「これは先輩が大晦日を幸せに過ごすために考案したオススメの契約です 」

さい

短編

◆◆◆◆◆






北上きたかみさん。



それが自分の指導係をしている先輩の名前だ。



自分がこのかなり控え目に言ってもブラックな会社に入社してから数ヵ月。指導係の北上さんは納期が立て込んでいる時はいつ帰宅しているのかすらわからない。最初はそんな姿を見ても【よく働く人だな】とそのくらいの印象だった。仕事の教え方は丁寧でこちらから質問すればどんな内容でもスラスラと答えてくれる。年齢は一つしか違わないが入社は数年早かったらしい。なんでも一人でやってしまうオールラウンダーな先輩。


自分は昔から八方美人な性格でそんな態度が災いして周りの女性に言い寄られる事が本当に多かった。女性には贔屓され男性には敬遠される。それが嫌でますます誰に対しても当たり障りのない対応をするという悪循環。それでも出来る限り目立たないように周りに同調して過ごしていた。しかし北上さんは自分に対して贔屓もせず敬遠もせず。他の社員とまったく同じ扱いをしてくれた。そういう個人的な興味は無いようでどこまでもドライな対応なのが新鮮で心地好かった。



最初は。だけど。



合理的な考え方。決断力。付随する行動力もある。ただ惰性で開催しているだけの不要な会議には出席しないし。自分なら最初から難しいと思ってしまうような仕事もこなすかと思えば物理的に不可能なスケジュールを押し付けられたらプロットの段階で不可能な理由を上すら納得せざるを得ないデータを示して主張する。どこまでも格好良い指導係。


そんな北上さんに指導を受けながら。入社して数ヵ月があっという間に過ぎた。同じ日に入社した社員も。それ以外の社員も。すでに何人も辞めていた。名前すら思い出せない社員さえいる。季節はいつの間にか真夏になっていた。もちろん外は暑かったと思うが空調の効いたオフィスにいるとむしろ寒さの方を強く感じてた。




この会社はどうなっているんだろう。




真夜中。丑三つ時だった。




その時の自分は連日の残業で正直疲れきった状態で追い詰められていてフラフラだった。お腹は空いているのに食べる気にならなくて昨日はついに夕飯すら食べていない。だから。真夜中の束の間の休憩中に北上さんから急にこんな事を言われた時の衝撃は大きかった。




「桐山くん。これは仕事とは一切関係のない個人的な話だと思って聞いて欲しいんだけどね」




【私と今からイケナイ事をしませんか?】




そう言って。ゆっくりと立ち上がり羽織っていた黒い大きめのカーディガンを脱いで椅子に掛けた。季節は真夏だというのに先輩はオフィス内ではその上着を決して脱がない。寒い。北上さんもそう思っているのかもしれない。




だからこんな事を言うのか。




「桐山くん。気が付いていないようだから。私が教えてあげるよ」

「……教えて下さいよ。先輩」




初めて見た先輩の肌はただ透き通るように白い。北上さんの下の名前はたしか『ゆき』こんな生活を送っているのだ。外に出ることはほとんど無いのだろう。


本当に。白いな。


細くて折れてしまいそうな華奢な腕。憧れ。尊敬。この人だけは特別な気がしたのに。







それを。汚してしまうのが少し怖かった。







◆◆◆◆◆














(2秒後)



「じゃーん!ソースやきそば超超超大盛りGIGAMAX2142kcalデカ盛りカップ麺。桐山くん気が付いていないみたいだから私が教えてあげるけど少し痩せたよ?昨日は夜ご飯も食べなかったでしょ?ダメだよ。ご飯はちゃんと食べないと普通にブッ倒れちゃうからね!ただでさえこの会社はバカみたいにブラックなんだからマジメにやってたら病んじゃうって。少しずつ麻痺するっていうか良い意味で慣れると結構楽しいんだけどゾーン入るまでに脱落する人が多いし。やばいなーと思ったら早めに転職するのがオススメだし手っ取り早いけどそれは後でハロワでゆっくり具体的に考えてOKだよ!とりあえず今は一緒にコレ食べよ。不規則生活にむしろトドメ刺す感じで真夜中に高カロリーでジャンクなイケナイお誘いして本当ゴメンね。ぶっちゃけ仕事は完全に行き詰まってるけど私はとりあえず今から本気出してお湯沸かす!」


