豚の息子

イネ

第1話

 その養豚場の主人は日に三度、決まって特製の分厚いベーコンを食べましたから、経営は順調だったと言っていいでしょう。問題は、跡継ぎがいなかったことです。

 それで主人は、たくさんの豚の中からいちばん賢い一頭を選び、自分の息子として育てることにしました。でたらめなことのように聞こえますが主人が言うには「なぁに、俺はもともと豚を育てる専門家じゃあないか」ということらしいのです。

 けれども、豚の中でいちばん賢いからといって、やっぱり豚は豚です。あっちへ行って土をひっくり返したり、こっちへ来てわらの束を丸飲みしたり、バケツをかぶってみたり、変わらずブウブウやってばかりいる息子を見て、主人は決心して言いました。

「おまえはまだ豚のつもりでいるのか。そろそろ読み書きの勉強でもしたまえよ」

 翌日、家庭教師がやってくると、豚の息子は勉強部屋の机に縛りつけられて、二時間もアルファベットを習いました。主人はさらに言います。

「計算も出来なきゃいかん」

 それでまた二時間、今度はお金の勘定や、豚一頭につきベーコンが何切れとれるかといったようなことを習いました。

「詩も読めたほうがずっといい」

 それで午後になると、豚の息子は先生と一緒に庭へ出て、ワーズワースやシェイクスピアを声にだして読んだのです。

 毎日、お昼には主人と同じ分厚いベーコンを食べ、夜には真綿のベッドで眠り、朝がくると召使いがやってきて着替えを手伝いました。主人は、本当の息子のように彼をかわいがり、優しく、厳しく育てたのです。


 そんな暮らしが半年ばかり続いたある日、すっかり頼もしくなった息子を誇らしげに眺めて、主人は言いました。

「今日はおまえに豚の出荷を任せようと思う。行って豚どもをトラックの荷台に追い込むんだ。それができたらもう一人前だ」

 豚の息子は、きっと立派にやってみせますと誓って、勇んで駆けていきました。

 けれども大変です。なんたって豚どもは、あっちへ行って土をひっくり返したり、こっちへ来てわらの束を丸飲みしたり、バケツをかぶったりするのです。息子はすっかりふりまわされて、しばらく追いかけたり追いかけられたりをやっておりましたが、やっぱり豚たちの頭の悪いことといったら、どうにかこうにか最初の一頭さえ荷台に押し込んでしまえば、なにを思うのかあとはもうみんな、我先にと競って乗り込んでゆくのでした。そうして最後の一頭が清々しく荷台に収まると、豚の息子は自分自身に大変満足して、鼻をブゥと鳴らしました。

 ところが、空っぽになった小屋を見回したとき息子は大変なことに気付きました。なんと自分まで、その荷台に乗り込んでしまっていたのです。あわてて飛び降りようとしたときにはもう、豚たちはソーセージのようにぎゅうぎゅう詰めにされて、縦にも横にも、1ミリも身動き出来ませんでした。


 息子の仕事ぶりを確かめようと主人がやってきたとき、トラックの荷台でつぶれたサンドウィッチの具のようになって息子は、自分の情けなさにぽろぽろと涙をこぼしながら、父親の顔をチラと見上げました。このとき主人のほうでも確かに息子を見やり、ちょっとばかりおどろいた様子でこう言ったのです。

「おや、こいつは特別つやがいいじゃあないか。きっと上等なベーコンになるね」

 そしてそれきり、運転手を呼びつけてあれやこれやとうるさく指示を出し、自分は上機嫌で屋敷へと戻っていってしまったのです。

 いよいよトラックが走り出すと、豚たちは恐ろしいほど静まりかえり、豚の息子も、運命を悟ったその小さな頼りない目で、流れ行くこの世の景色を恨めしそうに眺めていました。その先のことはもう、誰にもわかりません。


 息子の姿が見えないことに主人が気付いたのは、お昼の用意がすっかり整ったあとでした。いつものように特製の分厚いベーコンが運ばれてきて、いざナイフとフォークで切り刻もうというときに、主人はなぜだか胸がドキッとしたのです。

 それから間もなく、この養豚場は廃業になりました。他の豚が何頭か、跡継ぎになってやってもいいと申し出たりもしたのですが、主人は息子を失った悲しみですっかり脱け殻のようになってしまい、大好物だったベーコンも二度と食べることはなかったといいます。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

豚の息子 イネ @ine-bymyself

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