phase7「されど 空の深さを知る」
「ご気分はいかがですか~?」
「吐きそうです」
「それは何よりですねえ!」
壁に肘をついて寄りかかりつつ上から眺めてくる視線は、人を見下している姿そのものだった。穹はすぐに目を伏せ、抱え込んでる両膝を更に強い力で抱きしめた。
心を許していた相手が作られ仕組まれたもので、更によりにもよって実質的に、自分が心に嫌悪を惜しげ無く抱く相手によって作られたものだった。
この人が主に考えた台詞に自分は心を開いていたのかと事実を振り返ると、嘔吐きそうになる。全く気づかずにまんまと嵌められていた自分に対してもそうだ。
小鳥は既にハルの手によって壊されているわけだが、もしまだ稼働していたら、更に気分が悪くなっていたことだろう。
と、マーキュリーがしみじみと頭を左右に振った。
「いやあ……穹さんが突然わけのわかんねえこと言い出すものだから、私凄ーく驚いてしまいましたよ、ええ! こいついきなり馬鹿になったんじゃないのかって!」
「いつにも増して随分と言いたい放題ですね」
とはいえ、今は何を言われても文句は言えないかもしれない、とも思っていた。ここ最近の自分が非常に愚かだったことは、覆せない事実だ。穹自身が、よくわかっていた。
だからこれ見よがしにされた嘆息に不快感を覚えても、じっと足下に視線を注ぐしかできなかった。
「あーあ。私、穹さんのこと、もっと見所のある人間だと思ってたんですけどねえ。……凄くがっかり」
「本当の僕なんて君にわかるわけないでしょう。っていうかわかってほしくないし」
勝手な期待を抱かれても。そういう思いを込めて見上げてみると、マーキュリーは逆に警戒心を覚えるくらい完璧な笑顔をしていた。さっきの表情は切れ端も無かった。
「けど、僕の方は、わかったことがある。さっきのが、君の本当の姿だってことだ。やっと仮面を外しましたね」
能面のように無表情になった顔の中で、唯一爛々としていた黄色い眼差し。体の震えが止まらなくなる冷たい目、心を蹂躙するように揺さぶる冷たい声。
あれが、笑顔の後ろに隠されていた、紛れもないこの人の本当の姿だと瞬時にわかった。
だがマーキュリーは一瞬目を見開くと、意味ありげに笑った。
「……さあ、どうかな? 敬語取っ払っただけで、これも仮面を被ってる姿かもしれない。他人にはどうやっても見分けられないんだよ。何が嘘で、何が真実かなんて。本当の心……本心ってやつはな、絶対に他人には見えないものなんだ」
やや低く発した後に「だから穹さん?」と呼んできた名前は、人に好感を持たれるであろう声の高さと調子に戻っていた。
「さっき言ってましたよねえ、自分の心をわかってくれる人がどこにもいない、って。何当然のことを言ってるんですか? 全く以て意味不明ですね」
「意味不明なのはこっちの台詞です」
穹はマーキュリーの目を逸らさずに見た。当然のこととはどういうことか。
「人と人の心はわかり合うものなんですよ。心がわかり合っているからこそ、人は自分の“色”を持っているのだと思うんですけど」
「はあはあ、なるほどねえ。うん、まあ、とりあえず主張はわかりましたよ、一応ね、一応」
やる気というやる気がまるで感じられない調子で、マーキュリーはこちらを指さしてきた。
「あなた、私の事わかります? 私の事、一から百まで理解できますか?」
「わかるわけない。というかわかりたくない。知りたくない」
「ですよね。私もそう。あなたのことなんて理解できないし、知りたくない。
……ま、それは置いといて、それと同じことなんですよ。簡単でしょう?」
眉をひそめた。言いたいことが何も伝わっていないと感じた。
「前提からして違います。面倒臭いから率直に言いますけど、僕は君が物凄く嫌いなので、わからないのは当然です」
「あ、それは私も同じです。ですがこれは感情論じゃありませんよ。
だってそうでしょう。自分の心すら理解し切れてない人間だらけなのに、どうして他人の心が理解できるんですか?
