phase7「私が私であれる場所」
「ですから、報告が遅れたぐらいでなぜわたくしがこんなに怒られなきゃいけないんですの! ……だからがみがみ怒らないで下さいまし!!
サターンはもっと紳士さを身につけたらどうなんですの! あなたみたいな方はですね、社交界で嫌われますわよ!
……必要無いからどうでもいい? そういうところが問題なんですのよっっっ!!!
……えっ? プルートには代わりませんわよ!! 今プルートはそれどころではないのです! 怖い思いをしたばかりなのです! しっかりケアしてからでないと、あなたのようなうるさい方とお話するなどできませんわっ!!
失礼致します!! すぐ戻りますから、もうかけてこないで下さいませ!!」
強引にサターンとの通話を切ったネプチューンは、向こうからの通信を一時的に遮断するよう命じた。本当に喧しい、と盛大に息を漏らす。
普段はむしろ無感情で静かなほうなのに、一度怒ると雷の如く騒々しくなるのだから嫌だ。
こちらに対して説教をする態度は、まんまこちらを子供扱いしているようで気に入らない。
初めて彼と会ったとき、あれはまだお互いセプテットスターに就く前のことだったが、あの時もネプチューンを子供扱いしてきた。
しかも当時は今よりも遙かに喧しい人だったので、もともと気に入らない部分があった。
その時の事を思い出すとすぐに怒りで全身が滾ってくる。ぐぬぬと強く握りしめた日傘からみしりと小さく音が鳴った瞬間、ふとプルートの青い目がこちらを向いていることに気づいた。
ネプチューンは顔を赤くしてこほんと咳払いをした時にはプルートは両目を伏せていた。
その足下へ、メイドを模した人形の配膳用ロボットが歩み寄ってきた。
人形の持ったお盆の部分だけがテーブルの高さまで上がり、プルートの前へ湯気の立つ茶器が静かに置かれる。
プルートの向かいの席に腰掛けながら、ネプチューンはそれを手で示した。
「さ、お召し上がりになって? プルート」
プルートは俯かせていた顔をほんのわずかに上げてカップに目をやり、それきり動かなくなった。
再び俯くこともなければ、手を動かすこともせず、ただお茶を見つめるばかりだった。
「……プルート?」
一瞬だけ、再起動をかけたように、プルートの両目が開かれた。だがまたすぐに電源が落ちたみたいにして、焦点の定まらない目に変わる。
「……はい」
プルートは声になっているのかなっていないのかわからない声を発すると、一つお辞儀をした。
「いただきます」
両手でカップを持って音を立てずに小さく紅茶を啜るプルートの姿を、ネプチューンは意外な思いで見つめた。
効率的ではない行動は不必要と、業務に関係の無い行動は全て切り捨ててきたプルートが、業務とは関係の無い紅茶を、素直に飲んでいる。
以前、プルートをお茶会に誘う際、「非効率的」との理由で断り続けられ大変苦労したことを思い出しながら、ネプチューンは聞いた。
「お味はいかがですの?」
「……紅茶の味がします」
その以前開いたお茶会で同じ質問をプルートにした際には、紅茶の成分の分析を始めていた。あまり変わっていないなと思うと、つい苦笑が漏れた。
「このお茶の葉っぱは、体がリラックスして、気持ちが落ち着く成分が含まれていますのよ。早速聞いてしまいますけど、ご気分はいかがですこと?」
「……よくわかりません」
プルートはカップをソーサーの上に戻した。注視していないとわからないレベルだが、かたかたとカップが震えているのがわかった。
ネプチューンは顎を引き、姿勢を正した。この葉っぱでお茶を淹れるよう指示したのは、偶然でも気まぐれでもない。
「……プルート」
プルートは返事をせずに顔だけを上げた。
その瞳は、非常に虚ろなものだった。無感情で、無機質で、どこを見ているのかわからない。あるいは、どこも見ていないのか。そんな瞳をしていた。
「何が、あったんですの?」
ネプチューンの知るプルートの瞳は、どこまでも機械的である。瞳の奥でカチカチとコンピューターが計算をする音が聞こえてきそうな、静かだが理知的な瞳をしている。
しかし今のプルートからは、そんな気配が跡形も無く消えていた。瞳から何の音も聞こえてこない。
ロボットの目と言うより、人形の目に近い質になっている。まるで、考える事を放棄した目に見えるのだ。
ネプチューンの知る姿から全く変わり果てた姿となったプルートは、ずっとネプチューンの目を見ていた。
