ありふれた物語集

かさかさたろう

第1話 流れ星と彼女

その年の夏はとても暑くて、どれくらい暑いかというと、アイスをもっていたら5分もしないうちに溶けて垂れてくるくらいでした。

僕は高校受験を控えていましたが、うまく勉強の波に乗れず、中学の内申点もあまりよくはないため、まあ、そこそこの進学校に行ければいいかと思っていました。

外は暑いですが、家にいても親が「勉強しろ」とうるさいので、暑くて暑くて仕方ないけれど、外に忍び出ることにしたのです。

ちょうどその日は真夏日で、照りつけてくる日差しは容赦がなかったです。

都会からバスで1時間ほど離れた新興の住宅街を抜けると、まだ開発の手の入っていない、田舎道が残っています。

好きなバンドの黒いTシャツにベージュの半ズボンを履いた僕は、とりあえず、見晴らしのいい丘にある公園へ向かっていました。

15歳の清新で躍動を求める生命が、広々とした風景を求めていたのです。

ポケットには500円玉が入っていました。途中でアイスでも買っていこうと、そう思っていたからです。

コンビニによって、チョコモナカのアイスを買って、そびえ立つような坂を汗をかきながらひいひいと登っていくと向日葵の植えられた花壇のある、小さな公園にたどり着きました。

大きな広葉樹がぽつんと枝を大きく伸ばして、日傘のようにベンチの天井を覆い尽くしていました。その公園で、ベンチに座って向日葵を眺めていると落ち着いた気持ちになりました。受験だの社会だのから逃げ出したかっただけかもしれません。とにかくそういうこともあるかもしれません。

向日葵はとても素敵な花だといつも思います。天高く登りあがったお日様の方を常に向いて、落ち込むことが無いのです。いつも陽の当たるところで日差しに向かって立っています。僕にはいつもは真似出来ないところがあるなと思います。陽の当たるところは幸せだけではない。嫉妬や陰口に晒されることだってあるからです。

丘の上の公園ではひまわりの向こう側にはフェンスがあって、その向こうには僕の住む町が見えます。

大きな池や森、竹林などがあって、住宅街も広がっていて、右手には学校が見えます。

町には小学校も中学校もあるからちょうどいいと思っています。

そんなこんな歩いているうちに公園のベンチにたどり着いたので、僕はアイスの残り半分を食べつつベンチに座りました。向日葵は中天からやや西に傾いているところでした。

「やや、先客がいるな」と少し大きめのはっきりした声で誰かが唸っていました。

僕は振り向くとそこに少女がたっているのを見つけました。少女といっても僕と同じくらいの背丈で僕は少し大きめなので、少女はかなり大きいほうに入りますが、顔が同年代のそれだったから僕は少女と思っていました。

「君は誰?」

そうです、この辺の子ではないと思いました。見たことがありませんでした。黒髪のロングヘアを綺麗に整えて、白いワンピースを着た、あどけなさの残る顔。瞼は一重でしたが、ぱっちり大きくて、とても可愛い唇がついていました。鼻もそこそこ高くて可愛らしい感じの子でした。

「ああ、知らないのも無理はないよ。私おばあちゃん家に来ててね。東京から。だから知らないのも無理はないよ」

彼女はそういうと、後ろに手を組んで、前かがみの姿勢を取りながら、一歩一歩僕に近づいてきました。

「隣いいよね」

彼女は僕の返事を待たずによいしょと腰を下ろしました。そして、肩掛けカバンの中から緑茶を取り出すと、僕の目を見て「これが美味いんだよ、君」としたり顔で言いました。

僕はキョトンとしていました。知らない子、可愛い子、綺麗な子。石鹸のいい匂いが香っている子。

とりあえず僕は目を逸らして、「緑茶なんて渋いね」と言いました。目を合わせていたら心臓がドキドキして苦しかったのです。

彼女はしたり顔を近づけてきて、「君さては私に恋をしたな」と言いました。

僕は咄嗟に身を彼女と反対方向に退いて否定しました。彼女は「はーん、まあいいや」と言いました。

そして、「私に恋をしても遅いんだなあ、あと70年前にしてもらいたかった」とぼそっと言いました。

僕は意味がわかりませんでしたが、よくある「100年早い」的な常套句かなと思いむっとしました。

彼女が「ねえ、君は何が好きなの」と突然聞いてきたので僕は「エルマーとりゅう」とか「星の王子さま」とか答えたのを覚えています。彼女は「星の王子さまは知ってるけど、エルマーとりゅうってなんだろ?」と言っていたので、物語のあらすじを僕は語っていきました。こういう語るという動作をとる時、人間って熱くなるのかなと思います。思ったよりも熱が入っていたみたいで、僕は途中でそれに気づき、「ごめん、ちょっと熱くなってたみたいだ」と言いました。

彼女は「そんなことないよ、面白い。もっと聞かせて!」と強くねだるので、とにかく話し続けました。

さて、太陽は落ちていきます。空が綺麗な透き通る青だったのに、あっという間に群青に染まって、あの夕焼けのどれほど素晴らしかったかを僕は今まで忘れたことはありません。

僕の読書譚を聞いたあと、彼女は歌を歌い始めました。知らない曲、古い曲がいっぱいありましたが、彼女の透き通る声は美事で、僕はずっと聞き入って、たまに知ってる曲があれば一緒に歌いました。

いつしか、距離がだんだんと近くなって、いつの間にか僕と彼女はくっついてしまっていました。僕の右腕と彼女の左腕。恥ずかしい、ドキドキするけれど、不思議となんだか懐かしい気分になって、温かい気分になりました。

すっかり日も落ちると、彼女は急にしおらしい雰囲気になって、そろそろいかないとと言いました。

僕はああ、もうそんな時間かと思いましたがまた会えるだろうと安易に考えていました。

彼女が急に僕の胸の中にしがみついてきて、「こんなに待たせて、遅いよ」と言いました。

僕はそれがよく分からなかったのですが、ともかく「ごめんね」と謝りました。

「でも、最後に会えてよかった」と彼女は泣きながら笑っていました。

二人で夜空を見上げてベンチに並んでいました。月が見えなくて、代わりに星が綺麗な夜でした。彼女は空を見上げていて、急に、「流れ星!」と叫びました。

そして、「来世もまた会えますように」と言いました。

不思議な気持ちで、願掛けをする彼女を見ていると、彼女の周りを美しくぼんやりとした白い光が包みました。彼女はその光の中で輝いていました。

僕は不意に「もういってしまうの?」と言いました。

「また会えるよ」と彼女はそう言いました。

そして彼女はどこかへと去っていってしまいました。


向日葵は太陽を見失ってしょんぼりしていました。でも大丈夫、明日また太陽は昇ります。


それから近所のお婆さんが亡くなったことを知りました。戦争で夫を亡くして生涯未亡人を貫いた気丈でユーモア溢れる人だったそうです。僕は何の気なしに葬儀に参加してふと、故人の若い頃の写真を見ました。公園で出会った少女とよく似ていました。

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