第一章 黎明

第1話 不可解な転移


「……。は……?」


 俺、〈音無雄輝おとなしゆうき〉は困惑……どころか狼狽ろうばいしていた。

 今俺がいるのは、見たことがない山道。本当に見覚えがない、ついでに言うと舗装もされていない道だった。

 前方に道が続いているようだが、鬱陶しい霧が視界を悪くさせている。しかし道の先が全く見えないという程では無い。

 目を凝らして左右を確認してみれば、ブナやカエデを始めとする落葉広葉樹林が無際限を思わせるほどに奥へ奥へと続いていた。


「いや、どういうことだってばy」


「カァー カァー」


 ふざけたパクリ文句を言おうとしたら、からすの鳴き声がして遮られてしまった。俺は少しビクッとしながら後ろを見る。

 後ろも全くもって、前方と変わらない景色だった。

 これは……完全なる山中。前方に、前方に、目を走らせるにつれて道が上へ、山頂へと続いている。この道は登山道か何かだろうか。

 とりあえず、下山しよう。そうすれば人がいるはず。


 ……本当に? 


 もしかしたら、此処はどこかの山脈・連峰を構成する山で、下山したってまた山・山・山 の半無限地獄な可能性もある。だが。

 決して確証はないものの、下手に山麓を登って路頭に迷うよりかはよほど賢明な判断だろう。俺は一歩を踏み出す。

 ……道が湿っている。これは今出ている霧のせいだろうか。少し注意しながら進まないと、転倒の危険性がある。

 今の空に出ている黒雲の影響もあってか、足取りは重い。そもそもこんな〈不可解な転移〉をして軽いステップを踏める奴がいたら、ぜひその御尊顔を謁見えっけんしたいものだ。そして謁見した後に、精神科をお勧めするだろう。


……か」


 当然、経験なんてない。

 俺は普通の、現代日本の、長野ながの飯綱いいづなという所に祖父母と共に住んでいる新高校一年生だからだ。俺も一介のオタクなので、転移という展開には一抹の期待が宿るが、そんなものはそれ以上の不安で押し潰される。

 ちなみにだが、今は春休み中の4月1日、エイプリルフール。……こんな転移も、フール馬鹿げた冗談だといいのだが。

 しかしこのリアルさ。ドッキリでも、夢幻ゆめまぼろしでもないらしい。


 俺は何か転移するようなことをしでかしたのか……?


 理由なんて無いかもしれないが。今出ている霧と同じく何だかモヤモヤした気持ちで、答えなんて見えなそうな、無意味にも思える回想を開始した。



 俺は今日、午前4時に起きた。

 何だかんだと聞かれたら、答えてあげるが世の情け。その理由は二つある。


 一つ目は、今日発売のFPSゲームを買う為。


 俺が住む長野県ながのけん上水内郡かみみのちぐん飯綱町いいづなまちという場所は、一言でいうと田舎だ。林檎栽培とか高原野菜だとか農業は盛んで、それに即するように自然が豊かな土地。つまり、交通網があまり発展していないということでもある。

 町内でもそのゲームを買えるか買えないかだったら、恐らく買える。

 しかし、俺が更に欲しいのはそのゲームに数量限定で付属する特典である。

 転売ヤーというわけではないが、やはり欲しくなるもの。だが、町内でそのゲームが発売される店舗はその対象外らしいのだ。

 ならば行くしかあるまい、県庁所在地・長野市へ。飯綱は長野市の他に中野市と信濃町に面しているが、明確なルートが示されていて絶対に対象店がある場所と言ったら、長野市だ。だから俺は早く家を出た。


 それから……それから……。どんどん記憶をさかのぼらせていく。

 朝早く出て、記憶なんて朦朧もうろうとしているに違いないと思っていたのにスラスラと出てくるものだ。それだけこの日を待ち侘びていたという証左だ。


 えーっと……。

 

