phase1.1

 ハルは体勢を変えることもせず、しゃがみ込んだ姿勢で五分ほど虫の観察を続けていた。まるで変化の起きない景色に、ずっと虫の行動を見張り続けるつもりかと考えた時、予備動作無しに立ち上がった。


 ばんばんとトレンチコートをはたき、傍に置いていたトランクを掴むと、公園を出て行った。アイはすぐさま追跡した。


 ハルの歩調は早くなく、むしろゆっくりとしていた。そのことから察するに、急ぎの用事は設定されていないと見受けられた。故に数メートル幅を開けていても、後を追うのは容易だった。


 規則正しい歩幅で歩き続けていた矢先。ふいにハルが一本の街路樹の前で立ち止まった。テレビ頭を枝の上にやり、眺めている。


 確認すると、高い位置に数羽の鳥が止まっていた。一カ所に固まりさえずる姿を、下からじっと見ている。


 トランクを根元に置いた。直後、両手を木の幹にかけた。もしやと予測された行動は当たった。ハルはそのまま、木を登り始めた。


 姿を消しているのをいいことに鳥が止まっている位置まで登り、枝に手を乗せぶら下がり、体重をかける。そうして、ハルが見えていない鳥の姿を見つめている。


 瞬間。ばきい、と音が響いた。枝が付け根から折れ、幹から離れていった。


 鳥は驚きと恐れの感情を見せながら飛び去っていき、どしーんとハルは地面に落ちた。ハルの重量120㎏に、そこまで太くない枝が耐えられるはずなかった。


「うーーーむ……」


 地面に座り込んだまま、枝の折れた断面図を見上げている。その姿のまま腕を組んで、モーター音にも近い声を発した。


 おもむろに立ち上がり、落下の衝撃で散ってきた葉っぱや土埃を落としながら、再び何事もなかったかのように規則正しく歩き出す。


 一連の行動の意味に何の考察もできなかったアイは、頭を抑えながら後を追いかけた。




 ハルの仲間は、現時点ではわずかに後衛に人員が傾いていた。


 例えばクラーレは、出身星であるベイズム星の特徴の強力な毒液を保有しているが、毒性は他のベイズム星人と比べると弱く、また多くを使えない。体力を大きく削がれるからだ。


 おまけに、最近クラーレの毒に耐性のある素材が作られたため、彼の唯一の武器は克服したと言っても良い。


 シロという名前を与えられたプレアデスクラスターもそうだ。幼い上に、武器であるスターバーストを放つ器官に先天性の疾患を持っているため、多くのブレスを放つことができない。


 ハルも分析と指令を担当しているが、本人の戦闘力は非常に低い。護衛用の腕が刃に変化する機能を除き、他者を攻撃することに関する、一切のプログラムを入れていないからだ。


 他にココロという出自不明の赤子がいるが、これは戦力としてそもそも論外であり、弾かれる。


 なので弱点が見つかれば、問答無用で一気にこちらに戦局が傾くことだろう。


 またこの仲間というのも、注目すべき部分がある。


 これらはハルが人員を選んで集めたわけでは無く、自然と集まっていったというほうが正しい。


 更に、ハルが地球に来てからのデータを見る限りだと、全員、言うならば高い志を元に集ったわけでもなかった。ハルを優先しているわけでも無いため、個々の意識は総じて低く見られ、非常に緩い関係性となっている。


 叩けば脆いはず。だが、想定以上にこの団結力は強固なものだった。しかしだからこそ、危ういことに変わりは無い。一人でも欠ければ土台から崩れ去るような現状なのだから。


 仲間内の団結力に亀裂が走れば、戦力が減る事に繋がる。即ち、ハルの捕獲に成功する可能性が高まる。


 亀裂が走るような何か、もしくは弱点、あるいは両方。それらに繋がるものを見つけ出せる見込みは充分に存在する。


 つまるところ今回の追跡は、充分行うに越したことがあるもの。アイはそう判断したのだ。判断したのだった。


 だが。


「……隙しか見つかりません」


 ごん、と身を隠していた電信柱に頭をぶつけた。意識的にでは無い。ハルを凝視する余り目の前に立つ柱の存在を忘れていたのだ。それ程までにハルの行動は意識を注目させ、同時にわけがわからないことばかりだった。


 歩いていたかとみれば急に立ち止まる。何をするかといえば、道路の隙間に咲く花をじっと見たり、五分ほどそのままの体勢を続けた後、再び歩き出す。


 他にも虫や鳥を追いかけたり、どこにでもある種類の木を見上げて固まる。


 かと見ればゴミ箱を覗く、自販機を隅から隅まで眺める、電柱を見上げるなど、なぜそれを観察するのか不明の対象物ばかり、ふらふらと向かっては眺めているのだ。


 その規則性の無さ、自由度の高さに、どこからでも付けいる隙はあるように映る。段々と、自分はこうして見つからないよう距離を取っておく必要はあるのかと、疑うようになってきた。


