phase8.2
空を飛び、小さくなっていくソラの姿を見送る。と、それまでやむことの無かった弾幕の嵐が、ぴたりと止まった。
「ハルにしては判断を誤りましたわね。防御担当の大事な前衛を行かせてしまうだなんて」
ネプチューンが片手を上げていた。攻撃を止める合図のようだった。
攻撃をしていると自分の声が発砲音でかき消されるから止めたのだろうか。しかしそんな台詞をわざわざ言うために一旦停止させたのかと、クラーレは苛立ちと不快感が募っていくのを実感した。
「そうすべきと判断したから、行かせた。誤っているとは考えていない」
神色自若に言った。両腕でしっかりココロを抱きかかえ、立ち上がる。
「そうですの。でも、その判断は間違っておりましたわね。こちらとしましては、あなたを簡単に捕まえるチャンスが巡ってきただけですわ」
ネプチューンが一歩前へ進み出たときだ。クラーレが一つ、弓を引いた。
「まだ、俺がいるっ!」
まっしぐらに向かってくる矢尻を、ネプチューンは苛立たしげに眉根を寄せ、少ない仕草で避けた。
「守る為ならどんな手だって使えるって言ったのは、嘘でもはったりでもねえ!」
「なんなんですの一体! 言っておきますけれど、あなたの弓の威力は脅威でもなんでもなくってよ!」
「わかってんだよそんなことは!」
「ああもう、煩わしいですわっ!!」
ネプチューンがもう一度片手を上げた。攻撃が始まるその前に、クラーレは背後を向き、近くにあった木まで走った。
ちらりと視界の端で映った太陽光の反射。根元を見れば、影に一体の人形が潜んでいた。体から飛び出し剥き出しになった銃が黒く光る。
クラーレは指を二本立てると、その手先を銃口に向けた。指先から大きめの紫色の液体が放たれ、穴の中に吸い込まれていく。
がくん、がくんと妙な動きと音を発しながら、人形が動かなくなった。
「何をしているんですの? あなたの毒は克服したと先程も仰いましたでしょう」
「うるさい、わかってる!」
自分の目で見て思い知ったからわかっている。クラーレは勢いよくハルのほうを振り向いた。
「ハル、弾避けれる場所探すぞ!」
「一体何をしようと」
「時間稼ぎだ!」
毒を浴びせた人形の隠れていた木の前を走り去った瞬間、ちょうどそこから光弾の銃撃音が響いた。毒で動かなくさせていなかったら、逃げ出す隙も無かったろう。
しかし、銃の雨をかいくぐれたわけではなかった。走れども、上から右から左から後ろから、無数の光線が飛んでくる。
「ハルッ、でかい岩とか探してくれ! 銃弾は俺がなんとかする!」
「わかった」
きらん、と横方向にあった草の影で何かが光った。隙間から弾倉の穴が見えた。一度立ち止まると、そこに向かって指を突き出し、毒液を発射する。
毒が当たり、一瞬動かなくなったのを見計らい、背後を向いた。空気の揺らぐ気配がしたからだ。
予測通り、石の上に人形が立っていた。その弾倉の中にも、毒を撒く。少しだけ出来た銃弾の隙間を縫って、再び駆け出す。
光弾が体に当たる度に、思わず震えてしまうような寒さが全身に走っていく。
金属で覆われていても寒さと痛みを感じるのだから、変身してるとはいえ、穹はどんな思いをしていたのか。
ハルを庇って氷の大砲を受けたとき、どれほど寒く、痛い思いをしたか。
「随分と効率の悪いことをしていますのね。無駄なあがきにしか見えませんわよ」
上空を振り返ると、ネプチューンが緩やかな速度で、傘を風に受け飛行し、こちらを追いかけていた。
そこだけ切り取れば童話に出てくるような光景だというのに、愛らしさは微塵も感じない。ただ怒りと、憎悪しか湧いてこない。
傍に生えていた木の根元で、何かが光った。位置を確認し、そこに向かって毒液を飛ばす。