 その後、中学からの友人〈江崎えさきかなで〉とばったり会って。

 話しながら最寄りの牟礼むれ駅へ行き、同じ電車に乗った。

 そして長野駅で別れて……。ゲーム店の行列にはしっかり並べて、特典ゲット。

 それで、祖母のお見舞いに行った。因みにそれが二つ目の理由。

 結腸癌けっちょうがんにより、長野市内の病院で入院中だったのだ。

 この病気は、女性の癌死亡率一位だって医者の方から聞かされていたので、心配はその分大きかった。しかも俺の受験期にそれが起きちまったから、今日が初めて祖母の病状を見る日だった。

 だけどその大丈夫そうな顔と言葉に安心して、夕方に別れを告げた。


 そして家の前に着くと、ちょうどもう一人の友人である〈吾妻隆一あずまりゅういち〉からスマホに電話がかかってきた。不思議に思いながらも、それに出たら……。


 ―――あれ? 


 それからが……思い出せない。断片的に、だが正確に、記憶を切り取っていった。だけど、電話がかかってきた後の出来事は断片的にも全く思い出せないのだ。

 そんながあるのか?


「どうなってんだよ……。それじゃ電話に出た直後に、転移したのか?」


 転移なんて、そもそもがラノベみたいな唐突すぎる話だ。いつ転移したかなんて大した問題じゃない。はずなのに。どうしても俺には引っかかることがあった。

 絶対にあのとき、転移する直前、電話口で。


 吾妻は言葉を口に出した。


 何故、記憶がないのにそう言えるのかは俺にも分からない。だけど……。


「あいつは、吾妻は――。俺に伝えたいことがあったんじゃないのか……?」

 

 そう呟く。ほぼ直感だ。


 いいや、心当たりは確かにあった。


 だけど俺は、自然とその選択肢を頭の中から排除していた。

 ……何故そう思うかは、やっぱりなのだろう。そして何故、転移直前の言葉が記憶から抜け落ちているのか。それすらも分からない。

 ついでに言うと此処が長野なのか、日本なのか、外国なのか。はたまた異世界ってやつなのか。それすらも理解していないのだ。


「分からないことだらけの転移……か」


 傍から見れば、面白いように感じるだろう。だが、そう単純じゃない。

 事実として俺は〈先が見えない〉という漠然とした恐怖に、心がやられそうになっている。膝だって小刻みにだが、少しずつ揺れ始めた。

 どうして、こんなことに。思考はまとまらない。浮かんでは霧のように消えていく。マズい状況だ。俺は、助けを呼べそうにないほどの鬱蒼うっそうとした山にただ一人。そして何かアクションを起こさないと、食料も水も無い状況。


「……って、俺のリュックも無くなってるじゃねぇか……!」


 思い返せば俺は転移直前まで、脱いだコートやゲームソフトの入ったリュック、それにスマホや財布も持っていた。

 それなのに今は、着ているジャージ・シャツ類や靴以外は全て消え去っている。明らかに人為的な嫌がらせ……なんて言ってる場合じゃない。


「ヤベぇ……。このままじゃ、死ぬ」


 更に危機感は高まり、生存本能は活性化する。とりあえず……なるべく早く下山しなくては。思考のために、止まっていた脚を無理にでも早く動かす。


「今、標高はどれぐらいなんだ……!?」


 走っているせいで、息は荒い。神経は大きく乱れ、思考力は低迷していく。

 

 その時だった。 


「グルァゥゥゥ………!」


 〈何か〉のうめき声がした。

 

 どこからだ……?  

 前方? 後方? 草むら? 上? 下?


 何の呻き声だ……? 

 猪? 熊? 猿? 犬? 狐?


 もはや、正常な判断力は残されていなかった。その単純な見えない恐怖に、恐れおののくことしかできなかった。

 自然に腰が抜け、魂が抜けたような心地で、地面に尻をついた。

 無様だが、それが音無雄輝という男の限界だったのだ。

 泣き叫びはしなかったことが、唯一の救い。

 