「……」


そう言った北上さんは実に楽しそうな様子で抱えるほど大きなカップ麺の容器を何処からともなく取り出した。あんなに大きなカップ麺をいったいオフィス内のどこに隠しておいたんだろう。勝手に備品が入っているとばかり思っていたデスクの一角から取り出したようにも見えたけど。北上さんはなんでもこなせる仕事熱心な人だと思っていたけどこうして普通に行き詰まる事もあるらしい。カーディガンを脱いで腕捲りをしてスタンバイした姿は確かに仕事モードよりも全力を出してるように見えた。


この会社はバカみたいにブラックなんだから。ハロワでゆっくり具体的に考えてOK。そんな事をなんでもないように言われて。さっきまでマジメに追い詰められていたのが嘘みたいにすべて振り払われて。曇っていた頭が冴えるように気持ちが軽くなっていた。



あと。本当に。心から。



すみませんでしたぁぁぁぁぁぁぁ!!!!



なに考えてんだ俺は。2秒前の自分。完全に踏み外す所だった。ほとんど手を出し掛けてた。落ち着けよ。ここ会社だぞ。エロゲじゃあるまいしこんなオープンなオフィス内で出来るわけねーだろ普通に捕まるわ。本当にギリギリ未遂だけどほぼほぼアウトだった自分が怖ぇよ。頼む。言い訳させて。本当に疲れてて。追い詰められてて。タイミングもコンディションも悪かった。情状酌量の余地も僅かながらありませんでしょうか。それでも勝手に色々勘違いした自分がバカ過ぎる。とにかく死ぬほど申し訳なくて泣きたい。でもこんな真夜中にぶっちゃけ憧れて尊敬してた特別な先輩に【イケナイ事】とか言われたらさ。


勘違いするだろ……

仕方ないだろ……

そういう事だと思うだろ……


北上さんはこちらの脳内反省会と脳内土下座くらいでは償いきれないシャウトな脳内謝罪会見などまったくお構い無くお湯を沸かしている。大きなカップ麺を開けて子供みたいにはしゃいでスゴイ!と大喜びして写真まで撮っていた。


そんな事をしているうちに何処からともなくゾロゾロと残業組の社員が集まってきた。


『北上がまたヤってるぞ』

『高カロリー飯テロの北上が出た』

『北上に関わると体重が増える』

『自分だけは食べても増えない完全犯罪』


あちこちからそんな呟きが聞こえた。どうやら常習犯らしい。真夜中だぞ。丑三つ時だ。なんでこんなに人が残ってんだよ。何処から沸いてきたんだよ。しかもそれぞれちゃっかりお皿まで持参している。勘違いすんな。ここは家じゃないぞ。会社だぞ。疲れきった社員達はまるでゾンビみたいだけど。それでも集まってきた社員はどこか楽しそうだ。



本当に。この会社はどうなっているんだよ。



常習犯は1300mlの湯切りを一人でするつもりなのかワクワクした表情で3分のタイマー待ちをしている。危ない。そんな華奢な腕で無理だろ。だけどこの人は放っておくとなんでも一人でやってしまうのだ。慌てて手を貸した。


「ありがと」


「!」


さすがに一人で持つのは重かったのか。北上さんは嬉しそうに笑った。普段ディスプレイに向かっている時には見せない表情。まるで子供には教えてあげられないような悪い犯罪に誘う大人みたいな。それでもどこか無邪気な顔。そんな顔を見たら。いつの間に自分が共犯者になったような気分になる。


こんな表情を他の社員には常習的に見せていたのか?ずるい。自分だけ特別なら良かったのに。


結局出来上がった大量の焼きそばは代わる代わるあちこちから現れた5.6人の社員に分けて配った。とんでもない大きさのカップ麺はコンビニで売られているのを見たことはあったけど誰が買うんだと思っていた。北上さんか。きっとワクワクした表情でノリノリで買ったに違いない。そんな事も考えてしまう。


