猫好き名伯楽と揺れる皇國議会〈後編〉

 

「立憲統一同盟総裁〈結城正隆〉であります。……私の意見としましては。

 そもそも、現在取り交わされている議論に大した意味は無いと論じる次第です」


『なっ……!』

『大した意味は無いですと!?』

『一体どのようなおつもりですか!』


 今までの議員たちの努力を根底から否定するような結城の発言に、あまり乱暴な口調ではないものの議員たちから批判が殺到する。それは結城が総裁を務める統一同盟の議員席からも、若干聞こえてきた。

 それだけの衝撃を以て、結城の演説は開幕したのである。

 そして結城は、言葉は違えど意味するところは同じ大量の批判の矢を、矢面やおもてに立った状態で全て受け止め――。


「言葉を変えて、もう一度同じ考えを述べさせていただきます。

 今まで一時間ほど、あなた方の議論を静観しておりましたが……。まず最初に、大前提をおろそかにした議論はいくら重ねたところで一切の実を結ばないということを、此処にいる議員の方々のどれだけが根本的に理解しているか。

 それを問う者が現れない限り、少なくとも今までの一時間の議論は全くの無意味であったと断言せざるを得ません」


 再び、力の籠った言葉でそのことごとくを打ち返したのであった。

 そのあまりにも堂々とした宣戦布告のような言葉の羅列に、一瞬議場の議員や国務大臣達、更に新聞記者たちまでもが沈黙する。……そして。

 その沈黙を破ったのは。


「……詳しく、説明していただけますかな? 結城総裁」


 その人物は、先程まで野次や批判を矢弾のように放っていた議員たちではなく、むしろその調停役に回っていた星嶋議長であった。そして、議場の空気を一瞬にして一変せしめた結城に対する、皇國議会という皇國唯一の立法機関の長であり守護者でもある星嶋の言葉は、あまりに結城への敵意を含まないもの。

 敵意を露わにするわけでもなく結城の発言を咎めるわけでもない。単に話を続けさせて様子を見ようとする星嶋の態度は、他の議員たちにとっては少し疑問の余地が残り、不満がそのまま抑え込まれたような捌け口の無い感情を彼らに与えた。


「では、具体的に私の意見を述べさせていただきます。

 まず我々は、一つの検証を怠っている段階で議論を進めているのです」


「……その検証とは何でしょうか? 総裁」


 立憲統一同盟の議員席から一つの若い男の声が挙がる。それは質問ではあったが、単純に疑問だけで構成されるようなものではなかった。簡単に言うならば、彼は自らの党の総裁の演説を円滑に進めるべく、質問役を買って出ていたのである。

 

「質問ありがとう。遠坂議員」


 立憲統一同盟幹事長〈遠坂とおさか康平こうへい〉は、総裁である結城の言葉に若干の笑みを浮かべながら少しだけ会釈をした。彼は30代半ばであるにも関わらず結城によって党幹事長に大抜擢された人物であり、それだけ結城に重用され互いの信頼関係も厚い男であった。


「我々が異界人に関する論議を交わす前に、検証しておくべきこと。

 それは、その異界人が本当にに値する人物であるかということです」


「信用に値する人物であるか……?」


 遠坂は結城の言葉を反芻した。それに対し軽く頷くと、結城は話を続ける。


「この一時間、我々が話し合っていたことは異界人の処遇についてであります。

 様々な意見が出ましたが、それらは大まかに言うと二つに分けられます。

 一つ目はその異界人に戸籍等を与えず、政府や各省庁の管轄とするという意見。

 二つ目は逆に、異界人に戸籍等を持つことを認可するという意見であります。

 双極性を持った二つの意見ではありますが、いずれ片方に決断を下すにしても肝要となってくるのは先程申し上げましたように〈その異界人が信用に値するか〉。そしてそれを確かめること、これに尽きると考えております。

 自由憲政党等の方々の意見に従って政府など国家機関の管轄下に置くにしても、その異界人の人格や思想などをしっかりと調査し、見極めないことには政府側としてもはっきりとした許可は出せないでありましょう。

