白い道
AKARI YUNG
第1話 小学校の頃のおつかい
小学校の帰り道。
「あずささん、さようなら~!」
「さようなら。また、明日ね」
最後に、一年生の男の子を見送る。そこから20メートルも歩けば、白いコンクリートの農道が左手に見える。
農道の終りは少し上り坂。
私の家の玄関まで続いている。
春。白い道の脇のタンポポを見たり、ピンクのねじり草を数本だけ摘んだりする。夏。カエルの大合唱を聞いたり、稲を、緑のジュータンみたいだな、と思う。秋。猫じゃらしを取って、くるくると振り回しながら、大きな声で歌う。冬。霜を踏んで、シャリシャリと音を立てる。
私は、この道が好きだ……。白いから。
家の玄関を開ける時、ガラスにYの字に貼ってあるガムテープを、毎回見てしまう。私がヒビを入れてしまったところを、パパが補修した跡。
2年前。4年生の頃、パパと野球の練習をしていた。誤ってコツンとバットの柄の先をガラスにぶつけてしまった。
ママはぷんぷんに怒って、「なにしてんのっ!」って言ったけど、パパは「まあまあ」と、珍しくママをなだめながら、優しい雰囲気で補修していた。だから、なんとなく「ごめんなさい」が言い出せなかった。
私は、ドアを明け閉めする度に、そのガムテープの跡を見て、許されたような、許されなかったような、曖昧な気分になる。
それは鬱陶しい。
玄関を上がり、靴を揃えるために、くるっと向きを変えてしゃがむ。背負っているランドセルが重たくて、そのままコテン、と前に倒れて、頭を打つのではないかと思うから、ぐっと踏ん張る。それは1年生の頃からそうだった。
リビングに入ると、ママは夢中になってアニメを観ていた。最近ずっと、ルパンという泥棒に釘付けだ。
「少しエッチで、優しくて面白くて、いざというときは頼りになる人がタイプなのよね~」
と言っていたけれど、私は、不思議に思った。パパは、真面目で面白くないけど……?、と。
私に気がつかないでテレビを観てるママに、「ただいま~!」と言うと、「お帰り~! あずさ~! おつかい、お願い!」と明るい声で言いながら、ママは用意していたお財布とメモを私に差し出した。
「は~い!」
すぐに、お気に入りの白いリュックに、財布とメモを入れて、「いってきまーす!」と部屋を出る。ママの「うん。よろしくね~」の声を聞きながら、廊下を走ってさっと靴を履いて、家を飛び出す。
ランドセルを降ろした後は、なんだかものすごく速く動いてる気がする。ワイヤーアクションみたいな動きを、ワイヤーなしで出来る気がする。いつも、そんな事を思う。
軒下に止めてある自転車は赤色。リサイクルショップで買ったものだ。
パパが節約家だから……。
最新のモデルではないけれど、私は赤色の自転車に乗りたかったから、気に入ってはいる。
白い道を、赤い自転車でゆっくりと走る。
5月。田んぼに水がはられる季節。キラキラとした水面を眺めながら、柔らかい風を感じる。私は、まるで湖の上を走っているようだって、なんとも言えない気分になる。だから、ゆっくりとペダルを漕いで進む。
アスファルトの通りに出て右折。細い脇道に入り、そこからはぐんぐんペダルを漕いでスピードを出す。遠くに見える緑の森が、ブロッコリーみたいだなぁ、っていつも思う。
坂を上がると、いつもの小さな店がある。
自転車を止めて、メモを確認する。
「とうふ、わかめ、油揚げ、ナス……」
ドアを開けると、カランとベルが鳴る。ベルが鳴ると、奥からおばあさんが出てくる。毎回、会計の時にしわくちゃの笑顔で、おばあさんは、「ありがとな~」と言ってくれるけど、いつも安いものばかり買うから、少し恥ずかしい。
自転車のカゴに、レジ袋とリュックを入れると、急いで帰らなくちゃ、と毎回思う。辺りが暗くなってくると、少し心細いというか、怖いから。
帰りは立ちこぎをして、行きの上り坂――帰りの下り道を、目一杯スピードを出して進む。シャーという自転車の音を聞きながら、スピードを緩めずにどこまでも行きたい、と思う。
周りの景色がめまぐるしく変わるのが、なんだか楽しくて、足を離すと、風でキュロットがパタパタと音を立てた。髪の毛は、風で全部持ってかれて、おでこ全開。
その日、後ろからスクーターの音が聞こえた。そのスクーターは、私の横にぴったりとくっついて並んで走った。
横から聞こえる、ウイーンという大きなエンジンの音。私はきっと結構なスピードを出して走ってるんだな、何キロくらい出ているんだろう、と考えていた。
ちらっと横を見ると、スクーターに乗っていたのは、坊主頭、黒い着物を着たお坊さんだった。
目が合った。話しかけられた。
「お嬢ちゃん、速いね~」
すぐに、知らない人と話してはいけません、が、頭に浮かぶ。顔がこわばり、返事をしなかった。そんな無愛想な私に、お坊さんは、柔らかい雰囲気の笑顔をくれて、
「お先にね~」
そう言って、すーっとスピードを上げて私を抜かして行った。
遠ざかる黒い着物。お坊さんの後ろ姿。
その笑顔と雰囲気は、子供を慈しむ「可愛いね」だった。
男の人が、柔らかい優しい笑顔をするのを、その時、私は初めて見た。
だからか、とても満足した。
それは、心に残った。ちゃんと。
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