沈黙の流れている間、本当にネプチューンの姿が見えているのか疑問を抱くほど空虚な目で、視線を逸らさず見つめてきていた。
「ネプチューンさん」
見つめるばかりだったプルートが、ようやく口を動かした。プルートは覚束ない動作で、片手を胸元に置いた。
「私は、誰なのですか?」
ん、と眉根を寄せ聞き返す。質問の訂正はしないとばかりに、プルートはネプチューンを見続けている。
プルートに限って有り得ないことだが、ふざけているわけでも、何か試しているわけでもないとわかった。
「そんなの、答えは一つに決まっておりますわ。あなたは、あなた。〈プルート〉ですわよ」
瞬間。プルートが両目を見張った。その口元が、持ち上げられた。乾いた息が薄く漏れる音が耳に届いた。
「はい。そうですよね」
顔を伏せ、カップに注がれたお茶の水面に映る自分を見つめるプルートは、確かに、笑っていた。
「そうでした。そうですよね。それ以外に、有り得ません」
何があったのか再度聞こうとした質問は、プルートが顔を上げたことにより、遮られた。
「先程の何があったのかという質問にお答えしておりませんでしたね。大変失礼いたしました。申し訳ありません」
「い、いえ、それは……。それで、何があったんですの?」
「そうですね」
プルートは空っぽの目を持ったまま、虚ろに笑った。
「大変無意味なことに対して考えを巡らせ続けていました。何の意味も無いことに、随分と時間をかけ、無駄に浪費していました。非常に勿体ないことをしてしまいました。私が何かを考えたところで、どうにもならないのに」
ネプチューンがアイを案内したのは、宇宙船内の一室だった。そこには、多くの人形が飾られている空間が広がっていた。
壁に沿って机が置かれており、その上に綺麗に人形が整列している。壁にも作り付けの棚が取り付けられ、そこにも人形が並んでいた。
「凄い数ですね。こんなにたくさんの人形があるんでしたら、どれがどれだかわからなくなるのでは?」
どの人形も皆、ドレスを着飾った、可愛らしい見た目のものばかりだった。
見分けがつかなくなるのではと感じたが、とんでもないとばかりに大袈裟にネプチューンは首を振った。
「全員見分けがつきますことよ。実家のお屋敷には比較にならないほどもっとたくさんのお人形がありますが、むろんその人形達も全て見分けられますわ」
「ネプチューンさん一人だけで、人形展が開けそうですね……」
この一室だけでも、人形展を開催できるに値する量があると判断できる。と、ネプチューンが不思議そうに、「人形展?」と尋ねてきた。
「今日行ってきたのです。様々な創作人形が展示されている催し物でして」
「まあ、なんて素敵な……! どんな雰囲気でしたの?」
多くの人形を保持しているだけあり、ネプチューンは目を輝かせ、興味を示してきた。
「とにかくたくさんの人形がありました。子供ほどの背丈はあるサイズから手のひらに載るくらいのサイズの人形、少年から老年まで幅広い年齢を模した人形や、洋服や和服を着ている人形など……」
「お人形さんは、皆可愛くて綺麗なお洋服を着ているものではなくって?」
訝しんだ様子でネプチューンは尋ねた。
可愛いという称賛は合わない見た目の人形もあったと伝えると、そうなんですのと言いながら自身の髪を触った。
興味が薄れているのが伝わってきた時、ネプチューンの目線がアイの手元に向かった。
「ところで、ずっと持ってるそちらは……?」
「水鉄砲です。近くで拾いました。引き金を押すと、水が発射する仕組みになっています」
「……なんだか、原始的すぎて逆に面白いですわね」
緑色のそれを手渡すと、ネプチューンはしげしげと眺めた後、口元を手で抑え少しだけ肩を震わせた。
戯れるような調子で軽く引き金を押すと、銃口から少量の水が飛び出た。その水は、近くにあった一体の人形の衣服に見事命中した。
ネプチューンは軽く悲鳴を上げながら水鉄砲を放り投げ、濡れた人形を洗うよう、同じく人形型である使用人ロボットに命じた。
「本当にネプチューンさんは、人形を大切にしているのですね」
水鉄砲を拾いながら、アイは言った。一人言のつもりだったが、ネプチューンは誇らしげに笑った。
「もちろんですわよ! 何てったって、わたくしのお友達は、宇宙に一つだけの、二つと無い、わたくしの大切な大切な宝物ですから!」