確かに二人で食べるには多いようだけど。出来れば独り占めしたかった。他の社員。散れ。それぞれの巣に戻って勝手に仕事でもしてろ。寄ってくるな。




……おかしい。




自分は基本的に目立たないように周りにテキトーに同調して気を遣う八方美人だったはずなのに。悩んじゃうくらい自然にそういう振る舞いが出来たのに。今は集まってきたゾンビをさっさと追い払いたいと思っている。焼きそばやるから去れ。そんな気持ちで急いで配り自分のデスクに戻った。もちろん隣は指導係の北上さんのデスクだ。


「どうぞ。ちゃんと食べないとダメとか言ったくせにただのカップ麺で申し訳ないけど遠慮なく召し上がれ!」


「いただきます」


北上さんは自分に対して個人的な興味はない。最初はそのどこまでもドライな対応なのが新鮮で心地好かったのに。今は北上さんにとって自分が【その他の社員と同じ】扱いなのが気に障る。その他の社員と同じように平等に配られた焼きそばを見ながらそんな事を考えてしまう自分の変化にただ動揺していた。そんな様子に気付いたのか。それともなかなか食べない自分を見てまったく違う事を考えているのか。北上さんはいつの間にか何処からともなく取り出したマヨネーズをギザギザと掛けてくれた。


そして他の社員には聞こえないように。

内緒話をするように小さな声で囁いた。


「お仕事たくさん頑張ったご褒美。マイマヨネーズ。コレは他の社員には内緒だよ?頑張り屋さんの桐山くんだけ特別だよ」


無邪気に笑った指導係の先輩は真夜中に高カロリーの飯テロを仕掛けて。


【特別だよ】


そんな事をさらりと言ってのけて。自分が何一つ【気付いていなかった】重要な事を。


たくさん教えてくれたのだ。




◇◇◇◇◇




どうも。こんばんは。ブラック企業で働いて数年目の北上です。



世の中の皆様。大晦日ですね。いかがお過ごしですか。帰省して地元で過ごしてるのかな。ご家族と一緒に歌番組でも見てるのかな。ゆっくり美味しいものを食べながら普段よりもちょっと良いお酒を飲んだりしながら過ごされてる方が多いかもしれませんね。そんな団らんに水を差すようで申し訳ない気持ちもありますけど私が今どこで何をしているかお知らせしても良いですか。




会社で仕事してます。




「さっきふと今日は何月何日なんだろう?と思って壁掛けのカレンダー見ようと思ったらそのカレンダーすらすでに来年の新しいのに変わってて見ることすら不可能ってどうなってるんだろう。多分だけど今日は12月31日であってるよね?入社以来ブラックだブラックだとは思ってたけど大晦日すら行方不明ってすごいね。11月末に【年末は普通に休めそうだね】とか言って定時退社指示出したくせにバタバタと聞いてない仕事までなに食わぬ顔でブッ込んだ挙げ句に納期押して修羅場になってるのに自分は真っ先に帰った管理職とりあえず来年になったら飛ばそうかな。もちろんデータ的な意味で。なんか自分は家族とハワイ行くって言ってたし。……ん?【大晦日に会社で仕事】って大晦日の過ごし方ランキングではかなり下位の過ごし方で間違いないよね?最下位だよね?なんか久しぶりに悲しくなってきた。疲れてるのかな」


「12月31日で間違いないです。そうですね。そのようなランキングがあったら【大晦日に会社で仕事】はかなり下位の過ごし方かもしれませんね。個人的には違いますけど」


実は大晦日こんな日に残業しているのは私一人ではない。聞き流されても仕方の無いような愚痴に応えてくれたのは後輩の桐山くんだ。言い訳させてくれ。私はこの子に年末年始くらいは休んでも大丈夫だと言った。言ったよ。それでもこの子はノコノコとやって来たのだ。ノコノコは違うか。


「桐山くん本当に帰らなくて大丈夫なの?一年目から大晦日残業すると来年以降も【こいつは大丈夫だ】って勘違いされて逃げられなくなって大変だよ。私もそうだった」


「大丈夫ですよ。逆に他に邪魔者が少なくてチャンスだなと思ってました」


「あー。確かに桐山くん以外の新入社員がいてもあんまり使えないもんね」


「そうですね。そういう意味で邪魔者だと言ったわけではないですけどね」


ほとんど徹夜で作業していたのであとはデータを圧縮して送信すれば完了だ。しかし1テラ近いデータを先方指定の形式に圧縮するのは最新機種の処理速度でも普通に2時間は掛かりそうだ。もういっそやることもないし仮眠でも取ろうか。しかし今から2時間の仮眠取ると日付が変わる。起きたら新年明けましておめでとうございます状態になる可能性が高い。最下位は悲しいけれど今年の大晦日ランキングは諦めるしか無さそうだ。


