特ダネ

nobuotto

第1話

「編集長また週刊文調に出し抜かれました」

 編集長のディスクにやってきた武志は頭を抱えて言った。

「ああ、俺もさっき聞いた」

 

 武志のチームは、この数ヶ月間不倫疑惑の証拠を追い続けていた。

 そして、とうとうその証拠を押さえた。決定的な証拠写真が撮れたのである。つり革広告でも、会社のホームページでも宣伝し、いよいよ発売という矢先に文調の記事が出た。

 武志が押さえた不倫相手は一番の格下だったのだ。ボスにしてみれば、それは見せ玉でしかなく、ずっと格上の女が本命だった。文調が特ダネをものにした。

 今更雑誌の構成を大幅に入れ替えることは出来ない。これまでの取材にかけた労力を無駄にすることもできない。苦肉の策として、掲載するはずだった記事を「もうひとつの不倫物語」という軽い読み物タッチに書き直して紙面を埋めることに決定した。

 この特ダネで社長賞を取る勢いだった武志は見るも憐れに落ち込んでいた。

「編集長済みません。私の目が節穴でした」

 編集長は難しい顔をしたまま黙っている。 

 先週に続いて二週連続で文調に煮え湯を飲まされ、編集長も悔しさで一杯なのであろう。


 先週の記事は「見えない抗争を見る」シリーズの最終回であった。争いなどあり得ないと思われた世界、秩序があり平穏な世界で、こともあろうに若手が反乱を起こしボスをズタズタにしてしまったという大事件を取材した記事であった。

 社のベテラン記者の聞き込み調査と張り込みで、事件の裏にはやはり女が絡んでいることが分かった。水面下で、ボスと若手の女の取り合いが行われていたのであった。記事の最終回は、怒りを抑えきれなかった若手の無謀な行動、そして仲間の怒りを買って去っていく若き反乱者という、ドキュメンタリーの最終章のように迫力ある内容であった。

 自信満々でシリーズ最終回を世に送った矢先に文調の記事が出た。

 事件の原因が女ではなく餌の取り合いだったという記事である。ボスは隠れていつも若手の餌を盗み食いしていた。盗むボス、怒る若手、それを無視するボス、だんだんと若手の怒りが膨らんでいくという時系列の写真と記事が掲載された。

 誰が読んでも文調の方が事件の真相に近いと思わせる内容である。


 前回は先輩記者が、そして今度は自分が煮え湯を飲まされた。

「編集長、今回も、前回の見えない抗争も、文調の裏のとり方が、私は腑に落ちません。あいつらなにか不正なルートを持っているに違いないです」

 編集長は、吐き捨てるように言った。

「むこうは、かっちり飼育員を押さえてただけだろ」

「しかし、我々だって、飼育員を押さえています。文調のやつらは不正な方法で、情報を入手しているに違いありません。文調に張り付かせてもらえませんか。あいつらの不正を必ず暴いてみせます」

 編集長はじっと考え込んでいる。文調を窮地に追い込むことが可能になるかもしれない。しかし、それは同業者に対する宣戦布告にもなる上に、業界自体が大きく揺れかねない。社員みんな、編集長の言葉を固唾を飲んで待っていた。


 そして、編集長はデスクを叩いて叫んだ。

「猿だし、クマだし。正直どうでもいいし」

 文調に出し抜かれて気が動転しているに違いない。

「編集長、けれどスキャンダルネタは動物です。昆虫や魚のスキャンダルでは読者は見向きもしません」

「そんなことは分かっとる。しかし、猿だし、クマだし」


 センサー技術で個人の行動は全て管理される社会となった。また徹底して個人情報が守られる時代になった。

 記者だけでなく素人でも有名人の私生活を盗み見みし、公表する時代もあった。実に卑怯で道徳に反した時代であった。道徳教育が徹底して行われ、個人の情報を得ることができたとしても、そうした情報を公表する、またそれを興味本位で読むなど考えられない時代になった。

「編集長の若い頃は、芸能人や政治家とか、有名人がスキャンダルの的だったとは聞いてはいますが」

「当たり前のことだ」

「しかし、個人の情報を公の機関が発表する。そんな記事を書くなんて、ひどい時代です」

「そう思うのは、お前らの当たり前だ」

 二回り近い年上の編集長とは話が合わない。

 それでも、若い頃から特ダネを連発してきた編集長を武志は尊敬していた。他の記者が見逃してしまう小さな事実を見つけ、そこから真実にたどり着くまで徹底的に調べ上げ特ダネとしてものにする。記者としてのセンスと、仕事にかける情熱、執念は武志が目標とする記者像であった。例え昔と今で対象が異なっていても、特ダネ記者の魂に変わりはない筈だと武志は思っていた。


 武志が目の色を変えてやってきた。

「編集長、出入りのフリー記者が面白いネタを見つけてきました。札幌動物園のペンギンですが、仲間にいじめられて脱走したようです。ペンギン社会のいじめ問題です」

「お前、子供が大好きなペンギンを狙うのか」

「そうですよ。人気のペンギンだからです」

「だから、スキャンダルになるのか」

「だからスキャンダルなんです」

「よし、早速取材に飛べ」

 編集長の心底にある特ダネ記者の魂の響きが武志にも伝わってきた。


 武志はチームメンバーとともに現地に飛びフリー記者の裏を調べ上げた。想像以上の壮絶ないじめだった。武志が状況を報告すると「早速帰ってきて編集会議だ」と編集長の檄が飛んできた。編集長も燃えていることが電話越しに伝わってきた。

 

 しかし、会社に戻ると編集長はいなかった。会社を早期退職したそうだ。

 編集長の最後の一言を同僚が教えてくれた。

「猿だし、クマだし、やっぱペンギンだし。だってよ」





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