こんなに身近な、身近どころか距離がゼロの自分ですらわからないのに」
マーキュリーは鬱陶しげにため息を吐き出してきた。
「自分自身でも理解できない心の存在など、どうでもいいじゃないですかって思いますがね。あなた方は全然理解を示しませんよね。面倒臭い」
「……僕は」
続きを口にすることが出来なかった。返す言葉が一切浮かんでこなかったからだ。そうなのだろうか、と思い始めていた。
丸め込まれている、と警鐘を鳴らす自分も確かにいる。だが、頭から否定するのも、疑問を抱いていた。
事実、先程まで自分の心が何を願い、何を望んでいるか、全く知らなかった。
ハル達が大切という気持ちを嘘にしてはいけないと言っていた心の声、それが全然聞こえていなかった。
「ふふ、いつもみたいに反論は浮かんできませんかあ。それもそうかもしれない、って思ってるんでしょ? そうです、それが正解ですよ。認めちゃいなさいって~」
こう言われると意地でも認めたくなくなってくる。鋭い目つきを置き土産に顔を背けると、心底可笑しそうに笑う声が降ってきた。
何も言い返さず沈黙を続けていると、ふとした拍子に声がやんだ。奇妙な沈黙が流れたのを感じ取った。
「いるはずないんですよ、この世に。本当に自分の心を理解してくれる人なんて。人の心にはね、期待するだけ、無駄です。
……どうせ人なんて、隠す生き物だ。後ろに何が隠れてあるかなんて、他人からは絶対に見えやしない」
何かが穹の中で引っかかった。強いて言うなら、一人言のような口調に、だろうか。
「ま、私もはっきり言って人の心、全然わからないですし。興味無いっていうの抜きにしても」
一瞬の後に、普段通りの言葉遣いに戻っていた。そこに違和感を探そうとしても、どこにも見つからなかった。
代わりに疑問が湧いた穹は、壁から肘を離したマーキュリーを見上げた。
「君は、よくわかっているじゃないですか。人の心が。あんなに口が上手くて、人と付き合うのが上手いんだから。人が何を望んで、どういう言葉をかけてほしいか、全部当たっている。あれは、他人の心を理解できてる証拠じゃないんですか」
「へええ、羨ましいですか~?」
にやりと笑われて、頭の血管が切れそうになった。違うと言っても痩せ我慢をしていると思われそうだし、何を言っても無駄だとわかってしまうのが酷く癪に障った。
「ではこの私が、極秘情報を伝授致しましょう!」
「極秘なのに易々と教えて良いんですか?」
「穹さんは見ていて面白いので特別です」
「じゃあ別に良いです、いりません、これ以上無いくらいの余計なお世話で」
「コツがあるんですよ」
「話聞いてます?」
「私には商売について色々教えて下さった先生がいましてね、その方から教わった技術を元にもしていますが……私自身でも編み出したんですよね。人の心がわからないのに、更にいかにもわかっている風になる方法」
ぴんと立てた人差し指が、ゆっくりマーキュリーへと向けられた。
「他人に見せるための自分を作る。そして、自分の心を隠す。何があっても見せない。
そしたら、相手は自分の本当の心が見えていないんだから、こっちも相手の心を見ようとしなくても別にいい、そんな考えになってくる。
そうなるとね、綺麗さっぱり臆病が消えるんですよ。結果、人と接する際、大胆不敵になることができる」
臆病という単語に、条件反射的に肩が震えた。気づいたのか気づいていないのか、一瞬黙った後、変わらない調子でマーキュリーは話を続けた。
「わからないのにわかり合おうと努力するだけ、無駄に終わる。わからないのに考えるだけ、自分が疲れて終わる。見ようとしても、覗こうとしても、何も見えない。
でも、見えないのが普通だ。だから、心からわかり合うことはできないってことを前提に考えれば、無駄もなくなるし疲れなくなる」
それらの言葉は、右から左へ流れていかなかった。聞き流そうとしているのに、体内で引っかかり、とどまった。
わかり合おうと努力して、無駄に終わる。わかり合おうと考えて、疲れて終わる。それらは全て、他人事に感じなかった。
むしろ逆だった。今まで自分が、ずっと味わい、その身に刻まれてきたことだった。
座右の銘を言うように。実際、座右の銘にしているのだろう。わざとらしいくらい重々しく神妙に、マーキュリーは口を開いた。
「人なんてね、心からわかり合えないのが普通なんですよ」
風が吹いた。強い風だった。吹いている時間も長かった。その風は、穹の心の中にまで、入り込んでくるようだった。
ややあってから、細められたマーキュリーの目を、じろりと見上げた。
「僕、話し下手なんですけど、その問題の解決策言ってないんじゃありませんか?」
「鋭い! ご名答! 話術こそがさっき出てきた先生に教わった技術です、これが一朝一夕で身につくはずないでしょー!