そんな崖っぷちの私に桐山くんは予想外の事を言ってきた。


「北上さん。これは仕事とは一切関係ない個人的な話だと思って聞いて欲しいんですけど。回りくどい言い方をしても絶対に伝わらないと思うのではっきり言いますね。北上さんの事が好きです」


「え?そうなの?桐山くん私の事好きなの?個人的に?」


「はい。大好きです。だから付き合って下さ…「謹んでお断りします。あ!桐山くんの事は全然嫌じゃないんだけど個人的に付き合うというのはどう考えても時間がないから不可能だと思う。寝食削っても次の仕事の納期すらヤバいのにキャパ的に新しい提案を受けられないよね。食はあんまり削ってないけど。とりあえずタイムスケジュール的な問題で対応しかねます。あと桐山くんはもう少し自分の幸せについて本気で考えた方が良いと思うよ。残念ながら私と付き合っても良いことなんて何一つないよ?だっていくら君が格好良くても私は庶民だから男の人に貢いだり出来ないからね。私のなけなしの親切心からオススメしません。朦朧としてそんな妄言吐くレベルまで毎日遅くまで働かせて本当にゴメンね。本当におもしろいくらいブラックな会社だよね。おもしろい感じはないか。桐山くん疲れてるんだね。残りは本当に私一人でも大丈夫だからやっぱり今日くらいはもう帰ってお布団でゆっくり寝なよ。あと余計なお世話かもしれないけど高い確率で欲求不満だと思います。私に個人的に告白したくなるくらい人生投げやりになるくらいだもん」


「……。そう言われると思いました。想定の範囲内です。この数ヵ月どんなに解りやすいアプローチをしても軽く流されて誰でも気付くようなかなりあからさまな態度を取ってもまったく気付かれなかったのでストレートに告白してもこうなるだろうと思ってましたけど実際本当になんなら被せ気味に断られると心折れそうです。あとなんで自然に貢ぐとかそういう話になりましたかね?貢いで欲しいからという理由で女の人に告白する男性は世の中にそんなに多くはいないと思います。過去に何かあったのかな?と心配で仕方がないです。でも致命的にグサリと断る前に今一度ご検討下さい。ご心配されているタイムスケジュール的な問題はこちらで調整しますから。先程の大晦日の過ごし方ランキングを思い出して下さい。【大晦日に会社で仕事】は最下位ですよ。しかし私と付き合う事を今ここで即決したら一気に【恋人と二人きりで過ごす大晦日】に早変わりです。ランキング急上昇です。このスピードなら新幹線でも追い付けません。大晦日に【どこで何をして過ごすか】という部分は【誰と過ごすかが重要】みたいな論点すり替えをすることで霞みます。北上さんが悲しいと嘆いていたお悩み一発解決出来ますよ。ご検討ください。これは先輩が大晦日を幸せに過ごすために考案したオススメの契約です」


そうだ。大晦日の過ごし方ランキング。私は現在最下位だった。少なくとも社内ではワースト1位確実だと思う。あのムカつく管理職にすら負けているのか。そんなバカな。しかしどう考えても私が勝つ要素は見つからないな。無念。


しかし目の前の桐山くんはもう諦めるしかないと思われたこの状況を打破する契約を提案をしてきた。最大の問題であるタイムスケジュール的な問題も調整して下さるらしい。


「……桐山くん」


「はい」


「天才かよ」


「よく言われます。だからお願いします。付き合って下さい」


「喜んで。契約します。よろしくお願いします。桐山くんは今この瞬間から私の彼氏という事で良いんだな?私は今【大晦日に会社で仕事】しているという世にも気の毒な状態を駆逐して【恋人と二人きりで過ごす大晦日】になりました」