「アァァァ……グルルルゥゥゥ……!」


 その〈何か〉が草むらから飛び出してきた。


 俺は、目を見開いた。




「グルァァァァ……!」


「――――!」


 そして草むらから飛び出してきたのは形容しがたい……いや、しいて似ているモノをあげるとしたら〈鬼〉だ。西洋のゴブリンだとか、オークなどの怪物とは違う。

 少し小柄で、1mほどの真紅で塗り潰されたかのような体躯たいく。 

 まるで巨大なビー玉がそのまま、顔面に押し込められたかのようにギラギラと光る赤眼。口は大きく裂け、き出しの犬歯を覗かせている。

 そして右手に、その体躯には不相応な程に巨大な刀を構えていた。それは不自然なほどに反り返っており、より禍々しいフォルムになっている。

 何より額からは数十㎝ほどの角が一対、影のように黒く生えていた。


 こんな魔物がいる時点で、ここは


 そう確信した。いや……こんな冷静に分析している場合ではない。

 この状況では十中八九、この小鬼に殺される。何か対抗手段を考えなくては。まずは移動する為の体勢を整える必要がある。

 だから、俺は体を起き上がらせようとした。……だがしかし。


「なっ……なんで……」


 体をいくら動かそうとしても、動けない。

 尻餅をついたまま固まっている。一種の金縛りかと思ったが、違う。


 俺は恐怖している、死の淵に立って。


 このまま行動しなければ、切り裂かれて死ぬだろう。生き抜くためには行動するしかない。……なのに、なのに……! 

 俺はただの新高一。何かとガチの戦いや喧嘩さえしたこと無いし、そもそも運動神経はあまり良くないのだ。

 そう。こんな事態に臨機応変に対応できるほど、俺は強くなかった。

 だから、こんなにも震えて行動できない。

 死の淵に立たされたとき、俺はこんなにも無様で無力で、惨めなのだ。

 

「グゥゥゥァァ……」


 小鬼は少しずつ距離を縮めてくる。ゆっくりと来ているのは、俺が全く動かないので逆に警戒しているからだろう。好都合だが、そんな状況は長く続かない。

 俺の膝が再び、少しずつ、だが止まることを知らずに揺れ始めた。相手にそれを悟られまいとするが、焼け石に水だった。小鬼はこちらの戦意喪失を察知し、より速い歩速で詰め寄ってくる。敵と俺の距離は、5mも無い。


 俺は、このまま死ぬのか……?


 何の行動も起こさず、ただ眼前の恐怖に震え、なぶり殺しにされるというのか。

 ……いいや、そんなことは許されない。

 何故か? 決まっている。


「転移直前……! 吾妻あずまが言った言葉をもう一度聞くために……。俺は元の世界に、かえらなきゃいけないんだ……!」


 よかった、声は絞り出せた。

 しかも突然、放たれた俺の大声に小鬼は少し怯んだ。もしかしたらこの小鬼、案外臆病なのかもしれない……。だが油断など毛頭するつもりはない。

 素手で刀に相対できるほど武術ができるわけじゃないし、剣術さえまともにできない無力な俺。だから俺は、武力にらない手段を行使する。


「助けてくださーーーーい! 小鬼に、襲われていまーーーす!!」

 

 俺は目いっぱい叫んだ。当然こんなので、助けが来るとは思っていない。ここは結構標高が高い地点だろう。登山客ぐらいしか寄り付く者もいないに違いない。いや、こんな怪物がいる時点で登山などする者がいるかどうかさえ怪しいが。

 とにかく、この叫びの意味は保険・牽制だ。本当に助けが来るかもしれないし、突発的に大声を出せば小鬼も少しは怯むであろう。


「グ……アァァァ……」

 

 ……ビンゴ。またもや、小鬼は半歩下がった。

 よし、第二行動開始。


「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ―――――!!」


 自分でも信じられないくらい大きな唸り声を上げながら、身体を起こし小鬼の横をかすめるように駆け出した。呆気にとられた小鬼は、俺の進路を妨害することもせずに立ちつくす。知能も低いらしい。

 それよりも、さっきまで震えっぱなしだった俺の体がここまで自由に動けるようになったのには何気無しに驚いた。恐怖に打ち勝つことができたのだ。

 

「よし、このまま下山しy


 ―――しかし、そう甘くはなかった。

 

「グゥゥゥアァァ……」

 

 俺の進路上に、もう一体の小鬼が現れたのだ。俺は驚きと共に、走りを止めてしまった。どこから現れた……?