ここまでのレベルになるのにどれだけの苦労があったとお思いで? そんな易々と教わろうなんて随分と図々しい神経の持ち主ですねえ~!」
「もともと君が勝手に話し始めたことでしょうが、何をさらりと記憶のすり替えを行ってるんですか」
何の話だったんだ。どっと疲れが襲ってきて、頭が重くなった。重い息を吐き出していると、急にマーキュリーが、冷徹ともいえる空気を纏ってきた。
「ですが穹さん。あなたもすぐに、私のようになれますよ。なろうと思えば。あなたは私と、似ているから」
どこが、とは思わなかった。今ならわかる気がした。納得したくなかったが、受け入れざるを得なかった。
確かにこの人と自分は似ている。この人は本心を隠して人と接している。自分も、本心を隠して人と接している。隠すことを狙っているわけではないにせよ、事実は変わらない。
「話し上手には、なれたらいいなと思いますけど」
目線を上に向けると、マーキュリーの黄色い瞳が覗いていた。鋭い光と、真っ直ぐ目を合わせた。
「……君になるのなら、嫌です。絶対に」
マーキュリーはにや、と笑って返した。
「それでこそ穹さんだ。ここで寝転がっているあなたを見た時は、人違いかと思いましたよ」
たくさんの皮肉が込められた口調だった。そうですかと返そうとして、ふと置き去りにされていた疑問が残っていることを思い出した。
「……聞き逃してましたけど、なんでここにいるんです?」
「ええ、今更気づいたんですか?」
面倒臭いとばかりに首を緩慢に回してから目線が前に向かれたときだ。
マーキュリーの目が穹ではなく、穹の向こうを捉えた。そのまま固まったと思った直後、突然踵を返した。
「どこに行くんですか」
「……私が、何もせずに、ここにいる。理由なんて、既に大体察しているんじゃないんですか、あなた」
振り向かずにマーキュリーは答えた。そしてやや早足で、暗い路地の奥に消えていった、直後。
「穹?!」
背後から聞き覚えのある声がした。はっと振り返ると、慌てた様子で表の通りから駆け寄ってくる祖父の姿が映った。
「じいちゃん?!」
「ど、どうしたんじゃ! 大丈夫なのか?! 具合でも悪いのか?!」
取り乱したように、額に手を当てて熱を測ったり、体を見て怪我をしていないか確かめられた。
されるがままになっていたのは、未だ状況がいまいちよくわかっていなかったからだ。どうしてこんなに慌てているのだろうと。
徐々に冷静になった頭で自分の姿を客観的に判断すると、すぐ合点がいった。
源七からすれば、暗い路地裏の狭い道路に座り込む孫の姿を見たのだ。さぞただごとでない雰囲気を感じ取っただろう。
そこで、自分がまだ路地の道路に座り込んだ体勢のままなのに気づき、急いで立ち上がった。
ずっと座ったままでいたせいか、少しだけふらりと目眩がした。だがそれよりも、普通に立ち上がれたことに対する感慨の方が大きかった。
「ご、ごめん、なんでもないよ。それよりじいちゃんこそどうしてここに?」
なぜここにいるのか深く言及されれば、その理由も経緯も誤魔化せる自信が皆無だった。強引に話題を逸らすと、源七はまだ心配そうに穹の姿を見ていたが、答えてくれた。
「友人のところに行こうと思ってな、天文台へ向かってたんじゃ」
そう言って、横方向へ指を指した。天文台がある方角だった。
「でも、そこに向かうのに一本道の部分があるんじゃが、そこが通行止めらしくての、戻ってきたんだ」
「通行止め……?」
「何が何だかよくわからなかったんだが、派手な青い髪をした男性にそう言われたんじゃ」
ごん、と頭を殴られたような衝撃を覚えた。
「青い、髪……?」
ああ、と祖父は頷き、優しく微笑んだ。
「とても人当たりの良い方だったよ。親切に説明してくれて、世間話にも付き合ってくれてな。わしは面白い話もできんのに楽しそうにしてくれて、あれは見上げた好青年だと感じ……って、ど、どうしたんだ穹……」