 我が国は今まで、いわゆるお雇い外国人を欧州や米国から招致し、彼らから技術等を享受することで近代化の促進を成功させました。先人たちが外国人を雇うというその選択をしたとき、一切の迷いを介在させなかったでしょう。しかし、実際に外国人を招致するとなれば当然、どの外国人が良いのかというのを選抜せねばなりません。我々は彼らに対して、技量や知識の多寡によって振るいを掛けるということ以外に、素行や人格等に問題が無いかということを当たり前のように調査します。

 例えば、我が国で揉め事や犯罪を行わないかどうか。帰国した後に、我が国の機密情報を敵国に流出させたり等しないか……。

 多少漏れ落ちや不備もあるでしょうが、これらを事前に検証してきたからこそ今まで我が国は安定した成長を続けられたともいえるでしょう。

 ですが、この度の議論ではその点がすっかり抜け落ちている。この場で異界人の情報共有を行うことができた、それ自体は有意義であったと言えるでしょう。しかし、それ以上の段階……すなわち結論を急ぎすぎるというのは、失敗に近づく第一歩であります。何もこの場で、異界人に対する処遇を決めなくてはならないほど、危急の事態であることはないでしょう。なればこそ。

 先程から申し上げておりますように、何にしてもその異界人に実際に会って検証をしてみないことには全くもって、この議論に進展がないと考えます」


 結城の演説に、議員たちは皆一様に片手を額に当ててため息をついた。それは結城に対する落胆や呆れといったものではなく、自分たちの愚かさに気付かされたことによるものであった。結城はその様子を一通り確認してから、演説を続けた。


「さて。その検証をする前に、この場で私の意見も参考として述べたいと考えております。自らの立場ははっきりさせねばならないでしょうからな。

 ……いくら富国強兵の為といえども、法治国家としていかなる人間にも適応されるべき人権をその異界人であるからという理由で剥奪はくだつするというのはあり得ることではありません。その点で、私は多くの統一同盟議員の意見に同調いたします。

 また独自に根拠を展開するとするならば、良い前例がございます。まず、この国には皇都や港湾三都市以外の日本……すなわち幕府諸藩から逃げてきて戸籍を持った人々が数百人暮らしています。いわゆる〈脱藩者だっぱんしゃ〉であります。名は伏せますが、この議場においても脱藩者の家系を出自とする者がおります」


 議員たちの視線は、控えめながらも閣僚席左翼にいる一人の男に注がれる。

 その男、水瀬従直は全くもって我関せずといった面持ちで、何も気に留めている様子は無かった。水瀬の父は、九州の旧西国管領家・忠津ただつが治める〈摩襲島まそしまはん〉を出奔しゅっぽんし、八咫ヶ崎市に辿り着いたという略歴を持つ。その父は先見の明を持った摩襲島藩士であり、欧州列強に対抗して西洋式海軍を持つことの必要性を当時の藩主に説いたが理解されなかった為、仕方なく息子の従直などの家族と共に脱藩。そして父は八咫ヶ崎に移住してから数年で死去し、水瀬はその遺志を受け継いで皇國海軍に志願。着実に頭角を現し、入隊から30年近くで皇國海軍大将・海軍大臣の座を手に入れることとなったのである。

 彼の毅然とした姿に議員たちの視線も少しずつ離れ始めると、結城は演説を再開した。彼の演説は最終局面を迎える。


「脱藩者というのは、こう言ってしまうのは忍びないですが……帰る場所が存在する人々です。少なくとも脱藩した時点では。

 藩や村から追い出されたというわけではなく、脱藩者は自らの意思で藩を出た者たちが殆どであります。証拠に脱藩者たちの多くは、幕府では理解されなかった西洋式の産業の研究などに従事していたり、武士という身分を捨ててまで己が道を突き進む為に軍人となったり等しております。

 既にそのように職や戸籍を持ち、所帯を持つまでに時間が経過してしまった脱藩者が今更、元の藩に戻るというのは許されないでしょう。しかし、今議題として挙がっている異界人……音無雄輝のような状態。すなわち、この国にやってきたばかりの状態であったならば、すぐに引き返すことで幾らかの処罰と共に藩へ戻ることが許されるでしょう。場合によっては死罪も有り得るでしょうが、少なくとも帰れる場所があるという点には変わらないでしょう。