 まさか、偶然というわけではあるまい。もしかすると最初からあの一体目は斥候せっこうおとりで、この二体目が伏兵として草むらに隠れていた可能性がある。それはあくまで可能性であったが、次の瞬間にそれは確信へと昇華する。


「キシャァァァ……」

「グォォォ……」

「グラァァァァァ……」


 千差万別の奇怪な唸り声を出しながら、三・四……五体目が出現。

 間違いない、これは仕組まれた……! 知能が低いと侮ってしまった。

 ヤバい、失態が過ぎる。しかも、五体揃ったことによって戦意が高揚しているのか、歪んだわらいを浮かべながら、だが順調に包囲を狭めていく。

 

 どうすればいい……?


 正面突破? ……斬り殺されて終わりだ。

 フェイントをかけて、包囲を崩す? ……ここまで狭まり、戦意も高い敵の包囲はそう簡単に崩落ほうらくしないだろう。


 ―――詰み。


 その言葉が脳裏を掠める。再び俺の神経は摩耗していく。

 膝だけでなく全身が震え、血の気が引いていく。

 しかしここで、みすみす死ぬわけにはいかない。まずこの異世界の名前すらも、俺は知っていないのだから。

 そんなのは、悲しすぎるだろう。ならば、取るべき最後の行動アクションは―――。


「おらぁぁぁッ!」


 捨て身の特攻である。小鬼と小鬼との僅かな間隙を目指して駆ける。

 この際、背を斬られてもどうだっていい。

 逃げ延びることが最優先だ。―――そう割り切れたらよかったのだが。


「ッガァァァァァァ!」


「ぐっ……あぁッ! クソったれ……!」


 正面突破を阻止せんとして、一体の小鬼がその小柄な体躯に似合わない刃渡りの打刀うちがたなで俺の右横腹を斬った。肋骨も何本か斬られてるんじゃないかと思えるほどの切れ味。黒々と湿った地面を、赤黒いモノが上書きしていく。

 そのまま走り去ることなんてできない程の激痛が走っている。斬られた瞬間よりも、しばらく経った今の方が圧倒的に辛い。ガクリと膝が折れ、腹を両腕で抱え込むようにしながら崩れた。


「まだ……。こん……な、とこで、しぬ……わけに、は……!」


 血反吐ちへどを出しながら、何とか声を出す。起き上がって、ただただ逃げることだけを考えるんだ……。そして、今は生き延びなきゃいけない。

 だけど……。


「なん、で……うご、か、ねぇんだ、よ……!!」


 もう、体には限界が来ていたのだった。意識が朦朧もうろうとしている。視界はぶれているし、嗅覚は恐ろしいほどの量の血臭に苛まれていた。聴覚はずっと俺の無様な呻き声と、小鬼達の勝ち誇ったかのような鳴き声で占められていた。

 次第に脚も、腕も、力が無くなっていき宙に下がったまま。血は未だに、脇腹からとめどなく溢れ出している。手がどれほどの鮮血で染められているのかさえ、確認する気力がない。抜け殻のようになったからだむちを打って、天を仰いだ。

 

 嗚呼ああ、なんて澄んだ碧空へきくうだ。さっきまで薄っすらとだが、霧に覆われていたというのに。いつの間に消え去ってしまったのだろう。いや、もしかしたらとやらの一部なのかもしれない。

 ……生きて、元の世界に戻るって誓ったのに。

 こんなにも早く終焉を迎えるのか。本当に情けない。


 音無雄輝という齢15の少年は、男は、人間は、なんて〈弱い〉のだ。

 

 ごめんな、じいちゃんとばあちゃん。

 ごめんな、江崎と吾妻。


 次々と俺の家族・学友・知己に非礼を詫びる。

 そして、最後に。


「俺に生を与えてくれて、ありがとう。父さん、母さん」


 これから俺は、二人のいる場所に向かうのだろうか。

 それは、分からない。


 俺は、静かに目を閉じた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る