Chapter4「歯車は回る」
phase1「機械の追跡」
今期のセプテット・スターが就任したのは、3年前のことだった。
事件が起きたのはそれから1年後。ダークマターを、ファーストスターを、大きく揺るがす大事件が起こる。下手をすれば宇宙を震撼させる事件。
ダークマターと、ファーストスターと共にある、この宇宙に存在する全ての情報を記録している〈マザーコンピューター Heart〉。
そこに接続し、媒介できる唯一無二のプログラムである〈mind〉を、ある一体のロボットが、ダークマター企業内研究所「バルジ」より盗み出した。
自立思考し、知識を吸収し、判断力と分析力に非常に長けた性質が特徴のロボット。
型番、HAL9002――識別名称、〈ハル〉の名を持つロボット。
けれど堂々とハルの捕獲を表に出すわけにはいかなかったし、警察などの機構に求めることもできなかった。
ハルが奪ったmindを手にすることは、神になるのも同然となること。マザーコンピューターHeartに接続すれば、好きなように宇宙全てを書き換えられる。
もし、第三勢力が現れたら。悪用されるリスクが、限りなく高いのだ。
これを危惧したセプテット・スターは、ダークマターの企業のみでハルの捕獲を行うことを決断。決してmindを奪われたことを他言してはならないと社員全体に厳正な箝口令が敷かれた。
宇宙広しといえど、その宇宙で一番と行っても差し支えない企業組織であるダークマターとその研究機関であるバルジ。
この企業力と技術力を持ってすれば、簡単に捕まえられるだろうと、当初は誰もが楽観していた。一人を除いて。
〈サターン〉は最初から、早く解決するに越したことはないが、簡単には捕まらないだろう、と見積もっていた。
危惧通り、捕獲は難航した。あと一歩の所で追い詰めても、あと一歩の所で逃げられる。監視の目を、罠を、すれすれのところで掻い潜る。
完全なるいたちごっこだった。ハルが地球の暦で言うと今年の五月、地球という星に着陸した際にも、同じことが言えた。
地球はダークマターの存在を知らず、それどころか宇宙人が実際にいることすら知らない。
そんな星で直接ダークマターを名乗るわけにはいかなかったし、また大々的な捕獲作戦に乗り出すこともできなかった。
どちらも、地球人のパニックが起こる可能性が著しく高かったからだ。
ひいては秩序の乱れに繋がり、またダークマター全体のイメージと信用に関わってくる。
ハルを追い詰めた。その先が、宇宙を知らない星だった。更に、自身を護衛してくれる存在とも出会えた。その中には強力な毒液をその身に宿す体質が特徴のベイズム星人もいれば、星一つを破壊できるブレスを吐く宇宙生物もいる。
このような常識では考えられない運がハルに味方し、標的が今どこにいるかわかっている状態だというのに、捕獲に至らない状況が続き、膠着していた。
ダークマターは歯痒さを覚えていた。標的に手が届かず、ただ苛立ちが募っていくばかり。
とりわけセプテット・スターはそれが顕著だった。秘密裏に進めようとしている計画があるからだった。
セプテットスター含め、ごく限られた者にしか知られていない計画。実行に移し、必ず成功させようと考えている計画。
mindを通してHeartに接続し、そこに記録されている、「心」を一律化し「同じ」にする。「心の自由」を「消去」する。
遙か昔に一度、行われようと進められていたことがあったらしい。それは失敗に終わった後、計画そのものは闇に葬られれていた。
それを、サターンが見つけた。ちょうど、ハルがmindを盗んだのと、同じ年。そして、実現に向けて動き出した。正真正銘の、計画の発案者である。
秘密裏に進められていた。なのにハルはどこかからか、計画のことを知った。
人々の心は、秩序の礎になってはならないと、直接セプテット・スターに物申した数日後、ハルはmindを奪った。
全ては人々の心を守るための行動は、人々に知られていない。
ハルが逃亡してから、しばらく経った頃のことだ。ハルが、赤子を連れていることが判明した。どこをどう調べても、普通の人間の子供。
けれどハルがわざわざ拾い、育てるくらいの赤子だ。必ず何かあると調べられた。だが、ハルが赤子といつ出会ったか、また赤子の親が誰なのか、全く掴めなかった。
なぜハルがその子を拾ったのかはわからなかった。また同様に、赤子の親も、全く不明だった。
何かが原因で親のいない赤子とどこかで偶然出会い、拾ったのではないか。だとするならなぜ拾い、育て、一緒にいるのか。
力も何もなく、むしろ保護する対象である赤子を連れて逃亡など、捕まるリスクを上げるだけのこと。逃亡を阻害するものという判断がなされなかったのか、それを差し置いてでも連れて行くメリットがあったのか。
様々な考察はなされているが、どれも真相には程遠いと思うものばかりだった。
真実は、今だ明らかになっていない。ただ一つ言えることは、情で拾ったのでは決して無い、ということだ。
ハルは“感情”が無く、“心”を持たないロボットであるのだから。