 ハルが道を歩く鳩を見つけた。何を考えたのか鳩の進行方向に回り込んで、しゃがんだ。


 その時。姿は見えていないはずだが、野生的直感だろうか。鳩はハルのいる方角をじっと見ていると、突然飛び去った。


「……逃げた」


 ぼそりと呟かれた言葉をアイの耳が拾った。いよいよ自分が警戒している理由がわからなくなってきた。


 ハルは歩道の隅にトランクを置くと、その上に腰を下ろした。枝は折れたのに、トランクは少しも軋まない。果たして何が入っているのか、そんな丈夫な鞄に座り今度は何を見ているのか。


 頭の動きから察するに、ハルに気づかず前を通り過ぎていく人間を見ているのだと理解できた。一人一人、視界で捉えきれなくなるまで追いかけていき、また別の人間が現れたら目で追尾する。


 この繰り返しを、十五分近くも続けていた。ずっと意識を歩行中の人間に対して向けているハルに、アイは顎に手を添えた。


「……ハルはこと頭脳に関して、非常に高性能だったのでは」


 ロボットに欲は無い。だがハルには、知識欲と言っても差し支えないものがあった。知らないこと、つまりデータに無いものがあれば、知識としてすぐに吸収する。


 知らないものを知る機会があれば、積極的に出向く。ハルにとって、知らないものを知るというのは、優先順位の中で非常に上位に食い込むものだった。


 感情も心も無いハルが、ミヅキ達という人間相手と有効な関係を続けていられるのも、その知識の吸収の結果と言えた。


 人間の感情もその機微もハルにとっての学習の対象であり、知識として得たおかげで、人間との比較的円滑なコミュニケーションを可能にしているのだろう。


 高い分析力と判断力も、この知識の獲得を優先してきた結果と言えた。


 ハルは作られてから、かなりの製造年数が経っている。その間、どれだけのデータを得、知識を保有してきたのか。


 わからない、とアイは首を振った。なぜ、知らないものを知ろうという思考に至るのか。


 知らなくても損が生じるものでなければ、知ることに時間を当てるだけ無駄に終わるのでは。容量もかさばるし、利点が薄いのでは。今アイ自身が、知りたくも無い人間の感情が、勝手に分析されてしまうように。


 人間を見ているハルを見ていると、自然と自分の視界にも人間が入る。怒濤のごとく飛び込んでくる感情に、処理が全く追いつかなかった。


 あの人は嬉しいと焦り。あの人は寂しいと退屈。あの人は恥ずかしさと嫌悪――。


 両手で頭を抱えた。機能が停止しそうだ。このままいけばシステムエラーを起こしかねない。


 必要無い情報量、必要無い知識があまりにもはびこりすぎている。


 一つの星、一つの町の一角でさえ、ここまで大量の感情、ひいては心で混沌としている世の中だ。宇宙から争いごとがいつまで経っても消えないのもよくわかった。


 目を開けていたくなかった。だが開けていないとハルの動向を監視できない。ショートの確率が高まってくる頭を手で抑えながら、ひたすらハルを見張った。


 座り込んでから、既に三十分が経過していた。ハルの頭が伏せられた。腰を上げ、椅子の代わりにしていたトランクの取っ手を掴みあげた。


 その中から取りだしたものに、一瞬回路が正常に動かなくなった。


 それは、深編笠ふかあみがさだった。

 ハルがおもむろにそれを被ると、最大の身体的特徴ともいえるブラウン管テレビの頭部がすっぽりと覆われた。シルエットが、深編笠を被った人間にしか見えなくなる。


 どうするのかと思考を巡らせた直後、ハルは物影に身を隠した。と、すぐに出てきた。なんと、クリアモードが解除されていた。


突如現れた深編笠姿の人物に、ぎょっと目を見開く人間達の視線がハル一点に集中する。


 だが、ハルはまるで気にする素振りを見せず、悠々とトランクを掴み、背を翻して歩き出した。


 ハルの意図はわからない。だが、ようやくかと、アイも尾行を再開するため、足を前に踏み出す。

 

 ハルが、勢いよく振り返った。


 すぐに建物の影に隠れた。物陰で、口を片手で押さえる。息の音が伝わらないようにするためだ。


 目が合った。察知された。その危険性は、限りなく高い数値を編み出していた。


 頭に手が持って行かれた。触れた部分にあった髪を鷲掴んだ。口に当てている手の隙間から、抑えているはずの息が漏れた。


 感知機能を張り巡らせ、足音を拾おうとする。もしハルがこちらに気づいているのなら、ここに近づいてくるはずだった。


 だが、ハルとみられる足音は、一切近づいてこなかった。むしろ、遠ざかっていく。


 慎重な動きで物陰から出ると、小さくなるトレンチコートの背中が見えた。


 ばれていなかったのか。その可能性は低かったのだが。手が口から離れた途端、息が出てきた。太く長い息だった。


 予期せぬアクシデントがあったものの、追跡を続けた。ばれていないなら、やめる理由はなかった。


 町の中を、ハルは歩き続けていく。すたすたと歩む姿。先程のようなゆっくりとした足取りでは無く、些か速度が上がっていた。


 人並みを縫っていくハルに、人間達は必ず視線を送る。だがハルは、真っ直ぐ歩き続けている。


 今までずっとアイの前で行っていた、寄り道をしなかった。虫や植物や人間を観察すること無く、正面を向いて真っ直ぐ進んでいく。迷いの無さから、目的の場所に行くのではと計算ができた。