 そして我ら皇國はそのような人々を受け入れ、戸籍や住民票を与えて皇國臣民とすることを認可している……。音無と違って帰る場所があるというのに、です。

 幕府の人間は〈日本人〉であったとしても〈皇國臣民〉ではありません。そこを捨てて皇都にやってきた脱藩者は、外国人といっても差支えが無いのです。それなのに、彼らにはこの国で真っ当に生きる権利が保障されている。ならば。

 この世界で帰る場所すらない音無雄輝という異界人に、皇國臣民として生きる道を与えることがどのような不道理ふどうりに当たるのでありましょうか……!?」


 議員たちは、心の中で更なるため息をついた。結城正隆という一人の老爺に、自分たちが一時間話し合ってきたことの無意味さを理解させられ、しかもそれに加えて理路整然とした持論を展開されたのだ。

 とてもではないが、勝ち目がない。今回は結城の独り勝ちだ、といったような空気が議場を支配する。


「これが私の主張であります。既に述べた通り、その異界人に実際会って検証をしてみないことには話が進みませんので、参考程度にお願いいたします。

 ……では、私の演説を終わりにしたいと思います」


 その言葉を締めとして演壇から去っていく結城に、議員席や閣僚席からは惜しみない拍手が送られた。素晴らしい提言を行ってくれた者に対しては、誰であろうとも敬意を払う。組織として成熟した皇國議会における、一種の伝統のようなものだ。

 それ自体は当たり前のことかもしれないが、そのような当たり前の慣習を受け継いでいくことができる議員が揃っているということは、皇國において男女平等の普通選挙制がうまく機能しているという証左でもあった。

 そして結城は自分の議員席に戻るなり、再び座っていた愛猫を抱えて背中をさすり始めた。その様子を見て、また呆れたような感情が議員たちの心中で噴出したが、それは演説前の感情とは同じなようでまた違うものであった。

 やはり彼は、やる時はやってくれる男なのだと。だからこそ、与党・自由憲政党と並ぶ大政党・立憲統一同盟の総裁という大任に任ぜられているのだと。

 を出身とする政治家は一味違うのだということを。彼はその身を以て証明し続けているのであった。


「結城総裁、演説ありがとうございました。さて議員の皆様。まずは異界人に実際に会って検証をすべきだという結城総裁の意見に、異論はございますでしょうか」


 拍手も止み、結城への視線もまばらになってきた頃。星嶋はそう質問を投げかけた。……それに異議を唱える者はいない。

 結城が持論と称した、異界人自由論については自由憲政党の議員たちを中心に異論を述べる余地があった。しかし異界人を視察するという意見に関しては、この議場にいる全ての人間が満場一致で賛成という立場と化していたのである。


「……異論は無い、ということでよろしいでしょうか。

 ではまた後ほど、異界人の視察に関しては議会や政府・各省庁で議論を交わし、詳細を詰めていく方向で検討をしていきます。その為、本日の異界人に関する論議はこれまでとし、第二の議題へと移っていこうと思います」


 かくして、第64回皇國議会の議題は変わっていき。

 異界人の処遇に関する論争には、一旦終止符が打たれることとなった。



 同日 午後6時頃 皇國議会議事堂裏玄関前


「今日はお見事でした。結城さん」


 一日目の皇國議会は無事に終了し、西へと沈んでいく太陽に照らされる議事堂の裏玄関前には人影が四つ。既に5時過ぎに議会は終了していた為、この四人以外に殆ど人の姿は見られない。

 ……ならば何故、彼らは此処に留まっているのだろうか。

 

「いやいや、ちょっとした間隙を突いたまでのこと。それよりも、冒頭にあった星嶋議長の演説の方が素晴らしかったと思うがね」


 禿はげかかってはいるが、その威厳は全く損なわれない程に堂々とした態度で結城を称賛したのは篠原陸軍大臣である。それに対し結城は他の二人、遠坂統一同盟幹事長と水瀬海軍大臣の方にも投げかけるように、星嶋議長を讃えた。