「……ねえ。じいちゃん。何か、その人に、吹き込まれりした?」
「い、いや、特に何も。ど、どうしたんだ、穹、その形相は……」
明らかに源七は穹に対して狼狽えているが、真実を説明することは出来なかった。しかしどうやら祖父は何もされていないようで、とりあえず安心した。
もし何かしていたら、今すぐ
しかし抜け目ない、よくもじいちゃんに、というか何猫被ってるんだ白々しい、などありとあらゆる呪詛の念を心中で呟き続けていると、源七が不安そうな顔を覗き込ませてきた。
「やはり具合が悪いんじゃないか? ……ここの所、調子が良くなさそうだったもんな」
穹の様子がおかしいことは、源七にも気づかれていた。一度何があったのか聞かれたが、深くは尋ねてこなかった。
けれどもその目には無関心の類いは欠片もなかった。穹が自分から言い出すのを待っている心が隠し切れていなかった。その目を思い出しながら、穹は言った。
「なんていうか僕……。最近やっと、自分の本当の心に気づいたんだよね。それまでずっと僕の心が見えていなかったし……他の人の心も、見ようとしなかった。それでずっと……」
そこまで言ってから、頭を下げた。
「……ごめんなさい、じいちゃん」
「ど、どうして謝るんだ?」
「僕、
胸に手を置いた。ここにある心は、狭くて、小さくて、そしてきっと濁っている。広く、大きく、澄んだ色を持つ青空とは、真逆だろう。
本当に青空のような心を持っている人なら、自分を見失うことも、大事な事にずっと気づかないままということも、無いだろうから。
自然と視線が下がっていった。
「穹」
顔を上げさせたのは、祖父の凜とした声だった。見ると、真面目な顔つきになっている源七と目が合った。
「穹が、どうして穹という名前になったか。知っておるか?」
「生まれた時、綺麗な青空が広がっていたからでしょ?」
両親から聞いた話だった。すると源七は頷いた後、首を横に振ってみせた。
「どうして穹は穹という名前に決まったか。青空が綺麗だったからのもあるが、もう一つ大きな理由がある。実は、わしの言葉が決め手になってるんだよ」
その瞬間真顔が消え、どこか誇らしそうな笑顔に変わった。
「このもう一つの理由、穹にはまだ話していなかったな。さて、なんだと思うかい?」
「えっと……?」
少し考えてみたが、これといった理由はさっぱり思い浮かばなかった。お手上げという意味を込めて祖父を見ると、優しい笑顔を向けられた。
「空は、青いよな」
「だね」
「綺麗な、青色をしているな」
「そ、そうだね」
「そして地球も、青いよな」
「? う、うん」
「綺麗な青色だな」
「……な、なんの話?」
肝心なところを話さず、あえてやっているような遠回しな物言いに、穹は戸惑う他なかった。
源七は、指を天へと指した。
「空の色は青。地球の色も青。だがな、地球の青色は、海の青色。空の色ではないんだ。
地球上から見たら、空は青く見える。が、この青色は、宇宙からは見えない」
そうなのか、と思った。実際に関心深げな声が漏れた。それを聞いた祖父は、満足げに笑った後、ゆっくり口を開いた。
「つまりの。空は、透明なんだ」
心に、何かが下りてきた。小さな雫のようだと感じた。
それはたった一滴で、穹の心全体に、波紋を広げていった。
心の中に、静かに、控えめに、けれども隙間無く、何かが満たされていった。
「宇宙から見たら、地球という星は本当に小さくて、その地球の空の色を、宇宙という広い世界は知らない。
けれど、地球に生きる人達は、空の色が青いということを知っている。空が透明でないことをわかっている。