 しばらくの時間、歩き続けた時だった。ふいにハルの進行方向が折れた。建物と建物の隙間の、路地裏と見られる場所に体を滑り込ませていった。


 自分を守っている人の目から、自分から逃れるような行動。

 理解不能だったが、アイは追いかけた。尾行の判明するリスクは高まるが、ダークマターの為、多少のリスクは背負ってもこの追尾は成功させなくてはならなかった。


 間違いなくハルが入った路地裏に入った。だがそこに、今し方まで追っていた人影はいなかった。影も形もなくなっていた。


「え……」


 見失った危険性が高まっていく。違う、と頭を振った。時間と距離から、見失う程の移動を遂げた確率は限りなく低い。


 確かに近くにいるはずだ。アイは走り、すぐ近くの突き当たりを曲がった。


 目の前に人が立った。太陽を背にし、逆光で体も顔も真っ黒に染まっていた。


「こんにちは」


「ひいいいっっっ!!!!!」


 場に甲高い声が生まれた。悲鳴の類いと呼ばれるものだった。周りを見回した。他に誰もいなかった。アイは自分の口に手をやった。今自分の声は、何を発した。


 一歩、二歩とハルから距離を取っていた。なぜ自分はこんな非効率な行動を取っている。


 深編笠の隙間から光るものがあった。太陽を反射する、ハルのテレビ頭の部分とみられた。


 頭が下に傾く。アイを見下ろすハルが、機械的な声で問いかける。


「誰かに尾けられている可能性が高い数値が出たので見てみたら、案の定だったか。君、私に何か用があるのか」

「あっ……」

「私に用があるのか、と聞いている」


 また光が反射した。ぎらん、と編み目の隙間から鋭い光が漏れた。


「いえ、そ、その。あ、あの、わたし、は」


 早く答えなくては、と計算できているし解答も出せている。なのにアイの口は、全く動かなかった。本当に自分のものなのか疑わざるを得ないほど、舌も回らず言葉も出てこなかった。


 意識していないのに、顔が俯いていく。

 どうすれば、どうすれば。思考回路がこれ以上に無いほど回転を遂げている。尾行がばれた、では自分の正体もばれたのでは。機械であることがばれたら、ダークマターから来たこともばれるのでは。


 数値を算出しようとしても、何も詳しい数字が出てこない。こんなことは初めての経験だった。


「ふむ。だいぶ動揺している模様だ。私がそんなに恐ろしい外見に見えるようだな」

「ど、動揺……? 恐ろしい……?」

「ずっと私に向けている感情だろう」

「そ、そんなはず、は……。……あ、有り、得ません」


 首を左右に振る。なぜか震えている声で否定する。自分に感情はプログラムされていない。ハルと同じだ。自分には心が無い。機械であり、無機物である以上。


「そうか。よほど動じているとみられる。色々聞きたいことはあるが、静まるまで待つとしよう」


 そんな見当違いなことをハルは言った。このロボットの頭脳も、もしかするとそこまでではないのかもしれない。アイは震える両手を下の方で組んだ。


「一緒に来るか」

「はい?」


 ふいにハルが背を反転させた。頭だけ振り返った状態で、よくわからないことを問う。


「君のその動揺が静まるまで、一緒に来るか、と聞いているんだ。私に用事があるのだろう。行動を共にする利点は大きい。どうだ」


 思考回路を動かした。諜報員だとわかっているなら、こんな提言をするのはリスクしか生まない。ハルはこちらの正体に気づいていない可能性が高かった。

 では、こちらがするべき最善の行動は決まっていた。標的からの直々の頼み。


「……はい。よろしくお願いします」


 アイはハルに向かって、浅く頭を下げた。


「そうだ。名前を聞き忘れていた。私の名前は、ハル。君の名前は、何と言うんだ」


 深編笠の下から機械が声を発す。アイは軽く目を伏せた。


「私は……」


 顔を上げ、真っ直ぐハルを見る。被り物の下の、テレビ頭を見つめる勢いだった。


「……アイです」


 了解したとばかりに、ハルが一つ頷いた。


「そうか。アイか。もしかすると、ソラの友人のアイか?」

「……ソラ?」

「そうだ。私は、ソラの知り合いなんだ。その反応を見る限り、当たっているようだな。時々、ソラから君の話を聞くよ」

「ソラから……」


 名前を呟くと、一人の少年の顔が想起された。温厚だが、臆病な性質を持つ少年。


 ソラはハルのことを話した事例が無い。もちろん、ソラとハルが知り合いだと知っているとは言えなかった。ハルとは、ここが初対面の体を装わなくてはならない。


 アイは頭を縦に振った。


「そうなのですか」

「そうだ。……では、着いてきなさい。アイ」

「はい。ハル」


 背を向け歩き出したハルのすぐ後を、歩いて追いかける。こちらを振り返らず前のみ向いて歩く姿は、やはり隙しか検出できなかった。

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