「その通りです。完璧に駆逐しましたね。普通に告白してもまず間違いなく振られると思ってましたけど具体的かつ合理的な提案をすれば北上さんの決断力があれば即決して頷いて下さる可能性は0じゃないと思っていました。こちらこそよろしくお願いします」


「桐山くん。あ。彼氏だから大地だいちくん?」


「呼び捨てで構いませんよ。彼氏なので」


「私の事も名前呼び捨てで呼んでみて」


「雪さん」


「コラ彼氏」


「……雪、さん。呼び捨てはちょっと勿体無くて急には無理です。慣れるのに少し時間を頂いても構いませんか?」


「確かに私も桐山くんの事を急に大地って呼び捨てにするより大地くんの方がしっくり来るかも。大地くん。よろしくね」


「こちらこそ。よろしくお願いします」


不思議な感じだ。桐山くんは私より年齢的には一つ下の新入社員。あ。桐山くん=大地くんか。私の彼氏になってくれた優しい大地くんは私が4月から指導している子だ。うちの会社は普通にブラックなので他の社員はバタバタ辞めていくけど大地くんは今のところ体調も崩さず愚痴も言わず働いてくれている実に珍しい子だ。そういえば今月は特にも忙しくてきちんと休んだ記憶もないので大地くんとほとんど24時間一緒に過ごしていたような気もする。私の実に下らない内容の愚痴等も嫌な顔ひとつ見せずに聞いてくれるし仕事の飲み込みも早い。優しくてマジメな子。


その上社内でトップクラスだった【悲しい大晦日問題】を解決するためにその身を差し出してくれた。トラブルに巻き込まれてもクレームも言わず問題解決のためにその身を差し出す感じどこのアンドロメダかと思った。なんて良い子なんだ。



すごくない?

彼氏だって。



【会社↔️自宅】で【会社>自宅】の生活を送っていた自分にまさかこんなにステキな彼氏が出来るとは想像すらしていませんでした。隣に座っている【彼氏】を改めて観察する。大地くんはなかなか整った顔をしていると思う。名前までは思い出せないけど最近よくドラマや映画に出演している人によく似ていると騒がれていた。人当たりもよく普段から物腰も柔らかい。言いたいことは比較的ストレートに言ってしまう私よりよほど大人だ。あと私が真夜中に魔が差して高カロリーな飯テロを企んでも快く付き合ってくれるし。さらに私が大晦日を幸せに過ごすためのオススメの契約まで考案して提示してくれたのだ。



……ん?彼氏?



「彼氏って何?どこまでセーフなの?設定だけお借りしているという事でその他はオプションなのかな?」


「……どこまでもセーフですね。むしろこのチャンスに付け込んで可能な限り進展したいと思ってます。前回の反省も踏まえまして雪さんの考えている【その他】というのが具体的になにを示すのか判断しかねますが基本的にすべてオプションではなくデフォルトだと思って頂いて構いませんよ」


「本当に?良かった。それじゃ今から休憩中の彼女と一緒にゆく年くる年見ながらどん兵衛の天そば食べない?」


「はい。喜んで。緑のたぬきもありますよ。デザートにハーゲンダッツのバニラも隠しておきました」


「本当に?大地くん優しい!そういうとこ好き」


「……俺も雪さんの事が大好きです」


あ。【俺】って言ったよ。大地くんは仕事中はちゃんと自分の事を【私】って言う子なのに普段の一人称は【俺】なんだな。可愛いなこの生け贄。違う。間違えた。生け贄じゃないよ彼氏だよ。こんなにステキな彼氏がいるとか大晦日の過ごし方ランキングぶっちぎり逆転一位ですよ。間違いない。まだ仕事は終わらないけど今は休憩中だからセーフだセーフ。プライベートと仕事の境界線が曖昧な所が悪い所かつ良い所というこの会社は相変わらずブラックだけど。





本当に楽しい事もたくさんあるんだよ。





おかげさまで私は【恋人と二人きり】という幸せかつステキな大晦日を過ごしたのだった。




◆◆◆◆◆







「あけましておめでとうございます」


「おめでとうございます」


日付が変わった頃に残っていた仕事もようやく片付いた。とりあえず隣に座っているつい2時間程前に彼女になってくれた雪さんに新年の挨拶をする。少し眠そうな雪さんに一番乗りで新年の挨拶。残業バンザイ。そんな事をわりと本気で考えてしまう。この会社に入社したばかりの頃はそんな事を考える余裕はマジでなかったけど。残業楽しいな。これがゾーンなのか。関係ないか。