 篠原や水瀬のような大半の皇國軍人は親統一同盟派であり、それは自由憲政党の閣僚であったとしても譲れない信念であった。その為、統一同盟の議員と軍部大臣が密談を行うといったことは一種暗黙の了解となっていたのである。


「冒頭の演説と言うと……新聞記者たちへの報道禁止要請のことですか」


「ああ。遠坂君は何故、あの場で議長が要請をしたか分かるかね?」


 質問を投げかけられた遠坂はしばらく黙考し、やがて口を開く。

 その間、結城は一切何も発することなく、吹き抜ける春風の香りなど感じていないかのように遠坂をじっと見ていた。地面には愛猫の琵琶越が一匹。相変わらずではあるが、飼い主と同じで全く鳴き声を漏らすこともない。飼い主と違うところは遠坂どころか飼い主の方すら見ないで、視線を右往左往させていることである。


「あくまで憶測の域を出ませんが……。新聞社への牽制ではないでしょうか」


「どういうことです? 遠坂議員」


 水瀬が全く何も分かっていないように聞く。

 彼は幼い頃に摩襲島を出て、政争どころか魁魔襲撃すら殆ど無い商人と海軍軍人の都・八咫ヶ崎で、人生の多くを過ごしてきた。そして父親が武士だったことから、その潔白な在り方と信念を色濃く受け継ぐこととなった。その為、皇都の中央で密かに行われる醜い政治争いに関してはとんと無頓着である。

 星嶋議長の要請に、決してどす黒い意味合いがあったというわけではない。しかし物事の裏側を見る眼を養ってこないまま皇都へやってきた水瀬には、まだその真意に気付けるほどに栄達した見識は無いのであった。無論、先日にあった御前会議の一件のように、あからさまな場合は除くが。

 

「異界人に関する議論など、本来ならば皇國議会で審議するほどの内容ではありません。政府側で対策委員会を開き、別途話し合うのが通常。しかし、閣議決定をした後に委員会を開くとなると相応の時間がかかります。

 その間に、情報を聞きつけた新聞記者たちが異界人に関する記事を発行したり、異界人に対する接触を行う可能性があります。ならば、他の議題も織り交ぜて無理やりにでも皇國議会を開会させ、そちらに新聞記者たちの注目が集まるようにする。そして冒頭演説で異界人について触れ、報道禁止要請を行う……。

 確かに要請自体に法的拘束力はありませんが、あれほどまでに異界人に対する擁護発言を堂々と行い、その内容をすべて記事にして良いと豪語したのです。議長には相当の覚悟があったのだと思われます。その意思を蔑ろにし、記事として文字に起こすことすらせず、異界人の個人情報を晒すような新聞社は必ずや糾弾されることとなるでしょう。それを恐れて、各新聞社は星嶋議長の要請や発言を記事にする。

 そうなれば、その記事自体が言質げんちとなります。自らが発信した事実を捻じ曲げるような報道をすれば、新聞社としての沽券こけんに関わりますから。

 恐らく星嶋議長と栖原総理はそのようなことまで見越して今回の皇國議会を開き、演説を行ったのだろうと考えます」


「ああ、その通りだ。私と篠原君も朝の時点で勘付いてはいたが……。まさか星嶋議長と栖原総理が、あそこまで異界人を擁護するとは思わなかったな」


 遠坂の的確な説明に小さく拍手をしながら、結城は心底不思議そうに話す。


「擁護、というわけではないのでは?」


「どういうことかね。篠原君」


「あのお二方はむしろ、異界人のことなどどうでも良いのではないかと思います。星嶋議長が演説で発した言葉が偽物であったとは申しません。しかし、結城さんの演説が終わるなり速やかに異議が無いかを確認し、議論を終わらせたあたり……。

 ひとまず新聞社が異界人の詳細な情報を報道することを抑え、異界人への処遇については保留にしようという考えが読み取れます。この時局に国内を不用意に動揺させるようなことを行わせないようすることだけを念頭に置き、それ以外は流れに任せるといった考えなのでしょう。つまり、あくまでというわけです」