今日が晴れていて本当に良かったと、動かなくなる人形を見て思った。太陽の反射がなかったら、人形を見つける事も困難になっていただろう。
「さぞ滑稽に見えるんだろうな……上等だよ!」
吐き捨て走り出す。空気の揺らぎや気配、視界の端に一瞬映る反射光を元に、毒液を噴出し、浴びせていく。
そんな自分の手を見ながら、結局自分にはこれしか残されていないのかと感じた。あれだけ憎み、恨み、捨てたいと願った毒液に頼り縋っている。誰かを傷つけること以外出来ない毒でしか、守りたいものを守れない。その唯一の武器ですら、敵に無効化された。
情けない。その思いを毒液の一点に凝縮して、放つ。機体に入り込みわずかの時間だけ稼働できなくなる人形を横目に入れつつ、駆け抜ける。
「ハル、大丈夫か! ココロは平気か!」
「まだ問題はない。しかしなかなか隠れやすそうな場所が見つからない」
「なんでもいいからとにかく走ろう!」
僅かに出来る時間、僅かに出来る隙を縫って、銃撃から懸命に走る。
と。その行く手を阻むように、目の前に隙間無い光弾の弾幕が現れた。動きからして、上空から撃たれているようだった。両隣に立つ高い木の高い枝に、人形の持つ銃の姿が見えた。
まずい、と感じた。あの位置では毒が届かない。
一か八かで狙うなど出来ない。もし外せば、ミヅキ達が住む地球を汚してしまう。
「ピイ!」
歩みを止めたクラーレに変わって前へ出たのは、白い体の持ち主だった。シロは首を上に向けると、口を開けた。そこから放たれた光が、人形のいる木の枝に向かって一直線に飛んでいった。
スターバーストの通った部分に生えていた木の枝はごっそり消滅したが、同時に人形の姿も消えていた。振り向きざま、もう片側の木にいた人形に対しても同じようにブレスを吐く。
シロは少しだけ息を切らしながら、クラーレのすぐ傍を飛んだ。小さく高い声を発する姿は、どこか得意げに感じる。
「ありがとう。凄いぞ、助かった。一緒に頑張ろうな」
軽く頭を撫でると、尻尾を振って答えてくれた。くるくると周りをとび、辺りを見回しながら、短い間隔でスターバーストを放っていく。
連続でブレスを吐いて人形を壊してくれるおかげで、だいぶ数が減り、弾幕は薄くなってだいぶ逃げやすくなっていた。
遠くの人形はシロがブレスで破壊し、近くの人形は自分の毒で一旦動きを止める。
金属が外され、皮膚の曝け出した手を握りしめる。また揺らいだ気配を辿って、人形の元へ毒を発射する。
この忌々しい体質が皆を守れる唯一の武器になるのなら、喜んで使う。たとえ敵に透かされるとしても、精一杯使ってやる。
自分の探していた、自分の居場所を与えてくれた皆に対して返せるものといったら、それしかないのだから。
だが。
直ぐ上を、シロのブレスが飛んでいく。閃光を目にした視界が、わずかにぶれる。
「クラーレ。顔色が悪い」
「平気、だ」
よろめいたところを視界に人形の姿が映り、すぐさま毒を発射する。毒液が体から出ていく瞬間、力をごっそり抜き取られるような感覚がした。
「シロも、疲れているように見えるが」
「ピ、ピーイ!」
ハルの台詞を否定するように、シロは口を開けてブレスを発した。光が飛んでいき、遠くの人形に直撃する。それを確認して口を閉じたシロの姿は、耳も尻尾も垂れ、翼のはためきも遅くなっていた。
「地形からして沢が近い可能性がある。恐らく身を隠せる場所もある、もう少しの辛抱だ!」
確かに耳を澄ますと、どこかかから川のせせらぎが聞こえてきた。その音色が、やけに籠もった音に感じる。
浅く頷いた。だが、もう少しが、出来なさそうだった。
視界が開けた。苔むした石や岩が転がる場所に出た。その向こうを、さらさらと緩やかに水が流れている。あまり広くない川幅の向こうに、身を隠せそうな大きい岩があった。