ネプチューンは傍にあった人形を手に取り、愛おしそうに抱きしめた。そうですか、と相槌を打ったアイは、ぼんやりと室内の人形達を見回した。
ここにある人形だけでも、一つ一つデータとして認識して識別するのは時間がかかりそうだと予測出来るのに、ネプチューンは見分けられるらしい。
人形に対する思い入れと愛情が、そんな離れ業を可能にしているのだろう。
「……ネプチューンさんのお人形は、ネプチューンさんのお友達になれて、良かったですね」
「あ、あらまあ、どうなさいましたの? き、急にそんなことを仰るなんて」
照れ臭そうに動揺していたが、アイが俯いているのを見るやいなや、ネプチューンの表情が強張ったのが伝わった。
「可哀想に……。よほど酷い目に遭ったんですのね」
「えっ?」
「誘拐されて監禁されるだなんてっ……。きっと、わたくしが想像するよりも、もっと辛い思いをしたのではありませんこと……?」
「いえ、私は」
「いいんですのよ、無理なさらないで。プルートは何も悪くありませんわ」
先程はあんなに優しく抱いていた人形を、今は両手で強く掴んでいる。ネプチューンの青ざめた表情が苦しげに歪んだ。
この部屋に連れて来られる前、連絡の無かった間一体何があったのかという問いに、駆動用バッテリーの調子が悪くなり動けなくなっていたところをハル達に拾われたと簡潔に説明した。
するとネプチューンは、無理のないことだが、アイがハル達に誘拐されて宇宙船内に閉じ込められていたと勘違いを抱いたのだ。
「いわば敵陣のど真ん中に放り込まれたわけですものね……。戦闘能力もそこまで有していないプルートですから、しようと思えばどんな仕打ちだって出来るはずですわ……」
アイは何と言えばいいかわからず、視線をさ迷わせた。
ネプチューンの言うとおり、あの人間達はやろうと考えればどんなことだって出来たはずだ。
電源を落とすことも、データを消すことも、完全に壊すことも、全て出来た。
だがあの人間達は、アイを気遣い、丁重に扱った。
「……ですが、その……」
「でもプルートを修理したのは奇妙な行動ですが……もしや、なんらかの洗脳を施されている可能性があるかもしれませんわね」
「あの、先程も言いましたように、特にそのような不具合は検出してませんが……」
「いずれにせよ、きちんとした設備で全体メンテナンスをせねばなりませんわね」
ネプチューンは、修理をした本人であるハルがアイに対して、修理の際何かデータを書き換えたりなどといった、余計なことを施したのでは、と考えているようだ。
それはアイも考えたことだった。貯蔵されている記憶データを書き換えれば、それこそアイがもともと仲間だったというような、偽の記憶を植え付けることも可能だ。
だから意識を取り戻した後、確認した記憶データが全て手つかずであったことを知って、人間の感情で言うなら愕然とした。
高性能であればあるほど記憶データの書き換えの難易度は高くなる。
が、ダークマターから逃げ続けるだけの頭脳を持っているハルなら、技術的にも可能であるし、その方法に考えが至らなかったはずがない。
なので尋ねた時、ハルは「そんなことをしたらミヅキ達がどれほど怒り狂うかわからない。確かなことは、私の信用が地の底まで落ちるということだ」と答えていた。
「それに、殺傷もそうだが、洗脳は私が決して取りたくないと考えている方法だ。心を守るために行動しているのだから、矛盾した行動は取るべきでないと判断している」とも言っていた。
「さすが、心が無いのに心を守るだなんてわけのわからない考えを持ったロボットに付き従っているだけありますわ。本当に何をするかわからない連中ですわ! やっぱり目障り極まりないですわ!!」
ネプチューンは苛立たしげに人形を机の上に戻した。
「プルートをこんな目に遭わせた方々に、自分達がどれほどのことをしたか、思い知らせてやりたいですわね!!」
「あ、あの、では今日は出張で地球に来たのですか?」
「いえ、残念なことに、全然準備はしておりませんの。作戦も練っていないですし、今回はプルートを回収しに来ただけですわ」
ネプチューンは微笑んだ後、すぐに緑の眼光を鋭くさせた。
「ですが次の出張時は、奴らに目にもの見せてやりますわ! メタメタのボコボコのギタギタのっ……!!
……ごめんあそばせ、言葉遣いが汚かったですわね。えーと、何度も許しを請うて縋り付くことになるような作戦を練っていきますからね!