 その篠原の説明に対し、水瀬が首を傾げる。彼も今現在の時局というものは、国務大臣の一人として一通り理解はしている。しかし何故、国内を無駄に動揺させないことが自由憲政党の政治家にとって保身となるのか。


「保身? どういうことだ?」


「政権維持の為ではないかね」


 結城が篠原に代わって応える。それは一体どういうことかと更に問おうとすると、彼は愛猫と歩調を合わせて歩いて行ってしまう。

 他の三人もそれに付いていき、議事堂をぐるりと回って正門へと向かう。

 遠坂・結城・篠原・水瀬の順で横並びになると、歩きながら結城は先程の言葉を続けた。


「近年、自由憲政党は着実にかつての権勢を失ってきている。10年ほど前までは議員定数の3分の2を確保し、幕府との関係も良好であった。

 しかし、今の議場の様子を見てみろ。我々統一同盟と自由憲政党でほぼ二分され、拮抗している。それに加えて幕府も皇國に対する強硬姿勢を強めている。20年前は幕府の将軍・大老や老中たちが揃いも揃って弱腰だったおかげで、北館と須南浦を割譲させることに成功したが……。もはや対立は必至だ」


 彼の言葉は概ね事実であった。現在の皇國議会における各党の議席数を見ると、与党である自由憲政党は128名で、野党第一党の立憲統一同盟は107名。その他4つの小政党が残り10名の議席に陣取っているといった悲惨な状況である。

 自由憲政党は与党として、かろうじて半数以上の議席は確保しているものの確実に統一同盟に追いつかれようとしている。

 因みにこの各党の議席数は、去年11月に行われた〈皇國議会議員総選挙〉後に決定されたもので、次の選挙は3年後である。

 恐らくではあるが、次の選挙後に政権は統一同盟へと移るだろう。確かに議席数を見れば、自由憲政党は統一同盟よりも20名近くの議席を多く持っているが、そんなものはすぐに追いつかれると誰もが分かっていることなのだ。


「民衆の支持は、確実に我ら統一同盟の下に結集しつつある。もう既に、自由憲政党が掲げる幕府との融和的外交などというものは幻想になっているのだ。

 そうして離れつつある人心を何とかしてでも繋ぎ止めようと、栖原総理たちは今回のような保守的な対応を取っている。篠原君の言う通り、心の底では異界人のことなどどうでも良いのだろう。まあ、私もだがね」


 50代半ばで皇國陸軍大将にまで昇り詰めた後に退役し。

 立憲統一同盟の議員として初当選。その圧倒的な魅力と演説力を生かして、確かな知見に基づき獅子奮迅の活躍を行う彼は。

 今年で齢76となる結城正隆は、立憲統一同盟の総裁として今此処にいる。

 そんな彼がたたえる静かな笑みは、非常に残酷なもので。それでいて、それを横から見る三人の目を釘付けにするほどの威光を放っていた。

 今朝、愛猫を抱えて笑みを浮かべていた結城正隆の姿は此処にはいない。


「……ああ、そうだ。篠原君と水瀬君。

 昨日御前会議が開かれたそうだね。どうだった?」


「どうだった、とは?」


 非公開で記事にすらされていない御前会議の存在を知っているということに、もはや疑問を呈することすらせずに篠原が聞き返す。


「大中華国との戦争について、だ」


 そう返した結城に対し、篠原と水瀬は昨日話し合われた内容を伝えた。

 話を聞き終わると、彼は「ふむ……」と髭の生えていない顎に手をかける。


「少し妙だな。君達の話を聞く限りだと……まるで裏では、大中華国との和平交渉が無理であると満場一致することを前提に、話が進んでいるように思える。

 大中華国との和平の道はまだ希望があったにも関わらず、元からその道を無きものとすること前提で、君たちや栖原総理たちが動いているように思えるのだ。

 これは、単なる老いぼれの勘かね? 応えろ、水瀬海軍大臣」


 ただ御前会議の概要を話しただけだというのに、何故横に並ぶ彼はそこまで見抜いてしまうのだろうか。そんなある種の恐怖が心の底から這い上がってくるような心地がしながらも、水瀬は確かに応えた。