やはり、と確信した。やはり、わかるようになってきている。日増しに人の抱く感情が、わかるようになってきている。しかも、精度も上がってきている。
人の流れる町の中、おかしい、とアイは頭に手を当てた。
人間に紛れても全く目立たない、人間と瓜二つの見た目をしている少女。けれども正体は、機械で構成された正真正銘ロボット。心も無く、当然感情も無く、無い感情はわかるはずがない。
そんな自分が、と。アイは閉じていた目を開けた。瞬間、視界に飛び込んでくる光景があった。
休日だからか、人通りが多い。行き交う人間達の数も多い。その人間の数だけ、様々な感情が存在する。感情の分類は出来ても、内包されている感情の種類の比率は、誰一人として同じ数字がない。
あの人は嬉しい。この人は怒り。その人は悲しみ。あの人は退屈。
アイは低く唸ると、頭を両手で抑えながら建物の壁に背を預けた。情報量があまりにも多すぎる。
人間を見れば、勝手に感情の分析に入るのだ。どうすれば分析に入らずにすむか、それを止める術がわからず、処理しきれないデータだけが積み重なっていく。
どうしたのだろうか、と頭を抑えながら、正面を向いた。
今までこんなことなど無かった。人間の感情の機微など理解できないものだった。
わからないことがわかるようになるのは、メリットこそあれデメリットは少ないので、報告はしていたがメンテナンスの依頼はしていなかった。
というより一度進言したことがあるのだが、必要無しとの回答を得た。
感情がわかるのは、少なくとも現在進行形で行われている、この潜入計画において、利点になる。
理解してはいるが、こうも一度に得られる情報量が多いと、活動に支障を来すのでは。知りたいと考えない各人間達の各感情を知ったところで、それそのもののメリットは薄い。
考えている間にも、人はアイの前を通り過ぎていき、その度にその人の感情が見える。
混沌としている、と考える。思考回路がショートしそうになるので、正直外に出たくなかった。
しかし、調査を続けなくてはならない。標的達だけでなく、標的の住まう地球についても調査せねばならない。プルートとして、ダークマターに従属するものの責務として。
立ち上がったときだった。道路を挟んだ向こう側の歩道を、一人歩く影が捉えた。その存在からは、こんなにもたくさん周囲を蠢く“感情”が検出されなかった。
なぜ、あれが。なぜ、ここに。
アイの体が動かなくなった。全ての思考が、今自分が見たものに関して集中していたからだ。
その存在は、アイに気づく事無く、真っ直ぐ道を歩んでいく。
データにある通り、トランクを片手に提げ、トレンチコートを羽織り。テレビの形をした頭部を、前に向けて。
「……
紛れもなかった。間違いようも無かった。我らがずっと追いかけているただ一つの存在なのだから。
どうするべきか。何をするのが最善か。何が最適解か。数秒後、アイは駆け出していた。通りかかった人から、自分に対する「怪しい」の感情を検知できたが、無視して走った。
間違いなくこれは好機。人間なら、そう感じるだろう。そして、喜びの感情を覚えるのだろう。
長身の人影が、公園のベンチに腰掛けている。シルエットは“人”影でも、近づけば明らかに人間でないとわかる。
ハルはトランクからアンテナのついたパソコンを取り出して以降、ずっとタイプをしたまま動きを変えないでいた。動きは正確で素早い。手を休める気配を見せず、キーボードをぶれない一定のリズムで叩き続けている。
明らかなる異形のものがいるというのに、道を歩く人達は一切ハルに関心を示さず、通り去って行く。
見えていないかのよう、という表現は正しい。ハルがクリアモード中であるからだ。
計算された姿勢の良さで黙々と作業をするハルを、少し離れた場所に生える木陰から、アイはそっと覗き見ていた。
ハルはパソコンの画面に目を向けたまま動かず、こちらの存在に気づいた素振りを全く見せない。それでも距離を取っておくに越したことはなかった。
ハルに内蔵されている金属などの探知機には引っかからない素材で構成されているものの、こちら側が掴んでいないプログラムを作って内蔵している可能性がある。
機械の目がこちらに気づく可能性。五分五分だったが、どうやら気づかない方に傾いたようであった。
この好機を逃してはならないと。アイのコンピューターがそう判断した。
一番最適なのは本社に連絡を入れることだったが、通信機を持ってきていなかった。
まさか追っている標的本人と出くわす可能性など、計算しても限りなく低い数値が出ていたからだ。
通信機を持っていることによって正体がばれるリスクを考慮した結果、持ち運びを行っていなかった。
結局裏目に出たが、ハルの一挙一動を、詳細に記録しておくのみだと考えた。
尾けられる限界まで尾けて、必ず弱点を、捕獲に繋がる明確な道を見つけ出そうと。
「……宇宙に永遠の秩序と平安を。ダークマターに、栄光あれ……」
誰の耳にも拾えないくらいの小さな声量で呟いた。そして顔を上げ、一点に意識を集中させた。絶対に見逃さない。どんな行動も。
