第14話 処暑

風が強くなり、雨戸を閉めた家は真っ暗になる。強風域に入ると、がたがたと家中が風に吹かれて音を立てていて、雨風も横殴りになった。夕方から暴風域がおとずれるのに、ここまで強い台風に流石に心配になる。テレビをつけるもアンテナが動いたらしくて何も映らない。停電に備えてスマホのバッテリーを充電しておく。これ以上風が強くなると外に出ることも出来なくなると思い、夕方の世話には少し早いが小屋に向かった。

時折吹く強い風で飛ばされそうになるのに気をつけて進む。小屋の中にいる牛も雨と風でびしょ濡れだった。どうにかしてあげたいが、明日の朝には暴風域を抜けると予報があったので、一晩だけそのままで我慢してもらう事にした。世話を終えて帰ってくると、雨合羽を着ていたにもかかわらず、私もずぶ濡れだった。シャワーを浴びて、夕食を取っていると不意に電気が消える。


「やっぱり停電になったか…」


傍に置いてあったライトをつけて、片付けを済ませるとすることもなくなり、布団を敷いて横になった。真っ暗な中で猛烈な風の音が聞こえ、時折何かが雨戸に当たり激しい音を響かせる。


桜ちゃんは大丈夫だろうか…

そんな考えが頭をよぎり、思わず苦笑いした。明日になれば、台風は去り、また忙しい毎日が始まる。

どうか何事も起こりませんように…そう願って、早々と眠りについた。

夜中に何度となく強い風で家が揺れ、目が覚める。小屋が心配だったが、外に出ることは出来ず、スマホで台風情報をチェックしながら、まんじりとしないまま夜を明かした。


うつらうつらとした中でスマホのアラームが鳴ったことに気がついた。明け方まで起きていたのだが、いつの間にか眠っていたらしい。雨はまだ降っていたが風の向きが変わっていて、少しだけ弱くなっていた。服を着替えて外に出ると、辺り一面に葉や枝が散らばっていて、車庫は斜めに傾いていた。どうやら車とバイクは外に出していて正解だったようだ。

ごまの様子を見に行くと、小屋が風で飛ばされたらしくがたがたと震えていた。


「ごま!?」


私の呼び声に濡れたまましっぽを振るごまの頭を撫でてから、餌をあげた。辺りを見回しても小屋らしき物は見当たらない。道路には幾つもの枝が落ちていてあちこちで木が倒れている。

牛が心配になり急いで向かった先で、私は思わず目を疑った。


「!?」


小屋は箱を畳むように、完全に倒れていた。震える足を動かして小屋に近づく。入り口から入ることも出来ず、中の様子が確認出来ない。放牧場側から牛を呼ぶと、中で物音がする。

それからは無我夢中で動いた。知り合いの農家に電話をして事情を説明し手伝いを頼むと、倉庫からトラクターを出して放牧場の外に停めてから柵を外して中に入れるようにする。吹き返しの風が身体を飛ばしそうになるが、必死で柵を外した。


やがて、農家のおじさんがロープを持って現れた。小屋の様子を見て慌てたように手伝いに加わる。放牧場の柵を外し、トラクターを中に入れてからロープを柱に結びつけ、トラクターでゆっくりの引っ張りあげた。小屋はぎしぎしと少しずつ持ち上がるがロープが悲鳴を上げる。おじさんが私を制してから、どこかに電話をかけた。しばらく待つと、顔見知りの人が大型のタイヤショベルに乗ってきた。入り口側にショベルの先を付け、私達がロープで引っ張ると同時に、ショベルで小屋を持ち上げると、ようやく柱が立った。機械をそのままにして中を覗くと、そこには無残な光景があった。柱が母牛の上に落ちたらしく、前足でもがくように母牛は立ち上がろうとしていた。そして、母牛の身体の下で仔牛は絶命していた。立ち上がれず暴れる母牛を落ち着かせて、仔牛を外に出す。母牛は下半身に力が入らず大人が三人がかりで引っ張るもびくともしない。おじさん達の知り合いの人に電話をかけて、もう一台タイヤショベルを使い、ようやく母牛を外に運び出した。


気がつけば昼近くになっていて、いつの間にか青空が見えている。雨の中、手伝いをしてくれた方々にお礼を言って、送り出してから獣医師に電話をかけた。獣医師は仔牛を確認してから、母牛の診察をした。下半身の状態に難しい顔をしながらも、改善する可能性にかけて、鎮痛剤を注射する。


「一週間、様子を診ましょう」


その一言は、一週間以内に改善されなければ、もう治る見込みはないという事。つまり、処分しなければならないという事だった。


「分かりました」


その後、明日の診察と仔牛の処分について話をしてから獣医師は帰っていった。

小屋の中から、餌箱と水桶を出して、外にいる母牛に与える。立ち上がれない母牛は座ったままでがつがつと餌を食べた。その間に仔牛を別の場所に移しておいた。家の周りにはカラスやいたちがいるので、仔牛がかじられないように上から紙袋をかけて隠しておく。