時に、広い世界に塗りつぶされて、自分の色がわからなくなってしまうかもしれない。だが、見えている人には、ちゃんと見えている。だからどんなときでも、自分の持つ色を信じて生きてほしい。
そういう思いが、穹という名前には込められているんだ。これが、“もう一つ”の理由じゃ」
言い終わると、祖父は顔を上げた。穹の背後へ目線をやった目を、少し輝かせた。
「おお、晴れてきたの」
振り返って、空を仰ぎ見た。
いつの間にか、天を覆い尽くしていた灰色の雲は、その色を薄くしていた。代わりに、厚い雲の隙間から、光が漏れていた。
輝くベールを思わせる光だった。その輝きだけで、雲の向こうにある太陽がどれだけ眩いのかが、よく示されていた。
雲と雲の隙間から、一つの色が顔を覗かせていた。それは青色をしていた。初めて見る青色だった。こんなに、澄み切った、鮮やかな美しい青色を、穹は初めて見た。
しばらくの間目を奪われていると、「穹」と名前を呼ばれ、再び源七の方へ向き直った。
「心とは上手く付き合っていかなきゃならん。だが、心は本当に複雑じゃ。真面目に真正面から向き合おうとすると肩が凝ってしまう。だからの、気楽に、適当にでいいんじゃよ」
「適当に……?」
「本当に大事なときは、心の方から、“これだけは!”って大きな声で言ってくる。
適当に受け流しちゃいけない雰囲気だって、直感でわかる。
だから、考えすぎないのが吉なんじゃよ。自分の心に対しても、相手の心に対してもな」
と、祖父の顔が、少しだけ近寄った。
「良い目になっておるの、穹」
「……そう、かな」
だとしたら、嬉しい。穹は微笑した。
確かに、雨がやんだ後や、台風が過ぎ去った後は、普段よりも空の色が澄んで見える。
もしかしたらそれと、同じ状態になっているのかもしれない。他人事のようにそんなことを考えた。
「せっかくじゃし穹、一緒に帰るか?」
祖父が大通りの方へ体を向けた。一緒に帰りたそうにしている空気が伝わってきた。だから胸が痛んだ。けれど、はっきりと首を振った。
「ありがとう。でも僕、行かなきゃいけないところがあるんだ。やらなきゃいけないことが、ある」
祖父は何度か瞳を瞬かせた。わずかな困惑を感じ取った。聞きたいこともたくさんあるだろうに、けれども何も聞かず、笑った。
「そうか。ならそっちを優先せねばな。頑張りなさい、穹」
手を振りながら、祖父は路地裏から出ていった。小さくなっていく背中を見送った後、穹は顔を上へ向けた。雲の隙間から見える青空の面積が、広くなっていた。
穹はズボンのポケットに手を入れた。そこにあった硬い感触を確かめてから、外に取り出した。黒い液晶画面に映る自分に対して、頷いた。
左手首にそれを装着し、右手の人差し指を液晶に押し当てる。
「コスモパワー、フルチャージ」
直後、風が吹いた。ばさばさという音が、耳のすぐ横でうるさく鳴った。背中のマントが、風にはためく音だった。
自分の心。あれほど見えていなかった。見えていないことにも気づいていなかった心が、今ははっきりと見えていた。それで気づいた。自分の心を透明にしていたのは、他ならない、自分自身だったと。
本当は薄々気づいていた。事実に、真実に。そしてまさに自分は、現実を見ようとしている。
あれだけ受け入れまいとしていたのに、どうして今は向き合うことに恐れを全く抱いていないのか、不思議だった。
恐らく、と思う。気づいたからだろう。
自分の声が、自分の心の声が、今も頭の中で鮮明に聞こえる。穹が本当は何を求めているか。何を失いたくないのか。何を願っているのか。何を探しているのか。
インカムに触れた。
「──守ってみせる」
顔を上に向けた。こんな色だったのか、と思った。
空の青はこんなに、美しかったのか。
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