商い修行

nobuotto

第1話

「武松、今日はそれくらいにしないかい」

「はい。手が遅くて済みません。もう少しで終いですので。番頭さん、済みません。も少しやらせてください」

 10になるかならないで丁稚に入り、足掛け6年。これまでの掃除、飯炊き、使いっ走りから、やっと質屋亀川の帳面合わせを任せられた武松だった。読み書きそろばんも丁稚仲間が一日の仕事で疲れ切って寝ている横で、垂れ下がる瞼を指で押し広げて必死になって励んできた。そんな精進を旦那が見ていてくれた。それが一番武松は嬉しかった。


「番頭さん、どうも帳尻があわなくて」

 丁稚の出口、手代への入り口の仕事が質草の帳面付けであった。店先や蔵にある質草の数と値段を帳面につけて、品の種類、値踏を体に叩き込んでいくのである。

 

 その帳面が合わなくなっていた。質草が増えているのも問題だが、足りないのである。帳面に書かれている質草が失くなっている。

 大店の亀川には三つの蔵に安物の簪から、何の経緯でここにあるのか分からない鐘までピンキリの品がある。それが出入りするのであるから、商い帳簿と蔵の管理帳簿が少々異なることもあるだろう。しかし、武松が思っていた以上に帳尻が合わない。


 いつものことではないが、武松が帳面合わせをするようになってから、こんなおかしなことが度々あった。

 その都度、番頭の吉助に「何度やっても合いません」と言うのであるが、

「大した額じゃありませんが、蔵に中にある品がないってのはただ事じゃありませんね」

 と武松の差し出した帳面を見えても慌てる風もない。

「盗人が蔵に入ったかもしれません」

「だとしたら、もっと大層な値の品を盗むでしょうねえ」

 そう言って吉助は笑うのであった。


 武松はいよいよ我慢ができなくなって、蔵を見張ることにした。丁稚と言えども質草の管理を任されている。商いの勉強どころか、店の大事な品を盗まれているようでは、店の旦那に顔向けできない。大体帳面が合わないなどと言うのは、商売の基本ができていないことになる。ことの重大さを番頭さんも分かっていない。ひょっとしたら自分の方が商売の才があるのではないか。そんな気負いと何がなんでも盗人を見つけてやるという心意気で、武松は店じまいが済んだ時から蔵の前に座り込んだ。

 しかし、まだ16才、それに朝から働き通しの武松が夜通し起きていられるはずもない。日が変わる頃にはすっかり寝入ってしまった。


 蔵の前に大の字で寝ていた武松を吉助が「おいおい」と起こす。

「武松、お前の気持ちも分かるが、そんなことをしてちゃ体を壊すよ」

「そうりゃあそうですが、勘定が合わないのが口惜しくてしょうがありません」 

「ほー。口惜しいかい」

 武松の商いへの純な気持ちが、昔の自分を吉助に思い出させていた。

「お前の気持ちもよくわかるけど、店の奥で品ばかりみてると、そればかりの頭になっていけないな。そうだ、これから日本橋の鶴丸さんへ使いに行ってくれないかい」


 店先を掃いたあと身繕いをして武松は早速鶴丸に向かった。こうやって町中を歩くのも久しぶりだった。しっかり商いの勉強をして、自分の店を持ち、そして小奇麗な着物でここを歩く、そんな自分の姿を浮かべながら武松は道を急いだ。


「武ちゃん、今日はお使いかい」

 後ろから声がした。振り返ると常連さんのお梅姉さんだ。

「へえ」

 そう言ったあとで、武松はお梅の着物をじっとみた。数日前に質入れした小袖のようである。武松が熱心に着物を見ているのに気づいたお梅は、

「今日は、三味線のお師匠さんとこでお披露目会なのよ。ほら、見栄えも良くなきゃ、折角の芸も生きてこないでしょ」

 そう言って、足早に去っていった。


 武松は店に戻り、もういちど調べてみると確かに失くなっている。

 武松の記憶は間違っていなかった。

 武松は帳場にいる吉助に盗人を見つけたと声を荒げて走り寄って行った。

「盗人」という言葉で店にいた誰もが武松を見た。


「番頭さん、お梅さん、お梅さんです」

 吉助は、「まあ、まあ、静かに静かに」と武松を店の奥につれていった。

「見たんです。お梅さんの小袖、まだ質料も払っていないし、質流れになってもいないんです。けど蔵にないんです」

「けどねえ、お梅さんが蔵に盗みに入るなんてことはないでしょうしねえ」

 武松は何よりの証拠と吉助に帳面を見せた。

 吉助は「不思議だね」と言うばかりである。

「不思議どころか、はっきりしてます。お梅さんが蔵に押し入り...」

 そんなことができるはずがないことは武松も分かっていた。それで声も消え入るように小さくなって行った。


 そこへ「どうしたのかい」と旦那がやってきた。

 武松は、蔵の品と帳面が合わないこと、お梅のことを旦那に話した。

「そうかい、武松はお梅さんに会ったのかい。で、お梅さんは綺麗だったかい」

「へえ、そりゃあ、子供の私がみてもお綺麗でした」

「じゃあ、お披露目もうまくいきそうだね」

「へえ。けど、旦那様、今私が話しているのは…」

 旦那は、そう言い掛けた武松の口にそっと手を当てた。 

「自分で帰る質草もあるかもしれないですねえ」

 帳簿を覗き込んでいる吉助も微笑んでいるようだ。

 武松は全てが分かった気がした。

 お梅さんが蔵に入るわけはない。

 そして、質料はなくても人生の大一番どうしても蔵から出して欲しい物がある客もいる。

「旦那様の言う通りですねえ。自分で帰った質草もお役が済んだら戻ってくる。それでお客も、また戻ってくる」

 旦那さんも番頭さんも自分なぞは足元にも及ばない商売人だと武松は思った。


「商いってのは難しい。もっと勉強しないといけないです」 

 そう呟く武松の頭を「そうかい、そうかい」と旦那は優しくなでるのだった。

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