座り込んだ私の耳に、不意に季節外れの蝉の声が聞こえる。台風はようやく去っていったようだ。


それから、家中の雨戸を開け、ごまの小屋を探し、道路や庭の掃除をして一日が終わった。電気は未だに復旧せず停電は続いている。スマホを開くと、あちこちで大きな被害があったらしく、ニュース欄は全て台風関連だった。

停電が復旧したのは次の日の深夜で、ようやく明るい室内にほっとする。洗濯を済ませ、テレビをつけると、いつもの日常がそこにはあった。

それから、手伝いに来てくれた方々にもう一度お礼をした。皆助け出した牛を心配していたが、私は「今、とりあえず治療してもらっています」と言うだけに留めておいた。


治療を受けてから一週間目、立ち上がれない母牛の傍で獣医師は私に告げた。


「これ以上は、無理かもしれません」

「…分かりました」


その後診断書を書いてもらい、次の日、母牛はクレーン付きのトラックに積み込まれて行った。私はただ見つめることしか出来なかった。

【改ページ】

先日の台風は予想以上の強さだったらしく、土砂崩れで道路があちこちで封鎖され、家の被害があった人もいたらしい。停電も一日近く続き、母親は食事の支度や、洗濯に悩んでいた。翌日、学校に行くと、教室の中も台風の話題で持ちきりだった。


「お早う」

「お早う、夕貴」


隣に来た夕貴に笑いかける。


「台風大丈夫だった?」

「学校が休みでラッキーだったけど、停電がなければ良かったのにね。スマホも充電出来ないし、テレビも見れないし、すっごく暇だった」


夕貴の言葉に思わず笑う。皆似たような事を感じたらしい。


「そう言えば、電車も止まっているんでしょう?」

「えっ!?本当?」

「うん、お母さんが言ってた。木が倒れて線路を塞いでいるんだって」

「そうなんだ…」


図書館に行くことも涼さんに会うことも出来ずに、がっかりする。そんな私に夕貴はにやりと笑った。


「がっかりしてるねぇ、桜。

久しぶりに電話をかけるチャンスじゃない。台風で被害はなかったですかって話題もあるし」

「それが出来たら苦労はしないよ…」


夏に私が気落ちしているのに気付いた夕貴は理由を問いただした。初めは涼さんに怒っていた夕貴だったが、立木さんの話を聞いてから私の気持ちが変わらない事を伝えると「愚痴ならいつでも聞くから桜が納得するまで頑張りな」と見守ってくれる様になった。立木さんや夕貴が傍にいてくれて本当に良かった、私はそう思っていた。夕貴と雑談をしながら教室の窓から外を見ると、綺麗な青空が広がっている。

やがて、予鈴がなり席に着いて今日も変わらない一日が始まった。


図書館に向かう電車が復旧したのは一週間を過ぎた頃で、その間は代替バスが走っていたらしい。久しぶりの電車は線路の側のあちこちがシートで覆われていて、台風の被害の大きさを伝えていた。


「こんにちは」

「いらっしゃい、桜ちゃん」


図書館に入ると立木さんが笑って迎えてくれた。


「桜ちゃんの家は、台風大丈夫だった?」

「はい、停電だけでした」

「そう、良かった」

「立木さんの家は大丈夫だったんですか?」

「ええ。家は街中だから風もそんなに当たらなかったの。停電も三時間位だったし。だから、ここに来て驚いたわ」

「この町は酷かったみたいですね」


確かに私の住む場所より、一駅離れただけのこの地域は台風被害が目立った。涼さんは大丈夫だったのだろうか、と心配になる。


「涼さんは、大丈夫みたいよ」

「えっ!?本当ですか?」


考えを見透かされた様な言葉に思わず聞き返した。


「私の付き合っている人がね、涼さんに連絡したみたいなんだけど、大丈夫ってメッセージが来たみたい」

「そうなんですか」


ほっとする私に、立木さんが微笑んでいるのに気付き、恥ずかしくて話題を変える。


「立木さんの付き合っている人って、どんな人なんですか?」

「えっ!?」


なぜか動揺する立木さんは少し赤い顔で、だけど嬉しそうに答えた。


「…私の事を誰よりも分かってくれて、ずっと一緒に過ごしたいと思える人かな」

「…」


思った以上の返答に言葉を失う。これはもしかして、俗に言う'のろけ'ではないだろうか?

絶句する私に、立木さんはますます赤い顔で「私が今言った事は内緒にしててね」と慌てていた。


「内緒って、私、立木さんの付き合っている人と会うことはないですよ」


私の言葉に、なぜか立木さんはにこりと笑った。


「ううん。いつか会うかもしれないから」

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