技術力の高さを会社に見せたいわよ、ほんと」

 明子が誇らしげに言う。

 武井の声と映像が流れてくる。

「このように、鏡の背面複数箇所にセンサーと特殊モニターを設置するだけで、音声もその話者画像もノイズなく完全に取得することが可能です」

 オーという幹部達の声が流れる。

「で、女子社員から会社の秘密が漏れる現場は抑えられたか」

 内藤専務の声であった。

「死ね!」

 そう言って女子革命軍の数人が中指を立てた。

「ひと月分の画像と音声のデータは莫大ですが、機械学習を使うことで自動的に分析し、十種類の会話パターンに分類することができました」

 会話パターンのグラフが画面に映し出される。食事、恋愛、家族、流行、旅行などがあるが、一番比率が高いのが仕事であった。

「それそれ、その仕事というのが、今回の一番の売りだ。武井どんな内容だった」

 武井が実際の録画画像を流したが、どれも最新技術について熱心に情報交換する女子社員の映像ばかりだった。

「うちの女子社員はやはり優秀だな」

 北条の言葉が流れてきた。

 女子革命軍はハイタッチして喜ぶのであった。

「こういうのでなくて、ほら社内情報を平気で話しているシーンだよ。これじゃ、営業宣伝に使えんだろ」

「専務、今回そうしたシーンはありませんでした。残念と言ってはいけないと思いますが、少なくとも、この運用試験で、莫大な音声と画像の詳細な分析が可能であることは十分に検証できました」

 武井の声と同時にプレゼンの画像も消えた。

「まあ、それはそれでいい。とするしかないな」

 内藤専務の声が流れる。

「それはそれってどう言う事よ」

「こいつ何を期待してるの」

 女子革命軍の怒りの声が方々から湧き出ている。

 明子が立ち上がった。

「まあ、みんな落ち着いて。さてこれからが、お楽しみタイムだから。明菜大丈夫?」

「任せてください。私の自信作ですからね」

 明菜がそう言ってパソコンのキーを叩くと、画面に男子トイレの映像が映し出された。

 今度はこちらの映像を幹部会議室の画面に送り込んだのであった。


 幹部会議室のどよめきがこちらにも流れてきた。

 画面には内藤専務と若い男子社員が写っている。

「内藤専務の横のいるのは誰?」

「えー、知らないの。専務の甥っ子。去年専務の秘書室に来た子よ」

「へえ、いい感じじゃない」

「見た目はね。けど前はM商事にいたとかで、所詮IT企業とか平気で言ってる嫌なやつよ」

「ちょっとみんな」

 明子の一言で会議室は静かになった。

 手を洗った内藤専務に男子社員がハンカチを渡した。

「おじさん、工作は着実に進んでいます。現時点で半数はこちら側の株主が抑えています。あと5%は確実に上乗せできます」

「そうか。次回の総会が楽しみだな。あの技術者上がりの若造にもそろそろ退いてもらわないと。せっかくのここまで作ってきた会社もあいつが社長じゃ、もう保たない。しっかり慎重に進めてくれ。総会の筋書きの件もまとまり次第持ってきてくれ」

「はい」

 

 戦略会議室の重い沈黙が女子革命軍にも伝わって来た。

「これは何かの間違いだ」

 内藤専務の叫び声を聞いた明子は満足そうにテレビのスイッチを切った。

「これでスッキリした」

 女子革命軍から拍手が沸き起こった。

 椅子に立ち上がってガッツポーズをしている戦士もいた。

 会議室の興奮が落ち着いて来たのをみて明子は静かに力強く話し始めた。

「さてここからが本題。このサービスが使えることは分かったわね。あと少しコンセプトを変えないと行けないけど、このサービスは画期的なものになるわ。きっと、ものなる。いいえ、ものにしましょう」

 明子の一言に、女子革命軍の戦士たち誰もが頷くのであった。

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