目にした瞬間、視界が反転した。足が上手く動かなくなった。ばしゃん、と水の音がした。顔に、体に、冷たい水の感触がした。受け身すら取れなかった。
「クラーレ!」
ハルの声がかかってきたと同時に、傍らにシロが落ちてきた。もう飛べないとばかりに荒い息づかいを繰り返し、ぐったりと横たわる。
「だいぶお疲れのようですわね」
その声が聞こえた瞬間、勢いよく体を起こした。後ろを振り返ってシロを抱え、自身の後ろに隠す。それだけでも、頭の中がぐるぐると回って、また倒れそうになった。
目の前がぐるぐると歪み、回っていた。目を開けていることも苦しかったが、さっと片手を上げて攻撃を停止させたネプチューンから視線を逸らさないようにした。
手の先が、足の先が、冷たかった。凍り付いたようだった。血がきちんと回りきっていないのではと感じる。いや違う。血ではなく、体液が足りなくなっているのだ。
「結構毒をお使いになったのではないかしら。無理をなさいましたね。いえ、無謀というべきでしょうか」
「……だな」
一度に使う毒液の量を、少しだけ増やした。たったそれだけで、このざまだった。
倒れそうだった。座り続けていることすらにも限界が近づいていた。
毎日、掃除を積極的に行って体を動かしている。毎日、朝と夜に裏山を歩いている。なのに、自分の体力は、少しも向上する気配を見せないのだ。
ベイズム星人にとって体液である毒性の強さは、そのまま体の強さに直結している。自分の弱い毒性は、弱い体液は、いつだって壁となって立ちはだかる。タチの悪いことに、その壁は永遠に続く高さを誇っている。
黒いシルエットが、一歩前に近づく。凍てついた空気が、前方から漂ってくる。
「プレアデスクラスターも頑張りましたわね。たくさんお友達を壊して下さった。
でも残念ながら、まだまだお友達はいっぱいおりましてよ。やっぱり子供だからか、ブレスを吐きすぎると体力が無くなるのですわね」
クラーレの後ろでシロの体が跳ね、体を縮込ませる。怯えた目でネプチューンを見上げ、顔を伏せる。
ネプチューンはにっこりと笑っていた。逃げ場を奪ったこと、追い詰めたことに対する勝ち誇った笑み。余裕を見せながらゆっくりと、辺りを見回す。
「頼みの綱は、あの穹という地球人だけですわね。でも、なかなか戻ってこないのを見るに、逃げているかもしれませんわね。自分だけ、安全な場所に身を潜めていらっしゃるのかも」
誰のことを言っている? ソラを指している? ソラが、逃げる?
頭が理解した瞬間、吹き出していた。
「……はははっ。有り得ねえ……」
一度笑うと止めるのが難しくなっていた。口を手で抑えるクラーレに、ネプチューンの笑顔が消えていく。
「な、何がそんなにおかしいんですの」
「いや、有り得なさ過ぎて煽りにもなってなかったからつい。な、そうだろ?」
「その通りだ。まず有り得ないことだ」
首を後ろに向けて同意を求めると、ハルもシロも頷いた。ココロも釣られて頭を縦に振る。
「なぜですの。あんな臆病でいつもおどおどした子供が。やりかねませんわよ、人間ですもの」
「ふーん。あんた、かなり目が悪いんだな」
立ち上がると足下がふらついた。だが今度は、転びかけても絶対に転ばないと決めていた。
自分よりも年下の子供が。あの地球人が。ソラが、頑張っているのだから。
今も、今までも。
「あいつはな。凄く優しくて、そして、凄く勇気のある男なんだよ」
「君だったんだ……」
風が吹き抜けていく。山の上だからか、涼しいものに変換される。尚更、冷たく感じられる。
寒さとそれによる痛さとで動かなくなりそうな体を懸命に動かし、ジャンプを繰り返して頂上に向かった。その果てに辿り着いた、蔵の近くの崖。あの人形が景色を眺めていた場所。町の展望を前にして、崖の先端に一体の人形が立っていた。