「……」
「……」
「…………」
「…………」
それから十分、二十分と経過していったが、ハルの動きに変化らしい変化は訪れなかった。動きと言ったら、ぴょこぴょことテレビ頭のアンテナの先が時折小さく動くだけ。何も言わずにパソコンを操作しているのみ。
何をしているのか、見当もつかなかった。日が暮れて辺りが何も見えなくなっても同じことをし続けている可能性が出てきたほど、規則性があり差異が無い。
なぜわざわざ外に出てまで作業をしているのか。アイは公園内と、傍の通りに目をやった。どちらも人は多く、賑やかだった。こんなに人目につく場所で下手な事は出来ないし、されないと理解しきっているとわかる。
だからこそ、警戒も薄れている確率が高い。アイはハルに視線を戻した。一秒でも目を逸らしている暇は無い。少しだけ目を見開き、瞬きの回数も極力減らすようにする。
「……うーーーん……」
ハルの手が止まった。機械の稼働音にも聞こえたが、どうやらハルが発した声のようだった。流麗に叩いていた手をキーボードから離し、どこを見ているか不明になる。
やっと見せた明確な変化に、体を前のめりにした時だった。
ぱたん、とそれなりに大きな音を立てて、ハルがパソコンを閉じた。傍に置いていたトランクの中に収めると、中から別のものを取り出した。
「……は?」
ウェットティッシュという代物が入った筒状の容器。ハルは蓋を開け中から一枚それを引き抜くと、広げて自分の顔に押し当てた。両手でごしごしとテレビ画面を拭く姿を、前屈みの姿勢から戻せないまま、観察を続けていた。
「うむ」
頷いた後、二枚目を取り出す。一枚目の時の強い払拭とは打って変わり、ゆっくりと、画面の四隅に至るまで丁寧に磨いていく。時間をかけて画面を拭った後、一枚目のウェットティッシュと重ねて折りたたみ、トランクの中にしまった。
「……ふむ」
しばらくトランクの中を見ていたが、一つ頷いた後で手を中に入れた。だいぶ時間をかけていたのもあって、何を出してくるのか注目した。
時間をかけた末に取り出したのは、一つのプラスチックの容器と、一つのスプーンだった。
「え……?」
透明な容器の中には黄色い食べ物が入っていた。底には茶色い液体が沈んでいた。ハルは蓋を開けると、そのプリンを薄く掬って口に入れた。
じっと前をじっと向いて動かないままいたとみれば、おもむろに小さく掬って口に運ぶ。
やはり一定の間隔を開けながら、計算されたきっかりとした動作を崩すことなく、同じ行動を繰り返している。
何をしているのか、ますますアイはわけがわからなくなった。容器から判断するに、食べているプリンはどうやら市販のものではないようだった。
時間をかけて、誰かの手作りである可能性が高いプリンを食べ終わると、今度はその容器を、躊躇いなく口に入れた。
ばき、とそれまで聞こえてこなかったプラスチックの破壊音がする。プリン本体を食べていたときと比べると、容器は二口ほどで食べ終わった。
取り出した新しいウェットティッシュでスプーンをくるみ、それをトランクの中に入れるのと交互にして、一冊の本を取り出した。
栞を挟んである箇所から開き、読み始める。それまで見せていた動きが無くなり、置物のように静かになった。それが十分ほど続いた。
「ウェットティッシュで顔を拭いて……手作りの可能性が高いプリンを食べて……本を読んで……」
ハルの思考が読めなかった。一体これらの行動が、ハルにとってどのような利点に繋がるのか。何の意味も無い行動にしか見えなかった。指を折って一つ一つ確認していっても、答えが導き出せないことに変わりは無い。
考える余り、いつの間にか視線が下がり、地面を凝視していた。はっと急いで顔を上げると、ハルの様子に異変が現れていた。テレビ頭を真横に向け、固まっている。
何かを凝視しているとみられる仕草に、アイも見ているものを確認しようと、公園の奥を見る。
ぱん、と音を立てて、開いていた本が片手で閉じられた。顔を背けないまま、流れるようにトランクを開け、まだ読み切られていない本が収納され、トランクが閉じられる。
一連の行動は非常に素早かった。ハルはトランクの取っ手を掴むと、走り出した。
ばたばたとコートの裾をはためかせ、黒いエンジニアブーツを鳴らして向かった先は、公園内に設置されている花壇だった。
どん、と脇にトランクを置き、膝をつき、両手もつくと、顔を花壇に近づける。アイは身を潜めている木の樹皮に手を当て、視線の先を確認した。
ぴょん、と緑色の小さな物体が、花壇の中で跳ねた。怪しい部分はどこにもない、ただのバッタだった。
縦横無尽に土の上を跳ね回る数匹のバッタを、ハルは食い入るように観察していた。バッタのジャンプの動きに合わせて、微かにハルの頭も上下している。
「読書を中断してバッタの観察……」
アイは頭に片手をやった。コンピューターが上手く回らない。
「何をしているのでしょうか……?」
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