 普段の彼からは想像もできない程に重厚で冷徹な声音に、汗を浮かべながらも。


「……ご明察の通りです。私たちや参謀本部・軍令部総長など6名は、事前に栖原総理から対中戦の防衛計画概要案など各種軍事資料を持参するように要請されていました。少なくとも防衛計画細案を策定させる為の手筈てはずは整える、と言われ」


 つまり最初から、長谷川内務大臣の提言によって大中華国との外交関係改善の展望は絶望的であると皆に納得させ、防衛計画概要に関する話題へと誘導させることを栖原総理は目論んでいたのである。

 そして、その目論見は見事に功を奏した。栖原や篠原・水瀬らが望んでいた旭皇陛下からの防衛計画概要の承認は達成され、これから来たる対中戦に向けて総力を尽くすことができるようになったのである。

 

「やはり、か。近年の自由憲政党は完全に保守体制に入っていることと思っていたのだがな。きな臭いことに、内部改革の動きもあるらしい」


「内部改革……ですか?」


 篠原が尋ねる。彼は閣僚の一人といえども軍人である為、皇國議会の中ならばともかく政党内における政争に関しては疎い。

 そして、その疑問は結城に代わって遠坂が解消させた。


「今現在分かっている情報では、自由憲政党内で〈幕府に対する外交姿勢〉を巡る考えの相違から二つの派閥ができているとのことなのです。

 一つ目が栖原総理・長谷川内務大臣を中心とする〈革新派かくしんは〉。

 彼らは自由憲政党政権の要であるにも関わらず我ら統一同盟寄りの主張、すなわちを展開していることが分かっています。

 二つ目が加納大蔵大臣・黒川農林大臣を中心とする〈保守派ほしゅは〉であります。

 この派閥が現在自由憲政党の主流派であります。とはいえ、彼らに関しては従来の自由憲政党の考え方を維持しているだけですので、派閥と言えるのかすら怪しいですが。むしろ栖原総理や長谷川内務大臣だけが、党内で若干浮いた存在になっているだけだという見方もできます」


「……なるほど。確かにこの前、統一同盟議員の知人からもそのような話を聞きました。思い返してみると、御前会議でもその革新派と呼ばれるお二方はそれを示唆するような動きをしておりました」 


 篠原が納得した上で一つの思い当たる節を述べると、結城はすぐに「詳しく話してくれ」と促した。


「ええ。これは御前会議が終わる少し前のこと……既に防衛計画概要の説明が終わって、後は旭皇陛下に承認を貰うだけの段階まで来て、一悶着があったのです。

 対中戦に際して、幕府と共闘すべきか否かという議論が噴出し、加納大臣や黒川大臣を始めとする多くの閣僚たちが共闘すべきでないとの見解を示しておりました。結局この議論は、後でも話し合えることだとして一旦終息したのですが……。

 その論議の最中さなか、栖原総理と長谷川大臣の両名は全く意見を言わず、口を閉ざしたままだったのです。また民間出身の内藤逓信大臣はともかく、江中司法大臣さえもが意見を言っておられなかった。これは一体……」


「ふむ。二人の対応は議論の沈静化の為とも、加納大臣達のような保守派とは違うのだという一種の意思表示をしたとも取れるな。

 そして江中大臣に関してだが……。君達にはまだ言っていなかったか。

 彼はで、自由憲政党の議員になったのだよ」


「「……!?」」


 篠原と水瀬が驚愕する。それも当然のこと。

 何故、立憲統一同盟の総裁である結城が、自らの薦めで江中を自由憲政党の議員にしたのか。彼らはその理由に全く予想を立てることができなかった。

 そんな様子を見て彼はふと立ち止まり、微笑を浮かべた。


「中々に困惑しているようだね。

 その理由と経緯を説明したいのは山々なのだが……生憎と時間が無い。またの機会にその話はしようと思う。すまないね」


 篠原は、彼をずるい男だと思った。

 聞いたら誰もが理由や経緯を追求したくなる話題を提示しておきながら、その説明はまたの機会に回すのだという。それに実際、長々と議事堂に留まっていられる時間は無いのだから、それも口惜しさを自分達に残す。そんな無念さを感じさせてしまう語り口も、また彼の魅力の一つなのだろう。