ですからプルートは安心して下さいまし! 必ず仇は討ちますわよ!」
「あの、私は本当に何もされていないのですよ? その逆で、彼らは私を、むしろ」
「……どうなさったんですの? 様子がおかしいですわ」
ネプチューンが怪訝そうに目を細め、アイは急いで口をつぐんだ。単に事実と違うことを訂正しようとしただけだが、相手を庇うような発言になってしまっていた。
だが弁解をする前に、ネプチューンはまるでアイを気遣うように、顔を覗き込んだ。
「先程もおかしなことを仰ってましたわよね。自分は性能が低いって……」
「……はい。無駄な事を考え続けていた私は、ロボットとして大変に性能が低かったと、改めて認識しました」
「何を仰るんですの!!」
突如としてネプチューンは両目を見開き、一歩強い力で踏み込んできた。
「プルートほどよく出来たロボットはおりませんことよ!! 業務には無駄が無い、時間的にも量的にも無理のある業務を完璧にこなす、ミスをしない、何より見目麗しい姿を持っている! もしこれで本当にプルートが性能の低いロボットなら、マザーコンピューターHeartもmindも何の役にも立たないデブリと同等の存在ですわよ!!」
「さすがにそれはどうかと」
訂正しようとすると、「ものの例えですわ!!」と声を張り上げられた。
「とにかく、プルートの性能が低いだなんて事、有り得ませんわ!! プルートをおかしくさせたハル達、やはり許すまじですわっ……!!」
「違います、私が自分で出した答えです。他者は関係ありませんし、この思考とハル達とも関係ありません」
「でしたら今すぐ訂正して下さいませ!! 命令です!!」
命令の単語に反射的に「はい」と承諾すると、ネプチューンは満足した様子で何度か深く頷いた。
「でもそこまで思わせるだなんて、具体的に、どういうことを考えていたのです?」
「……どうして答えの出ない問いを考え続けるのか、とか……。どうして博士は私を大切に思っていたのかとか……。私に、個性はあるのか、とか……。そういったことを、主に考えていました」
そうだったんですの、とネプチューンは神妙に相槌を打った。
「プルートは賢いですし、ついつい色々なことを考えてしまいましたのね。でも、苦しむくらいなら、考えるなどということはしない方がよろしいんじゃありませんの?」
アイは顔を上げ、ネプチューンの深い緑の瞳を見つめた。
「考えるのはわたくし達、人間の役目ですわ。プルートは何も考えず、わたくし達に全て任せて、ご自分の役目をきちんと果たしていれば、それが一番良いのですわよ」
にっこりと、諭すような優しげな光がそこに灯っていた。アイは頭を軽く手で抑えた。
ここ最近の思考用バッテリーの消費は著しい。中を覗けば判明するが、果たしてどれほど劣化し、すり切れていることか。
「そう、です、ね。答えは出たので。いいですよね。もう、考えなくても」
そこまでしたのだ。おかげで答えは出た。自分の中に「わからない」は存在していない。つまり、もう、思考する必要性は消えている。
「答え?」
「替えのきく無機物には個性は存在しないのでは無いかと考えてました。だから私にも個性は無いのだと。そのことについてずっと考えていました。
ですが、どんなものにも、個性は存在すると、知りました。人間も、動物も、植物はもちろん、無機物にも……人形にも、ロボットにも、あったのだと学びました」
大きな収穫を得たと思った。今までの常識が全て覆るような答えを得られたと。
少なくともその時は、そう思ったのだ。
だが真相は違った。今までの常識が覆る答えを得たことは、間違っていなかったものの。
「でも、私には、個性は……」
どんなものにも個性はある。だが自分は、その限りでは無かった。
今こうして立っている自分は、本当の自分ではない。自分の知らない誰かの代わりとして、ここに存在している。
それを考えていると、全身を引っ掻きたい衝動に駆られた。片手で頭を掴むことで、やり過ごした。
「ではプルートは、個性が欲しいんですの?」
アイは黙っていた。探しても見つからないと決まっているものを欲しいと言っても、何も変わらないと知っているからだ。
ずると。「わかりましたわ!!」と、突然大声が飛び込んで来た。
ネプチューンは腰に手を当て、決意を示すように、胸を軽く反らせた。瞳が燃え上がっているように爛々と輝いていた。
「今プルートが個性のことで苦しんでいるのでしたら、早くAMC計画を成功させ、個性など関係の無い、個性のことで悩む必要のない宇宙にしなくてはなりませんわね! わたくし、やる気が漲ってきましたわ!」
「……なぜそこまで?」
するとネプチューンは、両手を組み、顔を少しだけ伏せた。どこか照れ臭そうな仕草に思えた。
