掃除ロボット

nobuotto

第1話

 宇宙の小さな人工星の海に浮かんだレジャー施設の中は水で溢れていた。

 夏になれば、多くの地球人が避暑で訪れていたが、火星に巨大なレジャー施設ができてから、”普通”の人は来なくなっていた。

 人工星の海はすっかり濁った有害物質の泥沼になっていた。休眠状態の設備の中でメインのホテルと、ホテルにあるカジノだけは不夜城のように賑わっていた。人工星の経営権が宇宙マフィアに買い取られたときから、レジャー施設は、”普通”でない人の施設に変わってしまったのであった。


 レジャー施設の汚れ仕事は掃除ロボットが担当していた。

 日々、毎時間ごとにゴミを掃いて、錆びていくフロアーと壁を磨く。数十体のロボットが黙々と掃除をしていた。

 そんなロボットの中にジェシーはいた。

 ジェシーの担当は、ホテルのラウンジだった。ラウンジはホテルの最上階にあり、カジノの客が一杯ひっかけにやってくる。客にサービスをするロボットの姿形は人間、それも飛びきりの美女をコピーした高性能ロボットである。

 ジェシーは古くて地味で小柄なロボットだった。客の邪魔にならないように、ランジを滑るように歩き、サービスロボットの指示でテーブルを片付け、床にこぼれたお酒や食べ物の掃除をする。明け方近く客がいなくなりラウンジが閉じると本格的な掃除を始める。人間にしてみれば休む時間などない重労働であるが、ロボットにしてみれば単純労働である。


 ラウンジにはピアノがおかれ、BGMを武志が弾いていた。聞いている客などいないが、夜中の二時過ぎにふらっと現れて、明け方まで武志は弾き続けて帰っていく。

 明け方、客が誰もいなくなりラウンジが閉まるころ武志はジェシーに声をかける。

「今日の曲の中でどれが一番良かったかい」

 ジェシーは全ての曲を記憶していた。武志はそれに気づいた時から、毎日一、二曲は新しい曲を弾くようにしていた。

「今日はじめて聞いた三番目と十二番目が好きです」

 同じ曲であった。きっとそうだろうと思った。感情的な曲、技巧的な曲でなく、人間で言えば少し物足りないが落ち着いた曲、ジェシーでいえば、自然な音階の並んだ曲が大体お気に入りのようだった。

「そうくると思ったよ」

 武志はジェシーの気に入った曲を弾いて、「それじゃお休み」と言って自分の部屋に帰っていくのだった。

 それからジェシーは掃除を始める。


 マフィア達はロボットをこき使った。マフィアだけでなく、誰にとっても掃除ロボットは、気にする価値もない機械でしかない。しかし、ピアノ弾きの武志だけはいつもジェシーに親切であった。

 ジェシーはサービスロボットが羨ましかった。人間のように微笑むことができる。ジェシーのタイプでは顔の表情を変えることはできない。武志がジェシーのためにピアノを弾いてくれたあとに、「ありがとう」と笑顔で言えたら。それができない自分をいつも悲しく思うのだった。


 ラウンジに夜が来た。カジノの客が食事をするために出入りする。もうすぐ武志が来る頃である。武志が来た。

 しかし、ラウンジに入ったとたんに、武志は黒服の男たちに掴まれて外に連れて行かれた。ジェシーはその後をついていった。掃除ロボットがどこにいても、それを気にする人などいない。

 武志は黒服達に屋上まで連れて行かれた。下には人工海が広がっている。ボスが現れた。

「武志、お前よくやってくれたな」

 武志は黙っていた。

「お前が情報を流してくれたおかげで、すっかり金は盗まれたよ」 

 武志はまだ黙ってボスを睨みつけていた。

 ジェシーは、武志の身が危ないことだけは分かった。武志を助けないといけない。 

 ジェシーが武志に近づいていくと黒服達は

「おい、掃除ロボット、邪魔だどけ」

とジェシーを突き飛ばした。

 武志の「ジェシー」という声がする。

 ボスの殺れと言う一言で武志は人工海に突き落とされた。


 武志は自分の人生はとうに捨てていた。

 人生を捨ててこの星に流れ着いて、そして死ぬタイミングを待っていた。

 運が良かったのか悪かったのか、マフィアの莫大な資金も手に入れることができた。これで、昔世話になった人たちに恩返しができる。

 もう思い残すことはない。この泥の塊のような海に落ちれば、やっと終る。

 人工海がだんだん近づいてくる。もうすぐ終わりだと思った時だった。ジェシーが横に現れた。一緒に落ちているのであった。

 武志の手を握りしめジェシーが言った。

「私はあなたを助けます。私が先に落ちます。私の上に落ちてきて下さい。私の体はこの海でも少し間耐えることができます。私が海岸まであなたを運びます。海岸の近くまで必ず行けるはずです。海岸に着く前に私の体が沈んでしまったら。ごめんなさい、あなたの力で海岸に飛び移って下さい」

「ありがとう」

 そう言うと、ジェシーが笑ったように武志には見えた。

 武志の手を離したジェシーはどんどん落ちて行った。

 ジェシーに武志は叫んだ。

「ジェシー、今そこにいくから。けど、二人で海岸まで行くからな」

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