 流石は〈猫好き名伯楽めいはくらく〉の異名を持つ男だと、水瀬は驚嘆する。

 異常な猫好きという一見すると奇抜な印象を抱かせる彼だが、そのじつ彼は遠坂を始めとした若手議員を党幹事長や総務委員に登用したり、高い演説力と専門知識を持っていたりと、その実力は確かな男である。特にその大胆な党人事は良い意味でも悪い意味でも注目の的であった。しかし彼の勧めで要職に就き、当初は失態を犯すだろうと言われていた若手議員が、ぐんぐんと頭角を現して成長していったという例は多く、彼の人を視る目は確かである。

 遠坂という一人の有能な若手幹事長の存在も、結城の慧眼の証明に一役買っているというのはまた確かな事実であった。

 篠原と水瀬は、幾らか名残惜しさを心の中に封じながらも「了解しました」と応えるしかなかった。


「……最後にこれだけ聞いておこう」


 しばしの沈黙があった後、結城は再び口を開く。

 既に彼らは、議事堂の正門とその両端に立つ守衛しゅえい達が視界に捉えられるようになるまで歩き進めており、確かに話し合える話題はせいぜいあと一つだろう。


「御前会議にて、栖原総理は〈挙国きょこく一致いっち内閣ないかく〉に関する言及を行ったかね?」


「いえ……。あくまで旭皇陛下と自由憲政党政権の下で、大中華国との戦争指導を行っていくようです」


 挙国一致内閣。それは、大規模な戦争などの国家の危機に際して、対立する政党さえも包含してつくられる内閣のことである。

 つまり、戦争に打ち勝つ為に軍部出身者などを内閣総理大臣として擁立し、所属する政党も関係無しに新たな内閣を組織するということ。

 

「なるほど。あくまで、栖原総理や長谷川大臣などの革新派は自分たちの力だけで自由憲政党を変え、幕府との共闘を実現させようという狙いか。

 その変革が大中華国との開戦までに間に合えば、それに越したことは無いが」


「……革新派によって、自由憲政党が幕府との積極的交渉に乗り出したとして。

 皇國への強硬姿勢を保っている藤橋将軍家が、我々の為に援軍を出すでしょうか? それに幕府や諸藩の旧式軍が、大陸で研鑽を積んできた中国軍と相対して勝利できるとは到底思えませぬ」


「いいや、その逆だ。恐らく藤橋将軍家が直接、幕府軍を寄越すことは無いだろう。

 あくまで九州・中国(皇國西部)・四国(皇國西端)の外様とざま大名たちに皇國への援軍を要請するだけに留めるはず。今現在これらの藩内では、下級藩士や郷士ごうしたちの間で討幕とうばくの動きが高まっていると聞く。その力を少しでも削ぐ為に共闘自体には賛成し、西国諸藩への出血を強いる算段を立てるだろう。

 そして、諸藩の戦力に関してだが……。確かに彼らの指揮系統はバラバラで、兵器に関しても未だに火縄銃や青銅砲を少数配備しているに過ぎん。だが、彼らも同じ日本人・大和民族である以上、魔術を扱うことはできる。それで中国軍を少なくとも押し留めることは可能だ。……それに」


 あくまでも、皇國と幕府は根底から信頼し合える関係ではないということを示唆しつつ、結城は言葉を続けた。

 ―――彼の表情に一瞬だけ、確信に満ちたものが映る。


「これから起こる戦争は、きっとこの国の現状を変える転機となるだろう。

 この日本が真の意味でされ、時代の奔流にただ翻弄されるのではなく。全ての日本人がこの国に誇りを持ち、手を取り合って立ち向かっていける。

 そんな国になる為の戦争だ。だからこそ、勝たねばならない。

 それをす為には、精鋭と言えども数が少ない皇國軍だけでは駄目だ。200万人近くいる日本中の武士の力が必要なのだ」


 篠原も水瀬も、結城の言っていることに対しては半信半疑であった。その力強い意志自体は理解できたのだが、本当にそんな理想の国になることができるのだろうかと疑問符が浮かんでいたのだ。それをただの老人の戯言だと、心の中で切り捨てることはとても簡単なことだった。