「綺麗で、美しくて、可愛くて、賢くて、頭が良くて、気が利いて、優しくて、わたくしの言うことをちゃんと聞いてくれて、わたくしのことを一番に考えて下さるような。
わたくしはそういう、お人形さんみたいな方とお友達になりたいって、ずっと思ってましたの。例えば、目の前にいらっしゃるようなね」
ちらりとネプチューンは視線を上げた。アイは振り返り背後を見たが、そこには壁と幾多もの人形以外にあるものはなかった。
アイは自分で自分のことを指さした。
「……私?」
ネプチューンは頷いた後、しおらしく俯いた。
「でも駄目なのですわよね。お友達になるのは意味が無いですし、非効率的と仰っていましたものね……」
「なぜ、そんなに私とお友達になりたいのですか?」
「プルートはわたくしの理想のお友達の姿そのものですから!」
次の瞬間弾かれたように勢いよく顔を上げてきた。瞳が星のように瞬いていた。
「プルートほどの理想のお友達を、わたくしは後にも先にもお目にかかれていませんのよ!!
プルートとお友達になればわたくしはもっと幸せになれるんだろうって、プルートとお友達になったら何をしようって、ずっと毎日夢見ているくらいには!!」
「私以外では、務まらないと?」
「その通りですわ! プルートの代わりは、ないですわ!!」
言葉までも宝石のように輝いているのではと感じた。
「代わりはない」という一言は、とりわけ強い煌めきを放っているようだと、聞いた瞬間思った。
「私でないと、駄目、だと?」
「ええ!!」
真っ直ぐな視線を放つ輝く瞳に、アイの姿が映っている。
「わたくしのお友達。そういう個性を持っているあなたは、今目の前にいるプルート、ただ一人ですことよ?」
ネプチューンが見ているのは、確かにアイだ。人間のアイを模した姿をしたアイを見つめている。
けれどもネプチューンは、人間のアイを知らない。ネプチューンが見えているのは、確かに、今この場所に立つアイだけだ。
アイは周りを見た。数え切れない程の人形が、部屋の中に飾られている。
この人形達は、全てネプチューンの友達だという。おかげで、ただの人形では無く、この世に二つと無い人形となっている。
三百六十度見回して、その人形達を目に焼き付ける。
「かしこまりました」
アイは、恭しく、頭を下げた。
「綺麗で、美しくて、可愛くて、賢くて、頭が良くて、気が利いて、優しくて、ネプチューンさんの言うことをちゃんと聞いて、ネプチューンさんを一番に考える。そういう方に、私はなります」
顔を上げる。ぽかんと魂の抜けたような表情をしているネプチューンと目が合う。
「私、ネプチューンさんと、友達になります」
一音一句、はっきりと言う。
ネプチューンは最初無反応だった。ぱち、ぱちと瞬きを行っただけだ。
しばらく時間が経過した後、ネプチューンは微かに首を傾けた。変更は無いと伝えるつもりで、アイは頷いた。
瞬間、ふるふるとネプチューンの体が小刻みに震え始めた。大丈夫かと聞こうと手を伸ばしたアイの手は、他ならぬネプチューンの手に握られた。
「よろしいんですの?」
「嘘はありません。変更もありません」
「ほんとうに?」
「はい」
その時だ。ネプチューンはぱっとアイの手を離した。そのまま、自分の手を耳元に持っていく。
「……シェフっ!! 今すぐに特大のデコレーションケーキを作って下さいまし!! それと、在庫の中で最高級の茶葉を用意して下さいまし!!」
しばらく船内で高い声が反響していた。アイはつい両耳を押さえそうになったが、ネプチューンがこちらを向いたので行動に移すことはしなかった。
「星に戻ったら、わたくしの屋敷に来て下さいませ!! 最大規模のお食事会を開きますので!! 最高のシェフと、最高の材料で、最高の料理を作らせますわ!! あっ、最高のデザイナーもお呼びしますので、プルートに合った素晴らしいドレスを見繕ってさしあげますわよ!!」
室内は火山が何度も噴火しているような騒がしさに包まれた。
アイが「そこまでしなくても」と言うと、その瞬間に「駄目ですわ!!!」と特大の噴火が起きた。
「やっと、やっと人形以外のお友達が出来たのです!! これを機に、お友達とやりたいと思っていたこと、全部やりますわっ!!」
ネプチューンがくるくると躍ると、着ているドレスの裾もふわりと舞い、縦ロールもぴょこぴょこと元気に跳ねた。
「さあ、そうと決まればさっさと出発致しましょう! 今お茶とケーキの用意を致しましたからね、旅路は全然退屈しませんわよ!!」
ネプチューンはアイの片手を、両手で包み込むように握った。
「ファーストスターに戻ったらいっぱいお茶会して、そうだ、舞踏会も開きましょう!!