穹が震える声音で話しかけた相手は、ゆっくりと振り返った。金色の髪。桃色のドレス。小さい作り物のお姫様。埋め込まれた赤い瞳と目を合わせて確信した。
このこが、山を覆う壁のエネルギーの発生源なのだと。
会話の途中でおもむろにネプチューンが手放した。その前後の氷の弾幕による猛攻でその違和感を忘れてしまったものの、今思えばかなり不自然な行動だった。
また、今まで山に配置されていた人形達の中に、このこだけはいなかった。人形達のことは一瞬しか見えていない。でも、この人形の気配が無かったから、断言できた。
穹は一歩、二歩と近寄った。実際の距離よりも人形との距離がだいぶ遠く感じたし、近寄っても近づいた気がしなかった。人形は一歩も動かなかった。ただ、目は離そうとはせず、穹を見上げていた。
この二日間、偶然出会ってから、成り行きで行動を共にしていた。だがその出会いは偶然でもなければ、成り行きでもなかった。出会いは仕組まれたもので、このこも敵の罠そのものだった。
更に一歩足を前に出そうとしたときだ。人形の目が赤く瞬いた。顔に、体に、真っ直ぐな線が走る。
機械の稼働音を響かせて、人形の体が真っ二つに割れた。
小さな黒い筒のようなものが飛び出す。その筒が割れて、更に大きな筒が出てくる。環状に並んだ銃口が穹に向けられて、既にわかっていた現実を改めて理解した。
左手首をブローチに押し当て、発射音が鳴った直後に両手を前に出す。
砲口から順に発砲されたレーザーが、青色のシールドに遮られ、消えていく。一回全て撃ち終わった後、また装填するための機械音が小さく鳴り、再び撃たれる。
自分の知る人形の面影は、そこになかった。探しても見当たらなかった。穹は目を伏せた。
「友達になりたかったな……」
砲音にかき消されて、自分でも声に出せていたのかいなかったのか不明だった。
右手をシールドから離す。手が拳の形に変わる。そこから、少しだけ力が失せる。
「君は何も悪くないよ。だけど、ごめんね……」
プログラム通りに動いていただけだ。ただ仕事をしていただけにすぎない。
自分の役目を果たそうと動いていただけにすぎないこのこと、はっきり言うなら戦いたくなかった。
だが、自分にも与えられた役目があり、守らなくてはいけないものがある。
顔を上げる。見る影も無くなった人形をしっかりと目標に見定める。
右腕を引く。勢いよく突き出す。右手がシールドに当たる。手応えは、音からして申し分ない。
シールドが穹の手から離れる。真っ直ぐ飛んでいく。
人形は避けなかった。今まで散々自分達を振り回し、披露してきた逃げ足の速さを見せなかった。
衝撃音が鼓膜を揺らして、耳鳴りを残していった。人形がばらばらに分解されていく様を、穹は目を背けず、じっと見ていた。
辺りが一気に静かになる。足下の枝を拾う音さえ、いやに大きく聞こえるくらいだった。
ただの部品の塊と化した人形の向こうにずっと広がる景色に向かって、枝を放り投げる。
枝はどこかにぶつかる様子も無く、崖の向こうへと落ちていった。穹はインカムに手を当てた。
「ハルさん、終わりました」
『そうか。では、目印を出す。そこに向かって来てくれ!』
通話が終わった直後、崖から山の斜面を見下ろした。稜線の一部分から、青白い光が垂直に上がった。シロの吐くブレスだった。目印としてこれ以上のものはないと、天を貫く眩い光を見て思った。
ブレスの位置まで飛ぼうと踏み込んだ時だった。ふと足下に何かが転がっていることに気づいた。
人形の瞳だった。ルビーのように輝く目から、赤や青、黄色をしたコードが伸びていた。
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