白兎はアリスの手から逃げ切れるのか

柞原由奈

第1話 白兎、起きる

例えば、幼い頃読んだことのある話があるとする。シンデレラでもいいし、白雪姫でもいい。別にグリム童話に限らずとも一寸法師とか桃太郎とか金太郎とかでも、とにかく昔読んだことのある話だ。その話を最後まで語ることができるだろうか?むかーしむかしと始めてほしい。

存外、起承転結の起と結は覚えてるものだ。例えばシンデレラ。彼女は継母と義姉に虐められていたけど魔法使いのおかげで舞踏会に行くことが出来て王子様に見初められて結婚の約束をする。その後のハッピーエンドの展開なんて誰にだって言えるだろう。そう。別におかしいことは何もない。在り来りなハッピーエンドは誰しも何も言わずに覚えている物だろう。白雪姫だって一寸法師だって金太郎だって桃太郎だって、彼彼女のハッピーエンドは誰だっておぼえてるものだ。さもありなん。ただ、昔昔と諳んじても覚えていない童話は沢山あるものだ。間違いなく。

例えば不思議の国のアリス。あの話の結末を皆は覚えているだろうか?お姉さんに揺り動かされ夢から覚めるといったものだけど、本当に彼女の冒険は夢だったのだろうか。

まぁ、私には関係無いのだけど。

さて、そろそろ起きてもらおうか白兎。

アリスがお待ちかねだよ。


「.............え?」

何だ、今の声。

誰の声だったんだ、今の。

私は目を擦りながら身体を起こす。バクバクと嫌な音を立てる心臓に落ち着け落ち着けと言い聞かせながら大きく息を吐く。もう一度深呼吸すると、ほんの少しだけ落ち着いた。無理矢理覚醒させられた身体は未だ動悸を訴えており、ゾワゾワと背中を這い回る冷や汗が気持ち悪い。

もう一度深呼吸して辺りを見回す。

どうやらここは学校の教室のようだった。正面には黒板、左手には窓、右手には廊下に繋がる引き戸。後ろにも恐らく小さな連絡掲示板用の黒板があるのだろうと振り返ってみたらビンゴだ。そこには色とりどりのチョークで「何でもない日おめでとう」なんてポップに書かれている。いやはや、皮肉が聞いていて何よりだ。何でもない日は普通の日。私にとって平凡な毎日だ。教室の中央には私が座っているこの席しかないし、この机と椅子は間違いなく私が使っているものだ。机に書かれた罵倒の嵐は油性ペンだけでなくコンパスの針やカッターナイフで彫り込んだものである。学校の備品に何をしてくれてるのだと思うんだけどね。それもこれも能力無しの私のせいか。そうか。だけどこの机にはいつもと決定的に違うものがあった。

花紙で造られた造花や折り紙で作った鎖がデコレーションされている。油性ペンでデカデカと書かれたバカや無能、学校に来るなといった誰が書いたともわからない罵倒が造花と折り紙で可愛らしく彩られていた。

改めて教室を見回してみる。私の席以外は後ろへ寄せられ前部分にスペースを作り、連絡掲示板用の黒板も造花や折り紙で飾り付けられていてまるで今からパーティかお楽しみ会でもするのかと言った具合だ。鮮やかな原色の折り紙に目眩がする。綺麗に飾り付けられてるのは後ろだけでなく、左の窓も右の扉も見事にデコレーションされていた。何これ?デコっちゃってーって?また新手の嫌がらせか、とこれまた丁寧に飾り付けられた黒板にはこう書かれていた。

『逃げて白兎!!!』

『アリスがくるよ!!』

『逃げて!!!!』

「は?」

どういうことだ。白兎とはなんだ。私のことか。いや別の誰かのことか。鮮やかに彩られたパーティ会場の中で黒板に書かれた文字だけが異彩を放つ。黒板の文字はペンキか何かだろう、赤黒い粘液で書かれていてまるで血のように見えて気持ち悪いことこの上ない。

私は席から立ち上がり前の黒板へと足を踏み出した。

その時、である。


―――キーン、コーン、カーン、コーン


チャイムの音が鳴り響いた。

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白兎はアリスの手から逃げ切れるのか 柞原由奈 @potetopie840

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