「去年は本当にありがとね。桐山くんの【大晦日を幸せに過ごすために考案したオススメの契約】のおかげでステキな大晦日を過ごすことが出来ました。お世話になりました。これで桐山くんは私の元彼だな」


「ちょ、ちょっと待って下さい。大晦日過ぎ去った瞬間に自然に契約解除するの控えて頂いて良いですかね?北上さんに元彼って言われると新年早々死ぬほどしんどいですね。呼び方すら退化してますよね?【大晦日を幸せに過ごすため】の部分を期間限定と解釈されたようで迂闊な自分に動揺しています。お待ち下さい。今日は1月1日。つまりお正月ですよ。お正月の過ごし方ランキングでは【お正月に会社で仕事】はかなり下位の過ごし方ですよ。契約を延長して下されば【恋人と二人きりで過ごすお正月】に早変わりです。契約期間満了を死ぬほどすんなりと受け入れて軽い感じでとりあえず【解除】するより【延長】する事をかなり強くオススメします」


もう必死だった。この人は放っておくとこんな感じなのだ。油断も隙もない。


「桐山くん」


「はい」


「神かよ」


「よく言われます。だからこのまま延長して俺と付き合って下さい」


「喜んで。延長します。改めてよろしくお願いします。いやー。桐山くん本当に良い子だな。あ。延長したから大地くんでOKなのか。大地くんは本当に優しいね。お正月が過ぎ去った瞬間に元彼になってしまうのが惜しいくらいだよ」


「だからサラっと元彼って言わない下さい!新年早々こんなに気の毒な今彼いませんから。もっと本格的に惜しがって下さいよ!」


「いや。普通に考えてずっと私の今彼ポジションの方が気の毒かなと思って。あれ?お正月って何日までなんだろ?3日かな?」


「それは誰がなんと言おうと絶対に違います。【お正月】は【1年の最初の月】の事ですよ。間違いありません。ですから少なくとも今月いっぱいは俺は雪さんの彼氏ですからね?」


もう必死に念を押した。お正月=一年の最初の月=今月いっぱいはお正月。クレームは受付けない。


「そうなんだ?それならまだスケジュール的に余裕あるね」


「まったく余裕はないですね。かなりの緊張感です。とりあえず今月は大丈夫ですけど二度と2月が来なければ良いなと思うのは初めてです」


絶対に契約は解除しない。死ぬ気で延長する。そして近いうちに必ず期間限定ではなく永続的な関係を確立してやる。誰に指導されたと思ってんだ。幸いにもチャンスは1日に24時間ある。普通の会社なら8時間だろ。3倍。ブラック企業の新入社員舐めんな。



最初は優しい普通の一社員だった新入社員はいつの間にか憧れていた格好良い指導係の先輩みたいに自分で考え決断して行動出来る強くて逞しい大人に成長していた。



そんな今はまだ期間限定の彼氏は『どこまでセーフなの?設定だけお借りしているという事でその他はオプションなのかな?』と無邪気な顔で質問していた彼女に休憩時間毎に【彼氏のデフォルト設定】を確認されその読めない行動力にこれから死ぬほど翻弄される【お正月】を過ごす事になるのだが。




それはまた楽しい別のお話。




-おしまい-





【おまけ】桐山くんは実は大晦日を待たずにクリスマスには告白するつもりだったのだが北上さんは雪もチラホラ降り始めたクリスマス終盤のナイスタイミングには力尽きて眠っており個人的な理由で起こすのが躊躇われあと普通に寝顔が可愛いかったから見ていたらいつの間に日付が変わっていてクリスマス終了してから目を覚ました先輩がクリスマスの過ごし方ランキング最下位+イベントを一緒に幸せに過ごしてくれる彼氏すらいないしタイムスケジュール的な問題がクリア不可能だと嘆いていたので今回のオススメ契約をチラ付かせて釣るプランが採用された。

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「これは先輩が大晦日を幸せに過ごすために考案したオススメの契約です 」 さい @sai2

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