 しかし、二人が現状の日本に満足していないということも事実であった。

 もしそれが真実ならば、自分たちはそんな国が良いと思った。

 もし大中華国との戦争に打ち勝つことで、この国に新たな希望という可能性を与えることができるのなら。賭けてみたいと、少しだけ思った。


「私は必ず、この国を勝利に導いてみせる。

 挙国一致内閣の総理になれるのならば、全力でこの国を引っ張るだろう。

 なれなかったとしても、統一同盟総裁として全力を尽くそう。

 そして戦争に勝ち、日本が理想の国となった暁には。

 ……私は政治家を辞めようと思う」


「「「なっ……!?」」」


 結城のその発言には、篠原・水瀬だけではなく遠坂も驚きを隠せなかった様子。

 党幹事長である遠坂にも話していなかった心の内を、彼は漏らした。


「大中華国との戦争は、一体何年続くか見当もつかない。

 かの国の兵力は無尽蔵だ。補給能力が続く限り、彼らは何十何百と師団を送り込むことができる。それと、海戦で北洋艦隊には負けぬと海軍は豪語しているようだが、油断は禁物だ。戦力差を覆した海戦など、今までいくらでもあるだろう?」


 結城の鋭い言葉が、水瀬に深々と突き刺さる。彼は心得たと言うように、少し頭を下げた。結城は更に話を進めた。


「何年続くか分からない戦争ほど、地獄なものはない。長引けば長引くほど人間にも産業にも被害は増える。そんな戦争を終え、更に被害を受けた土地の復興や理想の国になる為の改革などを行っていけば、私のような老いぼれはもう使い物にならなくなっているはずだ。歳も80を超える。……ふるき人間はさっさと消えるべきだ」


「そんな……結城総裁はこれからもずっと、統一同盟に必要な存在です!」

「貴方のような傑物は他にいません!」

「自らがつくった理想の国で、更なる飛躍を望もうとは……」


「思わないな。全く」


 白髪を風になびかせながら、結城は水瀬の言葉を否定する。

 既に四人は正門に辿り着いていた。結城は彼ら三人よりも少し前に立ち、背中を見せながら言葉を伝えた。


「私が統一同盟総裁になってから、遠坂君のような有望な若者を党の要職に就けたのは何故だかわかるかね? ……未来を託す為だよ。

 中国との戦争が起こらなかったとしても、私はきっと理想の国をつくるという無謀な大望を掲げて、行動を起こしていただろう。そして、理想の国をつくった後にはそれを護り続けてくれる存在が必要なのだ。

 理想は一代だけで終わるのではなく、その先もずっと受け継がれていかれるべきもの。だから私は潔く政治家を辞め、遠坂君のような次世代を担う若者たちに意志を継いでもらおうとしているわけだ。

 まあ、今すぐに私の意志を引き継いでくれと頼んでいるわけではない。

 またいつか。戦争が終わり、理想の国をつくり終えた後。

 改めて君達に答えを訊くことにしよう。……それで良いだろうか?」


 思いがけず、結城の心中を知ることになった遠坂・篠原・水瀬。

 全員まだ答えを出せてはいないし、これからに向けて若干の不安もあった。

 だが、最後の結城の質問にはきっぱりと応えることができる。


『了解しました』


 必ずや答えを出してみせると叫ぶように、揃った三人の応え。

 その返答に、結城は振り返って小さな笑みを浮かべ「そうか」と短く呟いた。

 彼は再び前を向いて歩いていき、ちょうど正門前に停まっていた馬車に愛猫と共に乗ると「それではまた明日会おう」と別れを告げる。

 既に陽は落ち周囲は仄暗くなっている中、結城の馬車は走り出す。

 馬車は、何百本もの夜桜を照らす街灯が並ぶ通りを駆け抜けていく。

 遠坂たちはその様子を、見えなくなるまでずっと眺め続けていた。


 二千年来の皇都にて。

 迫りくる暗雲と共に、次代を照らす新たな黎明が生まれた。

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