あっ、お友達って確かお泊まり会みたいなのもやるって聞いたことがありますわ。プルート、早速わたくしの屋敷に泊まりに来て下さいませ!!
あれっ、確かもっと仲良くなるとルームシェアなるものをするとも聞いたことがありますわね……。でしたらいっそ屋敷に住んで下さいませ!! 部屋はいっぱいありますので!!」
「はあ、ですがその前に、本社に一連の出来事を報告しなければなりませんが」
「そんなのどうでもいいじゃありませんの! そりゃあ遅れたらサターンから色々言われるでしょうけれど、何も怖くありませんわ!」
「いえ、あの、怖いなどといった感情の前に、ご自身の責務と私の責務が」
「さあ、まずはお茶会ですわっ!! あっ、せっかくですしお着替え致しましょうか! いくつかドレスを用意してあるんですのよ、気に入ったものを差し上げますわ! ドレスアップしてお茶会ですわよ!!」
ぐいと強引に引っ張ったネプチューンだが、アイはついて行かずその場に止まった。
怪訝な表情をしたネプチューンに、アイは問いかけた。
「……私は、どういうドレスが似合うとお考えですか?」
するとネプチューンは立ち止まり、アイの方を振り返った。そうですわね、とアイの体を上から下まで眺め腕を組んだネプチューンに、続けて聞く。
「ピンク色は、似合うと思いますか?」
「ピンク色? それは、微妙だと思いますわよ」
ネプチューンは眉をひそめた。
「黒髪に碧眼ですもの。ドレスも黒や青を使ったものが合うと思いますわ」
「……そうです、か」
「それがどうしたんですの?」
「いえ」
首を振りながら、ネプチューンは本当に人間のアイを知らないのだとわかった。
考えてみればそうだ。制作を禁止されているプログラムがインストールされているのだ。博士が人に言うとは考えにくい。
ダークマター側は、アイの真相を誰も知らない。真相を知っているのは博士と、気が動転していたせいで思わず打ち明けてしまった、あの人間達だけ。
今ここにいるアイのみ見えているのは、真相を知らない者達だけを意味する。
つまるところ、それはダークマターだ。
「さあ、行きましょう?」
ネプチューンが、再びアイの手を引っ張った。引っ張られたアイは、足を前に出した。
その時。
ガン、ガン、ガンと。
何かがぶつかる巨大な音が、天井から響いてきた。
直後、宇宙船中に、警報音が駆け巡った。警報を強く知らせるため、船内の明かりが激しく点滅した。
「なっ、何事です!!」
天井の至る所に視線を投げるネプチューンは明らかに動揺していた。一方のアイは、じっと下を向き、俯いていた。
警告表示と共に、二人の前に立体映像が現れた。それを見たネプチューンは大きく両目を見張ったが、アイには変化が訪れなかった。
『駄目だーーー!!! 開かない!!!』
宇宙船の屋上と船内を繋ぐドアの取っ手を両手で掴んでいたミヅキは、そう叫ぶと同時に尻餅をついた。
『さすがにロックがかかってるよね……』
腰をさするミヅキの横で、ソラが冷静に言う。
『結構な力で着地したのに、傷一つついてないね~?』
どこか感心深げな口調で、ミライが宇宙船の外壁を踵で軽く叩いた。
三人とも、変身をしていた。立ち上がったミヅキのマントが、風に煽られた。
『アイーーー!!! さすがに二度目は見過ごせないよ!!!』
風に煽られる音などものともせず、ミヅキは大声を張り上げた。
『約束したじゃない!!! 今度はちゃんとお別れしようって!!!』
相手はカメラがどこにあるか知らないはずだ。にもかかわらずミヅキは、真っ直ぐな目で、こちらを見ていた。
アイは、一切の表情が無いまま、その映像を眺めていた。
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